5.あんなマッチョの言いつけなんざクソっくらえです
「だーっ、くそっ、べらんめえっ!」
コントローラーを叩き付けるように置き、ソウは自分への悪態をつきまくる。
テレビ画面は、ソウがバイパーにとんでもない方法で抜かれたその時点で……作りかけのゲームだからここまでだとばかりに、さっさとゲーム機本来のメインメニュー画面に戻っていた。
それだけに、しばらくは呆然としていたが……。
少し経つと、やり場のない悔しさが次から次へと口をついて出た。
そして、それがひとしきり済んで冷静さが戻ってくると、今度は先の『ゲーム』についての疑問が湧き上がってくる。
――いくらなんでも、あの日と同じすぎやしないか……?
あまりに不思議だと、ソウは反射的に祥子に確認の電話をかけていた。
『おー、ソウ君。今こっちからかけようとしてたのさ。
友達から、協力してくれてありがとう、本当に助かったって伝えてくれってさ』
「あ、いえ、そのことなんですけど、カブちゃんさん……アレ、本当にゲームだったんですか?
作りがスゴイってだけじゃなくて、その……うまく言えないんですけど、妙なリアリティがあったって言うか……」
改めて口にすると、自分でも変なことを言ってるな、と思うソウ。
だが、あの日の夜、悪魔としか形容できない黒い影と遭遇したのは事実だし、その延長線上にあるような黒いバイパーが、常軌を逸した走りまで含めて再現されていたとなれば、このゲームに、あの悪魔みたいな存在との関係を疑わずにはいられなかったのだ。
当然、その詳しい事情を知らない祥子は声色に疑問符を浮かべたまま、じゃあちょっと友達に聞いてみると一旦電話を切った。
そしてしばらくの後、緊張して待つソウのスマートフォンが着信を告げる。
「え……姉さん?」
てっきり祥子からの折り返しだと思っていたソウは、首をかしげながら電話を取った。
「どうしたの姉さん、何かあった?」
『え? あー、いやいや、そういうわけじゃないんだけども……』
姉らしくないはっきりしない物言いながら、しかし元気そうな声色に、ソウは内心――彼自身、どうしてかははっきり分からなかったものの、ほっとしていた。
『お礼、言っとこうと思ってさ。
――ありがとね。ホントに助かった』
「は? オレ、別に姉さんにお礼されるようなことは――」
言いかけて、ソウはついさっきのゲームのことかと思い至る。
姉がゲームなど作っていないのは確かだが、製作者が祥子の友達ということは、その人物は姉にとっても友人である可能性があるからだ。
「カブちゃんさんから頼まれたゲームのこと?
でも、あれは……」
あくまで頼まれたのはテストプレイなので、勝ち負けは関係ないはずだ。
しかし、姉の仇を取ると意気込んでいたソウとしては、当の本人の声に、悔しさを再燃させずにはいられない。
だが、そんな彼にかけられる姉の感謝の言葉は、ただ優しかった。
同情や慰めではない純粋な感謝が、優しく包まれていた。
『ううん、助かった。本当に助かったんだよ。
……だから、ありがとう』
一方的にそれだけを告げて、電話はぷつりと切れる。
テストプレイへの礼にしては、何か妙な感じだとは思った。
しかし、その疑問以上に、
「へへ……そっか」
姉から、真っ直ぐな感謝を向けられたことが――姉の役に立ったらしいということが。
とにかくソウには嬉しくて、誇らしかった。
感情がたちまちその一色で染まるほどに。
――単純だな、オレ。
自分で自分に呆れるが、それすらも、悪い気はしない。
結局、その様子は、折り返して電話をしてきた祥子にも、開口一番、『なにか良いことあったの?』と尋ねられるほどだった。
「え、えっと、まあ、ちょっと。
……あの、それでさっきの話は……」
『うん、なんかだね、共同製作者の1人が、1週間ぐらい前にケテル山で実際に見たカーチェイスがものすごかったから、そのままゲームに取り込んでみたってことらしいけど』
「……あれを……見てたんだ」
なるほど、あんなものを実際に見たら、ゲームを作るほどクルマが好きなら興奮もするだろうとソウも思う。
そして実際に見たからこそのあのクオリティだと言われれば、理解もできなくはない。
ただ、間違いなくその場に居合わせた彼自身からすれば、「本当にそれだけ?」という疑念は変わらず残りはするのだが……。
姉が礼を言ってくるということは、姉はその人たちを信用しているということ。
なら、少なくとも、悪魔に関係があるとか、そうした悪いことではないハズだ――。
(……姉さんお人好しだけど、人を見る目はあるもんな……)
そう納得して、ソウはわずかにひっかかる疑念は飲み下してしまうことにした。
「ありがとうございます、カブちゃんさん。おかげで納得しました。
友達さんにも、貴重な体験ができておもしろかったですって伝えて下さい」
『ほいさ、承知したよ。
――そいじゃねソウ君、おやすみー』
「はい、おやすみなさい」
電話を切ったソウは、続けてゲーム機の電源も落とすと、伸びをしながら立ち上がる。
「……さて、と。
そんじゃ一仕事したし、カタリナの作ってるお菓子でも味見させてもらいに行くかー」
当のカタリナはダシを取っているつもりなのだとは知る由もなく……。
ソウは改めて、意気揚々と食堂へと足を向けるのだった。
* * *
――ケテルの峠を、二つの光が奔る。
いずれ一つになろうとするように近づき、手に手を取ってステップを踏み舞い踊る。
しかしそれは、厳然たる戦の舞踏。
一見優雅なその交差の下に、激しい剣戟の火花を散らす――正真正銘の一騎打ちだった。
「しつ――こいっ!」
崖の斜面を走って前方に回り込もうとするバイパーを、マキは反対側のガードレールに車体を擦らせながらかわしていく。
ここまで来る間に、もはや満身創痍といっていい状態になっているエリーゼの、パワーの低下も原因の一つだろう。
だがそれ以上に、先にマキが感じ取ったように、バイパーが怒りに囚われたような本気の猛追を開始したことが……こうしてマキたちがあおりにあおられている最たる要因だった。
「べらんめー……!
ちょっと意趣返ししてやったぐらいでキレて見境ナシに飛びかかってくるとか……子供か!
何千年も生きてるいい大人なら、そこは感心して素直に勝ちをゆずるぐらいの余裕を持てってのよね……っ!」
今走っているのが、もともと広い本道の中でもさらに道幅が広い区画であるため、完全に回り込まれさえしなければ何とか避けるスペースは確保できるものの……。
それも、運転者の精神力が保つ限りは、の話である。
いかに素質を見込まれていたマキでも、そもそもゴーストキャリアーとして走るのは今夜が初めてなのだ。
ほんの少しでもスキを見せればすぐさま死角から飛びかかってくる毒蛇の牙の、鋭すぎる緊張感など、そういつまでも耐え続けられるものではない。
そしてそれが分かっているからなおのこと、マキはじわじわと追い詰められる己を自覚し、さらに神経を磨り減らしていく。
まるで、牙のかすった傷口から毒が回るように。
悪態の数が徐々に増えているのも、その証拠だろう。
とにかく負けん気を口に出して形にしていないと、気が呑まれそうなのだ。
助手席のロイは、その様子を悲痛な思いで見守っていた。
運転の邪魔をしないようにと、心の中で必死にエールを送り、そして、神へと祈る。
とにかく、マキが無事に最後まで走りきれるように、と――その結果に自分の命もかかっていることすら忘れて、ただ一生懸命に。
そして、ダッシュボードの上では同じくティータも黙りこくっていたが……。
その心を占めるのはロイとは違い――迷いだった。
……ティータには、この状況を打開できる可能性を秘めた、最後の奥の手があったのだ。
だがそれは、彼女の生みの親の1人であるラファエルから、マキがゴーストキャリアーとして経験を積むまで、危険だから使ってはならない――と、禁止されているものだった。
しかし、だからといってそれを守って何もせず事態を静観すれば、遅かれ早かれ、蛇の牙に捕らわれるだろう――。
「……きゃお……」
正直なところティータは、ここで負けを認めるのも一つの手だと考えていた。
悪魔が狙うのはロイの魂であり、マキの命ではないからだ。
はっきりいって命の危険性という点では、奥の手で勝負を賭ける方がはるかに高い。
だけどそれは――と、ティータは伏し目がちにロイを見る。
……そう、彼を犠牲にすることでもあるのだ。
無垢ながら気高い、まさに神の祝福を得るにふさわしい魂を見捨てるということなのだ。
あるいは、そんな彼だからこそ、マキのためならと己を差し出すかも知れない。
だが――そうまでして命を永らえて、マキは納得するのだろうか……?
巡る思考に決断を下せないまま、ティータはおずおずと口を開いた。
「あの、あねさま……。この勝負、降りる気は――」
「あるもんか」
即座に答えて、マキはフンと鼻を鳴らす。
「いくらヤバかろうと、噛みついてでも勝ちにいく。
あたし自身のプライドってのもあるけど――」
マキは、自分を心配そうに見守るロイと、一瞬だけ目を合わせた。
そして大きく息を吸い込むと、何より自分を鼓舞しようとするように声を張り上げる。
「あたしは、この子を助けるためにここまで来たんだから!
この先も、大好きなお父さんと一緒に生き続けたい、その願いを叶えるために戦ってるんだから!
誰でもない、あたし自身がそうしたいんだから!
だから――降りる?
そんなクソったれな選択肢なんてハナからあるもんか、べらんめーっ!」
「……あねさま……!」
マキの言葉に、ティータは確かな光を見た。
そう、迷うことなど何もない――ただ、なすべきをなすのみだと。
「……あねさま、あたし、決めました!
ラファエルさまの言いつけ、破ります!
あんなマッチョの言いつけなんざクソっくらえです、べらんめーです! きゃおー!!」
「――え? ティータ、アンタ何を……」
ダッシュボードの上にすっくと仁王立ちし、手を振りかざして宣言するティータ。
突然のその行動に、何事かといぶかるマキの視界の中、各種計器のバックランプが、これまでとは違う色に変化した。
「ラファエルさまからは、今はまだ使っちゃダメだって言われてましたけど……!
残る神力を根こそぎありったけつぎ込んで、6速のさらに上、『第七天速』を発動しますっ!」
「第七天速――?」
「はいー。ギアではありますけど、車のあらゆる性能を、地上の法則では到底届かないレベルまで爆発的に高めるスイッチみたいなもので……。
タイヤの接地力とかにまで影響する、神力式で持続時間がずっと長いニトロだとでも思ってもらえればいいですー。
これを使えば今の状態でも、ヴィアーハ湖までギリギリで逃げ切れると思いますー、けど――」
「けど、ニトロみたいってたとえるぐらいだから、シャレにならないほど速くなっちゃうってわけか。
つまり、コントロールしきれなくなって事故る可能性も一緒に跳ね上がるから、とりあえずまだ使うなって言われてたのね」
「……はいー。
でも――でもでも、あたし……っ!」
ティータの真剣極まりない声が車内に響く。
そこに込められた想いに、マキはティータの踏んだ葛藤を察した。
忙しい最中でありながら、わざわざ手を伸ばして直にティータの頭をなでる。
「ありがと、ティータ。
任せなさい、どれだけ速くなっても完璧に操ってあげる。
あなたのその覚悟に応えてあげる。――約束する」
「きゃお……!
はいぃ、あねさまなら大丈夫って信じてますーっ!
――それじゃ、いきます――!」
「お願い。――ロイ、舌噛まないようにね」
「うん、大丈夫! ティータもがんばって!」
「はいーっ!
『第七天速』……発動ーーっ!!」
* * *
「…………なんだ?」
前方のエリーゼに目に見えない変化が起こったことを、サミアは感じ取った。
逃げることもかなわず、今にも狩られるはずだった獲物が、決死の覚悟で牙を剥く――。
そんな印象を受ける、エリーゼから感じる明らかな戦意と迫力の高まり。
同時に彼女はその中に、懐かしささえ覚える、まばゆいばかりの天界の光を垣間見た。
(まさか――!)
サミアが思い至ったその瞬間――。
エリーゼの後輪とアスファルトの接地面から、白い炎が猛々しく吹き上がる。
そしてそのまま、路面に炎の轍を刻みつけ、エリーゼは自らを縛り付けていたものを力ずくで引きちぎっていくかのような、怒濤の加速へと突入した。
(やはり……あれは第七天速!
あれほどのスペックに至ったクルマだ、備わっているだろうとは思っていたが――よもや初陣の、しかもこんな山道で発動させるとは――!)
驚きながらも、同時に沸き上がる激しい感情が抑えられない。
白い炎に照らされたサミアの表情は、これ以上ない程の愉悦の笑みを形作っていた。
「ゴールは間近、まさしくクライマックスというわけか!
よかろう、付き合ってやるとも――最後までな!」
血の色をした唇を、やはり血の色をした舌で一舐めするサミアの瞳が――。
ぎらりと激しく金色に輝いた。