3冊目
カラン、カラン。
雑貨店の白木の扉から、青茶の真っ直ぐな髪をひとつに結んだ女性と、続いて一匹の猫が出てきた。
店主のロンドに、茹でた鶏ささみ肉を渡されたハルは、閉店後にまたここに来ることを約束して、自宅である古書店へ帰ることにした。
彼女の足元には、耳折れのシルバータビーの猫がいる。ハルが焦茶色の扉の鍵を開けるのを、縞々のしっぽの先を小さくパタパタと動かしながら見ている。
このままの姿なら普通の猫と同じなのだが、天色の瞳を細めて口を開く。
「鍵にも魔法が?」
猫が言葉を話すことに違和感は拭えないが、落ち着いた心地良い声に怖さは感じない。
「鍵と鍵穴に、ひとつの魔石を分けたものが使われています」
「なるほど。鍵穴に差し込んだら元の魔石の形が戻るようになって、そこで解錠される仕組みか」
「ロンドさんたちが作ってくれたんですよ。父が我儘言って」
「仲が良かったのか」
「喧嘩するほど‥‥‥です」
キィーン、カチャ。
解錠の音がすると、ハルは内開きの扉を押してジュードに入るように勧めた。
薄暗い店内は思ったほど古い臭いはしない。
朝と違って日が当たらなくなったので、通り沿いの腰高窓のカーテンを開けた。窓には細長いテーブルがあり、その下に背もたれのない丸椅子が三つ入っていた。
ヒラリと軽くテーブルに上り、少し窓の外を見てからこちらへ振り返る猫に、ハルは笑いかけた。
「ジュード様、ようこそ【ベネット古書店】へ」
茹でた鶏ささみ肉は直ぐには食べないようなので、店奥のキッチンの小型食品収納庫に入れた。
店内会計カウンターの下から、生成りのエプロンを取り出して身につけると、早速ジュードの本を出した。
カウンターの内側は窓と同じ細長いテーブルになっていて、ハルは本を置いて背もたれ付きの椅子に座った。
「今日はもうこのままお店は閉めますので、頁の順番に戻す作業は進むと思いますよ」
すると、窓テーブルから下りたジュードが、会計テーブルに上ってきた。
「よろしく頼む」
「お疲れでしょうから、眠っていて構いませんよ?」
ハルは後ろの棚から丸い草色のクッションを取った。テーブルの右隅に置くと、ジュードは少し考えてからそこへ移動した。
踏みしめて確認している。可愛いわ。
「クタクタで柔らかいでしょう?‥‥‥あ、ちゃんと滅菌洗浄はしてますからね」
「そこは気にしていないよ、ハル」
ジュードはクルッと回ってから横座りした。前足は前に出して直ぐに立てるようにしていることから、まだリラックスできないのだなとハルは思った。
冒険者なら尚の事だろう。
「では、始めますね」
本のタイトルを見ると【銀色猫と氷姫】になっている。子供が読みそうな物語にしか見えない本だ。
これが指輪を入手できるアイテム本だとは、一般人にはわからない。読めば、わかるのだろうか。
表表紙・裏表紙は辛うじて繋がっているようだ。灰色の革表紙だ。そで・見返し・天・地・小口もボロボロだし、よくジュードが猫の姿で揃えたものだと驚く。まあ多少、ジュードが集める時に口で引っ張ったからかもしれない。
完全に終わるまで、どのくらいかかるか見通しが立たないほど、何もかも酷い。どんな所に、この本は保管されていたのだろう。
頁の数字がわからないものは、階段から落ちたときに擦れたのかもしれないわ。まずはちゃんと一冊の本にしよう!ジュード様にちゃんとした食事とコーヒーを!
ハルはしばらく、取り憑かれたように作業をした。纏まっている部分はあるし、頁がわからないものは、物語を読んで合わせるしかない。
雑貨店の閉店時間までに終わらせたい。
夕方になったので、後ろの棚から手元灯を取ろうとして、ジュードが目に入った。先程と変わらない姿勢でこちらを見ていた。
「ジュード様、少しは眠れました?」
「ああ」
「良かったです」
んーっとハルは伸びをして、手元灯を取り、灯りをつけた。
「いけない!」
ハルが突然声をあげた。
「ごめんなさい、ジュード様!ご家族は?待っている方がいらっしゃるのでは?」
「いや、俺は独身だし、ソロで冒険者をやっている。家は持っていないし、先日から同じ宿の部屋を一週間とってある。宿代は前払いしてあるから、問題ない」
「そうでしたか‥‥‥。最初に確認するべきでした、私ったら」
「いや、こちらこそ。何も考えずに飛び出したものだからな。心配かけて、すまない」
「これからのこと、後で話しましょう」
「そうだな、そうしよう」
ハルは立ち上がって窓のカーテンを閉めた。そろそろ外から中が見えてしまう時間だ。
再び、座って集中した。頁が抜けているのが五枚。ない数字も五つ。良かった、紛失はないようだ。
「氷姫の城に‥‥‥、あ、これね。クリスタルのような氷像があり‥‥‥。次、誓いの指輪を受け取った王子様は‥‥‥」
ハルがジュードを見た。
「俺が、王子か?」
「‥‥‥王子様は、指輪を左手の薬指にはめて指輪に口付けました」
「そんなこと、商人は言わなかったな」
「最初からちゃんと読んだほうが良さそうですね。順番に修理魔法していくので、纏まった章ごとに読んでいってはどうでしょう」
「それでいい。ハルを俺のことで縛り付けてしまうな。すまない‥‥‥」
「依頼を受けたら、しっかり最後まで。それがベネット家のモットーです」
「頼もしいな」
天色の瞳が細くなった。縞々のしっぽをゆっくりとクッションにポンポンとしている。
触りたいところだが、我慢したハルはもう一息、頑張ることにした。
この頁で終わるわ。永久凍土に、花が咲き、そして‥‥‥。これで、揃ったはず!
パタンと本を閉じた。
「‥‥‥ぅあ?」
「ひゃあっ‥‥‥!」
白銀の光が、古書店を満たした。
ハルの前に、濃紺のローブ姿の銀髪の青年がいた。
ゆっくりと天色の瞳が開かれる。
「‥‥‥まあ、ジュード様」
「‥‥‥ハル、本を閉じる時は言ってくれ‥‥‥」
ジュードは顔を顰めて、会計テーブルの上で、猫のように伏せていた。
「格好悪い」
「大丈夫、可愛いですよ」
「可愛くなくていい!」
読んでいただきありがとうございます。