5冊目
「明日は何時頃に来ればいいか?ハル」
濃紺のローブを着て古書店を出る前に、ジュードが予定を聞いた。
明日は、商業ギルドに行って、父の魔法鞄の遺品整理を予約したいと思っていた。うっかり一年間放置してしまった。うっかりが長すぎた。
「明日の午前中は商業ギルドに行こうと思っているので、午後でも構いませんか?」
「予定があったか。わかった。では、午後にこちらに来よう」
「もし、私が遅くなったら‥‥‥」
「雑貨店に行ってコーヒー飲んで待ってるよ」
ホッとした。あの夫婦とは気が合ったらしく、会わせて良かったと思った。
「そうしてください」
「ああ」
ジュードが扉を開けて出ると、もう暗いからここでいいと言った。
「ハル、また明日」
「お気をつけて、また明日」
扉を閉めて鍵をかけ、静かになった店内を見渡す。
「ふぅ」
今日はいろいろあって忙しかった。ドキドキすることがいっぱい起きた。
呪いで猫になる冒険者がお客様になるなんて。
父もきっと生きていたら、興味津々で喜んで受け入れただろうと思った。
明日は朝一番にギルドに行くために、早めに休むことにした。
「よし、シャワーの前に」
店の中央にあるハルの背ほどの高さの本棚の上に、木目調の円柱の置物がある。それを棚から下ろして、窓カウンターの丸椅子に座った。置物を横にして挟むように両手で持ち、自らの魔力を流し入れた。円柱が、やわらかく光る。
これは、店内の温度と湿度を管理できる魔法道具だ。
父の我儘は多く、雑貨店のロス夫妻に作ってもらったものだ。古書を管理する最適な環境をなんとかしてくれ、と。頼まれて作ってしまう夫婦が凄い。
これのおかげで、うちの古書は修理後も状態がいいわ。
またこれで数日保つだろう。
再び棚の上に置いた。夜になり灯りを消すと、小さい光の粒が少しずつ店内に浮遊した。子供の頃から、この光景が好きだった。店に妖精がいるのだと思っていた。店内の環境が安定すると消えてしまう。
「ジュード様に見せてあければ良かったわ」
また魔力を入れる時に、一緒に居てもらおう。
残念なことに、ハルの脳内では、人間のジュードではなく、光の粒と戯れる猫の姿があった。
ジュードが泊まっている宿は、一階がダイニング・バーになっている。
二階に戻る前に、店主に声をかけると、客が来ていると教えられた。
「ジュード、こっちだ」
「ルーク?」
冒険者ギルド【月長石】のギルドマスター、ルーク・ブレイクが、カウンターの一番奥、薄暗い席に座って手を挙げていた。月白の髪は緩やかな癖毛で背まで長く、濃紺の瞳は夜の化身のように神秘的だ。見た目と性格の違いに、初対面の人間は大抵驚く。
「少し付き合えよ」
「ああ」
エールを注文して、隣の席に座った。
「晩飯は?」
「済んだ」
「なんだ、そうか」
ルークはエールとチーズの盛り合わせを食べていた。ジュードのエールが来ると、勧められてチーズをもらうことにした。白カビチーズが多いのは、ルークの好みだ。真ん中の柔らかいところから食べて、最後に周りの白カビを食べる。
「あの指名依頼を達成した後、どんなだったのか話聞きたかったのに、お前がギルドに顔出さないから、どうしたかと思ってな」
あの日は疲れて宿に泊まって、猫になったから行けなかった。ジュードは翌日ギルドに顔を出そうと思っていた。
「受けるんじゃなかったと、今朝までは思っていた」
「どういうことだ?」
ジュードは今までのことを、ルークには話すことにした。呪いのこと、商業ギルドでのこと、雑貨店や古書店、ハルのことを。
「ふざけてるな。金を渡して済まそうなど、冒険者にナメた真似をしてくれる」
「本を読んで確認しなかった、自分にも腹が立つ」
「お前がどう思うかは別に、その商人のことは他のギルドにも情報を流すからな」
ルークはエールを一気に飲んで、ジョッキを置いた。
「でも、そのベネットさんに会えて良かったな。今こうしてお前とエールが飲める!」
「ああ」
思い出すように優しく笑うジュードに、ルークが目を丸くしていた。
この男のこんな顔は初めて見るな。
「しばらくギルドの依頼は受けられないかもしれない」
「仕方がないな。今は討伐依頼も少ないし、B級で対処できないことはないだろう。まあ、正直キツイがな」
「すまない。この宿も明日には出ようと思う。古書店に近いところを探すつもりだ」
「なんだ、古書店に泊めてもらえばいいじゃないか」
ジュードがエールを吹き出しそうになった。
「未婚の女性の家に泊まれるか!」
「夜は猫になればいいんだにゃー」
「そんな、他人事だからって!」
ルークがニヤニヤして、エールを二杯追加した。
「でも、こうして夜は帰って、また次の日に行って、そんなんじゃ本の修理も進まないんじゃないのか?ベネットさんはどう思うか聞いてみろよ」
確かにハルは雑貨店での夕食の時に、本当は夜も本を見たいと言っていたが。
「‥‥‥無理だ」
全く、こいつは。
「何が最善かも考えろ、天銀の虎よ。まあ、冒険者やめる覚悟があるなら、何年でもゆっくりのんびりやってろよ」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥彼女には、迷惑を、かけたくない」
「‥‥‥」
怒らせようと思って言ったのに、自分のことより彼女の人生を優先するとは。
「わかったわかった、言い過ぎたよ。とりあえず、一度ベネットさんをギルドに連れて来てくれ。それから、お前が商業ギルドに出した依頼者の欄に、【月長石】のギルマスとして俺の名前も追加しろ。達成したら彼女の仕事にも箔が付くだろう」
「‥‥‥すまない」
「いいよ馬鹿」
「すまない、ルーク」
「やめろ」
追加のエールで、親友と恩人との出会いに乾杯をした。
読んでいただきありがとうございます。