第4話 異世界への入り口
「先輩、先輩、どうでした動確?」
加藤は今日も元気で何よりだ。よくこんな朝っぱらから笑顔でいられるものだと感心してしまう。俺の表情筋なんて使ってない所為か至る所が衰退してしまってうまく機能しないというのに。
加藤の服装を見る限り・・・・・・昨日もお泊りだったのだろうか、これまた一昨日着ていたやつだ。こいつ二着の着回しで何日過ごす気なんだろうか?
チャラそうなくせにその辺は気にしないのか。
デスク上に複数並んだディスプレイの電源を順番に入れていきながら少しばかり後輩の心配をしてしまった。
今日の俺は優しいらしい。
「ちゃんと動いていたな。細かいところで気になった点はあるが取り敢えずは問題無いんじゃないか」
昨日加藤に言われて動かしてみた作成中の新作MMOは、予定していた来週に今度こそ正式リリースしても問題無い仕上がりになっていたと思う。
ま、それでも実際に多くのユーザーが動かす事になれば矢継ぎ早に修正箇所は出てくるんだろうけど。
「え、どこっすか? 気になる所って」
「うん? あぁ、そうだな、例えばバグって訳じゃないけど戦闘時のレスポンスの悪さとかかな」
動かしたときストレスとまではいかなかったけどもっさりした感は受けたな。あれだと低スペックの機種だったら大きくコマ落ちするかもしれない。
「やっぱりエフェクト抑えないと駄目っすかねぇ。でもなぁ、あのエフェクト堤さんがめっちゃ気に入ってんすよね」
堤さんとはグラフィックデザインやモデリングを担当している会社の担当責任者さんだ。このMMO開発に何故だか異常なまでのやる気を見せている。
その所為でか、ビジュアル面ではかなり細部までこだわった仕上がりを見せているのだが、その過剰なグラフィックと演出を処理する為にシステム開発は多大な皺寄せが来る結果となっていた。俺の睡眠の大半はそいつが奪っていったと言っていいだろう。
「あの人拘り過ぎんだよな。直ぐには無理だけど設定でエフェクト減らせるようにする方向で考えるしかないだろう」
「そうっすね」
「それは良いとして、加藤、お前ちゃんと休んでいるのか? 最近ずっと帰っていない様に思えるんだが」
「え、俺っすか。大丈夫っすよ。1週間くらい帰ってないすけど無理はしてないっす。ちゃんと夜はそれなりに寝ていますし。それに近々”りるりる”のイベントがあるんで。そこで休むためにも今の内面倒事を終わらせときたいんすよね」
ほんと、言動の軽さと見た目のチャラさとは裏腹にしっかり者だなこいつは。
そんな事を考えていた俺の加藤を見る目が知らないうちに優しいものになっていたのだが、その俺を見た加藤が何かを思いついたようにポンと手を打つ。
「あ、もしかして先輩も行きたかったっすか”りるりる”のイベント。今だったら予備のチケット有るんで一緒に行きますか?」
どうやら俺が加藤に対して羨望の眼差しを向けたと勘違いしたようだ。加藤が余っているチケットを俺にくれようかと言ってきた。辺に気遣われた。
なんと優しい後輩君。
でもな、後輩加藤。”りるりる”はいらない。
「・・・・・・いや、いい。しかし、何でチケットの予備なんてあるんだ?」
「そりゃあ先輩。抽選で当たった人しかいけないんすよ。単体の応募じゃ確率厳しいじゃないすか。当然応募は複数するもんすよ。今回は運が良かったので2枚あたりましたけど、それでも当たらない時の方が多いんすからね。マジ超人気なんで」
「ああ、そう」
身振り手振りで説明する加藤。
こいつ本当に元気だなと思う。
家に帰ってきた。
今日も動作の確認をとり、多少の不具合は発見したものの、直ぐに対処できたので二日連ちゃんで帰ってきた。
と言うのは建前だ。
正直に言おう。
異世界にいけるのかどうかを確かめたくて帰ってきた。
待てなかった。昨日あれだけ期待させられて起きたら朝で、しかもそのまま会社に行く破目になったのだ。そりゃあ待てという方がおかしい、と俺は言いたい。
思わず帰ってくる道でスキップしてしまた。人に見られた。失態だった。
そんな事もありながら足早に帰ってきた俺は玄関のカギを開けて勢いよくドアを開いた。
俺のアパートは狭い。何しろ1Kだから玄関を開けると廊下とキッチンが一緒になったスペースがあり、仕切り無くリビング兼寝室がつながっている。
つまり玄関を開けると部屋全体が丸見えになるのだが。
「おい、婆。何で普通に寛いでいる」
玄関を開けた俺に視界に入ってきたのは、昨日置き去りにしていったちゃぶ台で茶をすすっている自称女神こと婆がいた。
「お帰りなのじゃ」
今日は更に煎餅が入った茶請けの容器、木製の大き目のボウルみたいなやつが増えていた。
ああ、そうそう。祖父母の家にもあれがあったなぁ。懐かしい。
何となく居そうな気はしていたので、溜息を一つついて家に入ると、婆が「食うか」と煎餅を突き出してきた。
眉間を引きつかせつつも煎餅を受け取り齧る俺。
・・・・・・うまい。
「今日、浅草で買ってきたのじゃ」
どうでもいい情報を自慢げに話してきた。
俺が知りたいのはそこじゃない・・・・バリボリ・・・・が、まぁいい・・・・ングング・・・・婆がいたことは思うところは多々あるが・・・・ガブバリ・・・・ある意味都合が良かったと言うべきだろう・・・・ゴックン・・・・異世界への出入りに関して訊きたかったからな・・・・バリ。
・・・・・・意外と大きなこの煎餅。
それに焦げた醤油の味が何とも香ばしく鼻に抜けていく。程よい歯ごたえがあり一生懸命噛むことで米の旨味がちゃんと味わえる。
なかなかの逸品だ。
しかしその分意外と喉が渇くな。
そう思っていたら婆が察したのか急須でお茶を入れてくれた。
気が利くな、ありがとう。
ズズッと熱いお茶を火傷しないように気を付けて啜る。
お、良く分かっているじゃないか。ちょっと渋めの濃いお茶を出すなんて。
「って、そうじゃねぇ!!」
危ない、流されてなごんでしまうところだった。
「今日も騒がしい奴だのう」
「誰のせいだよ」
いかん、どうにもペースが乱される。
「まぁいい。それより異世界の行き方を教えてもらってなかった。どうやって異世界に行けばいいんだ?」
「おや? 言っておらんかったかえ?」
はて、と小首を傾げる。細い干からびた骨と皮のだけの首は、そのまま頭がもげてしまいそうに思える。
地味に時焦らしやがる。はやる気持ちが胡坐をかいた足を上下に揺らす。ん?
何だか床に座っている割には座り心地が良いと思ったら、この婆座布団迄敷いてやがった。しかも婆のと俺が座っているのが色違いのそろいの柄だ。しかも縁にヒラヒラとしたものがついている。結構ファンシーだ。
地味に座り心地がいいところが文句を言い難い。
「ええじゃろ!? 原宿で買ったのじゃ」
ふふんと鼻を鳴らす婆。
こいつ都内を結構満喫しているみたいだ。
は、危ない。また目的を見失うところだった。
「そんなことどうでもいい。早く行き方を教えてくれ」
俺の言葉に婆が口を尖らせた。ちっとも可愛くない。
「せっかちな男よのう。もう少し会話を楽しむようなゆとりが無くてはモテんぞよ?」
「余計なお世話だよ。いいから早く教えろ」
「ケケケケ、ともあれ楽しみにしていてくれたのは嬉しい事なのじゃ。そうじゃのぉ、これ以上焦らしては可哀想じゃからな、そろそろ行かせてあげるとしようかのぉ」
「おい、俺の股間を見ながら怪しい文言を言うのはやめろ」
婆は持っていた湯飲みをちゃぶ台に置くと、膝をパキパキ言わせながら立ち上がる。長時間座っていたのか凝り固まった腰を痛そうに叩いている。
やはり女神とは呼んではいけないと改めて天に誓った。自称神が目の前にいるが、俺はそれでは無い神に誓ったのだ。
婆は45インチの液晶テレビに肘を乗せる。
そう言えば4年前に買ったテレビだが電源入れたのは昨日が久々だったな。買って以降掃除などしていないのできっと婆の裾に埃が付いた事だろう。何よりだ。
「さて」と前置きを口にした婆がだいぶ苦し気な姿勢で話を始めた。
テレビの方が婆の肩位置よりも高い為乗せた肘が随分と上がっている。見れば分かる筈なのに何で乗せたのだろう。
「異世界への行き方じゃが、何、簡単な話じゃよ。入口から入ればええ」
その体勢きつくない? そう思いながらも俺はそこを指摘したりはしない。俺は空気が読める男だ。いや違うぞ、決して面倒くさいからではない。
「入口ってどこだ?」
「これじゃよ」
そういった婆は掛けていた肘をおろしテレビをトントンと叩く。
俺も仕事の関係上ライトノベルなどは良く読んでいるので、結構これ系統の知識には精通している方だと自負する。
異世界転移物は結構パターン化しやすい傾向がある。その中でも転生や転移の理由や方法が最も顕著だろうか。
大概は死んで神様に異世界に転生させられる何てのが多い。異世界の召喚陣あるいは召喚魔法での転移、これは王道だな。そこに王女様がいて恋に落ちるなんてベタだが俺は好きだ。後は、気が付いたら前世の記憶が日本人なんてのがベタだ。
だが婆が俺にもたらした方法はちょっとパターンから外れるようだ。異世界と現実世界を自由に行き来出来るというのは余り見ない。
それでもって行き方がテレビか・・・・・・・・・・それってあれか、ホラー映画のようなテレビの中に吸い込まれるって感じなのか?
ちょっとこれも異世界冒険ものでは見ないタイプだな。
「お主はテレビを良く見るのかえ?」
考察に浸っていると婆が質問を投げかけてきた。俺は考えを中断し婆に視線を向ける。
「ん、余り見ないな。そもそも家にいる時間は寝る時ぐらいだしな」
「ほんに寂しいやつじゃのう」
婆が憐れむような眼で俺をみてきた。
何度もそう言うが心外だな、俺は寂しいとは思ってない。そもそも思う暇が無いしな。
「長々と説明してもその様子では待ち切れなさそうじゃしのう。百聞は一見に如かずなのじゃ。どうやって異世界に行くのか見せた方が早そうじゃな」
そう言うといつの間にか手にしていたテレビのリモコンを俺に手渡してきた。
「取り合えず、そうじゃな。電源を入れてお主の好きなチャンネルにでも回してくれんか」
渡されたリモコンの電源ボタンを押す。画面が映し出され内臓の録画用ハードディスクが動き出す音が僅かに聞こえてきた。
昨晩見ていたためか音量はかなり絞ってあった。壁の薄いアパートは何かと気を遣わないといけない。
あれ? そう言えば昨日ってテレビいつ消したんだ? ん~分からんいつの間にか寝ていたし。思い出せない記憶はまあいっかと諦める。こういった状況では割り切るのが大事だと思う。
映し出された番組はどうやら歌番組のようだ。若い女性が何かをうたっているようだ。音が小さいからどんな曲かまでは分からなかった。流石は芸能人、薄い茶色い髪でハーフっぽい顔している物凄く綺麗な子だ。
おっと見惚れている場合ではない。
俺が偶にみている職人系番組をやているチェンネルへと変える。
すると、
「・・・・・・・・あん?」
あまりの予想外な事態に俺は間の抜けた声をだしてしまった。
良く分からないけど後ろを振り返ってみた。ベッドがあった。
「・・・・・・んん?」
もう一度画面を見た。やっぱり間の抜けた声が出た。
眉感に皺が寄っていくのが分かる。
どういうことなんだと婆を見たらニヤニヤと悪戯を企てた子供のように笑っていた。実に腹立たしい笑顔だと言っておこう。
テレビで転移する。婆の言動からそれは分かってはいた。
だが、これは予想外、というよりはちょっと奇抜過ぎだろう。
テレビで転移するって言ったら、こう、画面に転移する異世界が移ってそこに吸い込まれていくとか、突然画面が眩く光って目を開けたら異世界だったとか、テレビを使う矜持みたいなものがあるだろうと俺は熱弁をふるいたい。
だがこれはどうだ?
はっきり言って邪道だ。
この婆は全てが邪道すぎる。
我慢も限界だった。今まで突っ込みを極力我慢してたのだが。
「なんでテレビの中に階段があるんだよ!!」
叫んだ。俺は叫んでいた。
そうだ、階段だ。立派で重厚な石造りの下りの階段が画面の中に続いている。
見るからに映し出されたものでは無い。そもそもテレビの中の階段からひんやりとした風が吹いてくるっておかしいだろ。
笑ってみようかな。そしたら吹っ切れて気分が晴れるだろうか。
「デッカイテレビで良かったのぉ。インチ数が足らんかったら入れん所じゃったわ」
とても満足そうに言い放つ。腰に手をあて体を反らせる姿は一仕事を終えた満足感を存分に醸し出している。
何それ、テレビしか方法無いの?
諦めよう。こいつのやる事に一々突っ込んでいたら俺の精神が疲弊して直ぐに疲れ果ててしまう。
ああ、そうだ。異世界の道は繋がれたんだ。今はその事を素直に喜べばいい。
「クククク」
自然と笑いが漏れ出す。
そうだ、考えれば入口など何でもいいじゃないか。常識がどうとかなど神だの異世界だのと言った時点で既に崩壊しているんだ。今更気にしたって仕方の無い事だった。
テレビに階段? オーケーオーケーそんな方法も有さ。
「そうだ、そうだよ。これで異世界での冒険が出来るようになったんじゃないか」
湧き立つ高揚感と期待に胸が躍り手をわきわきと動かす。
婆が若干引き気味なしぐさを見せているが気にしない。
「そこまでテンション上げられると流石に引くのう」
「おい、ここに入って行けば異世界なんだな」
婆の言葉を無視し、テレビの階段を指さしながら問い掛けた俺の声は弾んでいた。
こんなに気持ちが高ぶったのはいつ以来だろう。初めて参加したゲームが発売された時? 宝くじの六等5万円が当たった時だろうか?
「そうじゃな、そこを降りていけばお待ちかねの異世界が広がっておる。最初に降り立つ場所には弱い魔物しかおらんはずじゃが、怪我もするし下手をしたら死ぬこともあるのじゃ。じゃから十分に気を付けるとええ。ま、そうは言っても本当弱いのしかおらんから無茶な事さえしなければ大丈夫じゃ」
「ああ、任せろ。俺はRPGは地道なレベルアップを楽しめる人間だからな。低レベルでの冒険はしないさ」
俺のプレイスタイルは敵を圧倒できるようになるまで進まない、それこそボスが雑魚と思える程に強化しまくってから先に進むやり方だ。
「その世界は・・・・・・ああ、まぁその辺りは自分で見聞きして知っていった方が楽しいじゃろう。後は好きに使うがよかろう。そのチャンネルに合わせればいつでも向こうの世界にいけるようにしておいたのじゃって、もう行く気満々じゃのう」
そう言うと婆が俺をジト目で見てきた。
俺は既に片足を階段に突っ込んだところだった。マジもんの階段だった。
「好きにしていいんだろ?」
俺がそう言うと婆は優し気な歎息を吐くと徐に玄関へと向かい俺の靴を持って戻ってきた。
「靴ぐらいは履いていけ」
「・・・・・・おお、すまねぇ」
逸り過ぎた気持ちに恥ずかしさを覚えつつ受け取った靴を履く。
「んじゃ行ってくる」
「うむ、気を付けて楽しむのじゃ」
俺は婆の言葉を背に受けながらテレビ階段を下りて行った。
そう言えば「行ってくる」なんて声を掛けたのは何時ぶりだろう?