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ゴーストキャリアー  作者: 八刀皿 日音
4章  聖女は祈り――走る
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7.貴方のこれからの生に、幸多からんことを



 ――きらびやかな星の天蓋と、穏やかな月光に抱かれて横たわるヴィアーハ湖。


 その輝きを映した水面は、周囲の闇さえ引き立てる、まさにこの世のものとは思えない美しさだった。


 磨き抜かれた鏡を思わせるその水面は、しかしいかなる宝鏡でも持ちえない、水であるがゆえの途方もない深遠さと、そして限りない優しさをもって広がっている。


 天界への扉だという言葉を否応なく信じてしまうほどに、その光景は確固たる神秘だ。




 エリーゼから降り、カマエルたちとともに湖岸まで歩いてきたマキもやはり、しばしその光景に我を忘れた。


 あらゆる感情を洗い流された気分で、ただ無心に湖面に見入る。



「……マキ?」


「え? あ、ああ、ゴメン。

 あんまりキレイだから、ちょっと見とれちゃって……」


「あら。あらあら!

 ンもう、今さら、という気もしますけれど、ここは素直にお礼を――」



「もちろん、アンタのこと言ってるんじゃないから」



 優雅に目を伏せたカマエルに、冷ややかに、かつきっぱりと釘を刺してから……。


 改めてマキはロイの方へと向き直り、しゃがみこんだ。



「ロイ。何て言うか、色々ごたごたしちゃったけど……。

 とりあえず、お疲れさま」


「……うん。

 ホント、死にかけて魂だけになったハズなのに、よっぽどいっぱい死にそうになった気がする」



 ロイは無邪気に、いたずらっぽく笑った。



「あ、あはは……ゴメン。

 もっとスマートに行ければよかったんだけど」


「ううん。

 ……こんなこと言っちゃダメかも知れないけど、楽しかったよ、とっても。ホントに」



「――ん。そっか、ありがと」


 マキも笑みを返し、ロイの頭をくしゃりとなでた。



「ぼくも……ありがとう。

 ぼくを――パパを、助けてくれて」



「ううん、あたしは手助けをしただけだよ。

 ……言ったでしょ? 奇跡だって、自分で起こしてやるってぐらいじゃないとダメだって。


 ロイに強い思いがあったから、だからきっと、あたしもやり遂げられたんだよ」



「……お姉ちゃん……」



 仲の良い姉弟を思わせる二人。


 その仲を邪魔するようで、役割を果たすときが来ているにもかかわらず、どう声をかければいいのかと戸惑いながら見守るサリエル。


 それを察したのか、カマエルがごく自然に、長身を屈めてマキたち二人の肩にそっと手を置いた。



「……さて、申し訳ありませんけれど、そろそろお時間ですわ。

 ――サリー?」



「あ、はい!」


「天界から元の身体まで、しっかりと彼をエスコートしてあげなさい。よろしくて?」



 そもそもそれが役目なのだ。

 サリエルはカマエルに助けられたことを少しばかり恥じながら、弾かれたように一も二もなくうなずいた。


 その妙にかしこまった様子を楽しげに確認してから、カマエルは改めてロイと顔を合わせる。


 そして、いかにも天使らしい和やかな笑みを浮かべた。



「マキの言う通りです。

 もし貴方が悪魔の恐怖に屈したり、心の底から諦めたりしていれば、マキがどう頑張ろうと、貴方は悪魔に捕らわれていたでしょう。

 だからこの結果は、あなた自身が勝ち取ったものでもあるのです。


 ――ロイ・ドレフィス。本当によく頑張りましたね。


 大いなる父の御名において、我らは責任をもって、貴方をあるべき場所へと帰しましょう」



「あ、ありがとうございます、天使様っ」



「ですけど……一つ、貴方に断っておかなくてはならないことがあります」


 カマエルは言葉通りに、ロイの前で人差し指一本を立てる。


「貴方が今夜、魂だけの存在となって経験したことは、申しわけありませんけれど、すっかり忘れていただきます。

 わたしたち天使の実在とか、あまり公にもできませんもので」



「そ、そうなんですか……」


 残念そうにうつむくロイ。

 すると、マキがその頭にぽんと手を置いた。



「うん……あたしも残念だけど、しょうがないよ。

 ――それにさ、この夜の記憶が消えるからといって、生きよう、生きたい――そう決めた強い意志までは、消えたりしないでしょ?」



 マキがしたり顔を向けると、カマエルは大きくうなずいた。



「もちろん。

 ――それはロイ、貴方の魂そのものの強さであり、輝きですもの。

 しっかりと抱き、胸を張ってお行きなさいな」


「は、はいっ!」



「ロイ・ドレフィス。

 貴方のこれからの生に、幸多からんことを」



 カマエルの祝福の言葉を受けて、ロイはもう一度、深々と頭を下げる。


 そして「こちらへ」と差し伸べられたサリエルの手を取り、導かれるままに湖上へと足を踏み出した。



「お姉ちゃん――」



 サリエルに引かれて数歩、美しい波紋を残しながら水上を進んだところで、ロイは振り返る。



「ありがとう! ホントに、ホントにありがとう!

 ティータにもよろしく、あんまりケンカとかしちゃダメだよ!」


「うん。――またね、ロイ!」



 手を振るマキに、これでもかというぐらいに大きく手を振り返してロイは、サリエルに導かれるまま、湖の中央へと向かった。



 やがて湖面から、星空へ向けて架け橋のごとく、一筋の光の柱が立ち上る。


 それは辺りを煌々と照らす暖かな輝きをもって、ロイを包み込んでいった。



 そして、まばゆい光の中、サリエルが一礼したのを最後に、それは収束し――長く尾を引いて、天へと昇ってゆく。




 そんな光の残滓も、やがて一粒まで消えてなくなり、湖がまた元通りの落ち着きに立ち返るまで――マキは、目を逸らすことはなかった。



 そうしてしばらくしてのち、視線はそのまま、マキはおもむろにカマエルを呼ぶ。




「……ねぇ」


「なにかしら?」



「死について……あたしは普通の人より多くを知ってると思う。

 何たって、それが本人にとっては苦痛どころか、本当は優しいものなんだ、ってことまで知ってるんだから。


 けどさ、やっぱり人の死は――重いんだ。


 それはつまり、人の命そのものと、その命との繋がりっていうのが、いかに大きくて、重いか……ってことだと思う」



「……ええ」


 未だ湖に目を向けたまま、独り言のように語るマキに、カマエルは柔らかく相づちを打つ。



「でも……でもね。ママのときがそうだった。

 初めはあんなに重いのに、持っていられないぐらい重いのに、少しずつ、少しずつ軽くなって……いつの間にか、以前みたいに重いと思わなくなってるの。


 もし仮に、今夜あたしが失敗して、ロイが助からなかったら……同じようなことになってたのかな。

 重さを忘れるって――投げ出しちゃう、ってことなのかな……」



 マキの無垢な子供を思わせるつぶやきに、カマエルは微笑みながら首を振った。



「まさか。本当はもっと簡単なことなのですわよ?

 軽くなっていくのはね、マキ。貴女が強くなるからなの。


 命は――死は、何をムダにすることもない。

 その重みを受け止めた人を、少しずつでも強くしていくの。


 だからいずれ……背負ったそれを重いとは思わなくなる。

 ……ただ、それだけのことなのよ」



 それはまさに、たとえるなら子供をさとす母親だった。


 ゆっくりと一言一句、丁寧に、マキの心まで染み通らせようとするように、カマエルは言葉をつむぐ。


 聞き終えたマキは、ようやく首を動かし、驚いたとばかりにカマエルを見上げた。



 そして、複雑な心境そのままの微苦笑を浮かべながら……くるりと、湖に背を向ける。



「参ったなぁ……。

 悔しいけど今、ほんの少し――本当にほんの少しだけだけど、アンタのこと見直しちゃったよ」


「うふふ。そこはほら、わたしもそれなりに地位のある天使ですもの。

 たまにはそれらしいことを言わなくては……ねぇ?」


「――たまに、でいいわけ?

 まったく、天使ってのもお安い仕事だよ……べらんめー」



 マキは悪態をつきながら、エリーゼの方へと戻っていく。


 そして――



「……マキ、今日は本当によくやってくれました。

 あとはゆっくり、お休みなさい」



 カマエルの挨拶に、面倒くさそうに背中越しに手を振って、運転席に潜り込む。





「……きゃおー、ホンっトお疲れさまでしたぁ、あねさまー!

 エンジンはイカレる寸前だわ、ボディはボロボロだわ、神力は使いまくるわで、あたしももうヘっトヘトでー……」



「あたしもよ。

 もういっそ、このまま寝ちゃいたいぐらい」



 目元をもみほぐしながらマキがそんなことを言っていると、目覚ましのようにスマートフォンが鳴った。


 億劫そうにホルダーから取り上げるマキ。



『……マキさん? ご用事はまだかかりそうですか?』



「ああ……カタリナ? まだ起きてたの?

 あー、うん、何とか用事は済んだから、今から帰るけど……もう遅いんだし、待たなくていいから、先に寝てなさい」



『あ、でも、お腹が空いてるだろうと思って、お夜食におじや作りましたから……。

 今、ソウ君も食べてくれてるところですし、良かったらどうかな、って』



 カタリナの可愛らしい声の向こうから、切れ切れに、あったかいタピオカ入りココナッツミルク、という不穏な単語が聞こえてくる。


 しかし――まあいいか、とマキは思った。



「……あたしの神力も、これでいっぺんに回復ってわけなのかね」



『……え? どうしました?』


「んーん、なんでも。

 ちょうどお腹空いたなーって思ってたところだから、すぐ帰るよ」



『――あ、はい、お待ちしてますねっ』



 通話を切り、スマートフォンをホルダーに戻すと、マキはぐーっと伸びをした。




「ま、疲れを取るには甘いモノが一番ってね。


 ――さて、帰ろうか……ティータ!」




「がってんです、あねさまー!」






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