27冊目
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『今日はここまで』の紙が目に入り、猫の書の修理が十頁分終わったのだと気がついた時だった。
「ハルと一緒にいたい。この先も、ずっと」
驚いて顔を上げると、窓テーブルのトラ様はこちらを向いて瞳を閉じていた。首を傾げたり、首を横に振ったり、何か考えているようだった。それから、目を開けて、ハルを真っ直ぐに見た。
「ん?もう修理が終わったのか?」
もし、あの言葉が本当なら。
「私も、ジュード様とずっと一緒にいたいです」
ハルの心が、一気に晴れた気がした。
もしかしたら、冒険者ギルド【月長石】の代表ルーク・ブレイクから何か言われたのかもしれないが、ジュードが考えてくれたことが嬉しかった。
神殿からまた古書店に帰ってきてくれたなら、ハルはもうどんな形でもいいから一緒にいたいと思った。
「猫のままでも」
「ハル、その大玉のタマネギはどうするんだ?」
頭ほどの大きさのタマネギを、まずはカットして保存したかった。ジュードに四等分にしてもらい、四分の一だけ残して、あとは小型食品収納庫に入れた。
「スープを作ります。バゲットがまだあるのでスープと一緒に食べましょう」
角切りベーコン・長いジャガイモ・トマト・普通のニンジンを用意すると、ジュードはニンジンを見てホッとしていた。ハルは、青紫色の棘付きニンジンを市場で買っている。
「アレはまだ使いませんよ。楽しみにしていてください」
「そ、そうだな」
棘を取るのは絶対にハルにはさせたくないのでジュードがするつもりだが、本当に美味しいのだろうか。
「ハル、スープを作っている間にユーゴさんの部屋にいていいか?」
今日はバゲットを網焼きするまで出番はなさそうだと思った。
「勿論です。スープが出来たら呼びに行きますね」
ユーゴの部屋がジュードには面白いらしい。見つけた厚敷きは、満足したのかまたソファーの中に戻していた。使う時まで封印だ、と言っていた。‥‥‥封印。冒険の本にかなり影響を受けているようだ。
ジュードはユーゴの部屋に入るとブーツを脱いで、片膝を立ててラグに座った。ユーゴを真似て過ごしてみようと思った。
「ユーゴさん」
この部屋をユーゴと思い、話しかけた。
「俺、この古書店に来ていいか?俺は冒険者だけど、帰るなら、ハルがいるこの古書店がいい。猫になってしまう俺を、ハルは受け入れてくれると言ってくれたが、人間に戻る努力は惜しまない」
ジュードは目を閉じた。
「猫の書の修理が終わって、商業ギルド・冒険者ギルドに行って、神殿に行く。ハルが待つ、この古書店に戻ってくる。貴方の娘、ハルと結婚したい。許してくれるか?タイミングは勝手に決められないから、ハルや雑貨店の夫婦と相談するよ」
目を開けると、本棚にある一冊が何故か目に留まった。ジュードは立ち上がって手に取る。黒茶色の革表紙に、文字はない。ソファーに座って本を開くと、中表紙に知ったタイトルを見つける。
【ベネット古書店】
「この古書店の名前が、本のタイトル?」
ユーゴが作った本なのだろうか。それとも、もっと前の店主が?それにしては古くない。
「後で、ハルに聞くか‥‥‥」
何だか眠くなったので、ソファーに横になった。足は出てしまうが、ハルが呼びに来てくれるまで寝ることにした。
「起きてください」
ハッとして目を開けると、ハルの顔が近くにあって驚いた。
「ど、どうしたんだ、ハル?」
慌てて起き上がると、自分がユーゴの部屋のソファーにいたことを思い出した。深く眠っていたようだ。ハルが入って来たことにも気がつかないほど。
「お疲れみたいですね。夕食を食べたらシャワーの後は早く寝ましょうか」
「ああ、いや大丈夫だ」
眠気はすっかり覚めた。
「ダメだな、最近油断しすぎだ」
一階に下りて先に顔を洗うことにした。肩までの髪を紐で結んで、顔を洗って‥‥‥固まった。顔を上げて、洗面台の鏡を見た。髪を結んで顔を濡らしたジュードがいる。
「な、何だこれは!」
髪は切ったはずだ。
なぜ、また同じように長く伸びている?
「どうしたのですか?」
ハルが慌ててキッチンから走ってきた。
「ハル!俺の髪が、また伸びている!」
「まあ」
ハルが「まあ」と言ったので、何故そんなに落ち着いているのかと思った。この髪、猫の書の影響が出ているのだろうか。
「ジュードさん、髪は元々それくらいでしたよ?」
「‥‥‥ハル?」
手拭いを渡して微笑むハルに、違和感を覚える。『ジュードさん』と呼んだハルと、彼女が抱いているもの。
「ハル‥‥‥その小さな猫たちは?」
ハルは目を見開いて、それから困った顔をした。シルバータビーの耳折れの二匹の子猫が山吹色と天色の瞳でジュードを見ている。
「ジュードさん、夢でも見ましたか?この子たちは、私たちの子供じゃないですか」
「‥‥‥」
「ジュードさん?」
「おとうちゃま、髪を切りましょうか?」
「おとうしゃま、コーヒー飲む?」
「‥‥‥」
ショックでジュードの目の前が真っ暗になった。
「ジュード様!ジュード様!」
「‥‥‥ハル、いつの間に子猫を?」
「‥‥‥ジュード様、夢でも見ましたか?」
起き上がると、ユーゴの部屋のソファーだった。またこの部屋だ。ジュードは自分の髪を触った。
「ん、短い。‥‥‥夢、か」
大きな溜息を吐いたジュードの手に、黒茶色の本があった。ハルは目を見開いて「それをどこで?」とジュードに聞いた。
「そこの本棚に。急に気になって手に取ったんだが、そうだ、【ベネット古書店】のタイトルだったな」
ハルが顔を顰めた。めずらしい顔をしたので、ジュードが驚く。
「ハル?これも夢ではないよな?」
「失礼しました、ジュード様。とりあえず、お腹が空きましたから、夕食にしましょう。ジュード様のバゲットがないと困ります」
「すまない、すぐに焼く」
ハルを怒らせてはならないと、急いで立ち上がって、ブーツを脱いでいたことに気がついた。
「‥‥‥すぐに履くから」
「ふふっ、下で待っていますね」
ハルが笑ったので、ジュードはホッとした。ブーツを履きながら、ユーゴの真似をしたらとんでもないことになったなと、苦笑いで部屋を出た。
洗面台で顔と手を洗い、自分の姿に安心したら、キッチンへ行った。鍋には赤いスープがある。
「うまそうだな、トマトスープか?」
「ベーコンと野菜がたっぷりです。ジュード様、バゲットはチーズをのせて、お願いできますか?」
「なるほど、いいな」
ハルがテーブルに鍋敷きを置いてからスープの鍋を置いた。スープ皿に入れている間に、ジュードはバゲットの片面を軽く網で焼いてから裏返し、チーズをのせて更に焼いた。
グラス二つと林檎の果実酒を用意したハルは、バゲットの皿を持って焼き上がりを待った。
「これくらいでいいか?」
「わぁ、チーズがとろとろで、バゲットも良い焼き加減です」
ニ枚の皿にバゲットをのせて、テーブルに並べた。ジュードが魔法鞄から氷の大袋を出して、グラスにピッタリ入る氷を選んで入れた。果実酒の栓を開けて、ジュードがグラスに注いだ。
「キレイな琥珀色ですね」
「香りもいいな」
向かい合って座ると、グラスを持ったジュードが何を言おうかと考えている。ハルもグラスを持って待っていた。
「ハル、今日の‥‥‥記念に乾杯だ」
「ずっと一緒にって、約束の?」
「それにしよう」
笑ってグラスを軽く合わせた。
「「乾杯」」
グラスと皿と食べきったスープの鍋を洗い、ジュードが風魔法で乾かした。
「少し食べすぎたな。あのトマトスープとチーズバゲットの組み合わせは罪だな。バゲットがなくならなければ止まらなかった」
「林檎の果実酒は飲みやすかったですが、一杯で止めて良かったかもしれません。少しフワフワします」
「飲みやすいのは、飲みすぎるから危険だ。毎日一杯、これをルールにしよう」
「異議なし、そうしましょう。ジュード様、お腹が苦しいので、シャワーの前に話をしませんか?」
ハルが先程の黒茶色の革表紙の本をキッチンのテーブルに置いた。ハルが顔を顰めた本だ。見てはいけない本だったのだろうか。ジュードは、緊張して椅子に座った。
ハルから何やらオーラが出ている。少し空気が重いのは気のせいだろうか?ハルは黒の魔力持ちで、威圧が使えるのでは?
ハルよ、威圧使いの冒険者にならないか?
「あの、ジュード様、そんなに怖がらないでください」
「え?いや、その、では、ハルは何に怒っているんだ?」
「父にです!」
「ユーゴさんに?」
ハルは、黒茶色の本の表紙にタイトルがないのは、中を開けさせるためだと言った。
この本はユーゴが旅先で見つけた夢魔法の『呪いの書』だった。
「猫の書に近い物だと思ってください」
「危ないじゃないか」
「そうです。手放すように言ったのに!」
普段は他の本に紛れて目立たず見つからないが、近くに強く願う者の気配を感じると、急に存在感が出て、手に取るように誘うのだ。
「願い?」
ジュードはこの『呪いの書』を手に取るまでの自分を思い返した。ハルの父ユーゴの部屋で、ユーゴに語りかけていた。
『俺、この古書店に来ていいか?俺は冒険者だけど、帰るなら、ハルがいるこの古書店がいい。猫になってしまう俺を、ハルは受け入れてくれると言ってくれたが、人間に戻る努力は惜しまない』
『猫の書の修理が終わって、商業ギルド・冒険者ギルドに行って、神殿に行く。ハルが待つ、この古書店に戻ってくる。貴方の娘、ハルと結婚したい。許してくれるか?タイミングは勝手に決められないから、ハルや雑貨店の夫婦と相談するよ』
つまり、古書店に戻りたいから本のタイトルが【ベネット古書店】になり、ハルと結婚したいから家族を想像し子供がいて、猫になってしまう不安が子猫になったらしい。子猫たちは、雑貨店の夫婦が言いそうな言葉を話していた。トラウマになりそうだ。
結婚願望‥‥‥。ジュードが恥ずかしさで真っ赤になった。ジュードの願望に『呪いの書』が反応したのだ。
「俺は『呪いの書』に負けてばかりだ‥‥‥」
テーブルに伏せてしまったジュードに、確かにここまで縁がある人はなかなかいないだろうとハルは思ったが、悪いのはユーゴだ。
「どんな夢かわかりませんが、眠る人間の魔力を少しずつ奪うそうなので、少し減っているはずです。でも、本さえ開かなければ大丈夫ですから」
「それは、どうするんだ?」
「ちょうど良いので、木曜日のお客様にお勧めしましょう。王立図書館に保管してもらえば良いのです!」
木曜日のお客様。ハルの親戚と思われる男性客だ。あの男性にもハルは思うところがあるのか、嫌な物を押しつけるつもりのようだ。
ハルは紐で『呪いの書』を必要以上にぐるぐると縛って、自分の魔法鞄に放り込んだ。
今日ほど、ハルを怒らせたら怖いと思ったことはない。
それでも、ハルの新たな魅力を知って少し嬉しいと思ってしまう、ジュードだった。
お互いシャワーを浴びて、昨日と同じように洗濯物とシャワー室を同時に、滅菌洗浄風乾燥をした。もう、便利すぎて笑ってしまう。
「古書店の副業で、これを仕事に出来そうじゃないか?」
「では、ジュード様が冒険者を引退したら考えましょう」
「‥‥‥‥‥‥引退か」
「何歳になるかわかりませんね。お爺さんとお婆さんになっているかも」
「それもいいな」
氷で冷やした冷茶をグラスに注いだ。ジュードは紺色の麻の上下を着ている。内側も外側の紐もしっかり結べたようだ。
古書店の窓テーブル席に座って、冷茶で一息ついたら、ハルの髪をジュードが丁寧に乾かす。ジュードは遠慮なく髪に触れるようになり、ハルの方がまだ擽ったくて慣れずにいた。
「よし」
「ありがとうございます」
「ハル、円柱の魔法道具の名前は考えたのか?」
「『光の妖精さん』です」
「‥‥‥俺にそう言えと?」
ジュードが困惑して、ハルは想像した。
『ハル、今日は光の妖精さんに魔力を入れる日だ』
ハルは笑ってしまい口元を押さえる。ジュードの顔が真面目なほど、面白く感じる。
「‥‥‥ハル」
「ご、ごめんなさい」
トラ様が勇者のポーズをした時を思い出した。光の勇者のようだった。円柱から出る光の粒たち。
「「『光の柱』は?」」
同時に言って、頷いた。その名前に決まった。
『温度湿度管理の円柱の魔法道具』から『光の柱』になった。
ハルは『光の柱』を手に取ると、横にして挟むように持って魔力を流した。ジュードが棚の上に戻して椅子に座ったら、ハルが手元灯を消して古書店は暗くなった。
『光の柱』から光の粒が少しずつ出てきて、古書店の全体に広がっていく。
「この前は、猫の姿でハルを喜ばせることばかり考えていたが‥‥‥美しいものだな」
そう言った隣りのジュードの天色の瞳に、光の粒が映っている。
「そうですね‥‥‥とてもキレイ」
ハルは、新しい楽しみ方ができたと思った。
ハルの視線に気がついたジュードがハルの方を見ると、少し残念そうだった。
「こちらではなく、前を見ててもらえませんか?」
「何故だ」
「‥‥‥」
瞳に光の粒が映ってキレイだからです、とは言えなかった。
「ハル」
「はい」
「手を繋いでも?」
大きな手を差し出してきたので、ハルは手を重ねた。ジュードは指を絡めてギュッと繋いだ。
光の粒が少なくなってきた。温度湿度が安定すると消える。また数日、古書店は快適な状態が続く。
「ハルが好きだ」
段々と暗くなっていく古書店で、お互いの顔が見えなくなる前にジュードが言った。
繋いでいない方のジュードの手が、ハルの頬を包むように触れる。
「ハルが、とても好きだ」
「私も、ジュード様が‥‥‥あ、」
暗くなってしまった。
「ふふ、とても好きです」
鼻に温かいものを感じた。何だろうと思っていたら、「す、すまない」と、息がかかるほど近くに声が聞こえて、それが、ジュードの唇だったのだとわかった。
本当に、なんて可愛らしい人だろう。
ハルが少しだけ上を向いたら、今度はちゃんと唇が温かくなった。
読んでいただきありがとうございます。




