三話
________ゴブリン。異世界定番のモンスター。子供の様な背丈に悪魔と猿を足して割ったような顔。そして緑色の肌。お世辞にも高いとは言えない戦闘力からゲームでは雑魚モンスターにされがちな存在。
作品によっては子供ですら倒せると言われるスライムとどっこいどっこいと言われる存在。……けれど、いざその存在が目の前に現れてしまえば『雑魚』等と片付けることは出来ない。
_______血に濡れた棍棒が。
_______得体のしれない生態が。
_______襲われれば自らには為す術が無いのが。
ただひたすらに______怖い。
身体が震える。息の仕方を忘れる。
頭の中に『逃走』の二文字が浮かぶ。当たり前だ、武器も覚悟も、何もかもが足りない自分が勝てる相手では無いのだから。みっともなくとも、無様でも、生き残る事こそが重要なのだ。
………逸る心臓を抑え、ゆっくりゆっくり、川辺から後ずさる。
そして______走る。
体裁など気にせずに、ただひたすらに走る。自らの付けた印を辿り、あの大樹に向かって走る。茂みや石、木の根に何度も足を取られ、転びかけた。木の枝が服に引っかかり、擦り傷ができる。
しかし、そんなものはどうでもよかった。今は何よりもあの化け物から逃げる事こそが最優先だったからだ。傷は治る。放っておけば、治る。しかし、死んでしまえば命は二度と戻らない。ゲームと違ってセーブアンドロードなど存在しないのだから。
「______グッ!?」
逃げていると不意に足に激痛が走り、転ぶ。勢いよく転んだため、土が口の中に入った。
「なっ、何______がぁッ!?」
続いて腹に衝撃が走る。あまりの痛みに地を転がり、近くにあった木にぶつかる。
『ギィギィギィ!ギィギャギャギャギャ!』
その耳障りな声に顔を上げると、俺を馬鹿にする様にゴブリンが鳴き声を上げる。先程、群れの中には弓を持ったゴブリンなどいなかった。どうやらまだ仲間がいた様だ。
『ギィ!ギィ!ギィ!』
ゴブリンがそう叫ぶと遠くからゴブリンの声が聞こえてきた。どうやら、仲間を呼んだようだ。
「はっ、ははっ……」
乾いた笑いが出る。自分の無力さに落胆する。自分の浅慮さに呆れる。何も出来ない自分が悔しくて、悔しくて、涙が出た。
………何故、自分如き平凡な人間がこの世界で生き抜けると思ったのだろうか?俺は物語の主人公でも、主人公の前に立ち塞がる敵役ですらない。モブと言う言葉すら勿体無い程の無力で非力な一般人だ。
昔からそうだ。無力で平凡な自分を許容し、何をやっても無駄だと諦めてきた。
どうせ俺は平凡なのだから。
非凡な物語の登場人物では無いのだから。
努力が努力相応に報われることなどなく、平凡が非凡になる事など不可能だと分かっていたから、身の程を弁えて過ごしてきた筈だった。
「________そうだよ、弁えて、たんだよ」
必要以上を欲したことなんてない。ただいつも通りの日常を願って暮らしていただけだ。
いつも通り学校に行って。
いつも通り友達と笑って。
いつも通りゲームをして。
いつも通り家族と食卓を囲んで。
そんな日常を望んでいた。欲していた。それ以上を望まず弁えて、弁えて、弁えて、弁えて、弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて弁えて。
___________今の状況が出来上がった。
「_________っざけ…な」
『ギィ?』
「______ふざけんなって、言ってんだよ!」
_________自分の結末に対する怒りが湧き上がる。こんな結末など認められないと咆哮する。こんな、何も分からず命を終えることなど許容しない。
やりたい事がある。やるべき事がある。やらなきゃいけない事がある。
悔いの無い人生を送るなんて、きっと無理だ。人には寿命があるのに対して、人の願いは無限に湧き出てくる。尽きることなどない。
______だけど、悔いしか残っていない人生など誰が許容出来ようか。何もわからず、何も知らされず、何も出来ず、命を奪われる事など到底許容出来ない。
異世界が何だ。化け物がなんだ。平凡だからなんだ。
_________それらは全て命を諦める理由にはならない。到底、自らの命の価値には届かない。
矢が刺さっているから足が動かない?
武器がないから勝てっこない?
どうせ勝てないからやる意味が無い?
_________笑止千万。
『ギィッ!?』
警戒して弓を構えようとしたゴブリンに素早く肉薄し、首を掴む。そのまま地面に押し倒し、上に馬乗りになる。
「________死ね」
『_______ギャッ!?』
近くにあった拳大の石を何度も何度も何度も振り下ろす。骨を砕く感触が伝わってくる。真っ赤な血で石が染る。服に血が飛び散る。変な液体も飛び出る。しかし、それに構わず、繰り返し石を振り下ろす。
やがて僅かな痙攣と共にゴブリンは動かなくなった。
「_________ははっ………おえっ」
言い表しようのない不快感に嘔吐しそうになる。笑って誤魔化そうとしたが無理だった。俺はどうやらそこまで早く狂えないらしい。
「……今は吐いてる暇なんか無い」
床に落ちた弓を拾う。使った事なんか一度もないが、無いよりかはマシだ。
『ギィ!?ギィギィギィ!』
『『『ギィギィ』』』
数十秒後、先程川辺で見たゴブリンの集団がこちらに向かって走って来ていた。
「ははっ、山ほど居るなぁ」
矢を番えて弓を引く。狙うは先頭。
『ギッ、ギィっ!?』
「おっ、ラッキー」
弓矢は狙った通り先頭のゴブリンに命中した。頭を狙って足に当たってる辺り下手なのに変わりは無いが、おかげで先頭のゴブリンが転び、後続もつっかえて転んでくれた。
『ギィギィギィギィ!』
『ギィギィ、ギィギィ!』
『ギィッ!?』
転んだことに腹を立てたのか、一匹のゴブリンが先頭のゴブリンを横に蹴り飛ばし、道を空けた。どうやら、奴等はそこまで仲間意識が高い生物ではないらしい。
「時間をくれて好都合、だっ!」
再び弓を構え、矢を放つ。今度は狙った通り、頭に矢が突き刺さった。
しかし、ゴブリン達は戸惑う様子もなく、味方の死体を此方に蹴り飛ばし、駆けてくる。次の矢を放つ余裕は無さそうだ。だが、最早そんな事は関係ない。
「良い武器をありがとな」
俺の足元に転がってきた頭に矢が刺さったゴブリンから錆びた短剣を奪い取ると、飛びかかってきた別のゴブリンの喉元に短剣を突き刺す。
生き物を殺した感覚に吐き気を覚える。ゴブリンが口から血を吐いた。先程の怒りは何処へやら、その目には確かな恐怖の色が見えた。
「……悪いな、川辺では武器も覚悟もなかったんでな。_____だが、今は違うぞ?」
リーチも身体能力も勝っている。数では負けているが、それは________命を諦める理由にはならない。
首を短剣で刺されたゴブリンが、最後の足掻きとばかりに俺に短剣を突き出す。俺はそれをすんでのところで回避すると、突き出された短剣目掛けて、後ろから迫ってきていた別のゴブリンの頭を掴み、突き刺す。あえなく絶命した。
次々と死んでいく仲間たちに流石に危機感を覚えたのか、ゴブリン達が俺を囲むように円形を汲み出した。どうやら、今までのように簡単にはいかないようだ。
「_______だが、関係無い」
俺は折れそうな短剣を放り投げると、足元のゴブリンの腰から片手剣を引き抜く。それに呼応するようにゴブリン達が一斉に攻撃を仕掛けてくる。それに対し、俺は絞り出すような笑顔を返し_______
「_______さぁ、死闘を始めようか」
これから始まる命の灯火の燃やし合いに心を奮い立たせ迎え撃った。
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