5.とにかくヤバそうなヤツなんだよ!
「どうだ、いたか?」
「いや、こっちにゃいねえ。そっちは?」
「ダメだ。
――よし、もう一度手分けして、向こうを……」
狭く入り組んだ、迷路のような路地裏に、男たちの乱暴な怒声が反響する。
隠れているダンボールの陰からチラリとそちらを見やれば……宵闇が訪れる時間と言うこともあって、太陽の光でなく何かのライトに照らされているらしいそんな追跡者たちの影は、古びたビルの壁面に大きく伸びて、さながら巨大な化け物のようだ。余計な恐怖心をあおられる。
――まったく、何だってこんなことになってるんだ……。
思わず実際に口にしそうになる弱音をかろうじておさえ……マキの弟、ソウは、ともかく落ち着こうと大きく一つ深呼吸した。
……ほんの二時間ほど前までは、とても楽しい気分だった。
朝の別れ際、放課後に買い物に行くと言っていたカタリナに荷物持ちの同行を申し出、遠慮する彼女を、今日は少しばかり強引に押し切った。
そして学校が終わるやカタリナを迎えに行き、そのまま自転車で彼女を希望するマーケットまで送り、日用品や食材の買い物に付き合った。
――そこまでは良かった。
失敗だったのはその後だ。
浮ついた気分に背中を押されるまま、近くにある珍しい雑貨屋に行ってみようと誘ったのだが……。
場所について、裏路地のビルの中――という、友達から又聞きした程度の情報しかなかったため、間違ったビルに入ってしまい……。
そこでいかにも怪しいヤクザな男たちの、犯罪の臭いがぷんぷんする会話を聞いてしまったのだ。
そして、お約束にも見つかり……カタリナの手を引いて必死に逃げ、今に至っている。
(どう考えたってオレのせいなんだ……。
絶対、カタリナだけでも無事に逃がさないと)
決意を新たに、ソウは買い物袋を握ったままの手を、さらに強く握り締める。
それは、必死に逃げるにあたって、邪魔だと投げ出しても良さそうなものを、カタリナが手放そうとしないのを見るにつけ、ついついつられて持ってきた……食材の詰まった袋。
旧家のわりにはさほど裕福でもないアーロッド家にとって、これもまあ大事と言えば大事なものだ。
「ソウ君……大丈夫ですか?」
しばらく押し黙っていたソウを心配したのか、かたわらのカタリナが呼びかける。
ソウはそんなカタリナを見つめた――かと思うと、首をぶんぶんと振った。
「ごめん、カタリナ。オレのせいでこんなことになっちゃって。
でも、オレが――」
「大丈夫ですソウ君、諦めないで。きっと何とかなりますから」
オレが絶対守るから――という、ソウの勇気を振り絞った決め台詞は、カタリナの聖女のような微笑みと励ましによって、あえなくかき消されてしまった。
「ああ……決まらないなあ、オレ……べらんめえ」
がっくりと肩を落とすソウ。
だがそんな気の抜けた顔も、次の瞬間張り詰めた空気に険しさを増す。
男たちの足音と声が、こちらへと向けられたのだ。
(……どうする……?)
このまま隠れていても、見つかる可能性が高い。
だが、あせってヘタに動くのも危険に思える……。
日も落ちてすっかり暗くなった周囲を見回して、何かいい手はないかと思案するソウ。
――その耳に、突然……追っ手の男たちの悲鳴が聞こえた。
まるでとんでもない怪物にでも遭遇したようなただならない様子に、ソウは何事かとカタリナとともに顔を覗かせる。
そして――見た。
きびすを返し、大慌てで逃げ去っていく男たちと――。
脇の路地から、ぬっと姿を現してこちらを見つめる、宵闇の中でもはっきりそれと分かる……影が凝り固まって巨人と化したような――真っ黒な『何か』を。
* * *
「今日はお疲れ様でした、マキ君」
修道服から普段着に着替えて礼拝堂に戻ってきたマキに、アーサーはいつも通りの笑顔でねぎらいの言葉を贈る。
「神父様もね。
……ポーラ先生のお尻ばっか追っかけてたような気もするけど」
「はっはっは、何をバカな。僕は聖職者ですよ?」
「うん、その人好きのする和やかな笑顔と台詞……大抵の人はダマせるよね」
「そうなんですよ。
資産家のスポンサーも、迷える子羊も、口八丁とハッタリでダマしてなんぼのお仕事ですから」
皮肉も何のその、と言わんばかりのアーサーのふてぶてしい態度に、マキは「さすが」と肩をすくめる。
「……さて、それじゃあたしは帰るか。お休みなさい、神父様」
「ええ、お休みなさい。
……ああ、お父様には今回メンコを提供してくれたこと、改めてお礼を申し上げますとお伝え下さい」
アーサーの言葉に、マキは「はーい」と手を振って答えると、礼拝堂を後にした。
「さて……晩ごはんの材料、カタリナが買い出しに行ってくれるって言ってたけど……」
――そのまま勢い込んで自分が作るって言うようなら、釘を刺しておかないと……。
教会裏手の駐車場に向かいながら、マキはカタリナに電話をかける。
「……? 出ないなあ……もうウチに戻ってるはずなんだけど」
珍しいこともあるものだとマキが首をかしげたその直後、繋がった電話の向こうから、切羽詰まったカタリナの声が飛んできた。
『――マキさん? マキさんですかっ?』
直ちにマキも、何かタダ事ではない空気を感じ取る。
「! どうしたのカタリナ、何かあったのっ!?」
聞き返すマキに、「それが――」と荒い息の下答えようとしたカタリナの声が途絶え、一拍の間を置いて、少年の声がそれに代わった。
『姉さんっ? オレだよ、ソウ!』
「ソウ? アンタ、何でまたカタリナと一緒に――」
反射的に言いかけて、色々と可能性に思い至るマキだったが、それどころではなさそうだとすぐに思考を切り替える。
『今、オレたち……なんか、変なモノに追いかけられてて……!』
「変なモノ……?」
……マキは眉をひそめる。
何の冗談だと切って捨てるには、あまりにソウが必死だ。それにカタリナもいる。
弟だけならともかく、カタリナまで加わって、こんなイタズラをするとも思えない。
『何て言うか、影の塊みたいな……!
悪霊とか、悪魔とか……そんな感じの、とにかくヤバそうなヤツなんだよ!』
「……分かった、とにかく急いで迎えに行く。場所は分かる?」
『エネル地区の西の端の方だ、路地とか結構入り組んでる。
逃げるのに走り回ってるし、詳しくは分からないけど……デュナミス通りからはそんなに離れてないと思う』
「昼間にカブちゃん送った方か……。
――すぐに行くから、もう少し頑張りなさい!
カタリナもいるんだから、簡単に諦めちゃダメよ!」
エリーゼに乗り込み、発車準備を手早くこなしながら、マキは電話の向こうに発破をかける。
『分かってる!……姉さんも気をつけて、待ってるから!』
ええ、と答えて、ダッシュボードに放り出そうとしたスマートフォンが、いきなりメールの受信を告げる。
誰かは知らないがそんな場合じゃないと、当然のように無視しようとしたマキだったが……なぜか気になってしまい、受信ボックスを開く。
送信者は登録されていない名前だった。
「Gabriel……ガブリエル?」
メールを開くと「ここ」という短すぎる言葉とともに、光点つきの地図が表示された。
一瞬、何かマズいメールでも開いてしまったのかと警戒するマキだったが……その地図が先にソウが告げていた一帯のものだと分かると、途端にその意味を理解した。
「誰だか知らないけど、ここにソウたちがいるってこと……?」
――話ができすぎてる。何かのワナなんじゃ……。
そんな風に思って、マキは首を振った。
(だいたいワナって何よ。
あたしたちがワナにかけられるような何をしたってのよ)
正直怪しいメールだが、今はとにかくこれに頼ってみようと覚悟を決め――。
マキはエリーゼのサイドブレーキを戻した。