1.隠してること、ない?
「おはよう、ロイ。調子はどうかしら?」
朝食を終えて本を読んでいたロイがふと顔を上げるのと、医師のポーラが病室に入ってくるのはほぼ同時だった。
「おはよう先生」
挨拶を返しながら、ロイは閉じた本をベッド脇、すでにいくつも積まれている本のさらに上に重ねる。
ポーラは椅子に腰掛けると、少しばかり大げさに唸りながらロイの顔を覗き込んだ。
「ん……うん、今日も調子は悪くないみたいね。朝御飯はちゃんと食べた?」
「――うん、いつもぐらいは」
「そう。昨日ちょっと頑張りすぎたから、疲れが出てないかと心配したけど」
ロイの頭をそっとなで、普段通りの検査をすすめていくポーラ。
それを大人しく受け入れていたロイは、ふと、小さな声で「先生」と呼びかける。
「……ん? どうしたの?」
「シスターのお姉ちゃん、また来てくれるよね?」
ポーラはその問いにすぐには答えず、先に検査を済ませる。
そして、改めてロイの手を握り、にっこりと笑った。
「大丈夫よ。あのお姉さんは約束を破ったりしないから。
……それとも、ロイにはそんな風に見えたのかしら?」
まさか、とばかりにロイは首をぶんぶん振る。
「……でしょう? それにね、あのお姉さんも小さい頃、ロイみたいに病気にかかってつらい思いをしたことがあるんだって。だから――」
「そうなの?」
「ええ。だから、ロイのつらさを誰よりも分かってくれているはずよ。
きっとまた、ロイをお見舞いに来てくれるわ」
「――うんっ」
素直にうなずいたロイの頭をなでると、ポーラは時計を確認して立ち上がる。
「さ、そろそろお父さんが来る時間ね。
昨日のこと、いっぱいお話ししてあげなさい」
「うん」
また後で、と挨拶を残し、病室を出るポーラ。
廊下で、その彼女に折良く声をかけてきたのは他でもない、ロイの父エドガーだった。
「おはようございます、先生」
「あら、おはようございますドレフィスさん。
――今日はまた、いつもより一段と本が多いですね」
小脇に抱えた様々な本について触れられ、エドガーは困ったように笑った。
「ええ、ロイのやつ、置いていた本はもう全部読んだって言うもんですから。
頼まれていた分に加えて、適当に何冊か見つくろったら、こんなになってしまいまして。
――あの、それで先生、ロイの様子は……」
「ええ、今のところは落ち着いています。昨日いい気晴らしができたからかも」
「気晴らし……ですか?」
エドガーは、いつ急変してもおかしくないと言われている息子の容態が、とりあえずは良好なことに安堵しつつ、なじみのない単語に首を傾げる。
ポーラはあえてそれに答えず、病室のドアを開け、微笑みながらエドガーを促した。
「それについては、ロイに直接お聞きになるのが一番ですわ。
ロイも話したがっているはずですから」
「あ、はあ……分かりました。
それでは先生、失礼します」
ポーラに一礼し、エドガーは病室に入る。
ポーラは怪訝そうにこちらを見やっているロイに小さく手を振るとドアを閉じ、邪魔にならないようにと早々にその場を立ち去った。
「……そうか、そんなことがなぁ……」
ロイから、昨日のメンコ大会の話を聞き終えたエドガーは、穏やかに笑いながら何度も何度もうなずいた。
いつも聞き分けの良い息子が、あまり興奮しないようにと何度もさとされながらも、しかし我慢できないらしくすぐに熱くなり……身振り手振りまで交えて楽しそうに語る姿は、それだけで、彼の心を満たしてくれていた。
「……パパは? なにかお話ないの?」
「ん? ああ、そうだな、そう言えばお仕事のとき面白いことがあったよ。
ほら、お前も知ってるだろ、パパの友達のマンソンさん。あの人がな……」
代わって話を促され、エドガーは昨日の昼間に仕事場で起きた友人の微笑ましい失敗談を適度な脚色を加えて面白おかしく語る。
それを、ロイは今しがたエドガーがそうであったように、顔を輝かせて興味深げに聞いていた。
しかし――やがて話が終わり空白の間ができると、途端にその表情に陰りを見せる。
容態が悪くなったのかと顔色をうかがうエドガーだったが、ロイの顔に差した陰は体調によるものではなかった。
何かを真剣に考え、思い詰めて――迷っている、一個の人間の表情がそこにはあった。
「……ロイ? どうした?」
問いかけるエドガー。
その一言が引き金となったのか、ロイは決意を込めた瞳で父を見据えると、静かな、そしてはっきりとした口調で逆に問い返した。
「ねぇ――パパ。
ぼくに何か……隠してること、ない?」
「………!」
それはほんの一瞬の、とても些細なもので……何気ない会話の中であればとても気付かなかったに違いない。
しかしロイは、自分の言葉に反応して、父の顔色がわずかであれ確かに変わったことを見抜いた。
「……あるの?」
「――まさか。
無いよ、ロイ。お前に隠してることなんて無い」
「天国のママにも――誓って?」
エドガーはすぐに答えることはしなかった。
だが、改めて口を開いた彼の表情に、先のような動揺は一片も見当たらなかった。
「もちろん。当たり前じゃないか」
「そう……。うん、それならいいんだ。
ゴメンねパパ、変なこと聞いて」
一度深くうなずくと、もう何でもないとばかり、いつものように笑うロイ。
その様子に安堵したエドガーは、息子の頭を、笑い返しながらくしゃくしゃとなでた。
「いいんだ。……さて、じゃあパパはそろそろ仕事に行かなきゃな。
ポーラ先生の言うことを良く聞いて、いい子にしてるんだぞ?」
「いつもしてるよ」
「そうか、そうだったな」
エドガーはゆっくりと席を立った。
「……パパ、今日は本、ありがと。お仕事がんばって」
「ああ、行ってくるよ。
それじゃあ、シスターのお姉さんや神父様にもよろしくな」
ドアに手をかけてから改めて振り返り、手を振って病室を出ていくエドガー。
それをやはり手を振って送り出したロイは、父の姿がドアの向こうに消え、足音が遠ざかっていくとともに、視線を落として、大きな――これまでで最も大きなため息をついた。
「……パパ……」
長く話したことで、疲れが出たということもあるだろう。
だがそのため息の本当の意味は、そこにはなかった。