48冊目
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先王アンドレアスの落ち着いた黄土色の髪と瞳は、光の加減でくすんだ金にも見える。
彼が王太子の時、ハルの祖父レジナルド・ベネットとは同じ年に王立学園高等部に入学した。アンドレアスは幼い頃から本が好きで、学園の図書室で見かけるレジナルドと徐々に会話をするようになった。卒業してからは、お互いの立場の違いや忙しさで会うことはなくなった。
王立図書館で働くレジナルドの功績を称え、一代限りの士爵にと推したのは、当時の国王アンドレアスだった。レジナルドは、王立図書館の一般棟の全ての本が返却箱から定位置に転移して元の本棚に返却される、今では当たり前になった『管理魔法』を考えたのだ。受勲式で久々に一言二言、言葉を交わした。
数年前に息子に王位を譲ったアンドレアスだが、昨日、管理室長のレジナルドに突然連絡を入れると、仕事が終わる時間に合わせて図書館の裏門に用意した馬車の中で待った。慌てる様子のレジナルドを迎え入れて、動き出した馬車の中で話をした。
バートからのこの話は、隣の夫婦が帰ってから始まったのだが、本当に、彼らが聞かなくて良かったと思った。
「何をどうしたら‥‥‥」
「‥‥‥そんな展開になるんですか」
猫は会計カウンターの上で、ジュードは椅子に座って脱力していた。
「先王様って、ブレイク兄弟とヴァージルのアイスクリームの熱狂的な支持者なんだって」
「あー‥‥‥」
「それですね」
つまり、ルークやヴァージルから色々と伝わった結果、調査をして、身内のこともあり動いたのだろう。
レジナルドの希望でカルロスも馬車に同乗したそうだ。胃が痛かった、と言っていたらしい。
気の毒に‥‥‥。
北門の塔の警備隊長フィンレーは、実はアンドレアスの甥にあたるそうだ。正式には公表されていないので、レジナルドも知らなかった。
だが、どうしてフィンレーが警備隊長に?‥‥‥と思うのが普通だろう。
「最初は門衛だったらしいよ」
父親の第五王子殿下は自由な男で、長兄である国王アンドレアスとは良好な関係だったが、王位継承権を放棄すると平民となり冒険者となった。
母親は、父が旅先の地で出会った北の先住民族の族長の娘だった。
冒険者の父は、フィンレーが生まれた事を知らないまま戻ることはなかった。金髪金眼のフィンレー。その目立ち過ぎる容姿はすぐに王都にも伝わり、母親と世話係と共に国王に呼ばれた。
父である元第五王子は、既に冒険者として亡くなっていることを聞かされた。
フィンレーの容姿は間違いなく王家の血が流れているとわかるため、帰ることを許されなかった。それは、フィンレーを守るためでもあった。村での生活でも、何度も不審者に攫われそうになったことがあった。
母親は納得したものの、慣れない離宮での生活が続き、数年後に亡くなった‥‥‥と言うことになっている。
「実際は曖昧なんだ。毒殺されたとか、男と逃げたとか、侍女によって逃がされたとか。とても美しい女の人だったらしいし」
「ええ、何だかドロドロしてそうです。他国の後宮物語にそんな女たちの愛憎劇があったような‥‥‥」
「ハル‥‥‥」
金髪金眼は王族の中でも生まれるのは稀で、フィンレーは美しくて不思議な魅力があった。
彼は少し変わっていて、子供の頃から「門番になる」と言っていた。ある物語が好きで、大事にしていた『本』があったそうだ。
「えっ、それって」
「まさか‥‥‥?」
「そのまさか、かもしれない」
フィンレーは頭脳は並だが、剣術には熱心だった。周りは、華のあるフィンレーを近衛騎士団にと考えていた。
だがフィンレーは、依然として物語の門番になりたかった。幼い頃からの考えを変えないフィンレーに、アンドレアスは父親に似て自由だと笑い、好きにさせるよう言ったが、周りは勝手に動いていた。
剣術の腕を上げるためにどうかと誘い、騎士団に入団させると、彼の教育係を取り込み、フィンレーが部屋に居ない時間に本を盗ませた。そして勝手に処分したのだ。だが、それがいけなかった。
教育係の不審な行動は庭師が見ていた。庭師は、アンドレアスがフィンレーを見守るために手配した者だった。
それまで穏やかな性格のフィンレーだったが、人が変わったように激怒した。まだ青年になる前の成長期の少年が鬼神の如く剣を振るい、魔力を暴走させて、剣に長けた教育係をもう少しで殺してしまうところだった。
彼を止めたのは、オーランド。フィンレーたち母子の世話係として連れて来た夫婦の息子だった。オーランドの父親は族長の末の弟で、年齢が五歳差と近くて複雑だがフィンレーはオーランドの従甥だった。
「どうやって暴走を止めたかは謎みたいだけど、オーランドは命懸けで飛び込んで、抱きしめたらしいよ。必死に何かを言っていたって」
「それで収まったのか‥‥‥」
「何と言ったのでしょうね?」
もちろん、ただでは済まなかった。オーランドは全身打撲と傷を負い、フィンレーはまだ成長段階の筋肉と魔力の使い過ぎで三日間昏睡状態になった。オーランドはすぐに白魔法師の回復魔法を受け、フィンレーは、目覚めると穏やかな少年に戻っていた。
フィンレーが暴走するとは思わずに、教育係の罪を本人に伝えてしまった庭師は後悔した。捨てられたはずの『本』を探したが、見つからなかった。フィンレーは、「大丈夫だよ、ありがとう」と笑ったらしい。
関わった宰相補佐と数名の近衛騎士は、謹慎処分。教育係は回復を待たずに逃げるように辞めたらしいが、行方はわからない。
宰相と近衛騎士団長が国王とフィンレーに誠心誠意謝罪し、温情により減給処分のみとなった。
金の獅子には逆らうな。怒らせたら‥‥‥。
フィンレーの願い通りになった。
十五歳になると、オーランドと共に北門の門衛となり、十年後に警備隊長になってからは、これ以上の出世を望まず、今に至る。
「オーランドは、今は警備隊の副隊長だ。窓が割られた時に夜警としてここに来たはずだよ」
「ああ、あの方ですか。もう一人の女性も?」
「それは部下の‥‥‥ロージーだね」
バートはメモを見て答えた。
ジュードは、あの屋台でブルーベリーの焼き菓子を売っていた女だな、と緋色の瞳と作り笑顔を思い出した。
「窓を割ったのは、もう一人の部下のラルフ。オーランドの腹違いの弟らしいよ」
ハルは、吹っ飛ぶ前に襲いかかって来た、ラルフというちょっと口の悪い青年の瞳を間近で見ていた。
「灰色がかった青い瞳でしたね。確か、髪は濡れたような黒銀で‥‥‥」
「ハルちゃん、夜だったのによく見てるね」
「ふふっ。そうそう、あの副隊長さんも同じ瞳の色ですね。なるほど、ご兄弟でしたか。あ、制帽から銀髪が見えましたから、もしかして、ジュードさんのお兄さんだと言って宿の部屋に入ったのも、その方でしょうか?」
「こっわ‥‥‥」
「‥‥‥」
バートが教えるはずだった内容をハルは言い当てた。
「そうだよ。俺の仕事取らないでね、ハルちゃん。ちょっと撫でていい?」
「ダメだ」
「ケチ。ジュード・グレンの、ケチ」
「子供か」
「頭ならば、どうぞ?」
「やった!」
「ハル‥‥‥」
窓側の丸椅子にいたバートが、会計カウンターに座る細身の猫の頭を撫でる。トラ様とはまた違う、スルッとした毛並みだ。
「かわいい」
バートは幸せそうだ。良い事をしたと、ハルは目を細める。ジュードは溜息を吐いた。
「それでさ、どうする? 警備塔の中に入るなら手伝うけど」
「「は?」」
アンドレアスが、オーランドに協力するよう話を持ちかけた。互いに話し合いが必要だろうと。
警備塔に入ってフィンレーに会うには、中からの協力が必要だ。バートが彼らと接触し、オーランドの勤務時間を聞いて来ると言った。
「ジュード・グレンは知ってると思うけど、日中の警備隊より夜警隊の人数の方がはるかに多いんだって」
「では、夜に行った方がいいのですね。いつでも動けるようにします」
「悪いな、バート。これを皆で食べてくれ」
ジュードは、ほろ苦コーヒー&カシューナッツ、王道バニラアイスクリームのギフトボックスを渡した。
「おお、良い報酬をもらったぞ」
バートはご機嫌で魔法鞄に入れた。そして別の袋を出し始めた。雑貨店で買ったマグカップ三個だ。持ち手が色違いで、レジナルドたちに見せたら喜んでいた。
「これ、ここに置かせてくれる?俺たち用にしたい」
「勿論、いいですよ。‥‥‥わあ、それぞれ持ち手が皆さんの色ですね。新しく仕入れたばかりでしょうか?」
「そうみたいだ。昨日さ、待ってた時に買ったんだ。二人が使っているマグカップと似てない?」
本当に色がたくさんあって、その中から選んだ。隣の雑貨店は面白い。
「バートも常連客になりそうだな」
「ふふっ」
「ハルちゃん。レジナルド様はハルちゃんが猫ちゃんになったことで、ショックで倒れるほど心配してるけど、来れないのを許してあげてね」
倒れたと聞いてハルは驚いた。バートが再びハルの頭を撫でたが、ジュードは何も言わなかった。
「明後日ね、王立図書館を退職するんだよ。次の管理室長に引き継ぎとか無事に終えたら、木の曜日にはちゃんと来るからさ」
「‥‥‥はい」
長年働いていた仕事を終えるのだ。そんな大事な時に心配をかけさせたくなかった。お疲れ様でしたと、人の姿で言えないのは申し訳ないが、ちゃんと伝えよう。
バートはこれから警備副隊長の部下と接触する。一度古書店を出て、また後で来るからと言った。
殆ど任せてしまっていて申し訳ないが、話し合いがうまくいけば今まで通りにレジナルドの側に戻れるだろう。バートのためにも、しっかり備えたい。
「では、入るぞ?」
「はい、どうぞ。ジュードさん」
「‥‥‥ん」
ハルの『ジュードさん』呼びには、まだ慣れないせいか、嬉しいのに恥ずかしくもある。
ジュードは肩に猫を乗せて、ハルの部屋に入った。目的の本棚は左奥にある。ハルの本だけでなく、母ロッティの本がそのまま残されている。
「一番上の棚の本の奥に隠してあるんです。本棚の色に似たカバーがしてあって‥‥‥」
「‥‥‥ああ、これか。なるほど、一見わかり難いな」
「そうなんです。何年も気が付きませんでした」
手前の本を出してから、奥のロッティの日記を手に取った。本ほど厚みはないが手作りのようで、紙を足しては上手に綴じて使っていたようだ。簡単に取り外しが可能な茶色い皮のカバーがしてあった。
日記を持って部屋を出ると、階段を下りて一階に戻った。三時を過ぎているのでもう店は閉めている。
手元灯を置いて窓テーブルの丸椅子に座ると、猫が肩からテーブルに下りた。
「これ、俺が見ても怒られないか?」
「誰にです?」
「‥‥‥日記に」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「鍵は付いていませんから、どうぞ開いてみてください」
ジュードは恐る恐る日記を開いた。猫の書からいろいろあり過ぎて、こういった物が苦手になったのかもしれない。
「やっぱり怒られた!」
ジュードが慌てて日記を閉じた。見開きに母の字で『見たわね?』と書かれていたのだ。
誰かが見つけた時の、ちょっとした悪戯だろう。見事にジュードが引っかかった。
「大丈夫ですよ。次を見てみましょう?」
「‥‥‥」
「‥‥‥では、閉じないよう押さえていてくれませんか? 後は、私にお任せください」
猫が、頼もしい勇者の肉球をジュードに見せた。
* * * * * * * * * * *
バートは植物公園にいた。白黒の猫が、道の真ん中でのゴロンゴロンと転がるのを、しゃがんで見ていた。
「‥‥‥何かお困りですか?」
「かわいくて困ってる」
「そ‥‥‥れは‥‥‥」
言葉が続かない警備隊の女性に、バートはふっと笑った。
「どうしたらいいかな?ロージーちゃん」
「‥‥‥知らないワ」
緋色の上下の制服と制帽は警備隊の色だ。ロージーは黒髪を後ろに一つに結び、制帽は前下がりに被っていた。しゃがんだバートからは彼女の伏し目がちな瞳が見える。
「ロージーちゃんの瞳は警備隊の色だから、ピッタリだね。それともキミが合わせているのかな?」
「‥‥‥」
白黒の猫はもう行ってしまうようだ。痩せてはいないから、飼われているか、食べさせてもらっているはずだ。これからどこかの家に行くのだろう。植物公園は徐々に薄暗くなってくる。
「あの二人は協力するよ。後はそちら次第だ。いつでも動けるようにすると言ってたから」
「いつでも、とは、今夜でも?」
「そうだよ」
ロージーは困惑した。オーランドもラルフもロージーも、今夜は警備塔の待機組だ。こんなに都合良く。信じていいものか‥‥‥。
「あのさぁ。あの二人も困った立場でさ、腐らず出来ることを頑張ってるんだよ。お前ら、彼らにしたことわかってる?立派な犯罪だよな?」
先程の猫の気配が完全になくなると、バートは遠慮なく威圧してきた。近くに待機していたラウルが、ピクリと動いてしまったのがわかった。ロージーは舌打ちしたい気分だった。
回復したばかりなのだから、付いて来なくて良かったのだ。来るのなら、絶対に気配を消して動くなと言ったのに。本当に馬鹿で嫌になる。あの人の弟なのに!
「‥‥‥」
「‥‥‥協力して‥‥‥ください。お願いします」
どうして私が。そんな思いもすぐに消して、ロージーは耐えた。オーランドとフィンレーのためなら、何でもする覚悟だった。
ラウルの気配が消えた。見ていられなくなったか?
どうでもいい。
邪魔だけはしないで。
* * * * * * * * * * *
夕食は小型食品収納庫に入っている。数日分をバートが持って来てくれた。レジナルドの屋敷に通う料理人が作ってくれた料理だ。食べなくても大丈夫な体になったハルには悪いが、ジュードは食べなくてはならない。
食べ終わったジュードは、魔法鞄からアイスクリームの器を二つ出した。猫は、ヴァージル・ブレイクのアイスクリームだけ食べられる。聖獣がそのようにしてくれたのだ。ヴァージルが作るアイスクリームには、聖獣が故郷の地力を感じる何かが含まれているらしいので、どうやら猫が食べるとハル自身と聖獣の糧になるようだ。
「王道バニラはどうだ?美味いか?」
『ウマイゾ』
「‥‥‥ん?」
「美味しいです」
今のは何だ?
猫は青いガラスの器のアイスクリームを美味しそうに小さな舌で舐めている。
ルークにバングルを返せたのはいいが‥‥‥。
「魔力はどうだ?」
猫が顔を上げると口の周りをぺろりと舐めた。普通の猫の仕草に見えるのでドキッとした。
「‥‥‥ハル?」
「えっと、魔力は‥‥‥ギュッとこの体に纏まったような感じで、充分にあります。このアイスクリームからも力を得たので‥‥‥」
「そうか‥‥‥、それなら少し使った方がいいな。食べ終わったらいつものように洗浄魔法で食器を頼む。その後で気配を消してみてくれるか?」
「はい」
ふとした時に、聖獣が出てくるかもしれない。アイスクリームを食べる時は特に注意して見てみよう。
ハルは難なく洗浄魔法で食器を洗い、ジュードが風で乾かした。トイレへ行ったジュードが戻ると、気配を消して隠れていた。完全に消すのは本当に難しいので、ある程度でいいと思っているのだが‥‥‥。
「‥‥‥」
なかなか上手いな。まさか、聖獣が手伝ったりとかしてないか?
ジュードも気配を消した。古書店の中で掛け時計の音だけが響く。
「見つけた」
「ひゃあっ」
背中にツンと触れると、猫が驚いて頭をぶつけた。会計カウンターの内側の棚、箱と箱の隙間に背中を丸めて挟まっていたのだ。
「す、すまない、そんなに驚くとは思わなかった」
「い、いえ、自業自得ですので‥‥‥」
「探そうと思わなければ気が付かないレベルだったぞ?黒のブレスレットで姿を消せるし、向こうで試してみるのも面白いな」
「本当ですか?‥‥‥何だか、もう緊張してきました」
「ははっ」
バートが戻った時に『今夜』と決まった。これから北門の塔へ行く。
青茶の細身の猫が、黒い上下の服を着た銀髪の美丈夫の左肩に乗る。ローブは便利だが直前まで着ない。
「‥‥‥『光の柱』は明日か?」
「そうですね。明日にしましょう」
黒のブレスレットに集中して魔力を流すと、猫の姿が消える。ここには、少し機嫌の良い冒険者ジュード・グレンがいるだけだ。
「ハル、擽ったい」
「ごめんなさい」
長い『上唇毛』と呼ばれる猫のヒゲがモゾッとジュードの頬にあたってしまった。肩に乗るのも慣れないといけない。ジュードの動きに合わせるのだ。
扉に鍵をかけて、歩き出す。
「行こうか」
「はい」
読んでいただきありがとうございます。




