16冊目
ハルが洗面台で顔を洗い、髪を細いリボンで結び、生成りのエプロンをしてキッチンへ行くと、ジュードが網を用意して待っていた。何だか、ジュード用の大きいエプロンがあったらいいなと思ってしまった。
「朝食は残りのベーグル、ほうれん草&ベーコンとオニオン&チーズにしましょう。レタスとトマトと生ハム、卵はスクランブルエッグにしますね」
「ベーグルはどちらも焼いていいのか?」
「そうしましょう。横に切って、四等分にして、好みで挟んで食べましょうか」
ベーグルはジュードに任せて、ハルは小型食品収納庫から食材を出し、中皿を四枚用意した。スクランブルエッグと野菜と生ハムを一枚ずつの皿に用意して、焼いたベーグルをジュードがもう二枚の皿に乗せた。ハルには多いので、一つジュードの皿に入れた。
「食べよう」
「食べましょう」
ほぼ同時に言って、笑った。
この二つのベーグルは、それ自体に十分に旨味がある。また買っても良いかもしれない。
ジュードは、上下を違う組み合わせで食べることにした。
「上にほうれん草&ベーコン、下にオニオン&チーズ。中に挟むのはトマトとスクランブルエッグだ。ははは」
楽しそう‥‥‥。
起きた時のジュードの様子が変だったので心配したが、大丈夫そうだとハルは安心した。
あと二つのヨーグルト・オレンジ&ホワイトチョコレートは残しておいて、今日買うのは見合わせようと話した。
「ジュード様、ブレイク様にはどのベーグルがいいと思いますか?」
「そうだな、チーズに合うベーグル‥‥‥。オニオン&チーズとブルーベリー&チーズは確定じゃないか?」
「そうですね、もうチーズ入っちゃってますからね」
「プレーン・セサミ・ほうれん草&ベーコン、こんなところか?」
「良いと思います」
「俺たちが食べるのは、プレーン・セサミ・ほうれん草&ベーコン・オニオン&チーズ・チョコレート。一番はやはり何にでも合うプレーンか」
「私も、プレーンが最強かと」
食べ終えたらハルが食器を洗い、ジュードが乾かした。
「ベーグル屋の帰りに、雑貨店で‥‥‥」
「コーヒーを貰おう!夫婦にもベーグルを買っていくか」
「ふふ、いいですね!そうしましょう」
八時半を過ぎた頃に古書店の扉を開けると、雲間から少しだけ青空が見えた。
銀色の髪の天色の瞳も、こちらを見ていた。
「行こうか、ハル」
「はい」
商業ギルドの前を通り過ぎるところで、ハルが思い出したようにジュードに尋ねた。
「アイザックさんは、どうしてジュード様にあのような態度をとったのでしょう?」
「ん?ああ、あの男か。来た時からあんな感じだったから、あれが普通なのだと思っていた」
だが、ハルと一緒にいたことで、別の顔が見えた。
「ハルにはいつもあんな感じか?」
「あの方は週に一回くらいしかいないのですが、他の方にもあんな感じですよ。決まった角度で白い歯を見せて笑うのです」
ジュードが苦笑いをした。
「こちらも作り笑いになるので、顔が疲れます。いつものナットさんのほうが自然な笑顔で爽やかです」
「ああ、確かにもう一人の男は感じが良いな」
ベーグル屋が見えてくると開店前の列が出来ていた。やはり女性ばかりで、ハルたちは六番目くらいのようだ。開店してまだ一ヶ月ほどらしいが、固定客が出来ているのだろう。
「うちの古書店も何か考えた方がいいでしょうか」
修理がない日は、ただ客を待つ。古書や本を買う客は少ないし、父のように仕入れの旅に出ることはない。ハルはこれが一生続くとは思えなかった。
それでも、ジュードの仕事が終われば、またその生活に戻るのだ。
「窓テーブルで本を読みながらコーヒーが飲めるのは、居心地がいいな」
「コーヒーが飲める、古書店?」
「ん、いいな、それ」
考えているうちにベーグル屋が開店した。そういえば今更だが店の名前は?と、ベーグル交換券を見ると【ジュエルジェシカのベーグル屋】となっていた。
「交換券‥‥‥」
「ハル?」
考え事をしていたハルが呟いたので、ジュードがどうしたのかと聞いた。
「コーヒーの交換券‥‥‥」
「何だか面白そうな事を考えてるが、もうすぐ順番だ」
「あ、そうですね」
前にいるのは二人くらいになっていた。
「あの、もしかして【月長石】のジュード・グレンさんですか?」
後ろから女性の声がして、ハルとジュードが振り向いた。ハルたちより三人ほど後ろの若い女性二人だ。
ジュードの顔は驚くほど真顔になっている。
「きゃああ!」
「やっぱりそうだわ!あの良かったら私たちとお茶」
「ちょっと、やめなさいよ」
困惑していたら、ハルたちのすぐ後ろにいた飴色の髪のショートカットでパンツスタイルの若い女性が、二人に注意した。
「ベーグルを買いに来ているんだから、プライベートでしょ。隣りにいるお連れの女性が見えないの?」
女性二人は黙り込んでしまった。
強い。ジュードを見ると、固まっていた。本人が何も言えずに話が進んでいる。
ハルがジュードに小さい声で「ジュード様も、ほら」と言った。
「ん、そうだな。‥‥‥お嬢さんたち、静かにしなさい」
「違います、ジュード様」
「え」
「ここは、あちらの女性たちに『声をかけてくれてありがとう。今日はプライベートで、店には他のお客さんもいるから、悪いがここで失礼する』とか、こちらの女性には『俺が言わなければならないのに申し訳ない。お気遣い感謝する』とか言わないといけません」
「‥‥‥‥‥‥す、すまない」
シュンとしてしまったジュードと彼にダメ出しをするハルに、女性たちはポカンとしていた。
「ぷっ」
飴色の髪の女性が吹き出した。
「A級冒険者も恋人には弱いのね」
「「恋人ではない」です」
「あら、ごめんなさい」
「お次の方どうぞー」
いつの間にか順番が回ってきていた。
「ごめんなさい。おはようございます!」
「いらっしゃいませ。また来てくださって嬉しいです」
店員の女性は覚えてくれていたようだ。
「恋人じゃなくてご夫婦ですよね?」
「「夫婦でもない」です」
「あら、ごめんなさい」
店員にも今の話が聞こえていたようだ。
ジュードがルークに持っていく分を一個ずつ注文してボディバッグに入れ、ハルは交換券を渡してから、自分たちが食べる分とロス夫妻の分を注文した。会計はジュードが支払い、その間にハルはベーグルを魔法鞄に入れた。
「たくさん買ってくださってありがとうございます。次回にまたこちらをお使いください」
交換券を四枚も貰った。プレーン二枚とチョコレート二枚だった。ハルがまた感動していると、「ありがとう」とジュードが答えた。店員の女性は笑っていた。
後ろの飴色の髪の女性が手を振っていたので、ハルも照れながら振り返してベーグル屋を後にした。
「とても勇気のある女性で素敵な方でしたね」
「ああ、本当に‥‥‥俺は情けないな。あの女性はうちのギルドの冒険者だな。魔法鞄に【月長石】のピンバッジが付いていた」
「女性の冒険者ですか?格好良いです!」
「‥‥‥」
それにしても、ジュードは理髪店の件から女性が苦手なようだ。初めて会った時も冷たい印象だった。
「ハルのほうが対応が大人だな」
「小さい頃から接客しているので、ジュード様より少しだけ対応できるだけです。私にも苦手なことはたくさんありますよ」
ショートカットの冒険者の女性が手を振ってくれた。
「私は、同年代の同性の知り合いが少ないので、先程の冒険者の女性に手を振り返すのに、とてもドキドキしました」
「そうか」
ずっと古書店にいたハル。話し相手は隣りの夫婦と商業ギルドの人たち。
「ハル、また彼女に会えるといいな」
「はい」
古書店の隣りの【ロンド&ロゼッタの店】の扉をノックして「コーヒーください」と言うと、夫婦は開店前でも笑って迎えてくれた。
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