33冊目
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「いつまで偉そうにしているの。さっさとこちらへいらっしゃい、オリー」
「はいはい」
ソフィアの椅子で組んでいた長い足を解いて、オリー・ハワードが妻の隣のソファーに座った。
「グレンさんは最初から気がついていたわね?」
「まあな、気配でわかる」
「やはり、視覚阻害の魔法道具は、使う人間のレベルで違いが出るね。僕ではジュード・グレンのような相手では気配でバレるが、逆に‥‥‥」
深緑の瞳の先には、左手首のシンプルな黒いブレスレットがある。チラとジュードに視線を移した。
「俺が使えば危険度が増す、か?」
「そう、そうなるんだよ。気を悪くしないでくれるかな?」
「いや‥‥‥その通りだからな」
深緑の瞳を細めて、オリーはジュードに微笑む。
「だが、これは登録した者でないと使えない。つまり、今は僕だけしか使えないんだ。だがこれを無効にできる魔法道具もあるんだよ。ソフィアのブレスレットがそうだ」
ソフィアの左手首にある、白いシンプルなブレスレットだ。
「私には、視覚阻害を無効にするだけでなく、オリーが見えちゃうのよ」
「それは、魔法道具職人が作ったのですか?」
「大昔のね。数年前に遺跡から見つかった魔法道具なの。買い取ってからずっと保管していたわ。私たちは、グレンさんのように気配は完全には消せないし強くもないけど、多い魔力と防御力、後はまあ、それなりの社会的地位がある。つまり、悪用されないために、当分の間これの持ち主になっただけね」
「‥‥‥何故、俺たちに教えて、見せた?」
確かに、見せる必要がない。
「ハルちゃんを驚かせたいと思ったのも、ほんの少しあるんだ」
「グレンさんは気がついてしまったけど、二人の関係性をオリーはじっと観察していたのよ。ごめんなさいね。この人なりにハルちゃんのことが心配なのよ」
ソフィアが申し訳ないという顔をしている。
「それから、こんな魔法道具もあるから気をつけるように。それが一番伝えたかったことかな」
「‥‥‥!」
「ハルちゃん、ユーゴの本も木箱や指輪の文字も『鑑定不可能』とは言ったが、あくまで鑑定の話だ。調べてみたんだよ。それで、もしかしたらキミたちにこそ、この魔法道具が必要になるかもしれないとも思った」
話が見えてこないので困惑するハルとジュードに、どう説明するかなと、オリーが頭を掻いた。オールバックの髪が少し乱れてしまった。
「あの文字は、この世界の文字ではなかった」
「‥‥‥え?」
「この商業ギルドにね、『鑑定不可能』と出た場合にのみ、調べて良いとされる特別な資料があるんだ。僕は鑑定士になってから初めて見た。過去にも、この文字が書かれた本や、書く人物がいたとされる資料があったよ」
ハルが動揺しているのに気がついたジュードが、膝の上の手に自らの手を重ねた。ジュードの温かい手によって落ち着きを戻したハルが、オリーに質問した。
「父は、一体、何なのです?」
「異世界から来た転移者。子供の頃に、迷い込んだのだろうね。この世界で生まれた人間ではなかった」
静かな代表室に、柱時計の音だけが響く。
ハルもジュードも呆然とし、ソフィアとオリーは二人の次の反応を待った。
ショックは当たり前だ。自分たちもそうだったのだから。
ユーゴは死ぬまで、異世界からの持ち物を魔法鞄に隠していた。
早く、もっと早く鑑定していれば、彼の力になれたかもしれないのに。そこまで信用されていなかったのか。二人は、調べて知ったその日に、そう思って悲しかった。
だが、翌日には、ハルのことを考えることにした。娘のハルだって、知らなかったのだから、と。
「ユーゴさんが、異世界の人間‥‥‥。ハル、悪いが俺は」
「腑に落ちた、ですか?‥‥‥私もです」
二人の言葉に、ハワード夫妻は目を瞠った。受け入れるのか?急に聞いたばかりの話なのに。
「あんな変わった考え方をするのですから、『ああ、異世界から来た人なら、仕方ないか』と思えます」
「あの紺色の上下の服や、踵が潰れた靴は、異世界のデザインなのかもしれないぞ?」
「きっとそうです!部屋で靴を脱ぐのは、異世界では常識なのかもしれませんね?」
「きっとそうだな!」
そうなると、今日返ってきた本は異世界の本。そして木箱や指輪の文字は‥‥‥。
ハルの瞳がキラキラしている。信じられないという顔で、ハワード夫妻はそれを見ていた。
「あの、ハルちゃんにグレンさん?」
「ああ、ジュードでいい」
「それじゃあ、ジュードくん。ハルちゃんが異世界人の娘である稀有な存在だと知ったうえで、このブレスレットは必要ないかしら?」
「「‥‥‥」」
「どちらが黒か白にするかは、考えるとして‥‥‥」
ハルは「待ってください」とソフィアの言葉を遮った。
「私は、父の本当の娘ではありません。父の手紙にも書いてあります」
「そんな‥‥‥」
「‥‥‥ハルちゃん、悪いが、キミを鑑定させてくれないか?」
オリーは、ハルと隣のジュードも見た。これは大事なことだから、そう訴える鑑定士の深緑の瞳に圧倒される。
「ハル‥‥‥必要なようだ」
「‥‥‥はい」
「応接室を使うよ、ソフィア。ハルちゃんこちらに、ジュードくんも来るかい?」
「ジュード様‥‥‥」
「行く」
代表室の奥にある応接室に、ソフィア以外が入って、扉が閉められた。
ソフィアは一人残った代表室のソファーに背を預けていた。黒縁の眼鏡を外し、目頭をグッと押す。この数日、調べ物が多くて、普段よりも寝不足だ。
ソフィアとオリーには、ロス夫妻と同じく、子供がいない。二人は、ロス夫妻やハルの亡くなった両親と友人ではあるが、同年代ではない。四十代後半になる。
自分たちは、近いうちに養子を迎える。オリーの兄の息子で三男、つまり甥だ。
甥のことは子供の頃から知っているが、性格的に、このブレスレットの持ち主にはなれないし、教えないほうがいいだろう。
自分たちがコレを任せるとしたら、まずはロス夫妻と考えるが、彼らは『要らない』と言うか、これを使って余計に凄い物を作ってしまいそうな気がする。改造して二人で遊んだら、誰かに譲るかもしれない。
そして、そんな彼らが譲るとしたら、結婚する予定の、ハルとジュード。
だとしたら、改造される前に初めから彼らに渡したい。
応接室の扉が開いた。オリーの後ろに、ハルとジュードが続いた。先程と同じようにソファーに座ったが、ハルが顔を顰めている。あまり見ない顔にソフィアは驚く。
「どうだったの?」
「ハルちゃんの魔力の中に、ロッティと‥‥‥ユーゴの魔力がある」
「では‥‥‥」
「何故、父は義父だと嘘を?」
ハルの中で怒りが湧いてきた。
「‥‥‥!」
目には見えないが、ハルにはルーク・ブレイクから借りたバングルがある。魔力を増やす国宝級と云われる魔法道具だ。
ハルから時々、圧を感じると思っていたのは、気のせいではなかった。先程の鑑定で、彼女には黒の魔力もあったからだ。
怒りで漏れ出た黒の魔力はすぐに消えた。この代表室では、登録された者以外は部屋の主に害を与えるような魔法は無効化されるのだ。
「ハル、落ち着こう」
「‥‥‥‥‥‥失礼しました」
「「‥‥‥驚いた」」
ハルはジュードに言われた通りに、落ち着こうと深呼吸をする。
「ユーゴさんは、ハルを守りたかったのではないか?」
「私もそう思うわ、ハルちゃん。異世界人の血を引く子ではないと、もしもの時のために手紙を残したのではないかしら」
「‥‥‥もし、僕が鑑定しちゃっても、誰にも言わないだろうと思ってくれたのかもしれない」
「‥‥‥」
ハルは大きく息を吐いた。
「今まで通り、父の娘に変わりありません」
ハルの言葉に、三人は顔を見合わせて苦笑いした。
再び、ブレスレットの話になった。ハルとジュードに必要ではないかと。
「困ります」
「要らないな。‥‥‥ああ、封印できればいいな!」
「「封印?」」
どこかで聞いたことがあるような気がして、向かいの二人は首を傾げた。
「物語のことです。ジュード様、【勇者ディラン・ランディの冒険】とは違いますよ。呪いのブレスレットではありません」
「う‥‥‥そうだな、すまない」
ハワード夫妻は、下を向いて震えていた。
「っぷ!ダメだ、苦し‥‥‥っ」
「ふふっ、【勇者ディラン・ランディの冒険】!懐かしいわね。あれは私たちがユーゴにあげたのよ」
知らなかったハルは驚いた。【勇者ディラン・ランディの冒険】は、もともと古書店にあった本だと思っていた。
「持っていても使わなくてもいいのよ?何もしなければ、ただのブレスレットだもの。でもさっき、あなたたちの周りが最近『面倒くさい』事になってきたって言ってたわよね?」
ハルとジュードは顔を見合わせて、どうするべきかと困っていた。自分たちには過ぎた魔法道具だと思うし、正直怖い。
「必要がなくなって、もしも出来るとしたら、『封印』してくれてもいいよ?」
「「‥‥‥!」」
オリーがニヤリとして言った。ハルは、この提案ならジュードは受け取ってしまいそうな気がした。ジュードの顔を見ると、本気で悩んでいる。この顔は『封印』がしたいだけだ。
「あの、他にも必要な方がいるのでは?」
「『要らない』って思う人がいれば、渡すかもしれないけどね。『欲しい』と言いそうな人たちには渡したくないんだよね」
なるべく、欲のない二人がいい。
「魔法鞄に入れてしまっても?」
「構わないけど、もしもの時の受取人は誰かしら?」
ロンドとロゼッタだ。何だか‥‥‥不安だ。
「‥‥‥」
「ハル、これは『呪いのブレスレット』として、後日封印する方法を探さないか?」
「そうですね、もうそれでいいと思います」
キラキラした瞳のジュードに耐えきれず、ハルは諦めた。
「では、ギルド協会に仮登録の解除と、二人の登録許可を申し出るわ」
「間に合うかわからないが、また一週間後の同じ時間に来てもらっていいかな?」
ブレスレットから開放される夫婦の顔は明るい。実は荷が重かったのだろう。
「どちらにしろ、こちらには来る予定ですから」
「問題ない。ところで、そのブレスレットは誰が遺跡から発掘したんだ?」
「名前は守秘義務があるから言えないけど‥‥‥ジュードくんが知ってる人物よ」
「‥‥‥俺が?」
ジュードが考え込んでいる間に、ハルは残りのお茶を飲みきった。とても疲れていた。
ベーグルを買って早く帰りたい。それから、ロンドとロゼッタにだけは、言わなければならない事がある。
ソフィアと別れ、オリーとともに代表室を出た二人は、階段を下りて受付のシアの所へ並んだ。
「それじゃあ、僕はこれで。今度、久々にロンドのコーヒーを飲みに行きたいと思うから、良かったら一緒にどうだい?」
「「喜んで」」
息の合った二人に嬉しそうに笑って、商業ギルドの鑑定士は、オールバックの深緑の髪を整えて事務室に消えて行った。
ジュードには、寄付する服を窓口に出してもらって、その後は出口付近で待ってもらうことにした。
「ハルさん、お疲れ様でした!」
シアが元気に声をかけてきた。
「鑑定料のお支払いを」
「はい、かしこまりました」
鑑定料金は、いろいろな理由からか、ワイバーン等の革と指輪の分だけだった。異世界の本と木箱以外だ。今日のハル自身の鑑定も含まれていない。そのことは、応接室でオリーから鑑定前に言われていた。
「ではまた、来週に来ますね」
シアが栗色の髪を揺らして「お待ちしています」と笑った。
待っていたジュードと商業ギルドを出て、外階段を下りながら、ベーグルは何を買うかの話になった。今日の内容は、とても外では話せない。
「やはり何にでも合うプレーンだろう」
「一番減るのが早いですね。交換券‥‥‥四枚ありますよ。雑貨店にも持って行きましょうか」
【ジュエルジェシカのベーグル屋】に着くと、列は三人ほどだった。ショーケースのベーグルに目を向けると、前にはなかった色の新作ベーグルがあって、衝撃を受ける。
「「‥‥‥!」」
青紫色の棘付きニンジンが、ベーグルになっていた。
「こんな所にまで来たか。なんと恐ろしい繁殖力‥‥‥」
まるで害虫のように言うのはやめてほしい。
隣に橙色のニンジンのベーグルもある。二種類のニンジンのベーグル、一個ずつでもいいので買いたいところだ。雑貨店にもぜひ持って行きたい。
「‥‥‥買うのか?」
「ジュード様は、冒険者ですよね?ここは冒険しないと‥‥‥」
「それ、違うぞ」
いつもの女性に「いらっしゃいませ」と笑顔を向けられて、袋を分けてもらいそれぞれ購入した。せっかくなら仲間を増やすと、ジュードはルークとアーロの分も青紫色のベーグルを買っていた。
「いつもたくさん買っていただいて、ありがとうございます。これ、お二人でどうぞ」
店の名前が入ったプレーンベーグルのような色の、持ち手のないカップだった。温かいのも冷たい飲み物でも使えるようだ。
ハルが感動していると「ありがとう」とジュードが言った。ハルはこの店で毎回こうなるのは何故なのだろう。ベーグル交換券も四枚もらった。
「あ、ありがとうございます。使わせてもらいます。また来ますね」
ハッとしたハルがお礼を言うと、店員の女性は「お待ちしています」と笑っていた。
「このカップの形は、父が使っていたカップに似ています」
「そういえば、棚に一個だけあったな」
コーヒー以外のお茶を飲む時に是非とも使いたい。
「先に雑貨店に行って、庭の壁が出来そうなら俺とロンドさんで始める。ハルは、少し休んだらどうだ?疲れたろう」
「そうですね。そうさせてもらいますが、もしかしたら気になって見に行くかもしれません」
ふふっと笑うハルは、ベーグル屋に行ったことで気分転換できたようだった。
「昼食後にまた雑貨店に行って、そこで二人に話すか」
「はい」
ハルが古書店に入るのを見届けて、ジュードは隣の雑貨店の扉を開けた。
カランと、白木の扉のベルが鳴る。
「「おかえり」」
カウンター内にいる夫婦に迎えられたジュードは、少し照れて「ただいま」と言った。実家に戻ったような気持ちとは、こんな感じなのだろうか。
「ハルは疲れているから、少し休ませる」
「それじゃあ、始めるか?」
「ああ」
「庭でコーヒー飲むか?」
「それ、いいな!」
ロンドがコーヒーを三人分入れている間に、ジュードはハルから受け取っていたベーグルをロゼッタに渡した。中は後で見てくれ、と言った。二人で驚いて欲しい。
ロゼッタは店番があるから見に行けないのが残念そうだった。ジュードの風魔法が見たいのだ。
「怪我しないようにね」と、開けたキッチンの裏口でロゼッタが言うと、二人の様子に微笑んで店に戻って行った。
「壁を壊そうとは、ユーゴは言わなかったな」
「ハルは、ユーゴさんを超えたのか」
心地良い芝生の上に座り込む男二人の笑い声が、雑貨店の小さな庭で、草の匂いとコーヒーの香りに混ざり合う。
読んでいただきありがとうございます。




