15冊目
午後は結局、来店する客は一人もなかった。ティータイムの後は、ハルは魔力を使わないように会計テーブルやカウンター付近の整理をした。
ジュードは店内の本を見て歩いたりしていたので、出掛けてもいいですよ?と声をかけると、雑貨店へ行った。
三十分ほどで帰って来ると、新しく入荷したマグカップ二つを買っていて、しっかりコーヒーを入れてもらっていた。
「ハルの瞳の色に似たマグカップが二つあった」
隣の夫婦は、そのつもりで仕入れたのではないだろうか。あちらもしっかりしている。
「いただきましょうか」
片付けをやめて手を洗い、窓テーブルでジュードとコーヒーを飲んだ。
今日は隣も客が来ないようで、他にどんな話をしたのか聞いたら、ハルとジュードがどう過ごしているのか、いろいろと聞かれたようだった。最後に「頑張れ」と言われたそうだ。
「温度湿度管理の魔法道具のことでしょうか?」
「猫として頑張れってことか」
夕食は、チーズ。
‥‥‥だけではアレなので。
「スパゲッティにしましょう」
ハルは、深めの鍋で湯を沸かした。フライパンでガーリックオリーブオイルを入れてベーコンを炒めた。
塩を少し入れてスパゲッティを茹でている間に、フライパンにミルクと青カビチーズを加えて、茹であがったスパゲッティを入れて絡ませて、ブラックペッパーで仕上げた。味はベーコンとチーズの塩味で十分だった。今度は玉ねぎを買っておこうと思った。
ジュードが、小型食品収納庫のトマト・レタス・生ハムでサラダを作り、チーズも盛り合わせた。
「ルークが好みそうな、チーズ料理になったな」
「ふふ、食べましょうか。お酒はないのですが」
「ハルは飲むのか?」
「飲んでもエールは少しで、あとは果実酒なら」
「俺もそんなに強くない。飲みやすい果実酒を探してみよう」
「そうですね」
今日のところは、水出しのお茶にした。
「んん、美味い。青カビチーズは濃厚でピリッとして特に好んでは食べなかったが、これならいけるな」
「食べやすくなりましたね」
白カビチーズも、あまり食べる機会がなかったが、こうしてサラダと合わせてもいい。ふと、温めたらどうなるのだろうと思った時、バゲットが頭に浮かんだ。
「ジュード様。バゲットに、白カビチーズを乗せて焼いて温めたら‥‥‥」
「‥‥‥バゲット」
白カビチーズを残し、青カビチーズのクリームスパゲッティを食べ終えたら、食品収納庫からスライスしたバゲットを出した。
ジュードは網を出して、魔石式コンロに乗せて待っている。本当に仕事が速い。
バゲットを更に半分に切った。片面焦げないように温めたら裏返し、白カビチーズを乗せた。白カビの中のチーズがトロっとしたらすぐに皿に乗せて、ブラックペッパーをかけて食べた。
「思ってたよりも、トロトロですね。少しクセはありますが大丈夫ですか?」
「そうだな、クセがあるがこのトロトロはいいな。クセはあるが‥‥‥」
味をどうにかしたいらしい。次に温めたトマトソースも付けてみた。随分と食べやすくなったが、甘みが欲しくなった。
「蜂蜜?」
「チーズに蜂蜜です」
結構お腹はいっぱいだが、食べてみたい。
「ジュード様はパンを焼いて温めるのがお上手ですね。お腹がいっぱいなのに、また食べたくなります」
「はは、そうか」
白カビチーズがトロっとしたら蜂蜜をかけた。
「美味い」
「美味しいですね」
ジュードは他に生ハムを乗せたり、また蜂蜜にしたりして食べ比べていた。
ハルはもう十分だったので、食べ終わった食器を洗い始めた。ジュードが最後に風魔法で乾かしてくれた。
明日は、ベーグル屋の開店時間が午前九時なので、その時間に着くように買い物に出掛けることにした。古書店の開店まで間に合うのが嬉しいところだ。
「では、ベーグル決定戦は朝に変更だな。ん、プレーンの交換券が二枚あったな」
「そうですね。ブレイク様の分と、今まで食べた好みのベーグルを追加して買いましょうか」
「今度は俺に支払わせてくれ」
昨日と同じように、ジュード、ハルの順にシャワーを使った。トイレや洗面台も、お互い遠慮なく自由に使うようになった。
ジュードに髪を風で乾かしてもらうのは、まだ慣れそうにない。大きな手がハルの髪に触れるか触れないかのところにある。
お礼を言った後に、風魔法と滅菌洗浄魔法を合わせてみたいと話した。
「なるほど、シャワー室やキッチンを‥‥‥」
ハルが使った後のシャワー室は滅菌洗浄は済んでいるが、乾いていないので試してみることにした。ジュードがシャワー室内に風を循環させながら、ハルが滅菌洗浄魔法をかける。
「「‥‥‥すごい」」
ピカピカになった。想像以上だ。だが、キッチンは軽くて飛びそうなものが多いので、無理だと気付いた。普段ではなく、しっかり片付けて大掃除をする時だけなら、良いかもしれない。
「とりあえず、シャワー室には有効だとがわかりましたね。ありがとうございます」
「役に立てそうで良かった。ハルの滅菌洗浄魔法があってこそだがな」
昨夜は会計テーブルで寝ても寒くなかったようなので、これからもここで寝ることに決まった。準備を済ませて、猫の書を開く。
白銀の光から現れたシルバータビーの猫は、今日は少し緊張しているようだ。天色の瞳に、話しかける。
「気ままに遊んでいただければ大丈夫ですから」
「それが難しいのだが」
大人になってから、気ままに遊んだことなどない。
ハルは本棚の上から、木目調の円柱の魔法道具を手に取った。窓テーブルの席に座り、横にして両手で挟むように持った。
「こうして魔力を入れるのです」
温度湿度管理の魔法道具。やわらかく光るのを、ジュードはハルの前に座って見ていた。本棚の上に円柱を戻して、店内の灯りと最後にハルの手元灯を消す。
「おお!」
小さい光の粒が少しずつ店内に浮遊した。ジュードが本棚に上った。床から一気に本棚の上に跳んだので、猫だとしても跳躍力の凄さに驚いた。さすがA級の猫だと思った。
「子供の頃から、この光景が好きだったんです。お店に妖精がいるのだと思っていました」
「この魔法道具に名前は付けないのか?」
「そうですね、考えます」
店内の環境が安定すると消えてしまう。
「なるほど、何だかワクワクする気がするな」
ジュードのしっぽがポンポンと動いている。猫っぽい仕草に、ハルはドキドキして見ていた。
「‥‥‥」
ワクワクすると言ったが、これからどうしたらいいのだろう?
うぅ、ハルに見られている。
すっごく見られている。
ハルの視線が、その辺の魔物より怖く感じるのは何故だ。
どう動けば、喜んでもらえるのだろうか。
「まぁ、ジュード様」
ジュードは、後ろ足だけで立っていた。立って、固まっていた。どうしたら良いかわからないまま、立ち続けた。
「‥‥‥」
小さな光の粒たちを従え、勇敢に立つ耳折れ猫の姿。
「まるで、光の勇者のよう‥‥‥」
『光の勇者』と聞いて閃いたジュードは、右前足を挙げるポーズをした。剣を持っているつもり、かもしれない。首の濃紺のスカーフが、マントに見えなくもない。
これはこれで、良いものを見せてもらったとハルは感動した。光の粒が、消えていく。
真っ暗になり、ハルが手元灯をつけた。
「お疲れ様でした。ありがとうございます」
「あ、ああ」
「ふふっ、もう座って大丈夫ですよ?」
「‥‥‥そうだな」
立ったままのジュードがゆっくり前足を下ろし、本棚から下りて、会計テーブルの上のクッションに座った。
「おやすみなさい、ジュード様」
「おやすみ、ハル」
ハルが軽やかに階段を上って行った。
「これで、良かったの、か?」
ジュードの中で、何かを失ったような、虚しさが残った。
「ジュード様?おはようございます」
翌朝、ジュードは人間の姿に戻り、いつもの紺色の上下の服で窓テーブルで本を読んでいた。
カーテンを開けている。外は曇り空のようだ。
「おはよう、ハル」
「【勇者ディラン・ランディの冒険 上】を読んでいるのですか?」
どうやら、早起きして先日の続きを読んでいたようだ。遠い目をしたジュードが、フッと笑った。
「勇者とは、何だろうと‥‥‥そう思ってな」
「‥‥‥」
そんなテーマの本だっただろうか。
読んでいただきありがとうございます。




