45冊目
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残り少ない自宅への帰路を、近いうちに息子となるカルロスと穏やかに歩くことは許されないのか。
昼過ぎに、王立図書館の管理室長レジナルド・ベネットに知らせが入り、仕事が終わるとすぐに帰りの支度をして、急いで廊下に出た。
「まさか、あのお方まで、出て来るとは‥‥‥っ」
「主よ、急ぐと転びます。落ち着いてください。あちらは、主の仕事を理解しておられる」
「そうだが‥‥‥っ」
「ではもし転んだら、背負うか横抱きで運びます」
「‥‥‥それは‥‥‥恥ずかしいな」
カルロスの言葉で、今にも縺れそうだった足は、早歩きをやめた。息を整えて、職員用の裏門へと向かう。
待っていた馬車は、予想していたものより質素で小さい箱型だった。目立ちたくないレジナルドが、あからさまにホッとしたのを見て、カルロスは苦笑した。
これからこの馬車の中で話をしながら、かなり遠回りをして屋敷に帰ることになるのだ。通いの料理人と家政婦には、帰宅が遅れると連絡してある。
今日はバートに手みやげを買えそうにない。明日は、今日の分も含めて多めに買ってやらなくてはと思った。
「お待たせして申し訳ございません」
「久し振りだな、レジー」
馬車の中で待っていた人物は、学友でもあった。
* * * * * * * * * * *
夜警隊員たちが出払ったのを待っていたかのようだった。来訪者の三人は黒のフード付きローブを着ていて、その中で素材の違うローブの一人は誰であるか、すぐに気が付いた。
「今はただの隠居の身だ。立って顔を上げてくれ」
男はそう言って笑った。
このような場所まで来たのは、あの方の身に起きた事を知られてしまったからなのだろう。
当たり前だ。隠し通すには無理がある。北の警備塔の隊長が、もう何日も表に姿を見せないのだから。
後ろに控えている二人は『影』だろう。顔がしっかりと認識できないばかりか気配も消している。この警備塔に、隊員として潜入することも、勝手に侵入することも容易なはずだ。
「オーランド副隊長。伯父として甥を心配するのは当然と‥‥‥そうは思わないか?」
「‥‥‥仰る通りに御座います」
「ふむ‥‥‥堅苦しいな」
「‥‥‥」
「まあ、そなたの立場では、無理もないか」
目の前の高貴な男の黄土色の瞳は、室内灯の加減で金色にも見えた。顔はやはりあの方に似たところがあり、見なければ良かったと、すぐに後悔した。
「我が友の孫らに、これ以上、見当違いの敵意を向けるのは、やめた方が良いぞ?」
静かに響く声には、先王としての威厳と威圧があった。
「これから話すことは、そなたらにとっても悪い話ではないはずだ。先ずは、我が言葉を聞いて、それから考えてくれ」
こちらに選択権などない。
「‥‥‥‥‥‥承知、致しました」
見当違いの敵意。
出来ることなら、この手で、何とかしたかった。
何故、ジュード・グレンであって、自分ではなかったのか。
どうして失敗し、こんな事になったのか?
視線を落としたまま唇を噛みしめる。きっと醜い顔をしていることだろう。不敬と思われても仕方がないほどに。
今、隣の部屋には、あの方の側に、部下が二人待機している。
部下の一人は、最近怪我を負ったばかりの、腹違いの弟ラルフだ。母親は、父に媚薬を使って暇を出された元使用人だった。男に騙され、父が死んだ後に生活に困って助けを求めてきた。子供が邪魔になったのだとわかった。母親に似て頭が悪く、拾ってやった自分を慕っている。
頼むから、痺れを切らしてこの場に来てくれるなよ。
どんなに馬鹿でも、一応は部下であり弟だ。今は、死なれては困る。
もう一人のロージーという女は、孤児だったのを拾って育てた。死に別れた親は元諜報員だったらしく、身のこなしで使えると思った。昔から自分に想いを寄せて慕っているのを知っている。気持ちには応えてやれないし、『お前を利用している』と態度で示すも、女は、心得ているとばかりの瞳をする。時折、それが妙に苛立って仕方がない。
私には、あの方だけだ。
私は、あの方の願いを叶えるために、誰に『冷酷』と言われようとも、この道を選んで生きてきた。
溜息が聞こえて、ハッとした。重苦しい空気は既に霧散していた。
「‥‥‥難儀なことだ」
その声には憐れみが含まれていて、オーランドは青灰の瞳を揺らして戸惑った。
* * * * * * * * * * *
手紙を書き終えた頃に、バートが戻ったことをカルロスが報告に来た。神妙な顔で「夕食の前に話があるそうです」と言った。
いつものバートなら食事しながら話すのに、何かあったのかもしれないと、レジナルドは胸騒ぎがした。
「部屋に来るように言ってくれるか?‥‥‥ああ、それから、バートの好きな菓子と紅茶も」
「そのようにします」
カルロスが、また甘やかして‥‥‥といった顔をした。
顔色の悪いバートを最後に見たのは、いつだっただろうか。
彼の口から、愛する孫のハルが『猫』になってしまったと聞いた時は、目の前が暗くなって、誰かに支えられたことまでしか覚えていなかった。
‥‥‥‥‥‥夢では、ないのだろう。
気が付いたら、ローテーブルに置かれた手元灯だけで室内は暗く、自室のソファーに横になって寝かされていた。カルロスとバートが、扉付近の壁にもたれて話をしているようだった。
「ごめん、カルロス」
「どうして謝る?」
「‥‥‥何となく」
「何となくで謝るな」
カルロスが、バートの髪をクシャッとした。
「辛いのは、主と‥‥‥目の前で愛する女性が猫になってしまった、ジュード・グレンだ」
「うん。本当に酷い‥‥‥顔色だったよ。【月長石】のギルマスの弟に護衛させて送らせるほどだから」
「‥‥‥それは、ヴァージル・ブレイク?」
二人がハッとして、こちらに目を向けた。レジナルドは、一度寝てしまうとなかなか起きないので、大丈夫だと思っていたようだ。
「申し訳ありません。起こしてしまいましたか?」
「いや‥‥‥情けないな。どれくらい?」
「三十分くらいです。もう少し休まれても‥‥‥」
「話をしたいんだ」
レジナルドが体を起こそうとすると、カルロスが支えて背に柔らかいクッションを挟んでくれた。「ありがとう」と言うとカルロスは微笑んで、眩しくない程度で室内灯をつけた。
レジナルドは、テーブルに置かれていた眼鏡をかけた。着ていたはずの上着はなく、白シャツの台襟ボタンと第一ボタンが外されていることに気が付いた。
「‥‥‥レジナルド様、もう大丈夫?」
「大丈夫だよ、バート。ちょっと疲れが出たんだ。心配させたね。夕食は?ちゃんと食べたかい? まだなら、食べながら続きを聞いても?」
バートは目を丸くして「サンドイッチ持ってくる!」と一度部屋を出て、厨房から大皿を持って戻って来た。
「カルロス、今日はここで食べよう?」
レジナルドがカルロスに言うと「特別ですよ」とローテーブルに三人分の紅茶を用意した。
「つまり、猫の書の修理が終わり、再び開いたらジュードくんではなく、ハルちゃんが猫になったのだね?」
「うん、そう」
バートは、S級冒険者ヴァージル・ブレイクの殺気を向けられて、動く事も息をする事も出来なかったと言った。しばらく忘れていた傭兵だった頃の、戦地での死と隣り合わせの日々を思い出した、と。
レジナルドとカルロスが眉根を寄せると、バートは少し慌てた。
「あのさ、いや、あのですね、レジナルド様。ちゃんと後で謝ってくれました。それからは普通に話せましたし、甘い物が好きで、話が合いそうです。ヴァージル・ブレイクは、警戒して気配を消そうとした俺に、体が勝手に反応したらしいです。ハルちゃんとジュード・グレンを守るためだったから、あの、怒らないで‥‥‥ください」
カルロスは目を瞠った。確かに、バートが雑貨店にいることをハルもジュードも知らなかったし、ジュードが万全であれば、すぐにバートが中に居ると気付いてヴァージルに教えただろう。
カルロスにとってバートは弟のような存在だ。だが、自分がヴァージルだったら、同じようにしたかもしれないとも思う。
「バート、昔のお前ならどうしていた?」
「んー‥‥‥、殺気向けられた時点で、全力で逃げるか、全力で殺しに行ってたかな。でも、言ったよね、動けなかったって。俺が今まで出会った中で最強。人間であんな化け物、いるんだね」
「そこまで‥‥‥」
凄いのか。
少し血が騒ぐが、そんな事、ここでは言えなかった。
「バート‥‥‥!」
レジナルドが泣きそうな顔をしているので、参ったなぁと、バートは主の側へ行った。
「レジナルド様」
いつもは甘える方だが、今日は逆だ。そっと胸に抱きしめる。カルロスを見ると、やはり愛おしいような顔をしてレジナルドを見ていた。自分もカルロスも、この人が大切だ。
「レジナルド様、大丈夫ですよ。俺はこれでもいい大人です」
「そうだね、そうだった‥‥‥」
こんなに震えるほど心配してくれる人がいると思うと、今が一番幸せに思える。白髪交じりの青茶の髪を、ゆっくりと優しく撫でた。
「俺はもう、傭兵には戻らないって言ったでしょう? レジナルド様とカルロスの側にいるって、約束をしたから」
「うん、言ってくれた」
「ハルちゃんね、何だかケロッとしてるっていうか、大丈夫ですよって。考えがあるのかも」
「そう‥‥‥そうか。彼女なら何とかしそうな気がしてくるから、不思議だね」
「俺もそう思いますよ」
震えが治まったようだ。撫でていた髪にキスをすると、擽ったいと言って顔を上げた。
「バート、大丈夫だよ。私はこれでもいい大人だ」
「ははっ」
「ふっ」
バートと同じようなことを言ったレジナルドに、二人は笑った。
* * * * * * * * * * *
静かな個室のカーテンが開けられたので酔眼を向けると、見慣れた男が「飲み過ぎですね」と溜息を吐いた。
「それで、気は済みましたか?」
「‥‥‥‥‥‥水」
「どうぞ」
求めることを知っていたとばかりに、既に用意していた水のグラスを差し出された。
ふと、冒険者だった頃、戯れとばかりに、口に含んだ水を口移しで飲まされたことを急に思い出した。
少し酔いが醒めたルークは、アーロからすぐにグラスを受け取って水を飲む。
「‥‥‥ふ、何を慌てているのです?」
「‥‥‥別に」
『てめぇ!何すんだよ!』
あの日、ギルドのダイニングのソファー席で、だらしなく酔って寝ていたルーク・ブレイクは、先輩冒険者のアーロ・アーレントに掴みかかった。だが、簡単に手を払われて、逆に顎を掴まれ、こう言われたのだ。
『B級に昇級したそうで、おめでとうございます。ところで、随分と油断していますね? 私が今の口移しで媚薬を飲ませていたら、どうなっていました?』
状態異常を無効化するピアスは、使えなくなってしまったばかりだった。今は、ギルドお抱えの魔法道具職人に預けている。
顎から手を離されて、ソファー席にドサッと座るかたちになった。
『確か、ピアスが役目を終えたとばかりに壊れるほど、貴族から一般の方まで男も女も関係なく、毒や媚薬を仕込まれ続けたのでしたっけ?』
『‥‥‥何でそんなに詳しいんだよ!‥‥‥でも、だから、こうしてギルド内で飲んで』
『ギルドの冒険者にも、貴方を抱きたいと夢見ている者も多いのですがね?』
『はあぁっ?』
『おや、知らなかったとは‥‥‥残念な人だ。父上が代表だから、ギルド内は安全だとでも思っているのですか。はぁ‥‥‥。どれだけ強くて美しくても、中身はお間抜けさんでしたか』
『ぬうぅぅ‥‥‥っ』
『まぁ、気をつけなさいと言いたかったのですよ。今回は役得でしたね。ごちそうさまです』
土色の瞳を細めてクスッと笑い、A級冒険者アーロ・アーレントは去って行った。
苦手なタイプの男だが、彼が言った事は尤もだと思った。
それからピアスが戻るまでの間、酒も控えて人との接触もなるべく避け、大人しくした。ルークは負けず嫌いでもあるが、他人の意見を聞き、自分の間違いや失敗を認めるところが美点だった。
やがてA級になり、S級になり、父親が亡くなって、自分が代表になった時に、副代表にはアーロを選んだ。
上司であろうと、遠慮なく注意したり叱ったりする人間が、自分の隣には必要だと理解していた。本当に口煩くて、後悔したこともあったが‥‥‥。
「ハルちゃんの猫化と、ジュードのあの顔は‥‥‥さすがに堪えたなぁ」
「‥‥‥ルーク」
アーロは、二人の時だけ名前で呼ぶことがある。つい、甘えたくなってしまうような声だ。
「明日から‥‥‥ちゃんとするから」
「油断しないでください。酔った貴方はとても美味しそうなので」
「‥‥‥うわ、また思い出しちゃったじゃないか」
「ふっ、口移しですか? 私も思い出していました。あの日みたいに出来なくて、とても残念ですよ」
「男からされたの初めてだったんだよ」
「そんな顔で初めてなんて言わないでください。離れ難くなるじゃないですか」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「自室に戻って寝るわ」
「そうしてください。明日も忙しいですからね」
ルークは代表室の隣にプライベートルームがあり、ここで寝食をしている。アーロにも同じようにあるのだが、自宅は別にある。
ダイニングを出て、受付の前で足を止める。ギルドは閉めた時間なので、フロアには誰もいない。門の外に警備がいるだけだ。
「私は明日は午後からですので、今日は久々に帰ります」
「そうか‥‥‥奥方によろしくな。ヴァージルのアイスクリーム持ったか?」
「ええ、しっかりと。忘れていませんよ」
ルークは緩やかな月白の髪を揺らして、「おやすみ」とヒラヒラと手を振り、階段を上って行った。ルークの右手首には、ハルに貸していた国宝級の月白のバングルが戻っている。アーロは「おやすみなさい」と言って、ルークの気配がなくなるまで待ってから大扉を出た。
今日は、ジュードを送り届けたヴァージルがギルド前の広場に戻っているので、安心だった。
アーロ・アーレントにとっての一番は、ルーク・ブレイクだ。
それは妻も理解しているし、理解してくれる女性と出会えて結婚できたのは、僥倖だった。
『あの稀有な方の次に愛していただけるなんて、私は幸せだわ』と笑ったのだ。
妻は子が出来ない体で、結婚は無理だと思っていたそうだ。義父母も義兄たちもルーク信者で、同様にアーロの気持ちも知っていて、理解してくれた。
とにかく、一番にルーク様の事を考えるように。そう言ってもらえるのは有り難いが、妻の家族は少し変わっているように思う。
『家のことは気にしないでください。私は趣味の絵を描いて好きに過ごしますので。それよりも、しっかりルーク様に尽くして、私にはたっぷりお金を稼いできてくださいな』
妻には、頭が上がらない。
義兄たちには子供が多くいて、『子供たちがもう少し育ったら、アーレントの家に相応しい子を、ぜひ養子にして欲しい』と言われて、正直とても驚いた。
他界した両親は元冒険者で、アーロは養子だったので、既に血は絶えている。アーレントの家は自分の代で終わってもいいと思っていたのだが、妻も乗り気なので有り難く受け入れることにした。
『勝手をする男の妻で、あなたは本当に幸せですか?』
妻にそう聞いたことがあった。
低い声で『‥‥‥は?』と言った妻に、一瞬殴られるかと思った。
『私は、そんなあなたを好きになって結婚したのよ。馬鹿にしないでくださいな』
本当に、自分には勿体ないほどの、格好良い妻だ。彼女を愛しいと思うし、愛している。この気持ちに嘘はない。
それでも、ルーク・ブレイクは、特別だ。
この気持ちが、親愛なのか、執着なのか、未だに答えは出ていないが、危うさと儚げな見た目の中から溢れ出る魔力と生命力、カリスマ性に、初めて会った時から惚れていた。
過去に、もしかして自分は本当は男が好きなのではないか?と悩んだ時期もあったが、他の男には何とも思わないし、少し想像しただけで吐き気がしたので、そうではないようだ。
ルークにとって自分は一番ではないし、四番目か五番目であるならまあ良い方だと思っている。彼にとって自分は、口煩い兄のような存在だろうし、これからもあの男の隣に居られるのなら、何でもいい。
ハル・ベネットを思い出す。
ジュード・グレンの恋人になり、ルークに気に入られた女性は、一体どんな人なのだろうと思っていた。これまで彼らに近付いて来た女性たちとの違いを、どうしても知りたかった。
彼女は、色を失ったジュードに、しっかりしろと叱った。きっとこれには意味があるのだと。そして、山吹色の瞳はキラキラとしていて、私たちに肉球を見せてきた。ルークも私も、呆然とした。
家に帰ると、本を読みながらベッドにいた妻に、「あらまあ、お久し振り。お帰りなさい」と言われて苦笑する。
ヴァージルのアイスクリームに目を輝かせて喜ぶと、さっそくルークの話を聞きながら食べたいと言われたので、香草茶を入れることにした。
まさかこの後に、「まあ、どうして口移しをしなかったの?勿体ない!」と、怒られるとは思わなかった。
ああ、そうか。
ハル・ベネットは、前向きで格好良いところが妻と似ているのだ。
出会ったばかりなのに好感が持てる理由が、わかった気がした。
読んでいただきありがとうございます。
『林檎のロロさん』も連載中です。こちらもどうぞよろしくお願い致します。
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