32冊目
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ハルは、会計カウンターで、猫の書を抱きかかえて立っていた。ジュードは、ハルの無事を確認すると、再び客である山鳩色の青年に視線を向けた。
「な、何です?あなたは?」
「お前こそ何だ?これは俺がハルに修理を依頼した」
「あなたが、依頼?『魔法の書』の?」
山鳩色の青年が、ジュードを睨み返した。ジュードは苛ついた。前に一度来た男だ。あの時は、店の様子を少し見に来ただけのようだった。
今日来たのは、何の用なのか。
「お前の目的は何だ?『魔法の書』か?」
「目的‥‥‥。僕は、こちらのベネットさんに危ないことがあってはいけないと。『魔法の書』を手放すように説得しようと‥‥‥」
「そんなこと、私は頼んでいません」
ハルは少しずつ後ろに下がって、ジュードの近くに行った。ジュードが前に出た。青年が目を瞠った。
「ベネットさん‥‥‥どうして?」
「誰に、吹き込まれた?」
「‥‥‥!」
青年は黙ってしまった。
「先日この店に来たな?その後は?」
「‥‥‥‥‥‥翌日。二人の男が開店前に店の前にいた日に。近くで少し様子を見てましたけど、二人は店に入ってしばらく出てこなかったので、帰りました」
カルロスとバートが訪ねて来た日だ。
「その時に、接触してきた者がいたか?」
「‥‥‥旅の商人の従者が。恐ろしい『魔法の書』が盗まれて、どこかに売られた可能性があるから、見つけたらタイトルを確認して教えてほしいと」
「タイトルは?」
「【銀色猫と氷姫】。それが、そうなんじゃないですか?」
間違いなくあの商人、もしくは、商人に指輪を依頼した誰かだ。この青年の様子で、利用できるならと接触したのだろう。
「ちょっといいかい?」
「ロンドさん」
階段の途中で座って様子をみていたロンドが下りて来て、ハルの後ろから顔を出した。
「キミは、商業ギルドとは関係が? 鑑定士なのか?」
「はい、あ、いえ‥‥‥鑑定士の見習いです」
ハルが無表情になり目を細めた。ジュードはそれに気がつくと、何故か自分の中の怒りがスッと収まった。ハルが、怒っている。
「その旅の商人の従者だと言った者の話を、信じたんだね?」
「‥‥‥先日、初めてこちらへ来た時に、魔法の気配がしたので、この古書店には『魔法の書』があるとわかっていました。もしかしたら、それこそが【銀色猫と氷姫】かもしれない、それで‥‥‥」
「それで、確認しようとこちらに来たのだな?」
ジュードに言われて、頷いた。青年は、自分の行いに自信がなくなったのか、だんだんと声が小さくなっていった。
「お帰りください。その旅の商人も従者も嘘をついています。この『魔法の書』を手に入れようと貴方を利用したのです。これは、間違いなく今はこちらの方の物です」
「‥‥‥え」
「因みに、商業ギルドを介した修理の依頼だ。俺ともう一人の依頼人は、冒険者ギルド【月長石】の代表、ルーク・ブレイクだ」
「え、え?」
「キミはもう少しで、このジュード・グレンだけでなく、ルーク・ブレイクまで敵にまわすところだったんだよ?」
青年の顔が真っ青になった。「ジュード・グレン」「ルーク・ブレイク」と呟いて、固まった。
「また奴らの接触があったら『わからなかった』と答えるんだ。もう関わるな」
「‥‥‥でも、でも、ベネットさんに危険は?」
ハルは、この青年が何故自分を気にかけるのか、わからなかった。
「ぼ、僕は、子供の頃に、図書館の前の階段から落ちたのを、ある人に助けられたんです」
ハルとロンドが大きく目を見開いた。ジュードは、二人の様子に戸惑う。
「助けてくれた方は、清楚な女性で、僕を守って一緒に落ちたのですが‥‥‥」
小さな少年だった彼を守って落ちた女性は、起き上がると少年の頭を撫でた。「気をつけなさいね」と、優しく微笑んだ。女性は、少し擦りむいただけだから大丈夫だと、もう行きなさいと言った。
少年は「ありがとう」とお礼を言って図書館へ戻って行った。親と来ていて、退屈だったので階段で遊んでいた。親に、何処に行っていたと怒られた後で、馬車で帰った。
「最近になって貴女を見かけて、思い出したんです。助けてくれた女性を。貴女はあの女性と同じ髪色と瞳、そっくりな顔をしていたので」
ジュードはそこで気がついた。それは、ハルの母、ロッティの事だと。
「そうですか。そんな事が‥‥‥ありましたか」
ハルから絞り出すような声がした。ジュードもロンドも、何も言えなかった。
「でも、それが私の母だったとしても、母は母で、私は私です。助けたのは母で、私に恩を返す必要はありません」
「あ、あの、近くの店の方に聞きましたが、お母様はもう亡くなられたのですよね?」
「そうですね、少し前に。もし、どうしても私のためを思って何かしてくださるなら、仕事の邪魔をしないでもらえるのが一番嬉しいです」
「‥‥‥っ!」
「「‥‥‥」」
ジュードとロンドは、ハルの気持ちを思うと心が痛かった。彼に気づかせないために、厳しい言葉で突き放そうとしているのがわかった。
「どうぞ、人を騙すような人間と関わらない生き方を。鑑定士の見習いとおっしゃいましたね? 依頼されたわけでもなく、ましてや他人の物を、了承もなく『鑑定眼』を使うなど愚かしい行為です。鑑定士なら資格を疑われてもおかしくありません。私は誰にも言いませんから、反省して、二度としないで頂きたいですね」
鑑定士の見習いが『鑑定眼』を使った。先程のハルの怒りは、それだった。
「申し訳、ありませんでした‥‥‥」
深々と頭を下げて、青年は店を出て行った。
ロンドは、ハルに頼まれた扉は完成したと、ロゼッタに言った。そして、寝る前になって、古書店での出来事を迷いながらもロゼッタに全て話した。
案の定、ロゼッタは泣き崩れた。ロッティが何故、どうして死んだのか。
子供を、助けていた。
歩いて帰る途中で倒れたロッティ。
打ちどころが悪かったのだろう。頭の中の出血が、時間をかけて広がっていって、力尽きた。家に、辿り着けなかった。
その日、ユーゴと小さなハルは、陰の曜日の市場に出掛けていた。
「ハルちゃんは、今頃どうしているかしら」
真っ赤な瞳の妻を、ロンドは抱き寄せた。
「大丈夫だ。彼が側にいてくれる」
ハルは泣かなかった。
それよりも、わからなかった母の死んだ原因がわかったと、落ち着いて考えることが出来た。
母が死んだ時に、既にもう、泣くだけ泣いたのだ。
「ハル?」
「図書館とは、もしかして王立図書館だったのでしょうか」
ハルは、窓テーブルの丸椅子に座るジュードの膝の上で横座りになっている。今朝のジュードとの約束だった。
座ってすぐにジュードの恥ずかしさと気持ちがよくわかったのだが、今はジュードの温もりがハルに力をくれていた。
「ロッティさんは、あの男性に会いに行っていたのだろうか?」
「もしくは、行こうとしていたのでしょうか」
それは、明後日の木の曜日に、彼に聞くしかない。来たらの話だが。
今日食べた夕食は、チーズを乗せたバゲットを焼いて、昨日の野菜の残りと鶏肉を入れたオニオンスープだった。途中からバゲットをスープに入れて、オニオングラタンスープ風になった。
なかなか美味しかったので、忙しかった日は、残った野菜は纏めてスープにしようと話し合った。
「明日は休みで、商業ギルドに行く日だな」
ジュードがハルの髪を撫でるように触れた。
「鑑定してもらっている指輪と木箱、本を受け取って、お支払いをしないと‥‥‥」
「早めに行くんだったな?」
「‥‥‥はい‥‥‥」
「寄付するユーゴさんの服は、俺の魔法鞄に纏めてあるから大丈夫だ」
「‥‥‥」
「おやすみ‥‥‥ハル」
ジュードの膝の上で、ハルは寝てしまった。あれからまた修理魔法をしていた。魔力消費と、いろいろな事があった疲れに、ジュードの温もりと髪を撫でられて、もう限界だったようだ。
ハルを抱きかかえて、部屋まで運んだ。ベッドに寝かせてブランケットをかけて、ハルの両の瞼にキスをした。
「ハル、また明日」
ジュードはいつも通り、寝る前の準備を済ませると、会計カウンターに猫の書とクタクタの草色のクッションを置いた。
猫の書開いて、白銀の光に包まれトラ様になる。
クッションに丸くなると、ジュードもすぐに眠りに落ちた。
ジュードの膝の上で寝たのは、先日の【月長石】で寝てしまった時の次に、恥ずかしかった。
「‥‥‥あああ」
「完璧な人間などいない。そんなハルだから好ましいのだが?」
真っ赤になったハルが、手で顔を覆っている。
朝食は、プレーンの焼きベーグルに、レタス・ハム・トマト・チーズ・ベーコン&エッグを、ワンプレートに乗せた。それぞれが、好きに挟んで食べるようにした。
朝はこの食べ方が良さそうだ。
温かい紅茶を飲みながら、ベーグル屋に寄って少しだけ買い足すことを決めた。
ハルは思ったより元気で、無理をしていないのがわかった。
裏口の扉を開けると、隣りの庭のベンチに夫婦がいた。こちらの壁まで来てくれたが、ロゼッタの目が腫れて気の毒だった。昨夜はロンドから話を聞いて泣いたのだろう。ハルの心配もしていたのかもしれない。
「ハルちゃん‥‥‥元気そうね」
「なんか、スミマセン‥‥‥」
ロンドは、灰色と山吹色のマグカップにコーヒーを入れに行って戻って来ると、二人に渡した。
「この壁を低くするのはどうするか?部屋の扉よりも気楽に出来るから魔力はあまり使わないし、ジュードくんの風魔法があれば助かるんだが」
「それなら、商業ギルドから帰ったらやってみよう」
ロンドとジュードが話し合う姿は、日に日に親密さが増している気がする。友人のようであり、兄弟のようだ。
「ロゼッタさん、明日の朝から運動しましょう!」
「い、いよいよなのね」
ロゼッタはいざとなると気が重かったが、美味しいものを好きなだけ食べるためだと言われたら、頑張るしかない。
鏡に映るハルは、紺色のロングパンツに白襟シャツを着ていた。このところ革紐で髪を結んでいたが、今日は太めの紺色のリボンを結んだ。
「ハル、ユーゴさんのループタイをしてみてはどうか?」
スモーキークォーツの留め具が付いた組み紐タイプのループタイだ。シンプルなデザインなので女性のハルが使っても違和感はない。
ジュードがハルの白襟シャツに上からかけて、留め具を締める。
「何だか、逆ですよね」
「はは、そうだな!」
ハルが小さい頃、母が父にこれを付けているのを見たことがある。場所によってはこれくらいはしないとダメよ、と言われていたのを思い出した。
「行くか」
「はい」
ジュードもハルと同じ紺色で、襟のあるタクティカルシャツとパンツに黒のブーツだ。
ジュードは、今日はキッチンの裏口から雑貨店経由で出掛けるのではなく、古書店の扉からハルと揃って出た。
『もう隠したりは面倒だし、結婚を前提にお付き合いしているで良くない?』
先程のロゼッタの言葉で、皆が「そうかも」と思ってしまったのだが、本当にこれで良かったのだろうか。
「ジュード様はキッチンの裏口が好きだから、残念ですか?」
そんな事はない。裏口は、あの芝生で早朝を過ごすのが好きなだけだ。それに、ここ最近は雑貨店を出入口にしていて、申し訳ないと思っていた。あの夫婦は不思議と嬉しそうにしていたが。
「ハルとこうして出掛けられる方がいい」
「‥‥‥あ、ありがとうございます」
ジュードの真っ直ぐな言葉に、ハルは少し頬を赤くした。
商業ギルドの外階段を上り、入口前の警備のナットを見つけると、二人はホッとした。
アイザックではなかった。
爽やかな笑顔で「おはようございます!」と挨拶してきたナットに、自然とこちらも笑顔になり、挨拶を返した。
一週間ぶりの商業ギルド。二人は、受付の列に並ぶつもりだったが、シアがいなかった。
「シアさんはお休みでしょうか」
「他の受付に並んだことは?」
「‥‥‥ないです。いつもシアさんが必ず‥‥‥」
「ハルさーん」
奥の事務室からシアが出てきて声をかけてきた。栗色のショートボブがふわりと揺れる。
「おはようございます!ハルさん、それからジュード・グレン様」
「おはようございます、シアさん」
「おはよう」
シアが嬉しそうにしている。「どうしましたか?」とハルが聞いたら「いえ、なんかお二人が並ぶと眼福です」と言った。
ちょっとよくわからないが、褒められている気がするので、笑い返しておいた。ジュードもそうしたようだ。
「代表室にご案内しますね」
「「代表室?」」
「わ、息ピッタリ」
シアはクスクスと笑った。奥の階段から三階へ、大きな扉をシアがノックすると「どうぞ」と女性の声がした。
「失礼します。ハル・ベネット様、ジュード・グレン様をお連れしました」
「ありがとう。シアはここに残って給湯室でお茶をお願いできる?今日はあの子がいないのよ」
「承知しました」
シアが代表室の横の給湯室へ行くと、碧緑色の長い髪の知的な黒縁眼鏡の女性、ギルドマスターのソフィア・ハワードが二人にソファーに座るよう勧めた。
代表室は、落ち着いた白と胡桃色で纏められた部屋だ。
「ありがとうございます」
「‥‥‥ありがとう」
「お茶が来る前に、こちらをお返しするわね」
ソフィアは魔法収納庫からハルが鑑定で預けた指輪入りの木箱と本を出して、ローテーブルに置いた。
「確認してもらえるかしら?」
「はい」
ハルはまず、木箱を開けて指輪を見た。二つの指輪の内側に読めない文字と金剛石がある。同じく読めない文字と、紙質が滑らかな本を見た。本は、先週初めて目にしただけなので、確認してもよくわからないが、指輪と木箱は覚えていた。
ハルは先週受け取っていた預り証を出した。受け取りのサインをする。
「すぐに魔法鞄に入れてしまいなさい」
「ソフィアさん?」
「オリーが『鑑定不可能』と言ってたわ」
商業ギルドの鑑定士で、ソフィアの夫、オリー・ハワード。彼が『鑑定不可能』と言ったなら‥‥‥。
「指輪の‥‥‥」
ソフィアが話を止めた。シアが紅茶を入れて戻ってきた。ハルは置いていた木箱と本を魔法鞄に入れると、シアがローテーブルに紅茶を置いた。
「シア、ありがとうね。仕事に戻ってちょうだい」
「はい、失礼します」
ハルはシアに微笑むと、シアも微笑み返した。シアが下がると、ソフィアは話し始めた。
「指輪を作ったのはロス夫妻だから、ユーゴとロッティが頼んで作ってもらったのね。それから、指輪の文字と木箱と本だけどね。ユーゴの物であること以外は『鑑定不可能』だった」
「異国の物ではないのですか?」
「もうすぐオリーが来るわ。私が説明できるのはここまでよ」
ハルは頷いて、ジュードは黙っていた。
「ねぇ、ハルちゃん。こちらのジュード・グレンさんは、ハルちゃんのただの依頼人?」
ソフィアの眼鏡の奥の碧緑色の瞳が、ジュードが今日ここに同席する理由を質問していた。
「ソフィアさん。私は、ジュード様と結婚を前提にお付き合いしています。ただの依頼人ではありません」
予想した以上の返答に、ソフィアは目を見開いた。
「あらまぁ。『恋人です』と言うと思ったのに、結婚まで考えているのね」
ハルとジュードは顔を見合わせて、それから笑った。
「実は今朝、ロゼッタさんが『もう隠したりは面倒だし、結婚を前提にお付き合いしているで良くない?』って言ったんです」
「ぷっ、ロゼッタらしいわ!」
ソフィアは吹き出した。
「詳しくはお話できませんが、ジュード様と私の周りが最近『面倒くさい』事になってきまして。つまり、もう誰に何を言われても、気にしていられません」
少しばかり困っていて怒っているのだと、そんなハルは見たことがなかったソフィアは面白くなって、ジュードを見た。
ジュードは誰もが惚れ惚れするような顔で、そんなハルを愛しげに見ていたが、ソフィアの視線に気がつくと、天色の瞳を真っ直ぐに向けてきた。ソフィアと、その後ろに。
「俺とハルの邪魔をするなと、堂々とする。俺はハルを愛しているし、ハルがいるあの古書店と、隣の雑貨店の夫婦とコーヒーが好きだ」
ソフィアが、とても優しい笑顔を二人に向けた。
「そう。それなら、二人を引き合わせたうちのシアに感謝してね。本の修理にベネット古書店をグレンさんに紹介したんだから」
「確かに、そうだな」
「本当に」
ハルも、シアには感謝しているし、これからもっと話をしてみたいと思っている。友人になって欲しい。
「‥‥‥だそうよ?オリー」
「え?」
後ろを向いたソフィアの視線の先、彼女のデスクの背もたれのある椅子に、深緑の瞳とオールバックの髪の男性が、長い足を組んで座っていた。
読んでいただきありがとうございます。




