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23冊目

ブクマ・評価・いいね、ありがとうございます。



 窓テーブルで外を見たり、本を読んだり、ジュードはそれなりに猫の姿でも不自由ではなくなった。先程ハルにそう言ったら、複雑な顔をされた。喜ぶのかと思ったら、あまり慣れないほうがいいです、と言われた。自分ではよくわからないが、猫らしくなってきているそうだ。

 【勇者ディラン・ランディの冒険 下】を読み始めた。上は、主人公の勇者に仲間が揃ったところで終わった。ジュードは、こうやって物語を読むことも悪くないと思った。忘れてしまったワクワクした気持ち、新たな出会いと別れ、仲間への想い、未知なる世界への一歩。時間を忘れて、自分が主人公になった気持ちで読んでいた。



 ハルは猫の書の修理魔法を次の頁に進もうとして、『今日はここまで』と大きく書いた紙が目に入った。太字で書いて目標の頁に挟んだものだ。自分でもびっくりするほど下手な猫の絵も描いておいた。嫌でも気がつく。

 もう十頁分が終わってしまった。魔力がまだ十分に残っていたが、ジュードとの約束だ。柱時計を見ると、まだ二時十五分を過ぎたところだった。


 窓テーブルのトラ様は、本に夢中だ。【勇者ディラン・ランディの冒険 下】を読み始めた。

 仲間が揃ってからの新たな冒険が始まった。助けたり助けられたり、喧嘩したり仲直りしたり、そうやって仲間との絆が深まっていく。

 ジュードは一度も冒険者パーティーには入らなかったのだろうか。ハルはふとそう思った。

 シルバータビーの耳折れ猫は、下を向きながら、開いた本が閉じないように前足に体重をかけてしっかり押さえている。

 猫に首・肩凝りはないのだろうか。紙を触りすぎて、肉球は乾かないのだろうか。


「ジュード様」

「‥‥‥」

「トラ様」

「‥‥‥」


 物語に入り込んでしまっているようだ。


「ディラン様」

「!」


 小さな折れ耳がピンっと後ろに動くと、丸い目をしてこちらを向いた。少し前足を浮かせているのがとても可愛らしいが、黙っておいた。


「今日の修理は終わりました。戻って休憩にしませんか?」

「あ、あぁ。そうか、早いな」


 ジュードは現実世界に戻った。自分はディランではなかった。しかも今の姿は猫のトラ様だ。窓テーブルから下りてハルの足元へ来た。


「昨日までより修理する流れにも慣れて、魔力の消費量も少なくなった気がします」


 ハルが店を閉めるのにまだ時間があるので、店を開けたまま、キッチンでコーヒーを飲みませんか?と言った。


「では、アイスクリームも食べよう」

「いいですね!」


 ハルは元気で殆ど疲れていないようだ。魔力も少し増えたかもしれない。昨日ギリギリまで使って魔力回復薬を飲んだからだろう。


 ジュードがキッチンの奥へ行くと、ハルが窓のカーテンを閉めて、猫の書を閉じた。白銀の光でジュードが人間に戻った。ローブを脱いで、魔法鞄であるボディバッグに入れた。


「何度も言うが、このローブを着た状態は面倒だな」

「宿で猫になった時ではなく、神殿で霊獣を憑依した時の服装なのですよね?不思議ですねぇ」


 あの日は、夜の神殿から半日以上かけてギルドに戻り、宿で食事の後にシャワーを浴びてから、疲れきって寝ていた。肌着と下穿きだけだった気がする。起きたら猫になっていたのだ。

 そういえば、宿で人間に戻った時に服やローブを着た状態になっていたのに、気にもしなかった。それだけショックを受けていて疲れていたのだ。


「服を着ているだけマシか‥‥‥」

「‥‥‥そうですね」


 ジュードが山吹色のマグカップに入ったコーヒーを出すと、アイスクリームは何が食べたいかをハルに聞いた。


「そうですね‥‥‥では、コーヒー味で」

「ん、よし」


 青いガラスの器に入ったアイスクリームとスプーンを出した。温かいコーヒーと、冷たいコーヒーアイスクリーム。何だか贅沢な気分だ。コーヒー味はそんなに甘くなくほろ苦くて美味しい。


「明日は市場から戻ったら、アイスクリームを買いに行こうと思う。やはり王道のバニラが欲しい。少し遠いがどうする?」

「私はここで待ってます。ジュード様が一人で行ったほうが早いでしょうから」


 開店時間に間に合わなくなったりしたら、また抱えられて走ることになる。さすがに恥ずかしい。


「そうか。また今度、休みの時に一緒に行こう。新しい味もあるかもしれないぞ」

「ふふっ。はい、お願いします」

「バニラを多めでもいいか?」

「バニラはコーヒーにも紅茶にも合います。私も一番好きですよ」

「そ、そうか」


 何故か少し顔が赤くなって嬉しそうなジュードが、隣の夫婦にも買ってくると言った。それは二人も喜ぶはずだ。


「そうだ。朝に来た二人のことで心配してるんじゃないか?」

「ジュード様が父の部屋にいる時に、裏口を開けてみたらロゼッタさんがお庭にいて声をかけてくれたんです。大丈夫だったと言っておきましたよ」

「裏口は便利だな。そこから出入り出来たらいいんだが」


 確かに、カルロスとバートが来たことで正面から出難くなった。


「父とロンドさんがお互い結婚するまでは、裏口は普通の扉でしたし、お互い煉瓦の壁を越えて自由に行き来してたそうですよ」

「何でやめたんだ?」

「さあ、新婚だったからって言ってましたけど?」

「‥‥‥‥‥‥そうか」

「どうしました?」


 なんでもないと言って、ちょっと裏口を開けてみると言った。そろそろ、髪を切ってもらえるか頼みたいそうだ。

 扉を開けると、ジュードの背の高さから壁の向こうの庭が見えた。 


「はは、ジュードくん、また芝生で腕立て伏せか?」

「ロンドさん」


 ロンドが休憩して庭の奥のベンチに座っていた。ジュードは芝生が大好きだと認識されたようだ。早朝、腕立て伏せをしているのも、どこからか見られていたらしい。


「いや、ロンドさんかロゼッタさんがいたら話そうと思ったんだ。ロゼッタさんに、髪を切ってもらいたいんだが」

「そうか。そこで待っててくれ、今聞いてくる」


 ロンドが、雑貨店の裏口から中に入った。扉を開けたままだったジュードが後ろを振り返った。


「ハル、ロンドさんがいた。やはり裏口は便利だ」

「良かったです」

 

 全部聞こえていたが、ハルは笑って答えた。あまり頻繁に裏口は開けていなかったが、隣の夫妻は休憩時間に庭に出ていることが多いのだろうか。


「ジュードくん、今切ってもいいなら大丈夫そうだが、どうする?」

「そうか‥‥‥ハル?」


 わざわざ振り返って聞いてくるジュードが面白い。


「行ってください。私も後で店を閉めたら伺うと伝えてもらえますか?」

「わかった」


 椅子にあったジュードのボディバッグを渡すと、ありがとうと受け取った。ロンドに、ここから行ってもいいか?と聞いて、裏口の扉が閉まった。

 閉店までまだ時間があるので、ハルはそのままだったマグカップとアイスクリームの器とスプーンを洗って、久し振りに布巾で拭いた。最近ジュードの風乾燥に頼りすぎていることに気がついた。


 


「どのくらい切る?」


 雑貨店内の隅にある姿見に映るジュードにロゼッタが聞いた。切った髪が服に付かないように、頭が入る穴がある白い大きな布を被っている。古いシーツを縫って作ったらしい。


「動いても目に入らないくらいに」 

「勿体ないけど、きっと似合うわ」


 ロゼッタは髪を濡らすと、躊躇いもなく切り始めた。ジュードは今まで、束ねた髪を自分のナイフでザクッと切っていたらしい。理髪店に行かない理由があるのだろう。


「ハルから何も聞いていないか?理髪店で切らない理由」

「前に、面倒だからって言ってたけど、違うのね?」


 切ってもらっている間に、ジュードは、理髪店の店主が自分の髪を知らない女性に渡したこと、それが更に数名の女性に渡り、魔術に使われるところだったこと、ギルマスのルークが黒魔術師に頼んだら、跳ね返って数名の女性が昏睡状態になったことを話した。


「‥‥‥それは、トラウマになるわね。理髪店の店主は信用もなくし、馬鹿なことをしたわ」

「今は、どうしているのか知らない」

「あなたは何も悪くないんだから、気にすることないわよ」


 離れたカウンターで、ロンドも拭き掃除をしながら話を聞いていた。そんな経験をしたなら、きっと女性にモテても、何も嬉しくないのだろうと、気の毒に思った。

 ジュードにとっても、ハルに出会ったことは運命だったのだろう。自分の窮地に、手を差し伸べてくれたのは、純粋で真面目な女性(ハル)

 勝手に髪を魔術に利用するような、そんな女性ばかりではないと、知ることが出来たはずだ。


「私は、愛するロンドに夢中だから、大丈夫でしょ?」


 離れたところから、カチャンと音が鳴った。何も壊れていないといいが。ジュードは笑った。


「それもそうだが、ハルが信頼している人たちを、俺も信じるだけだ」


 ロゼッタが、ピタッと手を止めて「ロンドー!」と夫を呼んだ。慌ててロンドがハンカチを持って走ってきた。

 妻の涙と鼻水をハンカチで拭う、鏡に映る夫婦の姿を、ジュードは温かい気持ちで見ていた。


 カランカラン。店の扉が開いた。


「こんにちは。ジュード様は‥‥‥ロゼッタさん?」


 グズグズに泣いた後のロゼッタの顔に、何があったのかとハルが驚いた。


「素敵にするから、ちょっと待っててねぇ、ハルちゃん」

「ハルちゃん、大丈夫だから、カウンターでコーヒー飲もう」

「え?は、はい」


 殆どジュードが見えなかったが、まだ途中のようだ。ロンドに背中を押されて、ハルはカウンター席に座った。


「マグカップは持ってきたか?今日は二度目のサービスだ。飲みすぎるのもいけないから、一杯ずつだぞ?」

「ありがとうございます」


 灰色のマグカップを出すと、コーヒーを入れてくれた。それから、店のカップにもミルクたっぷりのコーヒーを入れてくれた。


「ジュードくんが信頼して髪を切らせてくれたとわかって、嬉しくて泣いちゃったんだよ」

「まあ、そうでしたか」


 ロゼッタは感情が豊かだから、嬉しくてあんなことになったのだ。化粧も崩れるほど泣いたのは、最近ではいつだっただろうか。

 ミルクたっぷりのコーヒーは、砂糖もハルの好みの甘さで入れてくれていた。


「美味しい」

「ハルちゃん、ジュードくんとの生活はどうだ?」

「‥‥‥そうですね。慣れてしまって、困っています」

「困る?」


 ロンドは少し心配そうな顔になった。


「だって、また独りになったら‥‥‥」

「‥‥‥」


 依頼された猫の書の修理が終われば、ジュードは新月に永久凍土の地【ヴィラゲル】の最南にある【銀の女神の神殿】へ行く。ハルの仕事が終われば、ジュードは‥‥‥。


「それでいいのか?」


 それで、いいのか。


「出来たわ!」


 ロゼッタの声により、ロンドとの話は途中で終わった。見に行っておいで言われ、ハルはジュードとロゼッタの所へ行った。


「どうだ?ハル」

「素敵でしょう?」


 肩まであった髪が、短く切られ、襟足もスッキリとしていた。前髪があるのも新鮮で、ロンドほどの短髪ではないが、美しさはそのままに、男らしさが増した。


「とても、素敵です!」

「そ、そうか」


 恥ずかしそうに頬を掻くジュードに、ロゼッタが、切った髪は持って帰ってねと言った。

 ジュードは風魔法で落ちた髪を集めた。


「「おおお」」


 夫婦は便利だと感心して、ロンドが巾着袋を渡してきた。コーヒー豆が入っていた麻袋と布を重ねて、ロゼッタが作った袋だ。これに髪を入れて、魔法鞄にしまっておけば安心だろうと言った。


「すまない、何から何まで」


 美しい銀髪が、もう他人に渡らないことに、ハルも安心した。


「マグカップにコーヒーを頂きました」

「そうか、ありがとう!」


 カウンターにもロンドが入れたコーヒーが用意されていた。夕食の準備をする時間まで、雑貨店のカウンター席で、四人で話をした。

 ハルは、楽しくコーヒーを飲みながらも、先程のロンドの言葉が忘れられなかった。


読んでいただきありがとうございます。

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