1冊目
ゆっくりペースの投稿予定です。
どうぞよろしくお願いします。
一年前に死んだ父が残した古書店をどうするべきか悩んでいた。
本や古書の修理魔法を十三歳の頃からやっていたので、五年間毎日少しずつ修理していたら、店にあるものは全て終わってしまった。
本や古書は、父が仕入れをしていたので、売りに来る客から買い取りをしない限り、一年前から増えていない。
父の趣味で集められた古書を求めに店に来る客は、数少ない。
ただ待っているだけでは食べていけないので、商業ギルドに行って修理の依頼があれば受けるようにしている。固定客で何とかなっている状態だ。
もうそろそろ年会費をギルドに払いに行かなくてはならない。
「今日もお客様来なさそうだし、お店を閉めて行こうかな」
古書店は日が当たらないようにしているので、外から見れば開いてるのかわからない暗さだ。一日店にいると、久々の太陽が身体にも目にもキツイ。
いつもの丸襟のゆったりした白いブラウスに白のリボンタイ、紺色のワイドパンツを、乱れがないか姿見鏡で確認した。
青茶の真っ直ぐな髪をひとつに結んだハルは、山吹色の瞳を細めて【ベネット古書店】の外へ出た。
「ハルちゃん、もう閉めるの?」
扉の鍵をかけていたら、右隣りの雑貨店のロゼッタに声をかけられた。落葉色の髪と瞳の、落ち着いた三十代半ばの女性だ。彼女と同い年の夫・ロンドが店主の【ロンド&ロゼッタの店】には、子供の頃からお世話になっている。
「商業ギルドに行ってきます。年会費を払わなくちゃ」
苦笑いで言うと、もうそんな時期なのねと言った。
彼女に商業ギルドまで付き添ってもらい、父から自分に店の名義変更して、年会費を払ったのが一年ほど前だ。父が払っていた分は少し戻ってきたが、年会費の金貨三枚と、最初だけ必要なギルドカード発行料と登録料合わせて金貨一枚を支払った。これからやっていけるか不安になったものだ。
考え事をしていたらちゃんと鍵をかけたか忘れたので、もう一度確認をしてから店を離れた。
「こんにちは」
商業ギルド入口の警備の青年ナットに挨拶をして、窓口が三つある受付の列の一つに並んだ。いつも担当してくれている同年代女性のシアの受付口だ。
どうも今日は、奥のロビーの方が何やら騒がしいようだ。
「こんにちは、ハルさん!お待ちしてましたよ」
「え、年会費を?」
過ぎてしまったはずがないのだが、不安になった。
「もう、違いますよ。修理の依頼が入ってるんです」
「本当ですか!助かります」
一先ず年会費の金貨三枚を支払い、依頼内容を聞いた。
いまロビーに依頼人がちょうど来ているそうだ。
「なんだか賑やかそうですが‥‥‥」
「賑やかというか、ちょっと煩いですが、すみません」
シアが謝って、受付を他の女性と交代してロビーへ案内してくれた。
商談が上手くいってない客同士のトラブルかな?
ロビー奥のソファーで肥満気味の派手な服の商人と、濃紺のローブを着た銀髪の男性が睨み合っていた。
「あらぁ、どうしましょう。あの銀髪の男性が依頼人です」
シアが困った顔で私を見た。私も困った。これが終わるまで待っていたほうがいいのだろうか?
ふと、銀髪の男性の手元を見た。
「あら?」
紐で纏められた、背や小口が見るからにボロボロの状態の本を持っている。
「説明不足もいいところだ!無事に終わらなかった!最後まで責任取ってくれ!」
「意味がわからない。あなたが勝手に失敗したんじゃないかね?」
「呪いがあるなんて聞いてない!契約違反だ!」
ザワッと周りの人間たちが反応した。呪いという言葉で彼らの周りから人が離れると、今度は静まり返った。
「お客様方」
シアが堪らず間に入った。これ以上はギルドとしても迷惑だ。
「これ以上騒ぎになるようでしたらお引取り願いますよ。ギルドマスターを呼びましょうか?」
「い、いや、もう失礼する!わかった、金貨百枚出す。呪いは、自分で何とかしてくれ。その本は、もういい!」
革袋を銀髪の男性に押し付け、商人と従者らしき三人がロビーを離れた。あまり目立つと今後の商売に関わるからだろうが、酷いものだ。
銀髪の男性は呆然としているようだった。
それから、ゆっくり歩きだし、ギルドを出ようとしていた。
「あの、ハルさん、依頼受けるのやめますか?」
呪いという言葉が出たことで、心配そうにシアが聞いてきたが、ハルは本の状態が気になっていた。
「いえ、ちょっとお話ししてきます。依頼も、お受けします」
「そうですか‥‥‥わかりました。ハルさん、どうかお気をつけて。依頼の完了を願っています」
ハルは銀髪の男性の後を追った。
「あの、待ってください!」
「‥‥‥」
ギルドの入口を出てすぐの階段手前にいるのを見つけて、ハルは声をかけた。
男性はゆっくりと振り向く。
しまった。この人の、依頼人の名前を聞いていない。
「何か?お嬢さん」
無表情で冷たい声だ。怖い。でも、今は本が気になる!
「私は、ご依頼を受けました、【ベネット古書店】のハル・ベネットです」
「‥‥‥」
沈黙が返ってきた。どうしたものかとオロオロしていると、少しずつ天色の瞳が大きく開かれた。
「す、すまない。ベネットさん、その、酷い態度を」
「いえ、いいえ!」
「俺は、依頼人のジュ‥‥‥」
こちらへ来ようとして、本が落ちそうになり、慌てた男性の身体がぐらりと後ろへ傾いて、落ちた。
「あっ!」
ハルは走り出した。
何てこと、こんなところで話しかけたからだわ!
階段に駆け寄ると、本は階段の踊り場までバラバラになってしまっていた。
「‥‥‥え?」
男性が、いない?
「どうしましたか!」
警備のナットが、ハルの声を聞いて駆けつけた。人が落ちたかもしれないと言ったが、目の前にあるのは散乱したボロボロの本だけ。説明がつかず、見間違いだったようだとナットに言い、仕事に戻ってもらった。
確実に落ちたのに、消えてしまった。
散らばった本を拾いながら階段を下り、混乱していると、先程の呪いの話を思い出した。
まさか、呪いで消えた?
集めた本を抱えて、階段に座り込む。
どうしよう。
「シアさんに、あの男性のお名前を聞こう」
「ジュード・グレンだ」
「っひゃあ!」
すぐ後ろで声がして、せっかく拾った本を危うく落とすところだった。
「びっくりし‥‥‥」
「すまない、驚かせた」
振り返ると、折れ耳になっている天色の瞳のシルバータビーの猫がちょこんと座っていた。
「まあ、可愛い猫ちゃん」
「すまない」
「は」
「また驚かせてしまった」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「猫が、喋ったわ」
「うん、すまない」
私は今、猫ちゃんを抱っこしている。
「ベネットさんは、順応力が高いな」
猫ちゃんに褒められている。
「抱き方はこれで大丈夫ですか?グレン様」
「いや、歩けるんだが‥‥‥」
「このほうがお話ししやすいです」
「そうだな、すまない。もう少し、その、尻のほうを支えてもらえると‥‥‥」
「‥‥‥こうですか?」
「うん、いい感じだ!」
可愛い。ああ、温かいわ。猫ちゃんを抱っこするのが夢だった!
ハルは、子供の頃から猫を飼いたかったが、父が猫アレルギーだったので無理だった。
本は肩掛けのバッグにギリギリ収まった。
そういえば、父の魔法鞄があった。すっかり忘れていた。中に何か入ったままだろうし、ギルドに行って整理してもらってから、自分の登録をしてもいいかもしれない。
「隣に雑貨店があります。そこのご夫婦は私の親代わりみたいな人たちで、信頼できます。会ってみて、良かったらお話してみませんか?」
ジュードは、少し考えているようだった。
「人に話してはいけない呪いではないのですよね?私が大丈夫でしたから。私には家族がいないので、他に相談できないのです」
「そうだが、あまり他人を巻き込むのは‥‥‥いや、もうあなたを巻き込んでいるな。そうだな。誰かの協力は必要だ。その夫婦に会ってから決めていいだろうか」
「勿論です。あ、ほら、あの店がうちの古書店で、その向こうが雑貨店ですよ」
【ベネット古書店】と【ロンド&ロゼッタの店】の木製の吊り看板が並んでいる。両方ともロンドが作ったものだ。店名と一緒に、本やコーヒーカップの焼絵が描いてある。ロンドはコーヒーを入れるのが趣味で、店内で飲むスペースがある。
お客さんがいるようなら後にしようと、窓から雑貨店を覗くと、ロゼッタが出てきた。
「お帰りなさい!随分‥‥‥」
時間がかかったのね、と言おうとして、腕に抱いている猫に気がついた。
「キレイな猫ちゃんね。どうしたの?」
「ちょっと事情があって、相談したいんです‥‥‥」
「そう。いま誰もいないわよ?ハルちゃんお昼は食べたの?」
「まだです」
「入って」
カランと扉のベルが鳴って、店内にお邪魔した。
「ハルちゃん、いらっしゃい」
赤褐色の髪と瞳の大柄な店主は、妻とお揃いの焦茶色のエプロンをつけているので、温かい印象だ。体つきを見て、元騎士か冒険者なのでは?とジュードは思った。
「こんにちは、ロンドさん。ちょっとお邪魔します。この猫ちゃん、暴れないのでいいですか?」
「ロンド、ちょっと猫ちゃんに事情があるみたいなのよ」
「‥‥‥」
女性たちに猫ちゃんと言われることを、ジュードは微妙な気持ちで聞いていた。
「ああ、コーヒーを入れよう。丁度いいから、お客さんが来るまでみんなで昼食にしようか」
「ありがとうございます!」
「‥‥‥」
店の奥に四人くらいが座れるソファー席がある。ハルは、滅菌洗浄魔法を自分とジュードにして、ソファーに座った。なかなか魔法の使い方が丁寧で上手いなとジュードは感心した。
おとなしく座る猫に、「いい子だな」とロンドが褒めた。ジュードのメンタルは削られるばかりだ。
ロンドが麻ドリップでコーヒーを入れてる間に、ロゼッタがベーグルサンドを運んできた。
「ベーグルの美味しいお店が出来たのよ。商業ギルドの少し先よ。さっき教えてあげればよかったわね」
「また近いうちに行くので、今度寄ってみます」
「遠慮しないで食べてね」
ロゼッタが向かいに座り、コーヒーを運んできたロンドがその横に座った。
「んん、いい香りですね」
ジュードが鼻をヒクヒクさせると、ミルクが前に置かれた。折れ耳が更にペタンとなった。気の毒に思ったハルは話を切り出した。
「あの、この猫ちゃんは、グレン様と言います」
猫に様をつけるハルに、夫婦はキョトンとした。猫は首に濃紺のスカーフをして留め具に半透明な魔石加工のピンバッジがついている。育ちの良いの猫のように見えた。
ハルはジュードに「どうしますか?」と聞いた。ジュードは夫婦の目をじっと見て、頷いた。
「あの、あまり驚かないでくださいね。この猫ちゃんは、ジュード・グレン様という私のお客様で、本当は人間なのです」
「「は?」」
同じ反応に、夫婦って似てくるのかな?と思ったハルだったが、話を続けた。
「呪いにかかって猫になってしまったのです」
「ハルちゃん」
「父親が変な本ばかり集めるから」
残念な顔をされてしまい、死んだ父にも飛び火した。あちこち旅して本を集めていた日頃の行いかと、まあ仕方ないな、とハルは思った。
「いや、彼女が言ってることは本当だ」
店内が静かになった。天井扇が回る音だけが聞こえる。
「俺は、冒険者のジュード・グレンという者だ。よろしく頼む」
「まあ!グレン様は冒険者だったのですね」
「ああ、言ってなかったか!実は」
「「待て待て待て!待ってー!」」
夫婦が叫んだ。
「「猫が喋ったああぁぁあ!」」
「ベネットさん、これが普通の反応だ」
「なるほど」
読んでいただきありがとうございます。
「林檎のロロさん」も連載中です。ご興味ありましたら、こちらもよろしくお願いします。
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