39冊目
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「どこかの門の警備塔にいる隊長で、髪も瞳も金色の男がいると聞いたことがある」
通いの料理人が作った朝食を、いつものように三人でテーブルで食べていた。レジナルドはたっぷり寝たのか、スッキリした顔だった。
「何それ、金の髪に金の瞳なんて、絵本の王子様みたいな人いるんだ?」
「どこかの大国の王の落とし胤じゃないかと、以前噂になっていたんだよ。図書館の物語好きの女性たちが話していたんだ」
わざわざ誰かに聞いたのではなく、勝手に耳に入ってきたのだろう。
ふわふわのオムレツを口に入れて、バートはレジナルドの職場の年配の女性たちを思い浮かべた。よくお菓子をくれる、あのお姉様たちかな、と。
「それがもしも『北門の警備塔の隊長』なのだとしたら、ジュードとハルちゃんの猫の書に関わっているのが、その男だと?」
「推測の域を出ない話だよ」
カルロスの問いに、二人より遅れて食べ終えたレジナルドが、フォークとナイフを置いて答えた。
調べてみるべきかもしれない。だが、それは、自分たちよりも。
「ジュードくんに伝えて、【月長石】のルーク・ブレイクに任せたほうが早いだろう。まあ、もしかしたら、もう動き始めてるかもしれないけどね」
カルロスとバートも、同じことを考えていた。
* * * * * * * * * * *
「まさか、今朝もちゃんとトレーニングするとは思わなかったわ‥‥‥」
昨日の騒ぎとジュードの不在で、今日は中止だろうと思っていたロゼッタは急いで着替えていた。
早朝にベンチで寛ごうとしたロンドが、裏口から出て来た元気なジュードとハルに驚いて、寝ていたロゼッタを起こしたのだ。
「ジュードくん、寝てないんじゃ?」
「深夜には帰ってきた。少し寝たし、午後にはまた猫になるからその時に寝る」
「「ああ、そう」」
若いと違うな、と夫婦は思った。
ロゼッタは、腹筋・背筋・腕立て伏せなどを、全てにおいて十回ずつだ。腹筋十回でも昨日から筋肉痛の今はキツイ。トレーニングでは回復薬を飲んでしまったら意味がないので、しばらく耐える必要があった。
ハルは長年の運動不足でも、不思議と腹筋・背筋二十回はできた。腕立て伏せは辛いようだが、継続すれば健康的になれそうだ。
ジュードは皆に教えながら、合間に自分のトレーニングをしていた。
ロンドはロゼッタに合わせていた。自分はいつでも出来るので、しばらくはサポートをするらしい。励ましながら褒める。そうでもしないとロゼッタは『もう無理やめる』と言いそうだからだ。
ロゼッタがベンチで休んでいる間に、店に戻ったロンドがジュードとハルのマグカップにコーヒーを入れてくれている。ハルは、ロゼッタの隣に座った。
「ロゼッタさん。うちの店の本で、スープを先に飲むと健康的に良いと書いてありました」
「スープ?パンは?」
具だくさんスープを食べることで、お腹いっぱいになるそうだ。好きなパンをやめるのはストレスになるので、先にスープを食べて自然とパンの食べ過ぎを抑える。
「好きな野菜やお肉を入れて、しっかり食べても良いそうですよ?」
「なるほど、それなら出来そうだわ」
体も温まるし消化にも良い。ハルは疲れていた時にスープで心も体も整うと実感したことがある。
「何より、煮込み料理は‥‥‥」
「作るのもラクね!」
何だか元気になったロゼッタは、立ち上がって「今日もありがとう!またね」と裏口の扉を開けて入って行った。入れ代わるようにロンドが出て来て、コーヒー入りのマグカップを渡してきた。
「ロゼッタの機嫌が良くなった」
「ハルが上手く、トレーニングから健康的な食事にイメージを良くしたようだ」
「助かった」
困って笑うロンドにも、ストレスになっているようだ。ロゼッタの前でたくさん食べられないのだろう。
「ロンドさんはジュード様と同じで食べても太らないのですか?」
「そうだね。今は食事をロゼッタに合わせているから、逆に痩せたかもしれない。それがまたロゼッタには許せないらしく‥‥‥」
どうして私が痩せないで、あなたが痩せるのかしら? ‥‥‥と。
気の毒になってきた。ジュードは、ロンドには筋肉を増やすトレーニングを提案することにした。ジュードのような筋肉とは違う『魅せる筋肉』だ。女性にモテたい冒険者が、聞いてもいないのに酔っ払って教えてきたことがあった。覚えていて良かった。
大胸筋が良いかもしれない。ロンドは背が高いし、厚い胸板がきっと似合う。可動域が狭くならないように、トレーニング後のストレッチはしっかりしないとならない。
「教えてもらって覚えたら、それぞれが自分に集中できるだろうね。ジュードくんには悪いが、少しの間だけ頼むよ」
「構わない。こちらも頼ってばかりなのだから、自分にも返すものができて嬉しい」
夫婦がいたから昨夜もハルを任せて自由に動けたのだ。それに、朝のトレーニングの時間で、こうして誰かと交流するのも楽しいと思った。
シャワーの後の朝食で、ジュードは明後日の陽の曜日の話をした。
「ハル。また一緒に【月長石】へ行ってくれるか?ルークたちに、ハルを連れて行く約束をした」
「はい、よろしくお願いします」
「その前にアイスクリーム屋にも寄りたい。その日にギルド前の広場に移動するそうだ」
「まあ、それは是非に!」
ルークの弟であり、アイスクリーム屋の店主のヴァージル・ブレイクに会わせるつもりもあるが、店を見せたかった。移動式だが、とても可愛らしいデザインなので女性や子供に人気だ。天使のように見えるヴァージル自身の人気もあるのだが。
それから、木の曜日は毎週レジナルドたちが来てくれそうなので、ジュード一人でギルドへ行く日にしたいと言った。その方がジュードも安心できるのだろうと思い、ハルも賛成した。
話の続きは、また午後にすることにした。C級冒険者フレイヤが来店したからだ。
「おはよう!ハルさん、ジュード・グレン」
「いらっしゃいませ、フレイヤさん」
「おはよう」
フレイヤは、白のノーカラーシャツに紺色のスリムカーゴパンツ姿だった。ラフな休日のスタイルだ。店内を回るように客として動く。
彼女は、永久凍土の【ヴィラゲル】へ同行する冒険者だが、しばらくは、ハルの友人として、古書店の客として来てほしいと頼んだのだ。
ジュードは、フレイヤにゆっくりしていくように言うと、二階へ上って行った。ユーゴの部屋の片付けの続きをするためだ。
「ジュード・グレンが、部屋の片付け!」
ハルに話を聞いたフレイヤが笑い出した。ここ最近、彼の人間らしい一面が見られて面白いらしい。
本棚から一冊本を取り出すと、フレイヤは窓テーブルの席に座った。飴色の瞳と同じ髪色のショートカットが、とても凛々しくて素敵な女性だと思う。
どうやら【装飾品の魔法付与・初級】の本を選んだようだ。何となく手にしたのかもしれないが、あの本は初級でも難しい内容だ。
彼女の耳には月長石の小さく丸いシンプルなスタッドピアスがある。既に魔法付与されているのだろう。
フレイヤは、表紙を開いて頁を捲っていく。次第に難しい顔になり、捲るのが速くなった。読んでいないのがわかる。
何年か前に書かれた本だが、売られて来たのはわりと早かった。購入者も挫折して諦め、売りに来たのだろう。
「何かに魔法付与してもらうのですか?」
ハルが声をかけると、フレイヤは顔を上げて困った顔で笑った。
「ピアスか、イヤーカフをね。買おうと考えているわ」
「今のスタッドピアスは?左右同じですか?」
「いいえ。火魔法と土魔法の増幅よ」
ハルは少し考えた。
「一つ、土の方の耳に、水の効果を僅かに増やすイヤーカフはいかがでしょう?」
「‥‥‥‥‥‥なるほど。土をより強固に出来そうだわ」
本をパタンと閉じて、ニコッとハルに微笑む。
「ありがとう、ハルさん。そうしてみるわ」
本棚に本を戻すと「また来るわね!」と帰って行った。魔法道具の店に駆け込むフレイヤが想像できて、ハルは思わず笑ってしまった。
ジュードが二階から下りてきた。フレイヤの気配がなくなったからだ。
「どうした?フレイヤはもう帰ったのか?」
「はい。何か、思い立ったようです」
「‥‥‥そうか。昼までまだあるし、俺はもう少し片付ける」
「はい、お願いします」
ジュードは下りたついでに食品収納庫の冷茶を飲み、また二階へ上った。
ハルは、フレイヤが見ていた本棚が前から気になっていた。古書の棚ではなく、買い取って修理した本ばかりの棚だ。
フレイヤが手に取ったのは、タイトルに初級とあったからだ。簡単に読めそうだと思ったに違いない。一目では分かり難いのだ。
「面白い本は他にもあるのに、きっとこの並べ方が良くないのかもしれないわ」
父が店主だった頃から変えていない。もしかしたら祖父の頃からかもしれない。祖父のベン・ベネットは、レジナルドの大叔父だと言っていた。ハルの本当の祖父はレジナルドなので、とても複雑だ。
「レジナルド様に、相談してみようかしら」
ふと思い立った考えに、気持ちが軽くなった。あの人と昼食で話す話題ができた。
店の扉が開くと同時に「やぁ、ハルちゃん、また来たよ。ジュード・グレンはいるかな?」と、バートが言った。レジナルドのことを考えていたハルは驚いた。
「バートさん、いらっしゃいませ」
「バート」
ジュードが階段を下りてきた。
「返事か?」
ハルは、昨夜のジュードが追いかけていた先の話をまだ聞いていない。
「そう。木の曜日以外も必要な時は俺が来るよ。レジナルド様とカルロスが、そうするようにって。後で予定を聞かせてくれる?」
「ああ、助かる」
「ね、ランチ持ってきたけど、一緒に食べていいかな?」
レジナルドが、通いの料理人に頼んだランチをバートに持たせたそうだ。カルロスが入れてくれた温かい紅茶とアイスティーまであって、ハルは何も用意しないで済んだ。
十二時になったので店の鍵を閉めて、キッチンテーブルでのランチになった。
「わ、グラタン!」
「美味そうだ」
「もちろん美味いよ」
熱々のポテトグラタンだ。レタスとハムがたっぷりのサンドイッチと、アイスティーが並ぶ。
「グラタンは熱々のうちにハフハフして食べないとね」
バートは、まずはグラタンを熱いうちに食べて、それから、話しながらサンドイッチを食べ、温かい紅茶を飲む時に昨夜の話をしよう、と提案した。
笑ってしまいそうになるほど、三人からはハフハフと咀嚼音だけが聞こえていた。グラタンを食べ終わった人から次のサンドイッチに手を伸ばせる、何故かそんなルールになっていた。
「俺さ、レジナルド様の所へ行ってから、初めて温かい食事が美味いって思えるようになったんだよね。カルロスのおかげでもあるけど」
元傭兵だと言っていた。孤児だった彼は、まだ子供の頃から傭兵となるべく育てられたそうだ。この国に生まれていたら、十三歳で冒険者になれたのになぁ、と笑う。
「まあ、でも今が楽しいから過去はもういいや」
「‥‥‥そうだな。俺も、そう思う」
ジュードの過去をハルは知らない。話さないなら話したくないのだと、聞くつもりはなかった。『俺に兄はいない』。それだけは、先日知ったばかりだ。
「ジュード・グレンは、貴族の血がありそうだよね」
何も気にしないでバートがサンドイッチを食べながら聞いた。ハルはどうしたものかと思ったが、ジュードは嫌な顔をせずにサンドイッチを頬張りながら頷く。
「‥‥‥母親がどこか亡国の十何番目かの姫だったとか。母は俺を産んで死んでしまったし、父親は血の繋がりはないが冒険者だった。そして、冒険者として死んだ。ルークの父は先代のギルマスで、まだ十歳だった俺を養ってくれた。ルークとはその頃からの付き合いだ」
バートに答えていたジュードが、途中からハルの方をを見て話した。
「じゃあ、ルーク・ブレイクとは、兄弟みたいな友人なわけだ。親身になる理由がわかるね、ハルちゃん」
ハルが聞けなかったことを、バートは代わりに聞いてくれた形となった。
「はい、本当に」
目には見えないが、ハルの右手首にあるルークのバングルに触れた。ジュードを信じているからこそ、ハルにここまでしてくれたのだ。
「ハル。俺の話など、どうでもいいかと今まで話さなかった。すまない」
「謝らないでください。ただ、どうでもいいなどと、二度と言わないでくださいね」
「す、すま‥‥‥、わかった」
「‥‥‥」
ハルのから何か感じたのか、バートまで静かになった。
食後の温かい紅茶を飲みながら、昨夜の話になると、バートは口を開いた。ジュードの話と合わせて聞いた。
まず、行きの大通りから、ジュードが二人に尾行されたことから。
「前と同じ人ですか?」
「ああ、そうだな。その中の二人だ」
ギルドの帰りに広場の屋台に寄ると、尾行していた女が紛れて店を出していた。そこで、知り合いの店主と冒険者たちに協力してもらい、気付かれるまで時間稼ぎができた。女から購入した菓子は、知り合いの店主に頼み、ギルドで調べてもらった。
「結果は出たの?」
「ああ、遣いを寄越してくれた。睡眠薬にも使われるスリープベリーが入ったブルーベリーの焼き菓子だそうだ」
「まあ、美味しそう」
「「‥‥‥」」
「あ、スリープベリーではありませんよ?」
それくらい二人にもわかる。
「ハルちゃんに食べさせようと?」
「微量だそうだ。俺は耐性があるが、ハルはそうではない。ハルが食べて俺が不在ならラッキー、くらいしか期待していなかっただろう」
それから、あの夜警隊の男女二人と窓を割った男は、仲間だろう。
窓を割った男はジュードを尾行していたうちの一人で、夜警隊の女は尾行と屋台の女で、ジュードを追ってもう一人の夜警の男と合流し、隊服に着替えて古書店に来た。相当無理をしたはずだ。
三人は、北の警備塔近くで消え、本物の夜警隊である可能性もあった。
そしてそこで、ジュードとバートが合流した。
「ハルちゃんが、大丈夫だとわかったから、ジュード・グレンの後を追ったんだ。気配消してもバレちゃったよ」
「そこまでバートも本気ではなかったろう?」
「そうでもないから腹が立つんだってば」
「あの、気配消し合って、うっかりぶつかってしまったりしないのですか?」
「‥‥‥ないだろう?」
「‥‥‥ないよ。ハルちゃん、レジナルド様にちょっと変なところが似てるなぁ」
変なところとは? ハルは気になったが、今の質問が変だったのだろう。ぶつかったりしないのだ。
「そうだ、コレは知ってる?レジナルド様から聞いたんだけど、警備隊長の中に、髪も瞳も金色の男がいるらしいよ」
「「金色?!」」
「えっ?そんなに驚く?」
まだ関係あるかどうかだったので、バートは軽い気持ちで言ったのだ。どこかの大国の王の落とし胤ではないかと噂の警備隊長だ。
「ハル‥‥‥」
「あの物語は‥‥‥実話でしょうか?」
「あの物語?」
バートは首を傾げた。ハルは話そうと思ったが、もうすぐ午後の開店時間になることに気がついた。
「ジュード様。ここは猫の書を開いて、バートさんにも聞いてもらいましょう。そうして、レジナルド様の考えも伺いたいです」
「ん、そうだな。バート、まだ時間はあるか?」
「聞くまで帰れないね」
カップと食器をハルが洗浄魔法で洗い、ジュードが風で乾かした。バートに返すと「すっげ!ピッカピカ!」と驚いていた。
「レジナルド様とカルロスさん、料理人の方に宜しくお伝えください。とても美味しいランチをありがとうございました、と」
「グラタンにしてって言ったの、俺ね」
「バートさんも、ありがとうございます」
「どういたしまして〜」
「‥‥‥」
この中では彼が一番年上のはずなのに、どうもバートの方が年下のように思えてならないジュードだった。
ハルが会計テーブルで猫の書を開き、ジュードがトラ様になった。シルバータビーの耳折れ猫を前に、バートのテンションが上がる。
ハルが店の鍵を開けると、バートは窓テーブルを背に丸椅子に座り、両手を広げた。
「さあ、俺の膝に!」
「断る」
トラ様は本棚の上に跳んだ。ハルが笑いを堪えながら、クタクタの草色のクッションをトラ様の所に置いた。
「グラタンまた持って来るから!」
「何故俺が、グラタンと引き換えに男の膝に乗ると思うのだ?」
好物のチーズオムレツならどうだろう?と、ハルは思った。
「断る。乗るならハルの膝だ」
ハルが少し頬を染めた。
トラ様の言葉だとわかっていても、何だか恥ずかしい。
「そんなに、ハルちゃんがいいの?」
「当たり前だ」
何だろう、この会話‥‥‥。
ハルは、ドキドキしてきた。
「でも俺は、ジュード・グレンを抱きたい!」
「おい待て、誤解を生む言い方はやめろ」
「一回だけ」
「嫌だ」
「抱っこ!」
とうとう棚の上のトラ様に手を伸ばしたバートの鼻に、トラ様の猫パンチが炸裂した。
「しつこい!」
猫の書の最初の頁を開いたまま、ハルは、一人と一匹が戯れる様を、しばらく眺めることになった。
読んでいただきありがとうございます。




