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第8話 熊の肉

 仕事の合間に一息入れようと、廊下の休憩所に設置されているコーヒーメーカーのスイッチを押した。紙コップに注がれる音とコーヒーの匂いにホッと一息つく。


 社内の開発室の中で聞こえる音といえばマウスのクリック音かキーボードを叩く音だけだ。せっかちなのか時間に追われてなのか、その場にいる社員の叩く音は激しく速いので、結構な騒音となって響いてくる。俺も人のことなど言えないのだが、これがかなり耳障りなので人によっては耳栓をするのもいる。


 ピピという出来た合図に取り出し口の紙コップを握ると、結構な熱さに思わず一旦手を引っ込めてしまった。分かっていたのにうっかりしていた。

 うちの会社は結構ケチなので、安物の薄い紙コップを使っている。その為入れたてのコーヒーの熱がダイレクトに手に伝わってくる。しかもご丁寧に「コップの重ね使用禁止」、こんな張り紙をしているのが何だか腹立たしい。


 近くの椅子に座り、コーヒーを息を吹きかけ冷ましてから一口飲む。ちょっとだけ苛立ちも収まった。


先輩(せんぱーい)、休憩っすか」


 ぼんやりと窓の外を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、安らぎの時間を台無しにする元気な声が耳に入り自然と俺の眉は寄っていった。


「うわ、先輩、すんごい疲れた顔してるっすよ。休んだ方が良いっすよ」


 何の躊躇も思いやりも無く俺の隣にどっかりと座る後輩加藤に、お前が来なけりゃ休めたんだという思いを押し戻しつつ加藤を見る。でそれでも顔にははっきり出ていたと思うのだが、加藤はそんな事に気付くほど鋭くない。


「どうした、トラブルか?」


 そう言うと加藤は「やだなぁ、俺が先輩の所に来るのは問題があった時だけみたいなこと言って」と笑っているが、大概こいつが俺の所にやってくるときは問題発生時が多い。


「で、何のトラブルだ」


 なので、もう一度嘆息交じりで聞き返すと加藤は「あ、はい」と素直に話し始めた。


「言い難いんすが堤さんがまた提案があるって言ってきたっす」


 堤氏、それは俺のストレスをここ最近爆発的に増やしてくる存在で、今作っているMMOのグラフィック作成担当者だ。とにかくこだわりが多くてそれをねじ込んできては周りを困らせてくる。


「今更? 無理に決まってるだろ。リリースに向けて忙しいから後にしてって行っとけば」

「無理っすよって言ったんすけど、どうしても必要だからときかなくて、先輩を出せっていってんすよ」

「何で俺? 俺、堤さんの担当じゃないんだけど、そう言うのはプロデューサーに言って欲しいんだけど」

「え、先輩、堤さんの担当じゃないんすか? みんな堤さん来たら先輩にっていってるっすよ」

「勘弁して欲しい・・・・・・って、来てんのあの人」

「はい、小会議室で待ってるっす」


 勘弁して欲しいと顔を押さえつつ俺は諦めの溜息を吐いた。こうなったら梃でも動かない人だ。


「ああ、分かったよ。小会議室ってどこの?」

「あ、二階っす」

「・・・・分かったこれ飲んだら行くよ。あ、そう言えば加藤、お前いつ休むって言ってたっけ、あの、何だ、”ちゃむちゃむ”のイベントだか何だかっていってたろ」

「”りるりる”っす”りるりる”。何すか”ちゃむちゃむ”って。そうっすね、イベントは来月の20日なんで、その前後を纏めてっすかね」

「ふうん、じゃあその日までに堤さんの無茶を終わらせられるといいね」

「え、俺がやんすか、その仕事」

「当たり前じゃん。お前通してきたんだから当然加藤が担当だよ」

「・・・・そんな殺生っす」


 俺は意趣返しのつもりで加藤に意地悪を返しておいた。こいつが事あるごとにあの堤の話を俺に振ってくるのが悪いんだ。


 項垂れる加藤を背に重い足取りで堤さんが待つ会議室へと向かう。


「今日も帰ったらストレス発散しないとな」


 







「戻って来たぞぉ!!」


 異世界に降り立った俺は両手を振り上げていた。


 案の定、堤さんの無理難題に日中頭を抱えていた俺は、半分職場放棄で家へと返ってきた。正式稼働させる分は出来ているのでそれで問題は無いのだが、残って仕事をしている同僚たちを見ると心苦しくなるのは日本人ならではなのだろうか。


 兎にも角にも日中のうっ憤を晴らさんと足早に家に帰ってきたのだけど、やっぱりと言うか普通に部屋の中には神さんがいたのにはちょっと笑ってしまった。神さんは腑に落ちないと言った顔で睨んできたけど構わずこちらの世界に直行してきてしまった。


 景色は変わり映えのしない巨木の立ち並ぶ森の中だ。


 世界マップを見ても大して進んでいないように思える。いったい何時になったらここを抜けられるのだろうか。


「愚痴っていても仕方が無いし、気晴らしにモンスター狩りを楽しむぞ!!」


 森の中を進むとゴブリンが3体纏まって現れた。

 俺はもうLv4になていたのでこれくらいは余裕で片付けられる。


 ゴブリンの知能は相当低い。相手が強者か弱者か関係なく真直ぐに突っ込んでくるのだから馬鹿としか言いようがない。


 3体のゴブリンが並走して向かってくるのを見て、俺は真ん中のゴブリン目掛けて駆け出した。素早さのパラメーターが上がったせいか、短距離の国体選手くらいには速くなっている俺の脚力に、ゴブリン達は反応出来ず、「ギャギャ」と驚きの声をあげていた。だがそのころにはもう遅い。俺のナイフが真ん中のゴブリンの喉を斬り割いていた。


 緑色の血飛沫を上げ崩れ落ちたゴブリンが粒子となて消えていくと、メッセージが流れる。




 EXP20P獲得


 40ゴル獲得


 ゴブリンの核を入手



 相も変わらずのゲームである。


 もうゴブリン程度ならば一撃で倒すことが出来る。当然スライムも一撃だ。


 残りの2体もサクサクっと倒していく。

 1体は振り向きざまに心臓を突き刺し、もう一体は蹴りを喰らわせて首を折る。それで3体とも全て片付け完了だ。


 昨日色々と試したのだが、別に攻撃のダメージ量が固定で決まっている訳では無かったようだ。普通に急所を狙えば致命傷になるし、頭を切り落とせば一撃で倒せる。スライムの時は偶々そうなっただけという話だ。


 森を更に進んでいき、ゴブリンやスライムを何体か倒していたらLvが一つ上がって5になった。


 【格闘術】スキルがかなり役に立っている。【剣術】もそれなりの恩恵があるのだろうが、如何せんナイフだから分かり難い。それに比べて【格闘術】は身のこなしに直結する為、俺が強くなったと実感しやすかった。


「レベルが上がると行き成り強くなるのは笑えてくる」


 レベルが上がった瞬間足の速さや力がそれまでと全く違くなるのだから不思議な感覚だった。ゲームでは当たり前の事過ぎて思いもしなかったが、これは異常なことだと実体験すると痛感した。

 いや、そもそも、だ。敵を倒すと経験値を得てレベルが上がるってこと自体意味不明だ。


 これが現実として行われている今の俺。


「恐るべし神パワー」


 脳内に浮かんだ神婆さんに少しだけ感心した。こんど煎餅でもお供えしておこう。


 そんな事を考えながら歩いていたら獣の唸り声が聞こえてきたので、周囲を見渡すが何も見当たらない。

 ナイフを構えて物音や草木の揺れを見逃さないように集中するが、俺に物事を敏感に察知する能力など無いので気分的でしかない。何かカッコいいからそうしてみたに過ぎない。

 だから案の定と言っていいか、結局察知することが出来ず後ろから何かに引っ掻かれてしまった。


「いってぇぇぇぇ!!」


 背中を押さえて暴れる俺。今のでHPが20も減ってしまった。


 半泣き状態で振り替えったらそこには2本脚で立ち上がった大きな熊がいた。体長3mくらいありそうだ。


 グリズリーなのか?


 デカいが見る限り普通の熊に思える。モンスターっぽくは無い。だけどゴブリンやスライムよりは見た目怖くて普通にビビる、これ。


 あれ、でもよく考えるとこんなデカい熊に襲われたけど痛いだけで済んでいる俺って凄くない? HPも20しか減っていないって凄くない? 地球だったら瀕死か即死だよ。


 そう思ったら急に気持ちに余裕が生まれた。


「おのれ熊公がぶっ殺してやる」


 畜生、服の背中部分が爪で引き裂かれて大きく破れてる。昨日と今日で早くも二着だめしてしまった。この二着を洗濯して着まわす様にしないとおれの服が無くなってしまう。


 熊が威嚇しているのか両手を上げて体を大きく見せようとしている。異世界でも熊の習性は一緒のようだ。


 熊がぶっとい腕を振り落としてきたので、俺は半身でそれを躱す。


 結構余裕だ。


 最初はビビったけどどうやら熊はLv5になった俺の敵ではないようだ。


「ゴブリンよりは強いか」


 それでも哺乳類最強生物だ。ちびっこいお馬鹿なゴブリンよりは遥かに強いだろう。何しろ俺のHPが20減っているんだ。ゴブリンだと今の俺に攻撃をあてたとしても2,3くらいしかHP減らないと思うし。


 熊が振る手を躱しながらそんな事を考えていたのだが、そこでちょっと閃いた。


 この熊って食えるんじゃないか、と。


 熊の肉は硬くて臭いから濃い味付けでじっくり煮込むと聞いたことあるが、熊鍋とかもあるくらいだから普通に食えるんじゃないかと思う。元の世界では食ったことが無いのでちょっと興味がわいてきた。


 ただ問題は倒すと光の粒子になって消えてしまうことなのだが、それはモンスター以外でも同じなのだろうか。いや、その前にこいつって本当に熊なのだろうか。


 迷いながらも倒して見れば分かるとナイフを熊に突き立てる。ズブリと殆ど抵抗も無く刺さっていくナイフ。


「グアアアアアァァァ」


 だが流石に熊の脂肪は分厚いのか致命傷とまでにはいかなかった。それでも咆哮を上げる熊の様子に効いている事は分かった。


 熊の攻撃が傷を負わせたことで更に激しくなった。


 成程、手負いの熊とは本当に危ないんだなと学んだ瞬間だ。


 ヒョイヒョイと熊の攻撃を躱しつつ、俺は地味に熊をチクチクと刺していく。頭部や首をやれば簡単なんだろうけど、如何せんこいつがデカくて届かない。

 それでも何回かナイフを刺している内に弱ってきた熊は、2本脚で立っているのが辛くなったのか前脚も地に付けた。


「俺の勝ちだな熊公」


 チャンス、と俺は熊の眉間にナイフを差し込んだ。俺の今の筋力であれば堅い頭蓋骨にもナイフを刺す事が可能なのだ。

 この一撃が決定打となり、熊はその巨体を静かに横たえた。


 そして、


「やっぱり粒子になっちゃうのね」


 熊は光となって消えて行ってしまった。


 残念だと思っていたら何時ものメッセージが流れてくる。



 EXP50P獲得


 40ゴル獲得


 熊の毛皮を入手しました


 熊の肉を入手しました


 スキル【気配察知】を覚えました



 これには俺も苦笑いだ。


「解体もしないで肉と毛皮が手に入るって、ホント便利だなこのシステム。あと熊なのに金が手に入るってどういう事」


 ゴルは異世界でのお金なのだが、スライムやゴブリンでは思わなかったけど、流石に熊を倒して金が手に入るって違和感バリバリだ。


 あとスキルを覚えていた。


 【気配察知】システムメニューで確認したら、周囲にいる存在をマップに映し出す機能のようだ。敵が赤でそれ以外が青になるらしい。

 一体全体、敵かどうかなど何で見分けているのだろうか。


 ていうか、あの気配を探る真似事で覚えたのだろうか?

 本当に緩いスキルの開放条件だなと改めて思った。

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