3.神サマのイキな計らいっスね
「……いやー、思わず最後まで見ちゃったよ……」
テレビを消すと、パジャマ姿の祥子は椅子に座ったまま、ぐーっと背筋を伸ばした。
風呂上がりに何気なく点けたテレビでやっていたのは、彼女が子供の頃、祖国日本で見ていたアニメの映画版だった。
単純な懐かしさに、吹き替えなど、ローカライズがどうなっているのかという興味も手伝って、ついつい夢中になって見入ってしまったのだ。
「すっかり日をまたいじゃったし、そろそろ寝ないとなー……」
席を立ち、寝室に行こうとしたところで、テーブル上の彼女のスマートフォンが着信を告げた。
発信者の名を見た祥子は、珍しいこともあるもんだと思いつつ、椅子に座り直して電話を繋げる。
「……こんばんは。
そっちから電話とか珍しいね、どうしたの? ガブちゃん」
スマートフォンの画面に映し出されたのは、ピンクのパジャマに、シブい唐草模様のどてらを着込んだ少女だった。
祥子がついつい面倒を見てしまうお隣さん、ガブリエルだ。
ガブリエルは何かを訴えているらしく、口をぱくぱくと動かしている。
しかしその音声はまるで拾えておらず、また画面上に文字を打ち込むこともしていない。
ところが……祥子はまったく何ら戸惑うこともなく、ふむふむとうなずいていた。
「……で、自作のゲームのテストプレイを早急にお願いしたいから、誰かレースゲームが得意な人間に連絡をつけてもらえないか、と?
うーん、そーだねぇ……実車をぶっ飛ばすのが大得意なコなら、心当たりがありすぎるほどあるけど……。
ゲームかぁ~……うーん……」
車と聞いて、真っ先に祥子の頭に浮かんだのはマキだったが、そんな友人も、レースゲームとなるとしょっちゅう負けると言っていたことを続けて思い出す。
では他に誰がいただろうと考え直そうとして、祥子はふと気が付いた。
「あ、そっか。それなら、あの車バカを打ち負かしたその人に頼めばいいわけだ。
……うん、そう、とりあえずあたりはついたよ。
引き受けてもらえるかどうかは、実際に聞いてみないと分からないけど、ま、多分大丈夫。
……え? お礼?
やだねえ、水臭いことはお言いでないよお嬢さん――て、いや、ちょいと待った」
ガブリエルから礼を言われたらしい祥子は、大げさに手の平を突き出すと、そのまましばし考え……やがてニヤリと、意味ありげに微笑む。
「ならさ、今度、買い物に付き合ってよ。
……ううん、別におごれとか言ってるわけじゃないよ?」
祥子の脳裏には、先ほど見ていたアニメの登場人物の姿が思い浮かんでいた。
いかにも女の子らしいフリフリの服装をしていたその少女を、スマートフォンの向こうのどてら少女と重ね合わせていたのだ。
「たまにはガブちゃんとお出かけもいいなって思っただけ。
女の子同士、服とか見に行こうじゃないの、ねえ?」
すっごく着せ替えがいがありそうだから……という、自身の欲望まみれの言葉を必死に呑み込んでの祥子の提案。
仮にそれを察していれば、そもそも外出嫌いのガブリエルのこと、必死に首を横に振ったかも知れないが……。
結局、多少はためらったものの、その程度の頼みならとばかりに、ガブリエルはぐっと親指を立ててみせた。
「……おにゃのこかいたい? ああ、お茶の子さいさいね。
その言い間違いは何かとヤバいからこれからは気を付けようね。
それはともかく、じゃ、商談成立ってことで。
――うん、連絡は任せて。
……え? ああ、うん、うん……分かった、そう伝えれば良いんだね?
おっけー、承りやしたぜ」
ガブリエルに合わせて自らもぐっと親指を立てて見せ、祥子は一旦電話を切る。
そして、改めてスマートフォンを操作しながら……。
むふふー、と、実に楽しそうに鼻を膨らませた。
* * *
「きゃお……! ロイが運転、ですかー……?」
ロイの宣言を受けたティータは、当然のように目を白黒させる。
ゴーストキャリアーに運ばれている魂が、逆に当のゴーストキャリアーを運ぶなど、前代未聞である――少なくとも、ティータ自身の知識からすれば、だが。
しかしそれでなくても、成人ならまだしもロイは小学生だ。
実のところ、魂だけの存在になっているロイは肉体という制限から解き放たれているため、反射神経や動体視力においては平時よりもずっと研ぎ澄まされているほどなのだが……。
それでも体格、経験、知識といった点で、車の運転を任せるには早過ぎるとしか思えなかった。
「お姉ちゃんも、小学生のときにこのエリーゼを運転したんでしょっ? なら!」
ティータが悩んでいるのを見て取って、ロイはさらに言葉を重ねる。
それは確かに事実だったが、広い私有地を少しずつ学びながら自由に走るのと、悪魔に追われながら夜の峠道を走るのではまるで状況が異なる。
そもそも、運転免許さえ持っていれば務まるぐらいなら、わざわざ天使がゴーストキャリアーなど選ぶ必要はないのだ。
しかし、このままマキが目覚めるの待つのも、相当な悪手であるのは明白だった。
いや目覚めさせるだけなら大した時間もかからないのだが、気絶するほどに頭を打った以上は、まともに運転できるようになるまである程度の時間は必要だろう。
「そ、そりゃあぼくは、ゲームぐらいでしか車なんて動かしたことないし、それにしたってそんなに上手いわけでもないけど……!」
おしゃべりなはずのティータが黙考している様子に、さすがに無茶に過ぎるのかとロイの言葉から力が抜けそうになる――が。
逆にその一言に、ティータは何かを閃いたらしく……ダッシュボードの上で飛び上がった。
「! ゲーム! それですー、ロイ!」
そうして、何のことかと呆気に取られるロイをよそに、恐ろしいまでの速さでホルダーのスマートフォンを操作すると、これまた恐ろしいほどの早口で電話向こうに状況を説明し――。
また何か、儀式めいた動きで画面をタップしていたスマートフォンを、やおらロイに投げ渡した。
手の中に収まったスマートフォンを見下ろすロイ。
その小さな画面には、ゲームのコントローラーよろしく、操作キーが映し出されていた。
「エリーゼの運転を、一時的にそのコントローラーでできるようにしましたー!
でもって、機械聖霊たるあたしが挙動を補佐すれば、ゲームに近い感覚で操作できますー!
これなら、普通に運転席に座るよりずっと運転しやすいはずですし、すぐにあねさまに代わってもらうこともできますよー!」
「……! う、うん、分かった!」
コントローラーとなったスマートフォンを持ち直し、ロイは緊張気味にうなずく。
対してティータは、さらに指をぴんと立てると、「加えて!」と得意げに声を張った。
「もう一つ、ガブリエルさまにお願いして補佐を用意しましたよー。……アレですー!」
ティータが示したのはフロントガラスの向こう側だ。
少し離れた先の闇の中に、ぼんやりと光る……それこそこのエリーゼの幽霊のような存在が浮かび上がった。
「達人の方に、アレの操作をお願いしてありますー……ので!
ロイはとにかく、先を行くあのゴーストの後を追っかけることに集中してくれればオッケーですー!」
にっこり、大丈夫と言わんばかりに笑うティータに、ロイも改めて、力強くうなずき直した。
奇跡は、自らつかみ取るもの――マキにそう言われたことを噛み締めて。
「……ありがとう、ティータ。
ぼく、がんばるから……!」
* * *
机に向かい、明日までの宿題を片付けていたソウは、最後の問題の答えを埋めると、満足げに一息つきながらペンを放り出す。
そして、引き寄せられるように壁掛け時計を見上げた。
「姉さん……遅いな」
まだ中学生の自分と比べれば、姉は大学生だ。
友達と連れ立って、夜遅くに出かけていることぐらい何度もあったし、今日もそんなところだろうと思っていたのだが……。
どうしてか、妙な胸騒ぎがおさまらない。
「ま……あの姉さんに限って、何かあるってこともない……よな」
そう自分に言い聞かせながら何気なく窓の外へ目を向けていると、腹がぐうと鳴った。
どうやら、少し前から漂ってきている甘い匂いに釣られたらしい。
「……身体は正直、ってやつかー」
姉の心配をしていたはずなのに現金なもんだ、と自分の身体の反応に半ば呆れながら、ソウは席を立つ。
匂いのもとは、カタリナが、姉が帰ってきたときのためにと用意しているお菓子に違いないと踏んだ彼は、味見を理由にちょっとつまみ食いさせてもらおう――そんな風に考えたのだが。
食堂へ向かうのを呼び止めるように、机の上のスマートフォンが鳴った。
「ん?
――え? カブちゃんさん?」
てっきり姉からだと思っていたソウは、表示された相手に首を傾げる。
姉の友人の鏑木祥子とは面識があるどころか、それなりに親しくしているが、それでも直接連絡があることはそうそう無いからだ。……しかも、こんな夜中に。
――まさか、姉さんに何かあって……?
一瞬、再度沸き上がった不安に押されて、慌てて電話に出るソウ。
しかし、そんな彼の調子とは真逆に、返ってくる声はいたって陽気なものだった。
『やほー、こんばんはソウ君。
……もしかして寝ちゃってた?』
「え、いえ、大丈夫……ですけど」
雰囲気からして、とりあえず悪い報告などではないらしいと分かって、安堵しながらソウは椅子に座り直した。
「オレに直接電話とか珍しいっスね。どうかしたんですか?」
『うん、まーね。
……いきなり何だけど、ソウ君ってさ、レース系のゲーム結構得意だったよね?』
「? まあ、そうっスね……格ゲーとかよりは自信あるかな。
姉さん、ゲームでもクルマとなると強いんだけど、それでもだいたいオレが勝ちますし」
ハンドル型のコントローラーなら負けないのに、と歯ぎしりする姉の姿が脳裏をよぎる。
『おおう、良いではないか。
……いやね、実はわたしの友達が、レースゲームが得意な人に早急にお願いしたいことがあるって言うんだけど――』
……自作のレースゲームのテストプレイをしてほしいらしい――。
祥子が述べた頼み事の内容に、大いに興味を引かれたソウは前のめりに目を輝かせた。
「面白そうっスね!
……今から、ですか? もちろん、ゼンゼン大丈夫ですよ。
あ、でもゲーム自体は――」
『ああ、それならネットで直接データ送るから、ソウ君はゲーム機起ち上げてネットに繋いでくれるだけでいいって。
……わたしも詳しくは分からないんだけど、その子がそう言ってた』
「へえ……じゃ、とりあえず言われた通りやってみます。
ハコステでいいんですよね?」
確認しながら、ソウはゲーム機を起ち上げる。
すると何もしていないにもかかわらず、メニュー画面やらをすっ飛ばして、いきなりゲーム画面らしきものがテレビに映った。
車の運転席からと思しき視界には、夜の山道が浮かび上がっている。
もっと、いかにもゲームらしい作り物めいた光景を想像していたソウは、そのあまりに緻密なグラフィックに感嘆の声を漏らす。
「うわ、すげえ……ヘタな市販作品よりリアルじゃないですか!
まあ、いきなりゲーム本番に飛ぶあたり、まさに作りかけって感じですけど。
で……とりあえず、走ってみればいいんですか?」
『んとね……しばらくの間、逃げてほしいんだって』
「逃げる?」
『うん。
後ろから一台、すごい速い車が追いかけてくるから、それに捕まらないように、だって』
「……なるほど、見たところ峠道みたいだし、一対一のガチンコバトルって感じっスね。
で、お互いの車種とかデータに入ってるんですか?
どういうタイプのクルマか、ぐらいでも」
『えーっとね、ちょっと待って、わたしあんまり詳しくないから確認してみる』
制作者の友達に改めて確認しているのだろう、しばらくの間が空く。
その間に何気なくゲーム画面を観察していたソウは……。
画面の中の光景と、説明された設定に、既視感を感じていた。
『……ごめんごめん、お待たせ。
えっと、ソウ君の車はNAでMRのライトウェイトスポーツ……って、これで分かる?』
「分かります。要するに、姉さんのエリーゼみたいなモンですよ」
気付かぬうちに、ソウの口角は上がっていた。
熱いものが胸の内にこみ上げてくる。
『ああ、そうなんだ。……でもって、追いかけてくるのが――』
「もしかして……毒蛇、だったりしますか?」
『え? ああうん、よく分かったね。
なに、なんかそういうセオリーでもあるの?』
「――と言うか、神サマのイキな計らいっスね」
なんのこと、と疑問符を浮かべているらしい祥子に、適当な相づちを返すソウは、先ほどの既視感と、高揚する気分の両方の理由に思い至っていた。
――たかがゲームの中とはいえ……。
「姉さんと、母さんの形見のエリーゼを傷付けたあのクソバイパーに、オレの手でリベンジできるってワケだ……!」
コントローラーを握り直し、画面を食い入るように真剣に見つめるソウ。
そんな彼の頭からは、浮かれた遊び感覚は消え去っていた。