ホンモノの聖女ってやつなんだろうな――ってね
「さて、カブちゃん、先に来てるって言ってたけど……」
最近全面リニューアルされたばかりだという、大型ショッピングモール――。
その駐車場にエリーゼを停めたマキは、シートベルトを外しながら祥子に電話をかけていた。
祥子の提案で、今日はここに現地集合して買い物をすることになっていたのだ。
「ぶー。あたしもショッピング行きたいですぅー」
「ムチャ言いなさんな。
……ああほら、飛び回らないの!
誰かに見られたりしたらドえらいことになるでしょうが!」
休日の昼間ということもあって、多くの人で賑わう辺りの様子を尻目に、いかにも不満げにジタバタするティータをおさえつけるマキ。
「きゃおー……」
「ああもう、分かった分かった。
買い物なら今度連れてってあげるから」
「ホントですかー? きゃおーっ!」
「……ドライブスルーだけど」
祥子と待ち合わせ場所についてのやり取りを終えたマキは、くれぐれも大人しくしているようにティータに言い置いて、車を降りる。
指定された噴水はすぐに見つかった。
聖母をモチーフにしたらしい女性の像の周りを、水瓶を持った何人もの天使が、祝福するように取り囲んでいる、凝った意匠の大きな噴水だ。
入り口のすぐ近くという場所もあってか、多くの人が同じように待ち合わせに使っているのが分かる。
「お、来たね、こっちこっち!」
手を振ってマキを呼ぶ祥子は、小さな女の子を連れていた。
いわゆるゴシックドレスと呼ばれるような類の、ひらひらとした白いドレスを着込んだ少女は、相当な恥ずかしがり屋なのか、祥子の手を握ったまま、ぴったりとそばに寄り添っている。
「なるほどね。
お連れさんがいるから、今日はあたしに送り迎えしろとか言わなかったわけか」
「じゃじゃーん! ひかえおろう、マキエモン!
この子が前に話した我がお隣さん、ガブリエルちゃんだぜよ!
まっこと愛くるしかろう!」
どや、とばかりに祥子がずいっと前に押し出した少女が、自分も良く知る大天使だと知って、マキは言葉通りに目を見開いた。
「え……が、ガブちゃん? え、出てきたの? 外に? こんな昼間に!」
「――あれ?
マキ、ウチのガブちゃんと知り合いだったの?」
意外そうな祥子に、マキは慌ててうなずく。
「あ、うん、あの、えーっと……そう、ゲームを通じてちょっとね。
――っていうか、さりげなくウチの、って所有者宣言するな。
その気持ちも分からないではないけど……」
相手がマキだと知って安心したのか、安堵の表情を見せるよそ行きのガブリエル。
その姿をまじまじと観察し、マキは何度かうなずく。
「んー、可愛い! よく似合ってるじゃない、ガブちゃん。
その服、自分で買ったの?」
マキの質問に、ガブリエルは相変わらずの小声で答える。
耳を寄せて聞き直そうとするマキだったが、それより早く、祥子がさらりと言った。
「カマエル兄様が買ってくれた、だって」
「え……か、カブちゃん、聞こえるの?」
確か兄弟の天使でさえ聞き取れずにいたはずだ、とマキは驚愕するが……。
当の祥子は驚く理由が分からない、とばかりに小さく首をかしげる。
「そりゃ聞こえるでしょ。しゃべってるんだもん」
「すごい地獄耳……いや、この場合、天国耳……?」
「……にしても、なかなかセンス良いお兄ちゃんだよねー。
ガブちゃんにピッタリ!」
「あ、ああ――うん。
それはたまたまだと思うけどね……アレ、ヘンタイだし、オネエだし」
祥子に聞かれないよう、適当にうなずきながら、口の中でつぶやくマキ。
「けどさ、ガブちゃん、他によそ行きの服が無いみたいで。
こんなに可愛いのに、万年パジャマにどてらオンリーとかあまりにもったいないじゃないよ?
ゆえに、今日はその辺も見つくろってあげようと思った次第で」
「あ! いいねえ、ソレ。これだけ可愛いと着せ替えがいがあるわー。
和服なんかも似合うと思うし……。
姫柄山蒔右衛門の浴衣置いてる店とかあるかなあ、このモール……」
ニヤリと危険な笑みを浮かべ、手をわきわきとあやしく動かすマキと祥子に身の危険を感じたのか、びくりと小動物のように身を竦ませるガブリエル。
今にも逃げ出しそうなその足を必死にその場に留めているのは、一緒に買い物という約束を守ろうとする律儀さゆえか、はたまた恐怖に射すくめられたがゆえか。
一方、当の肉食獣たちは、その話題だけで日をまたげるのでは、というほどの勢いで、エモノをどう可愛く料理するか存分に語り合っていた。
このままでは、エスカレートする議論によって、自分がどれほどもてあそばれるか分からない――。
ついにそんな危機感を覚えたガブリエルは、議論が行き着くところまで行く前に止めるべく、勇気を振り絞ってマキと祥子、両方の服を引っ張って必死に自己主張をする。
「ん? おお、そーだね、ここでアレコレ話すよりやっぱり実践ですな。
――時間ももったいないし、そろそろ行こうかい」
ガブリエルのささやかな抗議を、よろしくない方向に勘違いして受け取った祥子は、ともあれ結果的に議論は止めて、行動に移そうとマキに呼びかける。
しかし、当のマキは何か気になることでもあったのか、怪訝そうな顔で後方を振り返っていた。
「……どしたの?」
「ん、何か、知った声が聞こえたような気がしたんだけど……」
知り合いでもいたのかと周囲に注意を向けるマキ。
すると、今度ははっきりと、聞き慣れた声が彼女の耳へと届いた。
「……お姉ちゃんっ!!」
「あれ……ロイっ?」
行き交う人の合間をぬって駆け寄ってきたのは、ロイだった。
さらに、遅れてエドガーも姿を見せると……マキの姿を認めるや、深々と頭を下げる。
それを受けてマキも丁寧に挨拶を返すと、改めて、明るい表情の親子を見やった。
「こんなところでお会いするなんて思いませんでした。
ちょうど、後でまたロイのお見舞いに伺おうと思ってたところだったんですけど」
「それが……ここのところ、どんどん調子が良くなってきていまして。
今日は外出許可が出たんですよ」
エドガーは、笑顔でロイの頭をなでながらマキの疑問に答えた。
「そうだったんですか。……良かった、本当に」
「シスター……いえ、お嬢さんがロイを元気付けて下さったおかげです。
それに、お父様がわたしのしでかしたことを許して下さったからこそ、こうして親子で一緒にいられると思えば、本当に、お二人には何とお礼を言ったらいいのか……」
再び深く頭を下げるエドガーに、マキはとんでもないと手を振る。
「事情は、その、父から聞いていますけれど、ウチにはそもそも実害はなかったわけですし……エドガーさんのような方が罪に問われないよう取り計らうのは当たり前なんですから。
……警察の捜査の結果、余罪がボロっボロ出てきて、塀の中でしっかり反省することになった連中とは別ですよ」
「そんな。それにお父様にはその後、ロイのことも含めて援助をいただいて……」
「それについては父も、充実させているつもりでいた会社の福利厚生が、まだまだ不充分なものであることを教えてもらったと、むしろ感謝していました。
ですから、それを改善し、適切な援助を行うのは当然のことと思います。
それに……あたしはあたしで、ロイは大事な友達ですから。
困難に遭っているのを知って、力になろうとするのは何も特別なことじゃありません」
きっぱりと言い切るマキに、エドガーは少し目尻をぬぐい、しかし笑顔で礼を述べた。
「――お姉ちゃん。ぼくからも、お礼を言わせて」
「……ロイ?」
「ぼくね、あのとき……もうダメだって思ってたんだ。
暗い水の中に沈んでくみたいで、このままずっと底まで沈んでいって、それで、そのまま死んじゃうんだって。
でもね、そうしたら……お姉ちゃんが助けてくれたんだ。
自分は死なない、生きてやるんだって強く願いなさい、って。
大好きなパパと一緒に、これからも生きていくって、そう言いなさいって。
そうしたら、きっと奇跡だってつかみ取れる、って――お姉ちゃんの声が聞こえたんだ。
だから、ぼくは言われたとおりにした。
真っ暗な中で、身体があるのかも分からなかったけど、思いっきり、力いっぱい叫んだんだ。
そしたら……目が開いて。
病院のベッドにいて、パパが手を握ってくれてて。
先生も、よく頑張ったね、もう大丈夫だよって言ってくれて……」
ロイは目を輝かせてマキを見上げる。
「お姉ちゃんの言ったとおりだったよ。
あきらめないでがんばったから、きっと、ぼくのお願いしたとおりになったんだ。
パパと一緒にいられるし、ちょっとずつ元気になれてるんだ。
だから――だから本当に、ぼくを助けてくれてありがとう、お姉ちゃん!」
精一杯に感謝を伝えるロイ。
マキは恥ずかしそうに少し笑ったかと思うと、軽く、そんなロイの額を指でぴんと弾いた。
「なーに言ってるの。
夢の中のあたしがどんなにリッパなこと言ったか知らないけど、頑張ったのは他でもない、ロイ、あなた自身なんだからね。
あたしに感謝することなんて何にもないよ」
「そんなことないよ。……ぼくは信じてるから。
お姉ちゃんははげましてくれただけじゃない、きっと、ぼくのことを助けてくれたんだ――って」
負けじと、ロイは笑顔でそう言い張った。
その表情には、マキがいつか病院で見たようなはかなさは、微塵も感じられなかった。
「――ロイ……」
「さあ、ロイ、そろそろ行こうか。
あまりお嬢さんとお友達の邪魔をしちゃいけないし、もうすぐ病院に帰る時間だからな」
父に言われて、ロイは一瞬不満そうにもなったが……すぐに、笑顔に立ち返った。
「うん……もっと元気になるためにも、先生の言うことをちゃんと守らないといけないもんね。
……うん、それじゃあ――またね、お姉ちゃん!」
マキに、そして祥子たちにも一礼してきびすを返すエドガー。
その父と仲良く手を繋いだロイは、空いた手をこちらに何度も振りながら、人混みの中へ去っていった。
その姿が見えなくなるまで手を振り――。
そして一言「よかった」と、優しい顔でマキはつぶやく。
「……うーん、さすがというか……。
マキ、あんたってばやっぱりホンモノなんだねえ」
背後からかかる祥子の声に、マキはいぶかしげな顔で振り返る。
「なーによ。ヤブから棒に」
「いや、さっきのあのお父さんとの会話を聞いててさ。
ああ、なるほど、この子は確かに名家のお嬢様だわ、って実感しちゃってねえ。
……いや、ホメてるんだよ?」
「ふん、人を常々ニセモノ呼ばわりしておきながら、何を今さら。
……おあいにくさま、お昼をおごらせようったってそうはいかないからね」
「え? わたしとガブちゃんの福利厚生は?」
「ウチに就職するなら考えてあげる」
イタズラっぽく笑いながら言って、マキはもう一度、ロイたち親子が去って行った方向を振り返る。
その様子を見ながら、ガブリエルがあいかわらずのか細い声でつぶやいた一言に……。
祥子は、からりとした笑顔でうなずいて同意した。
「……うん、わたしもそう思った。バイトシスターだけど……。
きっと、この子みたいなのが……。
ホンモノの聖女ってやつなんだろうな――ってね」