20冊目
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ハルは自室のベッドで呆然としていた。
どうやら自分は、ギルドのダイニングの個室で、寝てしまったらしい。
楽しくて、エールをもう一杯飲み、ルークに勧められたチーズを食べ、それに合う果実酒まで飲んで‥‥‥記憶がない。目が覚めたら自分のベッドにいた。
間違いなくジュードによって、ギルドからここまで抱えられて帰ってきたのだろう。服は昨夜のままだ。ループタイは外されて、サイドテーブルに置いてあった。
頭は痛くない。飲みすぎたわけでもない。ただ、眠くて寝てしまったのだ。
シャワーを浴びたいが、まだ朝の五時半だ。ジュードはまだ寝ているかもしれない。着替えを用意して、静かに階段を下りた。
会計テーブルのクッションにはまだ猫のジュード、トラ様が寝ていた。起こさないように引き返そうかと思ったが‥‥‥。
可愛い。
階段にそのまま座って、少し上から気持ち良さそうに丸くなって眠るジュードの白いモフモフのお腹を眺めた。呼吸で上下に動いている。
初めて見る無防備なトラ様の姿がとても愛おしくなった。
出来ることなら撫で回したい。モフモフしたい。でも、ジュード・グレンに、そんなこと出来ない。
このモヤモヤとした苦しさは、何だろう。
「胸焼け‥‥‥ではない、気がする」
トラ様の折れ耳がピクッと動いた。出てしまった声で目が覚めてしまったようだ。大きな欠伸をしている。
「おはようございます、ジュード様。ごめんなさい、起こしてしまいました」
「ん、ハル、おはよう」
前足そして後ろ足の伸びをして、床に下りた。段々と動きが猫らしくなっているように感じるのは、気のせいだろうか。
可愛いが、猫になる時間が長いのは身体に負担はないのだろうか。
「ジュード様、猫の書を閉じないのですか?」
「そうか、忘れていた」
「‥‥‥私がやりますね」
ハルは座り込んでいた階段を下りて、猫の書を閉じた。少し不安になる。いつかこのまま猫から戻れなくなったら‥‥‥。
白銀の光と共にジュードが人間に戻った。
「ジュード様、あの、たくさんご迷惑をお掛けしました」
「いや、問題ない。昨日は色々あったから疲れたのだろう」
「すみません。後で詳しく聞かせてください。シャワーを浴びますが、ジュード様は?」
「俺もそのまま寝てしまった」
「まあ、ではお先にどうぞ」
「いや、先に行ってくれ。朝は起きたら少し体を動かしてからじゃないと落ち着かなくてな」
いつもハルが起きる前にはそうしているらしい。しかし、体を動かすとしてもどこで‥‥‥。
「もしかして、裏口の外の?」
「ああ」
雑貨店側のキッチンの裏口から外に出ると、庭と呼ぶには小さいスペースがある。昔から芝を植えていて、今は隣のロンドが自宅の芝のついでにと、ここの芝の手入れもしてくれている。
裏口の扉は中からしか開けられないようになっていて、出た時に扉が閉まらないように挟んでおく為の四角い石が扉の内側に置いてある。ジュードには説明していなかったのだが。
「ここは鍵に魔石を使ったりする古書店だからな。念の為、完全に閉まらないように四角い石を挟んでおいた。やっぱり閉まったら外から開かなくなるのだな。良かった」
「よくわかりましたね。それにしても、狭くないのですか?」
「問題ない。芝が気持ちいいしな。なるべく音を立てないようにしているから、隣にも迷惑にはなっていないはずだが‥‥‥一度聞いてみるか。シャワーが済んだら教えてくれ。急がなくていい」
「はい」
せっかくなので、ゆっくりシャワーを浴びた。ジュードはここに来るまでは毎朝シャワーを使っていたのではないだろうか。
いつでも自由に使っていいのだと言わなくてはと思った。
ノーカラーの白シャツと灰色のワイドパンツに着替え、よく拭いた髪をヘアピンでクルッと一つに纏めて留めた。
「ジュード様、終わりましたので、いつでもどうぞ」
「ん」
ジュードは、片腕で腕立て伏せをしていた。すごい。そう思いながら、キッチンの椅子に座った。扉の隙間から風が入って気持ちがいい。
今日は、土の曜日。
明日の陽の曜日は店は開けるが、次から休みにしようと思っている。水の曜日は定休日なので、商業ギルドへ行って、鑑定してもらっている父の本と指輪入りの木箱を受け取り、定休日と営業時間の変更を伝えるつもりだ。
腕立て伏せが終わったらしく、ジュードが四角い石を戻して扉を閉めた。キッチンで手を洗うと、ハルの纏めている髪を見ていた。
「ハル、髪は先に乾かすか?」
「夜ではないですし、このままでも大丈夫だと思いますが」
ヘアピンを取ると、するんとハルの青茶の真っ直ぐな髪が肩に落ちた。すると、後ろからジュードが自然な流れでハルの髪に触れた。
「まだ濡れてる。乾かしてしまおう」
ジュードの風魔法ですぐ乾いてしまった。フワッとハルから良い香りがするので、落ち着かなくなったジュードは、シャワーを浴びに行くと言ってキッチンを出た。
「ありがとうございます。では、私は朝食の準備を始めてますね」
立ち上がって、小型食品収納庫を開け、朝食は何にしようと考えた。考えながら、ジュードに髪を触れられた時から、まだ頬の熱が冷めなくて困っていた。
「チーズオムレツか?ハル!」
やはり、チーズオムレツが好物のようだ。シャワー室から戻ってきたジュードの声が、普段より少し高い。
焼く前に、使用したシャワー室を、二人で滅菌洗浄風乾燥をした。夜にまた気持ち良くシャワー室を使える。
「生ハムサラダ、チーズオムレツ、オニオンスープ、プレーンベーグルでいかがでしょう?」
「素晴らしい朝だな」
「良かったです。ジュード様はベーグル担当ですね?」
「勿論だ」
魔石式コンロで、ハルがフライパンでクルクルとチーズオムレツを作ると、続いてジュードが網でベーグルを焼いた。今日は焼いてから切ることにした。
ハルがサラダを盛り付けた大皿にチーズオムレツを乗せると、中皿に焼いたベーグルを置いて熱そうに切るジュードが「このほうが中がモチッとしている!」と感動していた。
「大丈夫ですか?火傷していませんか?」
「ん、問題ない。食べようか」
「はい」
チーズオムレツにスプーンを入れると中に閉じ込めたチーズがトロリと出た。
「おおお、前よりチーズが多いのか?」
「はい。でも、どちらが好みですか?チーズがまだたくさんあったので使いましたが」
「これはこれで美味い。だが、そうだな。うーん、やはり、ハルが最初に作ってくれたほうのがいいな。これはルークが好きそうだ」
「ふふ、そうですね、わかりました。次は、いつもどおりにしますね」
ベーグルに生ハムとチーズオムレツを乗せて食べながら、昨日の事ついて話し始めた。
「私は、やはり眠くて寝てしまったのでしょうか?」
恥ずかしそうに言うハルに、ジュードは笑いそうになった。
「仕方ない。色々と疲れてたところで酒が入り、張りつめていた糸が」
「切れたと‥‥‥」
ハルが寝た後も、ルークとジュードは話をしていたそうだ。帰りはハルは覚えていないがジュードのローブでハルを包んだ。
「すまない、荷物みたいにして」
「いえ、寧ろ、ありがとうございます」
そのままルークに大扉の外まで見送ってもらい、来た時同様に抱えて走って帰ったそうだ。ジュードは、吹き出した時のエールくらいしか酒は飲んでいなかったらしい。
「鍵はどうしたんですか?」
「はは!寝ぼけながらハルが開けたんだ」
「そ、そうですよね」
全く覚えていない。
ジュードに抱えられながら、なかなか鍵穴に鍵が入らず「あれぇ?」と言っているハルの姿を、笑いを堪えて見ていた事実は、今は言わなかった。
「深夜だったがロンドさんとロゼッタさんが気付いて起きて来て、手を貸してくれたんだ。ロゼッタさんに付いて来てもらって、ハルを部屋に運んだ。それで店の鍵を閉めて、猫になって寝た」
「本当に、申し訳ありません。お二人にもお礼を言わないといけませんね」
ハルは顔を手で覆って真っ赤になっていた。
「恥ずかしい‥‥‥」
ジュードはハルを微笑ましく見ていた。
食後の紅茶を飲みながら、ハルはシャワー室のことを話した。
「遠慮なくシャワーを使ってください。いつもそうしていたのではないですか?」
「ん、悪いかと思ったが、明日から使わせてもらう。いつも風で乾かしていたが、やっぱり今日はスッキリした」
「そうしてください。私が寝ていても、留守にしていても、この家は‥‥‥」
ふと、父を思い浮かべた。
「ハル?」
「‥‥‥いえ、好きに使ってくださいね」
「逆に気を遣わせたな、すまない」
父の部屋を、いつ片付けようか迷っていた。
「ジュード様、父の部屋を片付けるのを、手伝っていただけませんか?もう一年も経ったのに、簡単な掃除くらいしかしていなくて。あの、ご迷惑でなかったら」
「‥‥‥俺がしてもいいのか?」
ハルが頷いた。営業時間を変更した場合、午前中の十時から十二時に、ジュードに部屋に居てもらいたい。
「店に来るお客様は、午前中が殆どです。ジュード様も私も落ち着かないと思いますし」
「その間、二階にいて掃除と片付けか」
「もちろん、休憩しながらでいいですよ。ソファーがありますから、疲れていたら寝ていても構いませんし、気になる本があったら読んでいてもいいです」
なんとなく分類してもらい、後でハルが必要ないものは処分するか、売るか、誰かにあげるかしようと思った。本当に大事な物や高価な物であれば魔法鞄に入れていた気がするので、趣味で部屋に置いていた物ばかりだろう。
「ロンドさんにも見てもらおうかと思います」
「そのほうがいいな。もしかしたら、ハルや俺には何でもない物でも、彼らの思い出の物があるかもしれない」
「確かにそうです。どうするかは見せてから決めることにします。掃除と分類をお願いできますか?」
「任せろ。引き受けた」
午後は、十二時から一時間は昼食にして、一時から三時まで猫の書の修理をする。客があまり来ない時間なら集中できるし、もしも来たとしても先日の作戦がある。
「猫のままで大丈夫でしたら、しばらくキッチンに」
「人間に戻りたい場合は、ユーゴさんの部屋に、だな。その、どうしてもすぐにトイレに行きたい場合は、脱衣所でもいいか?ローブを脱げる場所が欲しい」
「そうですね、そうしましょう。‥‥‥それから、ここでまた合図の話になりますが」
ジュードが部屋か脱衣所に入り、合図があったらハルが猫の書を閉じる。
「隣の雑貨店に何か合図に使える良い物があるかもしれない。見に行こう。コーヒーも貰おう」
猫の鳴き声での合図は、絶対にしたくないらしい。
「では、開店前にまたお邪魔しに行きましょう。今日はまだ父の部屋の片付けはしなくていいですから、良かったら午前中は雑貨店に行ったり、お出かけをしてきても大丈夫ですよ」
ジュードは首を横に振った。しばらくは、ハルの近くにいると決めているらしい。昨日の宿の件で、誰がここに来るかもわからないからだ。
「あの、ジュード様、まだ話していなかったのですが」
ここには、見えているのに、ジュードが知らない不思議がある。
「見えていても、知らない?‥‥‥わからないな、どれだ?」
キョロキョロと店の方を見て探していた。あの円柱の置物のような魔法道具だろうと思っているようだ。
「この【ベネット古書店】です。この店は、悪意がある人は、入れません」
ジュードは口が開いたまま、固まっていた。
「‥‥‥‥‥‥は?」
読んでいただきありがとうございます。




