12冊目
「‥‥‥ん」
声? 賑やかな声が聞こえる。
「ロゼッタさん?」
「あっはっは!怒られた?ハルちゃんに?」
「ロゼッタさん、もう少し静かに、ハルが」
「だって!アイザックくんと睨み合ってただけでしょ?『喧嘩はご近所迷惑になりますよ』って、もう猫扱い!」
「天銀の猫だしな!」
「ぷーっ」
「ロンドさん‥‥‥」
「「あはははは!」」
「ロンドさんと、ロゼッタさんだわ」
そうだ、私は父の手紙を読んで。ロンドさんとロゼッタさんが来てくれた。それから‥‥‥。
扉の外、ロンドさんの後ろに見えた銀髪。
「ジュード様が、呼んでくれたのね」
「とにかく、猫としてまず彼女を癒やしてあげるのよ」
「それが一番喜ぶな」
この夫婦は遠慮がなくなるとこうなるのか‥‥‥。
「ねぇ、ジュードくんって呼んでいい?いいわよね?」
「あぁ、も」
「だよな、こっちは十歳も年上だからな」
「もちろんだ‥‥‥」
エールなしの夕食のはずなのに、酔っ払いに絡まれた気分だった。
「あの‥‥‥皆さん」
ハルが右の階段から下りてきて顔を出した。青茶色の髪を下ろしている。
「ご心配をおかけしました」
「ハルちゃん、スッキリしたみたいで良かったわ」
窓テーブルに食べ終えた皿が何枚か重なっていた。布が掛けられた皿もある。
重ねた皿とマグカップをトレイに乗せてロンドが立ち上がる。
「ハルちゃん、これサンドイッチよ。食べてちょうだいね」
「大丈夫そうだから、俺たちはこれで帰る」
「あ、あぁ」
「ありがとうございました。おやすみなさい」
「「おやすみ」」
扉が閉まり、古書店は静かになった。
「ハル、本当にもう大丈夫か?」
「ジュード様、ごめんなさい。大丈夫です」
ジュードがボディバッグからマグカップを出した。ロゼッタが温かいお茶を用意してくれたらしい。ハルは、丸椅子に座り、皿に掛けてあった布を取った。
「ロゼッタさんのサンドイッチ、美味しかったでしょう?」
「ああ、トマト・チーズ・ハムそれに卵、素朴で優しい味だな」
「私には、もうひとりの母の味なんです‥‥‥んん、美味しい」
あれだけ泣いて眠って食欲はあるようで、次々に食べられた。ジュードはすでに二皿分は食べたようだ。
「ハル、寝る時は猫になるから、ここに居ていいか?」
「はい、こちらこそ、どうか居てください。宜しくお願いします」
「‥‥‥明日の朝、ギルドに行く。ハルは、客が来るんだな?王立図書館の」
「はい。いつも本や古書をこのテーブル席で見て、時々買ってくださいます」
ハルは立ち上がって食器を洗いにキッチンへ行った。その後、クタクタの草色のクッションを用意したが、どこに置くべきか悩んだ。
窓テーブルより、会計テーブルにジュード様の魔法書(仮)を開いて置いて、ここに寝てもらうのがいいかもしれない。‥‥‥寒くないかしら。
「本当は抱っこして眠りた」
「ハル、猫は俺だと忘れないでほしい」
「‥‥‥そうでした」
ブランケットも近くに置いておく。
「ここで良いでしょうか?」
「構わない。寒かったら自分で何とかする」
「魔法書(仮)はここに置いてください。トイレに行きたくなったら、構いませんから魔法書(仮)を閉じてくださいね」
「そうか、すまない。‥‥‥ところで、魔法書(仮)は言いにくいな」
「どう呼べばいいでしょう?」
「呪いの本‥‥‥」
「嫌です」
タイトルは【銀色猫と氷姫】という物語だ。
「‥‥‥では、ハルが好きそうな、猫の書でどうだ?」
「賛成です、大賛成です」
落ち着いたので、ジュードから先にシャワーを使うことにした。着替えなど全て魔法鞄であるボディバッグに入っていた。
「ハル、シャワーありがとう」
ジュードは紺色のタクティカルシャツとパンツのいつもの姿だった。猫から戻るとこれに濃紺のローブを着た状態になるので、ここでは夜着を着る必要がなかった。
髪はしっかり乾いているようだ。
「髪は風魔法で?」
「ああ、いつもそうしている」
「いいですね」
「ハルも、後で」
「ありがとうございます」
ハルは続いてシャワー室に行った。石鹸の場所など教えなかったが、なんとかなったようだ。もしかしたら、自分用に持っていたかもしれない。最後に、シャワー室に滅菌洗浄魔法をかけた。夜着は、ジュードもいるのでだらしなくならないように、踝まである白のシンプルなワンピースに紺・茶の格子柄の大きいストールを羽織った。
店の丸椅子に座っていたジュードの隣に座り、髪を乾かしてもらうことになった。その時になって擽ったいような恥ずかしさに気がついた。
「ごめんなさい、ジュード様」
「いや、別に、問題ない」
ジュードの方も、今更気がついたようだった。
青茶色の真っ直ぐな髪は、サラリと風魔法であっという間に乾いた。ハルは感動して、すぐに恥ずかしさを忘れた。
「ロゼッタさんに髪を切ってもらおうかと思う」
「素敵な銀髪だから、何だか勿体ない気もしますね」
「切りに行くのが面倒だと言っていたが、実は人に頼むのが怖くてな」
ジュードほどの冒険者にも怖いことがあるのかと、ハルは目を丸くした。刃物を持って後ろに立たれるのが嫌なのだろうか。確かに、よく考えると信用していないと怖いかもしれないと思ってしまった。
「以前、切った髪が人に渡ったことがあった」
「え?」
「俺が店に入ったところを見た女性に、切った俺の髪を店主がその女性に頼まれて渡してしまったんだ」
それは怖い。一体どうするつもりで手に入れたのだろう。
「何をされるか、しばらく不安だった。魔術などで髪を使われてはたまらないから、ルーク‥‥‥ギルマスに相談した」
「そ、それで?」
両手を握りしめて見上げてくるハルが可愛らしくて、ジュードはちょっと笑ってしまった。
「ルークは黒魔術師を連れてきて、受けた魔術を跳ね返すようにしてもらった。後日、数人の女性が一週間ほど昏睡状態になったと聞いた」
思っていた以上に凄い内容だった。
「理髪店の店主はどうなったのですか?」
「俺と同じ冒険者や男性客から信用をなくしてしまったからな。しばらく営業していたらしいが、あれからどうなったかは知らない」
「ロゼッタさんは‥‥‥」
「信用している。だから頼もうと思った」
自分の事のようにとても嬉しくなった。
そろそろ寝ようかと、歯を磨いたりトイレを済ませたり、二人とも一人で居る時間が長く、誰かが近くにいるのが久しぶりで、何をするにしてもお互い譲り合っていた。
「猫の書を開きますね」
「頼む」
白銀の光は、橙色の魔石式ランタンの灯りしかない古書店に慣れたハルには眩しく、目を閉じた。
シルバータビーの猫が、会計テーブルに上り、草色のクッションにくるりと丸くなった。
「ジュード様、後日あの温度湿度管理の魔法道具に魔力を入れるのですが」
中央の本棚の上の円柱の置物を指した。
「ああ、ロンドさんが言っていたな。ハルは小さい頃から光の粒が好きだったと」
ハルが眠っている間に話をしたようだった。光の粒は幻想的で、大人になった今でも大好きだ。
「ぜひ、ジュード様と光の粒を一緒に、その‥‥‥」
「‥‥‥猫の姿で?」
「夢なんです!猫ちゃんが光の粒で遊ぶのを見るのが」
隣の夫妻が、言ったことを思い出した。
『とにかく、猫としてまず彼女を癒やしてあげるのよ』
『それが一番喜ぶな』
これか。このことか。遊べと言うのか。光の粒と。
「ふっ、任せてくれ、ハル。必ず遣り遂げてみせよう」
キリッとした顔の猫に、ハルは、またジュードの可愛らしいところを見つけたと微笑んだ。
「ありがとうございます。楽しみです!‥‥‥では、おやすみなさい、ジュード様」
「おやすみ、ハル」
魔石式ランタンを消し、手元灯を持ってハルは二階へ上った。
たった今、暗くなった古書店でこちらを見たジュードの瞳は、キラキラとした夜空の星のように美しいと、そう思いながら眠りについた。
読んでいただきありがとうございます。




