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ゴーストキャリアー  作者: 八刀皿 日音
4章  聖女は祈り――走る
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2.ぼくがやる



 自らアトリエと称する作業場の片隅で、ラファエルは散らかり放題の作業机に腰掛けながら、煎れたばかりのコーヒーを味わっていた。


 作業机に置かれた彼のスマートフォンには、カマエルの姿が映っている。



「へぇ、なるほど?

 いいねぇ、やっぱり魂の導き手たるもの、そうでないとな」



 カマエルから、マキがロイの頼みを聞き入れ、迂回してまでアニアドに向かったことを聞かされたラファエルは、嬉しそうにカップを振りかざす。



「ただまぁ、オレとしてはオーズの野郎ぐらい正攻法でブッちぎってほしかったなぁ。

 それができるだけの性能が、あのエリーゼにはあるハズだしよ」



『ま、仕方ありませんわよ。

 運転者(ドライバー)が初陣なら、機械聖霊(グレムリン)も初陣なんですもの。

 貴方をして傑作と言わしめる聖者仕様車(セイントチューンド)の限界性能を引っぱり出すなんて、そうそうできることではないでしょう。むしろ――』


 そこまで言って、カマエルは苦笑いを浮かべる。


『珍しくアツくなってるサマエル(あのコ)たちが相手の割には、よく立ち回ってる方じゃなくて?』



「まあな。

 ……だが本人と戦り合うとなると、このままじゃ少しばかりヤバいかもな」


 大げさに眉間にシワを寄せながら、ラファエルはぐいっとカップを傾けた。



『そう言えばラファエル……貴方マキに、アレのことは教えてありまして?』


「トップギアのさらに上、かい? いいや。

 初陣からアレを使うのはさすがにあぶねぇと思ったんでな。

 ティータにも、使わないように念押してある」


『――ふむ。ま、そうでしょうね』


「どうするよ? 兄貴。

 マキに教えるか、それともティータに改めて使用許可を出すかするかい?

 1回直に助けちまったから、どれだけヤバくなっても、今回はもう出張る気はねーんだろ?」



 ラファエルが問うと、カマエルはしばし考え込んでから首を振った。



『止めときましょ。

 ギリギリの極限で自ら引いてこその最後の切り札――でしょ?』


 静かに笑うカマエル。



 マキが追い詰められ、悪魔によってロイの魂が奪われることは天界の危機にも直結する重大事のはずでありながら……。


 そんなことを口にする彼の表情はいつも通りで、焦燥感の欠片もなかった。



『ま、大丈夫。

 わたしも、ダテや酔狂だけであのコを選んだわけじゃないんですもの』



 つられて、ラファエルも穏やかに笑う。



「少しは混じってるのかよ。

 ……まぁいいや、兄貴が大丈夫だって念押すんなら、そうなんだろうさ」



 満足そうに、カマエルは小さくうなずいた。



『そーゆーこと。――ではね』



 挨拶代わりのウインクを残して、カマエルの映像は消える。



 ラファエルは空になったマグカップに、雑然とした机の上でそれだけは綺麗にされているコーヒーメーカーから新しいコーヒーを注ぎ直すと……。


 控えめに湯気を立ち上らせるその黒い水面に目を落とした。




「さて……ここが正念場だぜ。頑張れよ――マキ、ティータ」











    *    *    *




「――来た」



 ようやくたどり着いた、島国セフィラのシンボルでもある神の膝元、ケテル山――。


 そのゴール間近という段になって、マキは気配を感じるままバックミラーに目をやる。

 そこには、ひしひしと迫り来る最大級のプレッシャーがあった。




 アニアドを離れる際、ガブリエルから充分気を付けるようにと注意を受けた、つい先日マキを翻弄して事故に追い込んだばかりの最強の『毒蛇(バイパー)』――。




「きゃおおぉ……き、きき、来ましたぁ……!

 ま、間違いないです、もとは偉大な天使(アークエンジェル)の一員だったサマエルですぅー……っ!」



 ラファエルの手によって生まれ変わる以前のこととは言え、事故に追い込まれたときの記憶が車体のどこかに刻み込まれでもしているためか、度を越した緊張のためか、あるいはその両方か。


 ティータのハスキーボイスは震えていた。



「コイツにはないの?

 悪魔によくある何か爵位とか、通り名みたいなの」


「な、ないですぅ……そんなの必要ないんです、だって存在自体が悪魔の代名詞みたいなものなんですぅーっ……!」



「……なるほど、正真正銘、筋金入りのホンモノってわけか……」



 ハンドルを握る手がどこかしっくりこず、軽口を叩きながら何度も、指を開いては握り直すことを繰り返すマキ。


 そうして幾度目かでようやく、彼女はその要因が震えにあることに気が付いた。



(あたしも……震えてるんだ)


 まるで他人事のように、マキはぼんやりと自覚する。



 その理由はただ一つ。



 体をはしる震え、その源が、最強の悪魔を迎えることへの恐怖心などではなく……。

 最高に猛り、ひたすら高ぶる闘争心だからだった。



「そうよ、最高位の悪魔だろうが、この前みたいにはいかないからね、べらんめー!」



「きゃお……あねさま、スゴイやる気ですー……!

 あ、あたしも、ビビってないで気合い入れまくっていきます、きゃおー!」


「その意気や良し!……行くよ!」



 観光用のケーブルカー乗り場と、それに付属するレジャー施設のきらびやかな輝きを横目に……道幅が広く緩やかな本道を外れ、これこそ登山道と言わんばかりの急な登りになっている細い脇道へと飛び込んで行くエリーゼ。


 瞬間、視界の彼方に飛び去っていく人工の光が、人間の世界との関わりを断ち、別の世界へと渡ったような……不思議に確かな錯覚をもたらす。



「お姉ちゃん。後ろの車……速くなってきた!」


「これからが本番ってことね。

 いかにもな余裕見せてくれるじゃない……!」



 山肌に沿って曲がりくねる狭い峠道は、生い茂る樹木が天蓋となって月明かりをさえぎっており、歩くのにも不自由しそうなほど果てなく暗い。

 しかも普段来るような場所でもないので、経路に習熟しているというわけでもない。


 しかしそれにもかかわらず、マキは迷いなくペースを上げていく。


 速度計の針は一般的な正気の範疇をとっくに超えていたが、なおも右回りにじりじりと進み続けていた。



 だがだからといって、黒いバイパーが引き離されるわけでもない。


 それどころか己の名の通り蛇さながらに、道に沿って蛇行しながらエリーゼににじり寄る。



「――まったく、あんなゴツい車でよくこんな狭いところ、あれだけ後輪ブン回して走れるもんだ。

 何かズルしてるんじゃないの?」


「でもあねさま、サマエルって、プライドとかにとことんこだわるみたいですから、下っ端の悪魔みたいに、安易に後ろからゴッツンはしないはずですー。

 つまり、意地でもこちらを抜いて前に出ようとします、ですから――」


「……こういった狭いところなら逆に、よっぽどヘタな走りするか、ヘマやらないかぎりは大丈夫ってことか。

 ありがと、少しは気が楽になったかも」



 口ではそう言いながらも表情から緊張を抜くことなく、つづら折りの峠道を攻め、登り続けるマキ。



「あっ、あねさま、この先でいったん本道に戻りますけど、出てすぐのところで土砂崩れがあったみたいですー。

 まだ撤去されてませんけど、道幅広いから回り込めますー」


「……ん、分かった」



 生い茂る天蓋の中から飛び出した先は、ティータの言う通り、なだらかな崖に沿った幅の広い本道だった。

 洞窟のようだった脇道と違い、降り注ぐ月の光が、風景を実際よりもはるかに広く見せる。



「さて、走りやすいのはいいんだけど、さっさとまた脇道に入らないとね……」



 道幅が広いうえに曲がり方が緩やかとなれば、少しでも長い直線があると、パワーの差を活かして一気に抜かれかねない。


 いくら神経を磨り減らす曲芸じみた危険な走りを要求されるとは言え、マキとしては、1秒でも早く複雑な脇道へ逃げ込みたいのが本音だ。



(!……あれか。思ってたよりも大規模ね)



 ゆるいS字のコーナー出口に、小山ほどの土砂の堆積を見つけたマキは、直線的に最短距離を走ったのでは引っかかると判断し……。

 少し大きめに後輪を流すドリフトで車体を左右に振って、回り込みながら避けて進む。


 研ぎ澄まされた神経は手足を寸分の狂い無く動かし、エリーゼに、思い描いた通りのムダのない完璧なラインを刻ませた。



「よし突破、次は――」



 障害を一つ攻略し、その先へと思考を向けようとした矢先――マキは急に、捕らえどころのない危機感を覚えた。


 バックミラーという道具があることも忘れ、感覚の訴えるまま肩越しに直接後ろを振り返る。



 そして……戦慄すると同時に、自分の浅はかさを呪った。



(なんてバカなの、あたしは! あの蛇が――!)



 脳裏に、以前見せつけられ、魅入ってしまった事故直前の光景が閃く。


 その記憶を再現でもするように、バイパーは――



 土砂の山を避けるどころかその傾斜を利用して、夜空へと高く飛び上がっていた。



(……翼を持ってることを忘れるなんて!)



「あ、あねさまぁっ!」


 回り込んで避けたエリーゼと、最初から避ける気などなかったバイパーではスピードの乗りがまるで違う。


 ジャガーをかわした跳ね橋でのやり取り、その時オーズが狙っていた決着のつき方が今になって形をなすかのようだった。


 頭上を飛び越えていくバイパーを感じ、ティータがたまらず悲鳴を上げる。



「! ロイ、しっかり掴まってて!

 ティータ、歯ぁ食いしばってて!」


「は、はいっ!」「きゃおーっ!」



 ロイとティータが答えたまさにその瞬間。


 前方に着地したバイパーは、そのまま進路を塞ごうとタイヤに白煙を上げさせながら車体を横に向ける。



「……べらんめーーーッ!!!」



 ――もはや一刻の猶予もない。

 マキは気合いを振り絞り、ガードレールへ向けてハンドルを切る。



 そして、事故を防止するためのそれをあえて自分から突き破ると、その向こう――急角度の断崖へと、エリーゼを飛び出させた。



 一歩間違えればなすすべなく転落事故となる、もはやオフロードですらないむき出しの岩肌を、火花を散らして跳ね飛びながら駆け下りるエリーゼ。



 シートベルトをしていてなお、揺れると言うより、暴れると言う方が正しいほどに振動で上下する身体を踏ん張りながら――。


 ひっくり返ったり、大きな岩に激突するような最悪の事態だけは避けようと、マキは綱渡りの気分で必死にエリーゼを操る。



 そうして何とか、崖下の道路へと着地することに成功した。



 最後に大きくバウンドし、アスファルトの安定した平面で停車すると同時に……3人は三者三様に安堵の息を吐き出す。



「ロイ、大丈夫だった?」


 ハンドルに上半身をあずけながら問いかけるマキに、ロイは目を白黒させながらも、はっきりとコクコク頷いた。



「ティータ、アンタは?

 それに、エリーの方は大丈夫? まだ走れる?」


「な、なんとかー……車体も、結構なダメージがきてますけど、何とか走れそうですー。

 それに、どうやら……サマエルは、おんなじところを降りて追っかけようとはしなかったみたいですー……反応が遠のいてますー」


「そ、そっか……余裕見せてるんだか知らないけど、正直助かった、一息つける……」



 マキは少し緊張を解いた様子で、ドアにもたれかかって身体をだらりと弛緩させると、ふいー、と大きく息をついた。



「……あねさま、オッサンぽいですー……。

 だからニセモノだとか言われるんですよー」


「フンだ。

 みんなして、旧家生まれのお嬢様ってやつに幻想持ちすぎなのよ、まったく」


「……今のあねさまは、お嬢さまどころか、単純に女子としてもニセ――きゃおっ」


 ティータの額を指で弾き、マキは皆まで言うことを許さなかった。



 危険な状態に追い込まれているはずなのに、それを感じさせない二人のやり取りに、ロイも自然と顔をほころばせていた。


 しかし――その表情はたちどころにこわばる。



 同時に、彼は目一杯の声を上げながら、マキに手を伸ばしていた。




「――お姉ちゃん、危ない!」




 ロイの表情、そしてその視線から、自分のもたれるドアの向こうだと理解したマキは、とっさにそちらを見ようとするが――。


 次の瞬間、いきなりエリーゼを横殴りの衝撃が襲った。








「きゃおおぉ……。

 い、いったい何ですー……?」



 派手にダッシュボードの上でひっくり返っていたティータは、頭を振りながら身を起こす。


 そしてロイが切羽詰まった声で、何度もマキを呼んでいることに気が付いた。



「お姉ちゃん! しっかりして、お姉ちゃん!」


「あ、あねさま……?」



 ティータは、目の前の光景に愕然とした。


 運転席側のウィンドウには今にも砕け散りそうなほどのヒビが入っていて、その中央にはしたたり落ちる血の跡が。


 そして――その血をたどれば。

 側頭部から血を流し、意識を失いぐったりとしたマキの姿があったのだ。



「岩だよ! 多分、さっき崖を降りるとき、不安定にさせちゃった岩があったんだ!

 それで、それが後から転がり落ちてきて……!」



 呆然とするティータに事情を説明すると、ロイは再びマキに呼びかける。


 その懸命な姿に、ティータも何とか自分を取り戻し、努めて冷静に、状況を見極める。



「……どうやら、ぶつかった岩は、それほど大きくなかったみたいですー。

 それにロイ、あなたがギリギリで、あねさまを引っ張ってくれたんでしょー?」


 ティータは、マキの袖をぎゅっと掴んだままのロイの手に、自身のもっと小さな手を重ねた。


「だから大丈夫ですー。あねさま、気を失ってるだけみたいですから。

 ケガも、もともとあった1週間ぐらい前の傷口が開いただけですしー。

 うん、だから大丈夫、ロイのお陰ですー」



「そっか……良かった」


 マキの命に別状がないと知って、ひとまず安堵するロイ。



 だがそんな心情を嘲笑うように、遠くから、山を覆う闇の向こうから……。

 重苦しいエンジンの音が、遠吠えのように響いてくる。



「きゃお……マズいですー、このままあねさまが目覚めるのを待ってたら……」



 つい、不安を漏らしてしまうティータ。


 言ってから、しまったとロイの方を見るが、逆にロイはうろたえるどころか、何かを決意した表情をしていた。



「……ぼくがやる」



「きゃお……?」


 思わず首を傾げるティータを見上げ――ロイは、力強く言い放った。





「ぼくがやるよ、ティータ! ぼくが運転する!」






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