17冊目
「ハル、そろそろ昼食にしよう」
足元から声がして、ハッとした。
午前中に十頁分まで修理魔法が出来た。昼食にはベーグルではなくロゼッタのサンドイッチがある。コーヒーのお礼にベーグルを二人に渡したら、灰色と山吹色のマグカップそれぞれに入れてくれたコーヒーと、サンドイッチを頂いてしまった。
「もう、そんな時間ですか」
少し疲れていることが、今になってわかった。今日は午後も、少し修理したかったが、この分では魔力が足りない気がする。
「もしかして、魔力回復薬が必要か?」
「はい。午後に使ってもいいですか?」
「夜には出掛けるから、そのほうが良いかもしれないな」
昼食後に猫のジュードの側で修理魔法をして、一度猫の書を閉じて、人間に戻ったジュードの前で魔力回復薬を飲む。そのやり方にしないとジュードは許してくれない。
今日はロゼッタのサンドイッチがあるからいいが、午前中に疲れてしまうと昼食の準備が出来ない。少し減らして午後にも出来るようにしないと。始める前に、今日はここまでと大きく書いたメモを挟んでおくことにした。集中すると、どうも忘れてしまう。
「ジュード様、猫の書を閉じます」
「頼む」
猫のジュードはキッチンへ行った。その時、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
ジュードに聞こえるように言うと、猫の書を閉じるのをやめた。ジュードはキッチンの椅子に上り、待つことにしたようだ。
「こんにちは。あの、少し見せてもらえますか?」
山鳩色の髪の細身の青年だった。初めて来た客だった。白の襟付きシャツにループタイをして留め具は深緑色の石の装飾、黒のスラックスの身形の良い感じだ。
髪や瞳に緑の色が少しでもあれば、鑑定の魔力持ちかもしれないのだが、彼の髪色と深緑色の石の装飾もあるので、それで間違いなさそうだ。
「どうぞ、ごゆっくり」
ジュードは大丈夫だろうか。トイレとか。
こんな場合を想定して、どう行動するかを考えていなかった。
青年がハルを見ていることに気が付いた。
「私に何かご用でしたか?」
「あ、いえ、失礼」
青年は店内の古書を見始めた。少ししたら手に取るようになり、開いては閉じて棚に戻しては次の古書を出していた。
何かを探している感じではなく、様子を見に来た感じだった。あまり長居はしないようなので、少し安心した。
「あの、今日はこれで失礼します。またお邪魔しても?」
「もちろんです。定休日は水の曜日ですが、こちらの都合で休むことも時々ありますので、ご了承ください。またのご来店をお待ちしています」
「ありがとうございます」
少し嬉しそうにしていた。瞳も同じ山鳩色だった。
青年が帰ったのを、ジュードが窓から確かめて、急いでキッチンへ行き、ハルは猫の書を閉じた。
白銀の光の後、すぐにバサッとローブを脱いで走っていた。
「すまない、トイレ!」
やはり、行きたかったようだ。申し訳なく思った。
キッチンのテーブルに、山吹色のマグカップに入れたロンドのコーヒーと、ロゼッタのサンドイッチが並んだ。
これから、打ち合わせを兼ねた昼食だ。
「先程のように、急にお客様が来た時の行動を食べながら決めましょう」
「ん」
お互いサンドイッチを手に取って食べ始めた。
「美味しい」
「ん、美味い」
「‥‥‥まずは、猫のジュード様に『ジュード様』と呼べません。名前を考えましょう」
ハルが少し楽しそうなのが気になった。
「ご希望の呼び方はありますか?」
ジュードは少し考えてみたが、思いつかない。ただ言っておきたいことはあった。
「可愛い名前はやめてくれ」
「‥‥‥そう、ですか」
残念そうだが、先に言って良かったようだ。ジュードはホッとした。もう一つサンドイッチを手に取って食べ始めた。
「トラちゃん」
「うぐっ!‥‥‥待ってくれ、何故『ちゃん』なんだ」
「それもそうですね」
ハルもサンドイッチを手に取った。ジュードは決まるまでコーヒーは飲めないなと思った。また吹き出すわけにはいかない。
「トラ様」
「なんかエラそうだが、まだマシだな。因みに天銀の虎のトラか」
「そうです。わかり易くて、縞々で、ちょうど良い感じです」
「‥‥‥どの辺が?」
呼び名はそれに決まった。ジュードはやっとコーヒーを飲んだ。
それから、人間に戻りたくても戻れない場合だ。
「ジュード様、二階に父の部屋があるのですが」
「二階はユーゴさんとハルの部屋があるのか?」
「そうです」
猫のジュード、トラ様が二階に上がり、ユーゴの部屋にちゃんと入ったら合図して、ハルが猫の書を閉じるのはどうかと言った。
「合図は?」
「音がする物があればいいのですが。猫の声は出せませんか?」
「出ない出したくない無理」
「‥‥‥残念です。合図は、何か考えましょう」
ハルはコーヒーを飲んだ。
ユーゴの部屋を少し整理したい。いつまでもあのままには出来ない。古書店の定休日を増やしたほうが良いような気がした。あまりにも自由がなさすぎる。ユーゴは若い時一人で旅をしていたのだから、何日も休んでいたはずだ。
「定休日を増やそうかと思うのですが」
「ハルがそれを望んでいるのか?」
「そもそも、売上もない古書店が続くわけないのです」
「‥‥‥確かに。ハルは修理で生計を立てているのだな。そういえば、ベーグル屋で面白そうなこと言っていたな」
「コーヒーの交換券とか、コーヒーが飲める古書店のことですか?出来たらいいのに、くらいの話ですよ?」
「そうなのか?」
ジュードが窓テーブルでコーヒーを飲みながら本を読む姿が浮かんだ。ハルが望む古書店の未来に、最近ジュードの姿が出てくる。猫のジュードではなく。
「いつか出来るんじゃないか?」
「‥‥‥どう、でしょう」
ジュードとの、今の生活は、続かない。
昼食を終えて、食器を洗うとジュードが乾かす。当たり前になってきたこの生活に、慣れてはいけないとわかっていても、楽しくて。
「ジュード様、ありがとうございます」
「ハル、元気がないな、疲れたか?」
「いえ。今日はあと少し、頑張りたいです。四頁ほど進んだら魔力回復薬を飲みますので、お願いします」
「わかった」
ジュードは念の為、窓のカーテンを閉め、魔法鞄から魔力回復薬の瓶を出した。会計テーブルに置き、キッチンで再び猫になる。
ジュードはキッチンの椅子に上って座った。そこからハルの後ろ姿が見える。
「クッションを置きましょうか?」
「いや、このままでいい」
椅子に伏せる感じにしたら、ハルが微笑んで「では、始めますね」と言った。『今日はここまで』と書いたメモを挟んで、修理魔法を始めた。
ハルの姿勢が崩れ始めて、ジュードがハルの異変に気が付いた。椅子から下りながら叫ぶ。
「ハル!終わりだ!」
「‥‥‥閉じま、す」
ジュードが人間に戻り、ハルの側へ行く。倒れそうな身体を支えて、魔力回復薬の瓶を開けた。ハルの口元に運んで飲ませた。
こんなギリギリの状態の時に、先程のように客が来てしまったら。
ハルが定休日を増やすと言ったことに、賛成すべきだと思った。
「ハル、ハル」
「‥‥‥ジュードさま、ごめんなさ‥‥‥」
まだ回復していない。ジュードはハルを抱き上げて、二階ヘ運んだ。
「ハル、悪いが部屋に入るぞ」
扉を押し開けて、ベッドに寝かせた。近くのブランケットをかけてやった。
「ハル、店を閉めるにはどうしたらいい」
「内鍵を、すれば、大丈夫です」
少し回復してきたか、話が出来るようになった。
「ごめんなさい、ジュード様」
ハルの頭を撫でて、ジュードは一階へ戻り扉の鍵をかけた。隣の夫婦に言うべきか迷ったが、魔力さえ戻れば何も問題はない。邪魔なローブをやっと脱いだ。
あんなになるまで魔力を使うとは思わなかった。もっと早く止めていれば‥‥‥。
「はぁぁ、全く」
窓テーブルの丸椅子に座り、額に手を当てた。人間に戻れたから魔力回復薬を飲ませることが出来たが、出来なかったことを考えただけで、どうにかなりそうだった。
ジュードは階段を上って、ハルの部屋をノックした。
「ハル、どうだ?」
「もう大丈夫です!あの、どうぞ」
ジュードが扉を開けると、申し訳なさそうな顔で、すでに起き上がっていた。
「まだ、猫の書の魔力消費量を十分にわかっていませんでした。本当に申し訳ありません」
「入るぞ」
ジュードがハルの側に行き、顔色を見た。大丈夫そうで、ホッとすると、床に座り込んだ。
「頼むから、無理はしないでくれ‥‥‥寿命が縮んだ」
「それは、困ります」
誰のせいだと思ってるんだと、ジュードが溜息を吐いた。
「一日十頁までだ。それ以上するのは、反対だ」
「でも、それでは‥‥‥」
ジュードが先へ進めない。本を修理して、あの神殿へ再び行くために。
「修理する頁を増やすのは、魔力が増えたらでいい。今は、無理して焦ってはダメだ。俺がそれでいいと言ってる」
「‥‥‥はい」
ジュードを怒らせてしまった。
ハルは、情けなくて涙が出そうになるのを、なんとか堪えた。泣き虫だと、呆れられてしまうのは嫌だった。
「ハル」
「はい」
「ハル」
「はい」
「アイスクリーム、食べたい」
「‥‥‥‥‥‥はい?」
「コーヒー、飲みたい」
「‥‥‥ふ、ふふっ」
いつの間にか温かい瞳になっているジュードが、休憩をしようと誘っている。ハルは可笑しくて、笑ってしまった。
「ハル」
「はい。キッチンへ行きましょうか」
「そうしよう」
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