16話 山と海と普通の妹
俺が元住んで居た場所の近くには、海があった。
貧乏だった我が家は、海から取れる魚と道端に生えている草が主食だったので、海に対しては好感がある。
だからこそ、俺はこんな山の中で再び海に出会えた事に、大きな感動を覚えていた。
(……気持ち良いな)
魚が飛ぶ林道を歩きながら、大きく深呼吸をする。
いつもであれば草木の香りだけが漂っているのだが、今日は少しだけ塩の香りが混じり、スンと鼻の奥を刺してくる。
人によってはその独特な香りが苦手かもしれないが、俺はこの香りが大好きになって居た。
(皆は釣りに勤しんでるけど、今回は散策だけでも良いか)
本当であれば絶好の一攫千金チャンスなのだが、今は黒夜叉を狩った時の資金で、懐に余裕がある。
そう言う訳で、俺は手に持っていた成章を背負い、姫山の散策を続ける事にした。
(雨の日は罠が少ないんだな)
適度に景色を楽しみながら、怪しい海草を避けて前へと進む。
罠が少ないとは言っても、全く無い訳ではない。
そして、その罠で死んでしまうと、山の気候も変わってしまうので、注意しなければいけなかった。
(俺のせいで天候が変わったら、あの三人に何を言われるか分からないからな……)
そんな事を考えていた時だった。
突き当たりにある大きなフロアに、緑色のカッパを羽織った人物が見える。
他山の狩人かも知れないと警戒したが、ふと顔を上げたシルエットで誰かが分かり、俺は大きくため息を吐いた。
(あいつ……)
うんざりしながら彼女の元へと歩く。
ある程度近付くと、彼女もこちらに気付き、フードを上げてこちらを見た。
「……あ、兄さん」
露出される銀色の髪と蒼い瞳。
どこかの国のクォーターらしいのだが、親父が彼女を最初につれて来た時は、流石に驚いた。
「秋名……どうしてここに居るんだ?」
「どうしてって……来たから」
普通の答えにため息を吐く。
忘れて居た。
黒沢秋名は『そう言う女』だった。
「どうやってこの山に入ったんだ?」
「家の裏にあった小道から。何か変な場所だ」
「ここはもののけが住む霊山だよ。一般的な場所とは気候も風景も違う」
「ふうん」
普通であれば、今の言葉で何かしらの疑問を語るのだろうが、秋名はそれを当たり前の様に受け入れる。
そう。彼女は『どんな事でも普通にしてしまう女』なのだ。
「空を魚が飛んでるけど、あれってヒレで飛んでるの?」
「どうなんだろうな。それより、来る途中で危ない目に合わなかったか?」
「怪しい植物はあったけど、あれだけ怪しければ、普通は触らない」
「そうか」
その植物を怪しいと認識して、当たり前に避けられる事が普通では無いのだが、秋名にとってはそれさえも普通の事になる。
兄がこんな事を言うのもなんだが、秋名はある意味で最強だ。
「所で、何で兄さんはそんな格好をしてるの?」
「……したくてしている訳じゃない」
「そうなんだ」
それだけ言って、再び黙る。
秋名が妹としてうちに来て、既に五年の歳月が経って居るのだが、秋名は春子に比べて扱いが難しい。
素っ気ない性格のせいでもあるが、俺は秋名と話す時は、感情を伺いながら話す癖が付いていた。
「秋名、学校は通信にするらしいけど、友達は良いのか?」
「良い。家族と一緒に居る方が大事」
「いきなり居なくなったら、友達びっくりするだろう」
「その辺はもう連絡したから大丈夫」
会話をしながら、周辺の植物を観察する秋名。
明ら様に下界の物とは思えない形状の物も生えて居るのだが、彼女はそれに対して物怖じしない。
目の前に見える物こそが真実。それが、彼女のモットーなのだそうだ。
「兄さん。この森は危ない場所みたいだ」
「そうだな」
「こんな場所で、兄さんは狩人をやるの?」
「やると言うか、もうやってる」
「そんな格好で?」
「うん、衣装の事は蒸し返さないでくれ。悲しくなるから」
探索を終えて、秋名がこちらを向く。
仄かに微笑みを浮かべている秋名。
彼女が微笑んで居る姿は、中々に珍しい。
「私も兄さんみたいに、狩人になろうかな」
「まあ、秋名なら出来るだろうけど、俺はお薦めしない」
「何で?」
「危ないから」
そう言うと、秋名がふふっと声を出して笑った。
「嘘だよ。私は母さんと料理屋をやる」
「お前がそれで良いなら良いんだが、秋名ならどんな仕事でも出来ると思うけどな」
「それは分からないけど、私は母さんと料理屋をやりたいから」
毎回繰り返される問答。
この問答が起こる度に思うのだが、秋名はいつも家族の事を第一に考えて居る様に見える。
それは、元々の性格なのか。それとも、初めて家族を持った事への思い入れなのか。
何にせよ、俺もそんな妹の事を、大切に思っていた。
「あ、兄さん。そう言えば」
「何だ?」
「ここに来る途中で、小さい鯨みたいなもののけが……」
そんな会話の、途中の出来事だった。
「……あ」
突然の落下物。
衝突。
地響き。
「……」
一瞬の出来事に、感情が追い付かない。
ただ一つ、分かって居る事は。
秋名が居たはずの場所に、茶色い鯨の頭が刺さっていると言う事。
「……いやいや」
俺の大切な妹。
「そんな……そんな訳が……」
先程までは、目の前に居た。
だけど、今はその姿が見えない。
「そんな……」
ゆっくりと、感情が追い付いて来る。
ああ、そうか。
これが……現実なのか。
「……ああああ!!!!」
激昂。
身体中の血が頭に昇り、怒りに任せて体が独りでに動き始める。
「どけぇぇぇぇ!!」
背負って居た成章を両手に持ち直して、鯨目掛けて思い切り横に振る。
全力の一撃。
地面に刺さっていた鯨は、その一撃を頭に受けて吹き飛び、大木に打ち付けられた。
『ブオオオォォ!!』
泣き叫ぶ鯨。
しかし、直ぐに体制を立て直して、空へと舞い上がる。
「行かせない!!」
俺は素早く成章を持ち直して、鯨に向かってトリガーを引く。
同時に打ち出される銛。
銛はリールを引き連れて勢い良く宙を舞い、鯨の首元に深く突き刺さった。
『オオオオ!!』
空中でのたうち回る鯨。
追撃する為に間合いを詰めようとすると、鯨は尾びれで草木を凪ぎ払い、こちらに向けて飛ばして来る。
「くっ!!」
咄嗟に腕をクロスして防御する。
衣装のお陰でダメージは軽減されたが、衝撃で大木に打ち付けられてしまった。
「ぐううっ……!」
背中が痛くて動けない。
その隙を突いて、鯨はゆっくりとその場から離脱して行く。
「くそっ……!」
立てない。
呼吸が安定しない。
「くそぉぉぉぉ……!!」
やがて、視界から消える鯨。
取り残されたのは、俺一人のみ。
俺から見える景色に、妹の姿は見えない。
「……どうして!」
秋名ならば霊山でも大丈夫だろうと、心のどこかで油断して居た。
そんな感情を嘲笑うかの様に、もののけは一瞬で全てを奪って行った。
「どうして! 俺は……!!」
己の不甲斐なさに地面を叩く。
例え一回目の失敗だったとしても、取り戻せない物もある。
そんな事は、親父が死んだ時に、身を持って体験したはずだったのに。
「一狼?」
聞きなれた声。
振り向くと、こちらに疑問の表情を向けている未来達が居た。
「大きい音がしたけど、何かあったの?」
「……いや、別に」
言えない。
俺の安易な判断のせいで、妹が死んだかも知れないなんて。
「あの……兵子さん。聞きたい事があるんですが」
「何だ?」
「怪物を持っていない人間が霊山で死んだら、どうなりますか」
「そうだな。幾つか例外はあるが……」
間を開ける兵子。
そして。
「基本的には、山に取り込まれる」
それはつまり、死と同じと言う事。
絶望が俺の体に……堕ちてくる。
「……茶色い鯨に会いました」
「茶色……『雷鎚』か? 雨の一階層の主クラスだが、滅多に拝めるものでは無いぞ。良く生きて居られたな」
「……」
「あいつは頭が弱点だが、厚い皮に覆われていて貫く事が出来ない。余程の衝撃が加われば、殺れるかも知れんが……」
言葉の途中で、兵子が地面に転がる成章を見付ける。
「まさか、雷鎚に銛を放ったのか?」
「……はい」
「無茶な事を。あいつは一人で狩れるもののけでは無いぞ」
そんな事は、見た瞬間に思ったさ。
だけど、それでも。
俺はあいつを、絶対に狩らなければいけなかったんだ。
「ともあれ、銛を刺せたのは幸運だったな」
その言葉を聞き、ゆっくりと顔を上げる。
「見ろ」
兵子が成章を指差す。
地面に伏している成章。
その銃口から伸びたリールが、左右に揺れている。
「一狼君が放った銛は、まだ雷鎚に刺さっている。これを追いかければ、奴の元に行けるだろう」
「……それじゃあ」
「うむ。雨が上がるまでと言う条件はあるが、しっかりと装備を整えて再出撃すれば……」
言葉の途中で立ち上がる。
終わっていない。
俺はまだ、奴をカル事が出来る。
「一狼?」
未来の声。
だけど、そんな事はどうでも良い。
今、俺がやらなければいけない事は……!
「一狼!」
全力で走る。
未来達に背を向けて。
妹を殺した雷鎚を、狩る為に。




