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26冊目

ブクマ・評価・いいね、ありがとうございます。



 キッチンに入り、ジュードもまだ昼食を食べていないので、客が来るまで二人で食べることにした。店はカーテンだけ閉めておいた。

 先程ジュードが近くのパン屋で買った、クロワッサンと、ロンドのコーヒーをテーブルに出す。


「ハル、ルークに果実酒を渡したからな」

「ありがとうございます」

「気にせず、また食事しようと言っていた。果実酒をありがとうと」 

「こ、今度は気をつけますから」

「はは、食べよう」

「はい」


 程良い甘さでサクサクした大きめのクロワッサンは、軽く食べるのにはちょうど良かった。


「通り沿いのパン屋さんですよね?どうしたのですか?」


 自分の失態でもあるのでジュードは少し悩んだが、話すことにした。ただ、あの二人を悪く思われないようにしようと思った。


 考え事をしながらギルドを出た帰り、誰かに尾行されていた事に気がつかなかったと言うと、ハルが驚いていた。

 カルロスとバートもジュードの様子を見ていたが、不審な者たちがジュードを追っていたので、古書店に行かないように途中でジュードに声をかけてきた。

 話し合って、二人が上手く動いてくれているうちに、パン屋など、いくつか店に入りながら気配がなくなったところで雑貨店に入った。


「カルロスさんとバートさんは、やはりまだジュード様を調べて?」

「ハルが、心配なのだろう。あの二人も、あの人も」

「一体、どうしたいのでしょう‥‥‥」

「今日は助けられたんだ。あの二人はまた店に来るだろうから、今度は会って礼を言わなければ」


 ハルは溜息を吐いてから、そうですねと言った。


 食器を洗ってマグカップを魔法鞄に入れると、そのまま鞄から猫の書を出した。


「‥‥‥今日は、ハルの魔力の様子をみて、頁を増やすか。とりあえず、今まで通りに十頁で」

「はい」


 猫の書を開き、ジュードはトラ様になった。トトトと古書店の窓の方まで走り、トンと窓テーブルに上った。ハルがその可愛さを堪能してからカーテンを開けると、しっぽをシュッシュッと横に滑らせた。窓に小さな虫がとまっていた。トラ様の縞々のしっぽでテーブル掃除が出来そう、とハルは思った。


「【勇者ディラン・ランディの冒険 下】を読みますか?」

「いや、今日はいい。たぶん集中できない。少し考えたいことがあるんだ」

「そうですか‥‥‥」


 草色のクッションを置くと「ありがとう」と言ったが、クッションは使わずに外を眺めた。


 ハルは、カウンターテーブルの椅子に座り、猫の書の修理を始める前に、トラ様になったジュードを見る。


 彼がうっかり尾行されてしまうほどの考え事とは何だろう。何か大変な事でもあったのかもしれない。


 ジュードは、それを話してくれるだろうか。


 猫の書に視線を落とす。四分の一は終わっているが、この先はもっと早く進むだろう。ジュードの体が一番大事だ。もしまた独りになったとしても【ベネット古書店】の店主として恥ずかしくない仕事をしよう。


修理魔法(リペア)


 ハルが修理を始めると、ジュードの視線は窓の外からハルに移った。



『猫の書の修理が終わって、商業ギルドでハルちゃんの依頼は達成。お前は【銀の女神の神殿】に行って、結果どうなるかわからないが、その後どうするんだ?』


『何を言ってる?また冒険者として、今まで通り‥‥‥』


『今まで通り?お互いひとりで生きていくのだな?』



 ルークとの会話がぐるぐる回る。


 自分はきっと結婚することは無理だろうと、理髪店の件で女性が怖くなってから、そう思っていた。

 ハルと一緒に過ごすことになるとは、考えてもみなかった。


 初めてハルを見た時、彼女は、商業ギルドの外階段でジュードが落としてしまったバラバラの猫の書を丁寧に拾い集めると、座って途方に暮れていた。猫の書がないと元の姿に戻れないので、どうするべきか悩んだが、自分は猫の姿を彼女に晒しても、声をかけることを選んだ。

 ハルは、猫が喋ることを驚くどころか喜んで受け入れる、ちょっと変わった女性だった。

 『ジュード様』と呼ぶ。依頼人や客には『様』をつけるハルの距離感が、最初の頃の自分には信頼できて居心地が良かった。

 ハルの養父母のような存在の隣の雑貨店の夫婦も、人として信頼できる人たちだった。


 一緒に、食事をして、掃除をして、買い物をして、雑貨店のコーヒーを飲む。


 この日々は、猫の書の修理の終わりと共に、()()()のだ。

 


 キッチン裏口の芝生。

 片付けが途中の、ハルの父ユーゴの変わった部屋。

 古書店の窓テーブル。

 草色のクタクタのクッション。

 勇者ディラン・ランディの冒険。

 魔法道具の、光の粒。

 ハルの母ロッティが作った、ユーゴの紺色の麻の上下の部屋着『サム?』。

 ワイバーンのキーストラップと、古書店の鍵。

 鍵をかけると認識できなくなる吊り看板。

 山吹色の揃いのマグカップ。

 ベーグルと、アイスクリームと、コーヒー。


 ハル・ベネット。


 ハル。




「ハルと一緒にいたい。この先も、ずっと」




 スルッと言葉が出てきた。


 なんだ、そうか。


 俺は、修理が終わって、【銀の女神の神殿】に行って、猫になる身体が元に戻っても戻らなくても、ハルがいる古書店に帰りたいんだ。それだけの事じゃないか。

 でも、断られたらどうする?

 いや、まだ諦めるのは早いな。俺が居たほうが楽しいって、思ってもらおう。俺は、ハルが好きだし、ハルに‥‥‥。


 ハルが、好きだ。


 そうだ。まず、これを先に伝えなくてはならない。あれは、いきなり過ぎる。恋人に言う言葉ではないか。まだハルの気持ちも知らないのに。

 それに、猫から戻れなくなる可能性もあるのだ。ハルはまだ、修理をしているから、後でちゃんと‥‥‥。


 ハルが目を丸くして、ジュードを見ていた。


「ん?もう修理が終わったのか?」

「私も、ジュード様とずっと一緒にいたいです」

「え?」

「え?」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

「‥‥‥もしかして、口に出ていたか?」

「はい、しっかりと」


 バッとジュードが、トラ様が立ち上がった。両前足を前に出す。肉球が見えて、ハルの口元が緩んだ。 


「ちょっ、ちょっと待ってくれ。いきなり過ぎるから、順番が違うから、ハルの気持ちを聞いてからにしようと‥‥‥」

「今、言いましたよ?」

「‥‥‥」

「私も、ジュード様と一緒にいたいです」

「‥‥‥‥‥‥この先も?」

「この先も」 

「修理が終わって、神殿に行った後も?」

「猫のままでも」


 今度は、ジュードが目を丸くした。 


「貴方が猫のままでも、私はずっと一緒にいたいです」


 この先、人間として生きていけるかわからないのに。猫になったまま戻らなくても、一緒に居てくれると。


「‥‥‥ハルのほうが、格好良いな」

「ジュード様は、可愛いですよ」

「ははっ」


 トンと窓テーブルから下りて、カウンターテーブルに上った。猫の書を少し横に避けると、ハルの目の高さに天色の瞳があった。ガラス玉のようにキレイで、ハルは吸い込まれそうだと思った。


「ハル」

「はい」

「今は猫だから、後で仕切り直しても?」

「嫌です」

「え」


 ジュードはショックを受けた。こっちを断られるとは思わなかった。


「だって、あれは心からの言葉ですよね?」

「そ、そうだ」

「プロポーズだと思っていいです?」

「そうだ、だからこそちゃんと」

「でしたら、十分に伝わりましたし、猫ちゃんにプロポーズされるなんて、一生に一度あるかどうかです」

「‥‥‥」


 ダメだ。ハルはなかなか頑固な女性だった。


「では、プロポーズ前の告白を、人間としてさせてくれ。頼むから」


 これなら大丈夫だろうか。告白を予告するのも変な感じだが。


「ハル?」

「はい、お、お待ちしています」


 ハルが見る見る真っ赤になった。猫だからわからないが、ジュードも人間の姿なら真っ赤になっているはずだ。


「そ、そうだ、魔力はどうだ?ハル」

「幸せすぎて、よくわからなくなりました」


 まだ真っ赤なハルが可愛い。


「‥‥‥あの、撫でても?」

「何故だ」

「撫でても?」

「‥‥‥‥‥‥少しなら」


 ハルがパァッと笑顔になった。


 

『とにかく、猫としてまず彼女を癒やしてあげるのよ』

『それが一番喜ぶな』



 前に雑貨店の夫婦が言ったことを思い出していたら、両手でトラ様の顔を包むように撫でてきた。随分大胆に撫でる。ジュードはドキドキした。

 指でクシュクシュと折れ耳の後ろを撫でる。ハルの手が温かくて、気持ちがいい。


 ゴロゴロゴロゴロ‥‥‥。


「‥‥‥」

「‥‥‥」 

「‥‥‥」

「ハル、俺、今、ゴロゴロって」

「気のせいです。あ、修理の続き、出来そうです」

「そうか」


 開いた二頁ずつ修理することにした。ジュードはハルの顔を注意深く見ていた。八頁あたりで疲れが出てきたので止めさせた。


「ここまでにしよう」

「はい」


 気がつけば、閉店時間を過ぎていた。ハルは扉の鍵をかけて、カーテンを閉めた。ジュードはカウンターテーブルから下りる。


「猫の書を閉じますね」

「ああ」


 白銀の光から濃紺のローブ姿のジュードが現れると「暑い」と言ってローブを脱いだ。


「ん?そうか」

「はい、今夜、温度湿度管理の魔法道具を使いますね」


 ローブを着たジュードが暑がるのが目安になった。


「この魔法道具の名前は考えたのか?」


 円柱の魔法道具は名前が長いから、別の名前を付けようと言っていたが、忘れていた。


「今日、一緒に光の粒を見る時に決めましょう」

「そうだな」


 お互いに目が合って、急に恥ずかしくなった。猫の姿をしていたから二人とも平気だったが、急に現実的になった。


「あの、猫の書の修理が終わるまでは『ジュード様』のままでいいですか?そこは、ちゃんとしたいのです」

「勿論だ。ハルの、そんな真面目なところが好ましい」


 またハルが真っ赤になってしまった。可愛すぎて困るな。


「雑貨店に手土産を持って行こうか」

「そ、そうですね!」

「さっき二人には、これからのことを考えてから、ハルに話したいと思ってる、と言ったんだ」

「ふふ、じゃあ、どうなったか気になって待ってますね」 

「ああ、待ってるな」


 ソワソワとコーヒーを用意しながら待っている、お節介な仲良し夫婦を想像して、二人は笑った。





「アイスクリームと果実酒!嬉しいわ!」 

「ありがとう、二人とも」 


 やっぱり、ロゼッタは庭のベンチで出てくるのを待っていて、ロンドはコーヒーを入れる準備をしてカウンターで待っていた。

 

「マグカップを出してくれ」


 ハルとジュードがそれぞれ灰色と山吹色のマグカップを魔法鞄から二個ずつ出した。

 カウンターテーブルには、ロゼッタ・ハル・ジュードが座った。ロンドが麻ドリップのコーヒーを入れる。


「ロンドさん、いつもありがとうございます」


 コーヒーが入ったマグカップを魔法鞄に入れた。


「そうだ、ロンドさん。永久の魔氷銀石を手に入れたら冷たいコーヒー作ってくれないか?」

「お、アイスコーヒーか。それをそのまま温かいコーヒーに入れたら冷めて作れるのか?」

「そうだ。ただ、使う時に少し魔力は入れる必要がある。慣れたら、魔力量で冷たさの調節ができたり、凍らせたりできる。果実酒のグラスに氷代わりに入れてもいいし、他の料理にも利用できる」

「まぁ!最高ね!でも、入手するのは大変なんじゃない?」 


 ロゼッタは是非とも欲しそうだった。


「氷売りの冒険者が、アイスドラゴンの好む場所にあるらしいと言っていた。何となく心当たりがある。猫の書の修理が終わって、永久凍土の【ヴィラゲル】へ行ったついでに探そうと思う」


 夫婦はハルを見た。少し心配そうにはしているが、修理が終わった先の話はどうなったのかと気になる。


「寒いが、最南の地はしっかりと準備をすれば危険過ぎる場所ではない。それに今度はルークに頼んで、信頼できる誰かに一緒に来てもらう。俺がもしも猫になったまま人間に戻れなくなったら、ここに帰れなくなるからな」


 その言葉で、雑貨店の夫婦は、ジュードはハルが居る古書店に戻ってくるのだとわかった。

 ハルが背筋を伸ばして真っ直ぐ見つめてきたので、ロンドとロゼッタは緊張した。


「ロンドさん、ロゼッタさん」

「「は、はい!」」 

「私は、ジュード様が時々猫の『トラ様』になっても、猫のままになっても、ずっと一緒にいたいと思っています」 


 自分が選んだ男性は、この人だと。二人にしっかりと伝えたかった。


「ハルちゃん」

「はい」

「あなたが好きな男性と結婚することはとても嬉しいわ。私たちもジュードくんが好きよ。そして、複雑でもあるの。もし、ジュードくんが猫のままになったら、寿命の違いもあるかもしれないのよ」

「‥‥‥はい」

「それに‥‥‥その‥‥‥」


 ロゼッタがとても言い難そうにしている。何となく察したハルは、ロゼッタの膝の握りしめた手に、そっと手を重ねた。


「ロゼッタさん、たとえ子供が望めなくても、幸せな夫婦を私は知っています」

「「‥‥‥!」」

「ロンドさん、ロゼッタさん。俺もハルとは貴方たち二人の様な夫婦になりたい」

 

 ロゼッタがボロボロ泣き始め、ロンドがロゼッタの肩を抱きながら、涙目でハルとジュードを見た。


「まだ猫のままになってしまうと決まったわけじゃないが、そうなる覚悟が出来ているとわかった。ジュードくん、冒険者は続けるんだね?」

「‥‥‥ハル、俺は」

「古書店は暇ですから、冒険者は続けたほうが良いですよ?」

「‥‥‥だそうだ、ロンドさん。ゴロゴロしてハルの邪魔になりたくない」

「ははは!そうだな、ちゃんと稼がないとな」


 ハンカチでロゼッタの涙と鼻水を拭きながら、ロンドは「そういえば」と言った。


「『トラ様』って?」

「ジュード様が猫になった時に、人前で呼ぶ名前です」


 涙が止まったロゼッタが「もしかして『天銀の虎』のトラ?」と聞いた。


「そうです」

「「ぷっ」」


 今度はカウンターテーブルを叩いて泣き笑いし始めた夫婦に、ハルは楽しそうだと思い、ジュードは一生笑われる覚悟をした。


読んでいただきありがとうございます。

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