29冊目
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窓の外を見ながら、シルバータビーの猫は冒険物語の余韻に浸っていた。
全て読み終わった。
少し寂しさはあるが、勇者たちは魔王を倒し、それぞれの国に帰った。またいつか会おう、と。
残念なのは、操られていた勇者の幼なじみの死と、勇者一行は生命を削って戦ったため、老いるまでは生きられないことだ。幼なじみは正気になって、最期は友を庇って死んだ。
救いは、勇者ディランと炎使いのボニーが結ばれたことだ。勇者は家族がいないので、ボニーの家に婿入りした。ボニーの父は冒険者ギルドの代表で、ディランが後を継いだ。ディランとボニー、二人の間には息子が生まれ、命ある限り幸せに暮らした。
「ハルよ、これは本当に子供が読む本なのか?」
既に修理魔法を終えているハルは、会計カウンターの椅子でトラ様の姿を見つめて、読み終わるのを待っていた。
「私もそう思いましたが、子供の頃に読んでわからなかった事が、大人になってもう一度読み返すと理解できるようになりました。何となく覚えているからこそ、読み返したくなるのです」
「そうか、少なくとも二度は楽しめるのだな」
ジュードは閉じた本を見て、子供の頃に読んでみたかったと言った。
「悲しいだけの最後でないのが救いです。実はこの物語は実話に基づいた本だと云われています」
「そうなのか?」
「二人が亡くなったその後、息子がギルドを継いでいるとか。実は、他のギルドの代表たちも勇者一行の子孫だと云われているんです」
「それならば、ルークもそうかもしれないな」
「それっぽい方ですからね。神秘的ですし。妖精族の風使いルーンに名前も似ていますね」
「本当だ!」
興奮すると立ち上がる癖があるトラ様の可愛さに、ハルは悶えそうになった。
「あと十五分ほどで三時になりますよ」
「アイスクリームとコーヒーの準備だな」
そろそろ窓テーブルから下りてキッチンで人間に戻ってトイレに行っておこう、そう思っていた。
「ん?誰か来るな」
「え?」
コンコンと扉が叩かれた。
「ロンドさんとロゼッタさんだ」
「まあ」
扉が開かれて、二人が店に入って来た。
「ただいま!ハルちゃん」
「ただいま。お、久々にトラ様に会えたな」
「ロンドさん‥‥‥今戻ろうとしたところだった」
「せっかくだから、頭だけ、頭だけ撫でさせて!」
ロゼッタがぐいぐい来るので、ハルもジュードも圧倒された。つい、ハルが「どうぞ」と言ってしまった。ロゼッタにぐりぐり撫でられながら、トラ様が恨めしそうな顔をしていた。
「‥‥‥」
「ご、ごめんなさい」
「ぷっ、猫にも表情ってあるのね」
「はは、可愛いな、トラ様」
ロンドにも撫でられた。普段の丸くてキレイな天色の瞳が、皿のようになっている。人相‥‥‥猫相が悪い。
「おお、柔らかい」
「あの、もう‥‥‥」
「トイレに行きたい」
「「ごめん」」
トラ様は窓テーブルから跳び下りて、脱衣所まで走って行った。「ハルー!」と声がしたので、猫の書を閉じた。足音がして、トイレの扉が勢いよく閉まる音がした。
「ご機嫌ナナメね」
「撫でるタイミングを間違えたな」
「ところで、随分早かったですね。もう少しゆっくりランチでもしてくるのかと」
「食べてきたわよ。でも、早くこれを渡したくて帰って来ちゃった」
ロゼッタがショルダーバッグ型の魔法鞄から、紙の包みを出した。
「開けてみて」
「はい‥‥‥‥‥‥あ、呼び鈴!」
ハルが欲しかった呼び鈴だ。誰かが店に来た場合に、ジュードが猫の姿から人間に戻る合図のためのアイテムだ。
「今のような時にお客様がいた場合に必要なんです」
「撫でるより渡すべきだったわね」
「明日から使います。いえ、今日から練習をしなくては!」
程々にしてあげてくれ、と夫婦は心の中で思った。
「呼び鈴二つで、おいくらですか?」
「いいのよ、これは市場のおみやげだから。受け取ってちょうだい」
「うぅ‥‥‥ありがとうございます」
この夫婦には甘えてばかりだ。
「ねぇ、良かったら夜はうちで一緒に食べない?」
「でしたら、今日は私が料理を作って行きます。昨日の市場で買った野菜と特製のチーズオムレツを」
「チーズオムレツか!」
ジュードが戻ってきた。不機嫌だったのがちょっと気まずくて、たぶん隠れていたのだろう。チーズオムレツと聞いて飛び出してきた。本当に大好物なようだ。とりあえず機嫌が良くなっていたので、三人はホッとした。
「ハル、まさかアレか?あの黒‥‥‥」
「ダメ!内緒なんです!」
ハルが慌ててジュードの口を手で塞いだ。
「あらあらあら、じゃあ楽しみにしてるわねー」
「さっきは悪かったな。後でコーヒー入れるから、ジュードくん」
「ふが」
「「ぷっ」」
夫婦は笑いを堪えながら扉を出て帰って行った。
「‥‥‥」
「もう、ジュード様、驚かせるつもりなんですから、言ってはダメです」
「ふぁふ」
ハルは慌てて手を離した。
「ハル、いよいよ黒曜鶏の卵を使うのだな?」
「青紫色の棘付きニンジンもです」
正気か!と叫ぶところで思い留まった。
「絶対に美味しくします。呼び鈴が手に入ったことで、力が湧きました」
「この呼び鈴には、どんな力が?」
「‥‥‥ふふ」
肉球です。
美味しいバニラアイスクリームとコーヒーを味わって、しばらく幸せに浸っていた。
呼び鈴は、明日の朝にして欲しいと言われて、ちょっと残念だったが、明日を楽しみに待つことにした。
夕食の話になった。
ジュードがどうしても、青紫色の棘付きニンジンの棘を取ることだけは俺がやると言うので、そんなに楽しみにしていたのかと、ハルは譲ることにした。
ハルの手が傷つかないようにするために言ったのだが、勘違いされていた。
ジュードは丁寧に棘を取り終えて、ついでに皮も剥いた。青紫色のニンジンになった。少し甘い匂いがしたので嗅ごうとしたら、ジュードの手のひらは青紫色になっていて「ひっ」と言ってすぐに水で洗った。少し染み込んで、血色の良くない手のひらになった。
「‥‥‥」
こんな色の魔物がいなかったか?俺の嫌いなアレにも、こんな色のやつはいなかったか?
「‥‥‥呪いか」
「違います」
ハルが洗浄魔法をかけたらキレイになったので、ジュードはホッとした。
「棘と皮は染料にできるでしょうか?」
「さぁ‥‥‥もう見たくない」
棘が取りたいと言ったかと思えば、青紫色に染まった手のひらは嫌だと言う。気分屋で猫っぽいなと、ハルは温かい目で見守っていた。こっそり棘と皮を捨てずに避けて置いた。
「卵を割るのを見たら、ユーゴさんの部屋に行く」
「そうしてください」
ハルが黒曜鶏の黒い卵を一個割ってみせた。白身は普通の卵と同じだが、黄身が真っ黒だ。
「「うわぁ‥‥‥」」
美味しくなさそう。
第一印象は二人ともそう思った。
「‥‥‥」
「た、卵は卵です。大丈夫です」
「頼んだぞ、ハル。俺は行くよ、不思議の部屋へ」
階段を上って行ってしまった。
これは気合いを入れて、少しでも、少しでもいいから美味しそうな見た目にしなくては。こんなに食材と向き合うのは初めてだった。
ジュードはユーゴの部屋に入るとブーツを脱いだ。何故か素足にハマってしまった。これも不思議の部屋の力なのだ。
「さて、今日は気をつけて作業しよう」
また変な呪いの本は勘弁してほしい。本棚は最後にしようと決めた。机の上はハルが滅菌洗浄魔法をしたようでキレイだった。一番上の引き出しを開けると、何もなかった。
「?」
そんなことあるだろうか。閉めた後で、もう一度確認のため開けてみた。
「‥‥‥は?」
本が一冊入っていた。また本か、と顔を顰める。もう一度、試しに閉めて開けた。また何もない引き出しになっていた。
「これは‥‥‥スゴイものを見つけてしまった?」
また開けると先程の本があったので取り出してみた。表紙にタイトルがない。これも呪いの本だったら?
興味と恐怖、しばらく葛藤していた。
「これは、もしも誰かに引き出しを開けられても、何もないと思わせるための仕掛けだろうか」
裏帳簿や秘密の日記の可能性は?ハルには見せない方が?‥‥‥葛藤は続いた。
「いや、片付けが進まない。開けるぞ?ユーゴさん」
ソファーに座り、覚悟を決めて本を開いてみた。
ハルは渾身の料理が終わり、全てを魔法鞄に入れた。
「最善を尽くしました‥‥‥」
食品収納庫から冷茶を出し、グラスに注いだ。椅子に座って冷茶を飲む。
先程から何度かガタンバタンと二階から音がしたが、派手に片付けを頑張ってくれているのだろうか。
午後六時前、外はもう薄暗くなっていた。ギシッと音がして、ジュードが二階から下りてきた。
「お疲れ様です。こちらは準備が終わりましたよ」
「ん、そろそろ行くか」
少し目が泳いでいるので、ハルには言い難い何かを見つけてしまったのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
「‥‥‥」
「大丈夫だ」
ハルはグラスを洗って、布巾で拭いた。
「ん?風で乾かすぞ?」
「大丈夫です」
「‥‥‥」
「大丈夫です」
ジュードが困った顔をした。それから深い溜息を吐いた。
「机の引き出しの片付けをした」
「‥‥‥そうですか」
「二段目と三段目から‥‥‥」
「蛇の玩具でも出ました?」
「正確には、蛇と鼠の玩具だ。飛び出してきた」
「母が嫌がって、机には近付かなかったのを覚えています。私は大丈夫でしたので‥‥‥。ああ、忘れていました。鼠を入れたのは私です」
「何故だ」
「父が鼠が嫌いでしたので、お返しに」
お返しと言うより、蛇の仕返しだろう。
「ユーゴさんは、驚いていたか?」
「深夜に悲鳴が聞こえました」
「ハル、俺は蛙がダメだ」
「まあ、そうなのですね‥‥‥気をつけます」
「本当にダメなんだ」
だから絶対に入れないでくれ、そう訴えていた。
ジュードが先にキッチンの裏口から出ると、ハルは店の扉から出て鍵をかけた。雑貨店の白木の扉は既に開かれていて、ロゼッタが迎い入れてくれた。
「お邪魔します」
「いらっしゃい、奥のテーブル席に行ってね」
ロンドがグラスに果実酒を注いでいた。
「いらっしゃい、お言葉に甘えて料理は用意しなかったが?」
「大丈夫です。ちゃんと作ってきましたよ」
ジュードが不安そうな顔で、魔法鞄から料理を出そうとするハルを見ていた。
「長いじゃがいもを細切りにして、フライパンに広げてパリッと薄い塩味で焼いたものです。少し押せば割れるので、好みで食べやすい大きさでどうぞ。このタマネギとガーリックのトマトソースや、生ハムをのせても合います」
次々に並べていった。
「果実酒にピッタリだわ!すぐに食べ終わっちゃいそう」
「何枚か焼きましたから、大丈夫ですよ。そしてこれが、青紫色の棘付きニンジンを使ったマリネです」
青紫色と橙色のニンジンの細切りを塩揉みして絞り、ワインビネガーとオリーブオイルと砂糖で、カリフラワーと檸檬のスライスを加えたマリネだった。想像していたより、色合いに不気味さはなかったので、ジュードは驚いていた。
「ハルちゃん、私でも買うのに躊躇する食材に挑んだのがスゴイわ!こうするとカラフルで美味しそうよ」
「なるほど、反対色をこう使ってもいいのか。この色合いは斬新だ。魔法道具の参考になるな、ロゼッタ」
「そうね」
ハルは頑張って良かったと、嬉しくなった。ジュードはまだ不安そうだ。何故なら、まだメインが残っている。
「そしてコレが、特製チーズオムレツです」
ドン!と大きな黒い塊がのった皿を置いた。囲むように、茹でたブロッコリーとミニトマトが交互に並べられている。
「「「‥‥‥!」」」
三人は息を呑んだ。
「ハル、大盛りにしたら迫力が増したな‥‥‥」
やはり引いている。だが、これで完成ではない。
「ここに、白いチーズソースをたっぷりとかけます」
小さい片手鍋が出てきて、グツグツと音を立てたソースが黒い塊にかけられた。黒を完全に隠した。
「さあ、食べましょう」
「「「‥‥‥」」」
「‥‥‥食べま」
「「「いただきます!」」」
ロゼッタは、掬いやすい大きめのスプーンを用意して、置いた。ジュードの前に。
ハルちゃんのチーズオムレツよ?大好物でしょう?お先にどうぞ?‥‥‥と、目が言っている。
ジュードは覚悟してチーズオムレツを皿に取った。やはり黒い。だが、とろりと柔らかい。色だけが悪いのだ。次にロゼッタの前にスプーンを置いて、目を閉じて一口食べた。
「‥‥‥んんん!」
「どうですか?フワフワに出来たと思うのですが」
「かなり美味い!すごく美味い!」
ジュードの言葉で、ロゼッタもロンドも皿に取った。
「んんー!ハルちゃん、これ絶品!」
「濃厚な卵だな!美味い」
「黒曜鶏の卵です。ちょっと高いですが、食べる価値があります」
「本当ね、マリネも頂くわ」
青紫色の棘付きニンジンは橙色より甘味も強いようで、スイーツにも向いているのでは?と盛り上がった。
「これだけ食べてみると、ニンジンだと思わないかもしれないな」
「棘があるのは、このニンジンが食べられないように進化したのかもしれません」
「これだけ甘いと、虫や動物、魔物に狙われるだろうからな。棘は取れるが、手が青紫色になるのだけが嫌だな」
「私が取れば良かったですね」
「危ないからダメだ」
ハルは、ジュードは棘を取りたかったのではなく、ハルの手を心配してくれていた事に、今になって気がついて恥ずかしくなった。
出ていた料理は全て食べきった。
「コーヒーを入れてくる」
「俺もカウンター席に行く」
ジュードはロンドに相談したいことがあった。
「ねぇハルちゃん、ちょっと二階の私の部屋に来てくれない?二十代のときの服をアレンジしてみたのよ。ハルちゃんが使えそうなら渡したいんだけど」
「まあ!ぜひ見せてください」
「ロンド、私たちのコーヒーは後で頂くわ」
「ああ」
「ジュード様、ちょっと行ってきますね」
「ん」
ロゼッタとハルが店の奥の階段から二階へ上った。楽しそうな声が聞こえて、やがて静かになった。
「それで、俺に話があるのかな?」
ロンドがジュードに笑いかけた。ジュードは少し困った顔になった。
「実は、今日もユーゴさんの不思議の部屋の片付けをしていたんだ」
「はは、不思議の部屋か」
ジュードは時々、発想が少年のようで、ハルが言うように可愛らしいなとロンドも思うようになった。
「机の引き出しの一番上が、スゴイ引き出しになっていて、二度目に開けると本が‥‥‥」
「待った!」
ロンドが止めて、この先は静かに話そうと言った。これは、ロンドも引き出しの仕掛けと中身を知っているなと、ジュードは気がついた。
「ジュードくん、中のアレを見たのか?」
「み、見るしかなかった!」
「しっ!静かに!」
ポタポタとコーヒーが落ちる音がした。
「悪い、あれは俺とユーゴが若い頃に隠していた本だ。すっかり忘れて、そのままにしていた」
「アレは‥‥‥どうしたら?」
「良かったらジュードくんにあげよう。いつか見つかるといけないから、魔法鞄に入れておけば」
ジュードが真っ赤になった。
「嫌だ。それをするくらいなら、ユーゴさんとロンドさんのだと言ってハルに」
「待て、待ってくれ」
ロンドが考え込んだ。
とりあえず、ジュードの魔法鞄に入れてもらい、早朝の芝生で待ち合わせ、ロンドに渡すことで手を打った。
ハルには内緒だ。
「まだ十代半ばの時に隠した。あの本のために、二人でコソコソ仕掛けを作ったんだ。ははっ、馬鹿だろ? ‥‥‥でもあの頃は、そんなことが楽しかったんだよ」
「‥‥‥」
若い頃のロンドとユーゴが、あの部屋で裸足になって座って笑っている姿が思い浮かぶ。
ジュードも若い頃はギルマスになる前の冒険者のルークと、くだらないことで笑っていたなと、少し懐かしくなった。
それにしても、まさか、男女の夜の指南書が、あの引き出しに二十年もずっと眠っていたとは。
読んでいただきありがとうございます。




