50冊目
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※話の中で、登場人物が子供の頃に虐待される部分があります。ご注意ください。
ラルフがいない。
警備隊の寮のラルフの部屋。元々殺風景な部屋だったが、隊服や支給された物が全てクローゼットの中にあった。やはり警備隊を辞めるつもりのようだが、これらは総務部に返却して確認と手続きが必要だと、あの男は知らないらしい。
隊長たちの引き継ぎの仕事が終わるまで、今日一日は自由にして良いと言われた。
フィンレーは周りには体調不良としていて、彼の分もオーランドが引き受けている。書類のサインだけはフィンレーが頑張って書くらしい。フィンレー隊長の魔力入りの特殊なインクを使うのだが、金色猫がサインをする姿を想像すると、ちょっとかわいいと思ってしまう。オーランドも少しは癒やされるはずだ。
ラルフのことは放っておいていいと、オーランドには言われたが‥‥‥。
「ラルフ‥‥‥どこへ?」
ラルフには、警備隊はそもそも向いていなかった。オーランドが警備隊を辞めるなら、ラルフに残る理由はない。冒険者の方が寧ろ向いているかもしれないが、ギルドや他の冒険者と揉め事を起こしそうだ。
あの男に帰る場所などない。
ただのちょっとした外出かもしれない。
オーランドを煩わせたくないのに。と、ロージーは唇を噛んだ。
「少しだけ。少し探して見つからなかったら、戻るワ」
自分自身にそう言って、自室に戻りもっと動きやすい私服に着替えたロージーは、街に出ることにした。
* * * * * * * * * * *
バートとともに屋敷を出たばかりのレジナルドの前に、馬車がとまる。ごく最近‥‥‥というか、昨日見た馬車と同じだなぁとレジナルドが思っていたら、バートが前に出た。
「レジー!」
「ひいぃっ!」
アンドレアスが勢いよく扉を開けた。
「図書館まで送るから話を聞いてくれ!」
「えええ‥‥‥」
バートはレジナルドと朝の散歩をしながら行こうと思っていたのを邪魔されて、不機嫌になる。レジナルドにも負けないほどの若々しい目の前の男が先王アンドレアスでなければ、「アポ取って出直してください」と言いたいところだ。
「バートだったか。一緒に乗ると良い。菓子が好きだな?特別なチョコレートを用意しておる」
「さあ、乗りましょう。レジナルド様」
「‥‥‥バート」
まあ、朝の散歩ならばこの先も出来る。気持ちを切り替えて、バートは良い笑顔でレジナルドを馬車に乗せた。
「フィンレー様までが猫に?!」
レジナルドが青い顔をする隣で、バートが金色の猫ちゃんが現実となったことに顔を輝かせた。アンドレアスは影の者からいろいろと聞いているので、バートの趣味も好みも知っている。甥が猫になったことに喜んだとしても、許すつもりだった。
「バート、失礼だよ」
「はい」
レジナルドが気が付いてバートに注意したが、それも一応だ。アンドレアスが寛容な人物だと知っている。
「レジーの孫のハルと、冒険者ジュード・グレンには、氷漬けのフィンレーを助けてくれた礼を言いたいところだが。猫になっても、戻る方法があるのかと聞きたくてな」
ハルが落ち着いている様子を聞いて、何か方法があるのだと思ったようだ。影の者が、天井裏から見た出来事が信じられない様子で、呪いではないかと慌てて報告してきたらしい。
「あの子は、ハルちゃんはちょっと人より落ち着き過ぎているので、方法を知っているのかは私には何とも。まだ猫になった彼女とも会っていないので‥‥‥」
「‥‥‥ふむ、そうか。こちらが焦り過ぎたか」
バートは、二人の話を聞きながら特別なチョコレートなるものを食べていた。正直、何が特別なのかよくわからないが、上品な口溶けで、まあ美味いかな、と思った。
アンドレアスはバートに感心する。昨日のカルロスも、困り顔ではあったが、レジナルドが養子にと決めたのが理解できるほど、主に献身的で落ち着いた壮年の男だった。目の前のバートは、肝が座っている。そしてやはり主を慕っていて、独りになったレジナルドを心配していた友人としては、安心していた。
「バートよ、そなたはどう思うか?」
話を振られて目を丸くしたが、口の中のチョコレートを飲み込んでから話し始めた。
「俺は、ハルちゃんたちに合わせて神殿に行けば良いのでは?‥‥‥と」
「永久凍土の【ヴィラゲル】の最南、【銀の女神の神殿】か」
「フィンレー様の『本』は、ハルちゃんたちがしっかり修理しつつ読んでたし、この先の流れも共有出来てるでしょ‥‥‥出来てま‥‥‥出来てますですで‥‥‥」
「バート‥‥‥舌を噛みそうだ」
「ははは、普通に話してよい。許す」
「本当?良かった!俺も全ては知らないけど、あの物語と聖獣の声を聞けば何とかなるんじゃない?」
「‥‥‥お、おお、そ、そうか」
レジナルドが額を押さえた。あのアンドレアスが戸惑うほど、バートは真に受けて普通に話し過ぎだった。
* * * * * * * * * * *
これ以上、あの人の足を引っ張るくらいなら、消えてしまった方がマシだ。
どんなに冷たくても、あの人が、俺を見てくれるだけで嬉しかった。
ラルフの父親は北の先住民族の族長の末の弟で、既婚者でありオーランドという息子がいた。
母親は使用人だった。顔が少しばかり良いだけの馬鹿な母親は、二番目の妻になりたくて、質の悪い媚薬を使って、結果的に屋敷から追い出された。この時によく殺されなかったと思う。
母親は転がり込んだ男の所で妊娠がわかり、そこからも追い出された。
オーランドと両親が族長の娘とその息子フィンレーの世話係として集落を出て王都へ行ったのは、その事があった後だ。
母親は俺を産むと、次の男の勧めで王都の色街で働いた。同じような立場の子を持つ母親らに転々と預けられながら、俺は幼い頃をほぼ他人の家で育った。母親からの暴力はなかったが、関心もなかった。
男が出来ると貢いで金がなくなる頃に逃げられる。母親がそれを繰り返すのを、十歳になった俺は黙って見ていた。男が部屋に来ると、隠れて静かにしているよう母親に言われていたから、常にそうしていた。うっかり男に見つかってしまった時は、食べ物を与えられなかったり、男から性的に触られたこともあった。俺は何も言わず、母親も何も言わなかった。
ある日、北門で門衛をしていた父親似のオーランドを見つけた母親が、何を思い立ったか俺を連れ出し、仕事中のオーランドに、俺が父親の息子だから引き取って欲しいと頼んだ。父親が既に死んでいたのを知らなかった母親だが、後日改めて呼び出されてオーランドに会うと、生活が苦しいからと金まで受け取り、あっさり俺を手放した。
『ラルフ』
『‥‥‥』
『お前の名だ、知らないのか?』
俺は碌に母親から名前を呼ばれた事がなかった。言葉も耳から聞いたものしか知らなかった。
『うるせぇ』
頬を叩かれた。
『私は、お前の兄だ。口の利き方を間違えるな』
また叩かれた。
『いてぇ‥‥‥いてぇぇ‥‥‥っ』
その日、初めて頬を叩かれて、初めて泣いた。
『痛いか?痛いのが嫌なら、そうならないように考えろ』
それからしばらく泣き続けた俺は、オーランドにシャワー室で体を洗われ、与えられた部屋で『考えろ』とは何かを考えて、清潔なベッドで疲れて眠ってしまった。
返す言葉を間違えると、オーランドに怒られる。
『あの方と私に、恥をかかせる気か?』
『わりぃっ‥‥‥です』
『違うな』
『‥‥‥もうしわけ、ございません』
『そうだ。忘れるな、ラルフ』
『‥‥‥はい、オーランド様』
同じ色の瞳が俺を見ている。見てくれる。
俺は毎日のように怒られたが、オーランドは俺に無関心でいることはなかった。
警備隊に入ってからずっとだが、フィンレーとオーランドの側にいることで、何でこんな奴が?と、他の隊員に地味な嫌がらせをされていた。大体は我慢したが、限界を越えると殴り合いの喧嘩になり、ある日、相手に大怪我をさせてしまった。この時は俺も相手も謹慎処分になったが、オーランドが怪我の治療費を相手に支払っていたと、後で聞いた。
この頃から、怒られるより怖いのは、オーランドに迷惑をかけること、足を引っ張ることに変わった。
『お前ほど手のかかる部下は初めてだ』
『‥‥‥申し訳ございません』
自分からは手を出さないようにしているが、口の悪さはどうしても直らない。
非番の日でも食堂で絡まれた。ただ居るだけで、だ。俺に手を出させて辞めさせたいらしい。俺なりに堪えているつもりでも、年上に対して口や態度が悪いと言われた。その夜、オーランドの自室に呼び出された。
オーランドの溜息が聞こえる。怒られるだけではなく、また迷惑をかけたのかと、俺は唇を噛んだ。
『ラルフ』
『は、はい、オーランド様』
『お前の場合は‥‥‥、仕事とプライベートの区別をつけて、言葉遣いに気をつければいい』
『‥‥‥?‥‥‥はい、オーランド様』
『‥‥‥今はどちらだ?』
『えっ?』
顔を上げると、少し呆れたような同じ色の瞳がそこにあった。
『プ‥‥‥プライベート?』
『では、私は誰だ』
『に、兄様っ』
『‥‥‥そうだ』
兄様。
何度鏡を見ても、似ているのは顔ではなく瞳の色だけ。またガッカリする。父親も同じ青灰の瞳だったらしい。隣に立っても、兄弟だと言えるとしたらこの瞳の色だけだ。もっと兄様と同じなら‥‥‥。
『馬鹿ね、同じなわけないワ』
『‥‥‥うるせぇなっ』
オーランドを敬愛するのは俺だけではなかった。
「馬鹿ね、行く所なんてないくせに」
「‥‥‥ロージー」
口煩いのに見つかった。また言われる。どうせ俺は馬鹿だ。あの母親の息子だ。
「馬鹿ラルフ」
「‥‥‥」
ラルフはすぐ近くにいた。オーランドの寮の自室の窓が見える、木の上に座っていた。ロージーが探しに出ようとした時に、ここにいるのではないかと教えられたのだ。
下からロージーが睨んでいる。
「‥‥‥」
「‥‥‥?」
「ラルフ。オーランド様が、あなたがここにいるかもしれないと教えてくれたワ」
何故といった顔で目を見開くラルフに、ロージーが「いいから下りなさい」言った。
オーランドは、ここから時々ラルフの気配を感じていたそうだ。ずっと気付かぬ振りをしていた、と。
ラルフは、眠れなかったり嫌なことがあった日の夜は、ここへ来ていた。
「徹夜で仕事よ。疲れているのに、隊長室からわざわざ私の所へ来て教えてくれたのよ」
ラルフのことは放っておいていいと、そう言っていたのに‥‥‥。
ロージーが寮を出たところへ、走って来たオーランドに驚いた。金色猫のいる隊長室は鍵をかけて来たと言っていた。
「な、何で‥‥‥」
「何で?‥‥‥馬鹿ラルフ!弟だからでしょう!」
「‥‥‥っ!」
ラルフの顔が歪んだ。そして、久し振りに零れ落ちた涙に、ロージーもラルフ自身も驚いた。
「ち、違っ、これは‥‥‥っ」
「ああ、もう、だから嫌なのよ!あの人と同じ色の瞳で泣かないで!だから嫌いになれないし、放っておけないのよ‥‥‥!」
「‥‥‥ロージー?」
頬を平手で叩かれた。
「いってえ‥‥‥っ!」
「痛い?またそうされないように考えなさい」
ラルフはロージーの言葉に目を瞠った。
『痛いか?痛いのが嫌なら、そうならないように考えろ』
「は、ははっ」
「な、何よ。叩かれて笑うなんて、気持ち悪いワね」
「‥‥‥ロージーが、兄様と同じようなこと言った」
「えっ?‥‥‥そ、そう?そうなの?」
少し頬を染めたロージーが、今日は何だか表情豊かで可愛らしく見えた。
少女の頃から無感情のようなロージーでも、オーランドの前ではいつも違っていた。ラルフでさえ、ロージーの気持ちに気付いていたのだから、オーランドはとっくに知っていたはずだ。
ラルフが兄に求める家族愛も、ロージーの恋心も、オーランドは冷たい瞳と態度で、知らない振りをした。
オーランドは、ずっとフィンレーが一番で、フィンレーを愛している。ラルフもロージーも、フィンレーに嫉妬して、それでも彼の大らかさと美しさはやはり特別で、眩しかった。
あの方のために生きるあの人のために、自分たちがいる。虚しい気持ちにもなった。
ただ、適わない存在だったフィンレーが氷の柱に閉じ込められた時、絶望の淵で凍えるオーランドを前にして、彼の太陽を取り戻さなければという気持ちになったのだ。
「あなたがいない時に言われた、私たちのこれからの話をするワ。それを聞いて決断するのはあなただけど、勝手に消えるのはダメよ」
「‥‥‥‥‥‥悪かった」
「馬鹿ラルフ」
「うるせぇ‥‥‥っ」
* * * * * * * * * * *
今朝は、皆が揃ってのトレーニングではなかった。ジュードがストレッチをしていたら、ロンドが申し訳なさそうな、何とも言えない顔で裏口から出て来た。ロゼッタが起きられないから休ませて欲しい、と言った。昨日は夕方から夫婦はずっと自宅で過ごしたらしい。庭のベンチで果実酒を飲むなんて、仲が良くて素敵な夫婦だ。
「ロゼッタさん、飲み過ぎましたか?」
「‥‥‥ん、まあ、それもある」
「ロンドさん、回復薬なら多くあるから、ロゼッタさんに渡してくれ」
「あ、ああ、それはとても助かる、かな」
ジュードから回復薬の小瓶を受け取るロンドの顔が少し赤い。
「「‥‥‥?」」
「じゃあ、ロゼッタに飲ませてくる。今日は俺も休ませてもらうよ」
「お大事に」
ロンドは複雑な顔で笑って戻って行った。
「そりゃ夫婦なんだし、いい雰囲気になればイチャイチャするわよ」
古書店に顔を出したC級冒険者フレイヤにそう教えられて、ハルもジュードも察しの悪い自分たちが恥ずかしくなった。今思えば、ロンドの様子はそんな感じだった。
「まだ四十前のご夫婦なんでしょう?」
「そ、そうです」
「だったらそんな時もあるわ。気を遣ってあげないとね」
「‥‥‥はい」
フレイヤは、窓テーブルに座る猫に微笑んだ。
彼女が訪ねてきた時、店にはジュードがいて、ハルは自室で母ロッティの日記を読んでいた。フレイヤは、ギルマスのルーク・ブレイクから呼ばれて話を聞いて、ハルを心配して来てくれたのだ。
飴色のショートカットの髪にから見える耳には、先日までにはなかったイヤーカフがある。
「それにしても、あの時に見た縞々の猫はジュード・グレンだったのね」
「悪いな、フレイヤ。あの時は巻き込まないために言えなかった」
「いいのよ。つまり厄介事がある程度は方が付いたってことでしょう?」
「そうなる。神殿に近い宿で、前日までに他の者たちとも合流する予定になりそうだ」
ハルが猫になったことで、行きに馬車を使う必要がなくなったが、人間に戻るとしたら帰りには乗せたほうが良いので、移動手段に変更はない。ジュードとヴァージルが交代で御者台に、ハルとフレイヤを馬車の中に乗せるつもりだ。
「ハルさん、私たちは馬車の中でたくさん話しましょうね。護衛は完璧だもの」
「ふふっ、そうですね」
A級とS級冒険者が乗る馬車ほど安全な旅はない。フレイヤはハルを安心させるためにそう言ったのだと思い、猫はお礼にと肉球をそそっと差し出した。幸せそうにムニムニと触るフレイヤを、天色の瞳が羨ましそうに見ていた。
読んでいただきありがとうございます。
『林檎のロロさん』も連載中です。こちらもどうぞよろしくお願い致します。
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