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ゴーストキャリアー  作者: 八刀皿 日音
4章  聖女は祈り――走る
22/29

1.だから、退屈しないのか



 待っている時間というのも案外、悪くない――。


 ケテル山の麓近く、とあるバーでグラスを傾けながら、サミアはわずかに笑む。



 もうしばらく出番はないと踏んで立ち寄った店で、こうしてつぶしている時間そのものが、そもそも酒を飲みたかったわけでもない以上、無意味であることは間違いない。


 しかしそれを承知していながら、苛立つどころかむしろ高揚してやまない自分の不思議な気分が、彼女は妙におかしかった。



「……待ち合わせですか? お客さん」


 カウンターを挟んで立つ初老のバーテンが、シェイカーを手に穏やかに尋ねた。



「まぁ、そんなようなものだが。……分かるのか?」


「えぇまぁ……長年こうやって色んな方を見ていますと、雰囲気で」


「ほう。大したものだ」



 素直に感心しながらいったんグラスを置いたサミアは、唐突に店内に響き渡った、グラスや瓶が割れる甲高い音に目を上げ、ふとそちらを見やる。


 こういった場所にはありがちな、酔っぱらい同士の軽いイザコザだった。


 しかしサミアは、別に激しく殴り合うわけでもない、ある意味退屈なそのケンカを、彼女には珍しい柔らかな笑顔で見守っていた。



「……面白い目をなさいますね」


「………? 何がだ?」


「失礼、気を悪くされたのなら謝罪いたします。

 いえ、ああいった手合いを見るとき、人は大抵嫌悪か軽蔑、あるいは好奇にかられた目をしているものですが――」


 バーテンは、早くも争う気が失せたらしく、普通に飲み直し始めている酔っぱらいたちをちらりと見やってから、いぶかしげに自分を見ているサミアに視線を戻した。


「あなたのそれはずいぶんと優しかったものですから。

 まるで……そう、臆面もなく言うならば、それこそ聖母のように」



 バーテンの口にした聖母という単語を、小さくつぶやいて反芻すると、サミアはさも愉快だと言わんばかりに笑った。



「それはそうだろうとも。

 私は聖母などよりもはるかに、『人間』というものを愛してやまないのだからな」


「ははは……それはそれは、何とも、見事な博愛ぶりですね」



 バーテンは、サミアが自分の性格を冗談めかして大げさに語ったのだろうと、控えめに笑う。


 しかしサミアの言葉は、冗談でも誇張でもなかった。



 悪魔は人が思うように、人を敵視し、憎んでいるわけではない。

 むしろ神や天使などよりも、よほど深く愛しているという自負すらある。


 ただ、人の思い及ばぬほどに、それが度を越して激しいだけなのだ。



 そう――叶うのなら、その手にかけ、引き裂き、食らいたいと願うほどに。



「……ああ、そうか」


 サミアは誰にも聞こえない声でひとりごちる。


 バーテンの言葉に改めて自分の思いを問い直し、納得したことがあった。



 ――つまり自分は、恋人を待っているようなものなのだ。



 だから……。




「だから、退屈しないのか」












    *    *    *




「首尾は上々、ですね」



 誰に見とがめられることもなく工場の敷地を出、隣接する広い更地の中央付近までたどり着いたところで、部下がかけてきた言葉に、ブースは改めて手の中のフラッシュメモリーを見下ろし、満足げにうなずいた。


 アリアドネ紡績の工場敷地に忍び込み、目的のデータが入ったメモリーを盗み出す――。


 その首尾は、部下が言ったようにまさしく上々だった。

 そのための専門技術をもった連中を抜け目なく集め、間違いのないよう自分まで現場に出てきたのだから、彼にすれば当然の結果ではあるのだが。



「さて、あとはここからずらかるだけだが……」


 どこか感慨深げに言って、ブースはくいと顎を動かして合図を出す。



 途端に、侵入に加わらずに待機していた者も含めて、10人からなるブースの部下が、たった1人を取り囲んだ。


 ――警備担当としての地位を活かして、彼らを招き入れることになったエドガーを。



「その前にエドガー、お前に分け前をやらんとな?」



「……アンタのことだ、きっとこうなると思ってましたよ……!」


 エドガーは唇を噛みながら、周囲を見回す。



 大規模整備が予定されている更地には、身を隠せる場所などろくにない。


 何とかしてこの包囲を突破したところで、簡単に逃げ切れるとも思えなかった。



「いや、しかし俺としては、これは最大級の慈悲でもあるんだぞ?

 どうやらお前の息子も危篤で、もうこれまでのようだと、報告が来たからなあ?」


「! ロイが……?」



 昨日から、息子の容態があまり良くないことは分かっていた。


 それでも、この仕事を反故にするわけにはいかず、今日はその準備のためにもずっとブースに付き従っていたのだが……。

 その間に、そこまで容態が悪化するなど、彼は夢にも思っていなかったのだ。



「そ、そんな、嘘だ……!」


「そう思うのは勝手だがな、そんな嘘をついて俺にどんな得があるってんだ。

 言っただろう、これは慈悲なんだよ。

 息子もお前も、一人で取り残されたりしなくて済むってことじゃねえか。だから――」


 ブースは拳銃を取り出し、銃口をエドガーに向けた。


「息子が迷子にならねえように、お前もさっさと向こうに逝ってやらねえとな?」



「……そんな、ロイ……」



 エドガーは力無く、膝から地面に崩れる。

 抵抗しようという気概など、その姿からはもはや微塵も感じられない。



 ただ、彼は……目を閉じようとだけはしなかった。


 向けられた銃口を、睨むでもなく、ただ真っ直ぐに見つめていた。



 死が訪れる、恐ろしいその瞬間。


 幼い息子も直面しただろうそこから、よもや父親の自分が目を逸らすわけにはいかなかったし、それに、何より――。



(ロイ……最期にそばに居てやれなくてごめんな。

 パパも、今からそっちに……)



 あの世で、最愛の息子を見失いたくなかった。


 そこへたどり着いたとき、一秒でも早く、その姿を見つけたかったのだ。



「さて――それじゃあな、お別れだ」


 引き金にかかったブースの指が、ぎりと引き絞られる。



 そして、銃口が火を吹いた――その刹那。




 ――いきなり。

 銃火など及びもしない、稲妻のような黄色い閃光が、その場の闇を切り裂いた。




「――っ!」



 その場にいた誰もが、エドガーとブースの間を、一筋の光が閃いた――そうとしか事態を認識できなかった。


 なかば呆けたように動きを止める彼らを、現実に引き戻したのは……。

 エドガーの命を奪うはずだった鉛の弾が、地面に落ちて立てた乾いた音だった。


 そして続けて空を震わせたタイヤの甲高い叫声に――ようやく彼らは。


 閃光の正体が、激しいスピンターンでこちらに向き直り、威嚇するようにアイドリングを続ける、1台の車であることに気が付く。



 ただ、強いヘッドライトの光が目映く輝き、その真の姿までは覆い隠していた……あるいはそれこそ、その車がこの世のものではないかのように。



「な、なんだコイツ……一体、どこから――!」


 ブースは、慌てて周囲に視線を巡らせる。



 だが、当然のように周りには、車が隠れるような場所などない。


 いや、そもそも、どんなに速い車でも、ここまで近付かれて音に気付かないはずがないのだ。



 そう――それが、『ただの車』であるならば。




「クソったれがあ!」



 幽霊、バケモノ……その車の持つ異様な気配に触れたからか、普段のブースなら笑い飛ばすばかりの単語が、実体をもって脳裏に浮かぶ。


 つられて、ぞくりと背筋を駆け上がる冷たいものを払い除けようとばかり、ブースはことさら大声を上げて、ヘッドライトの光へと拳銃を向けた。



 慌てて、ブースの部下たちもそれにならうが……。


 その車は恐れるどころか、真っ向から受けて立つとばかりにエンジンを高々と吠えさせる。


 急に回転を与えられた後輪が、路面をとらえきれず白煙を上げ激しく空転するさまは、さながら足を蹴立てて突進の準備をする暴れ馬だった。



「撃て……撃てッ!!」


 ブースが号令を下す。



 だが――それが実行に移されるより、暴れ馬が解き放たれる方が一瞬早かった。



 溜めに溜めていた力を爆発させたように、10メートル以上あった距離を一気にゼロにする。



 そしてブースの脇を飛び抜けざま――いきなりのブレーキングから後輪を滑らせ、それこそ暴れ馬が後ろ足を使って蹴り飛ばすかのような体当たりを見舞った。



「――ごあッ!?」


 派手に吹っ飛ばされ、地面を転がるブース。



 致命傷になるような衝撃ではなかったが、しこたま打ち付けた身体は、まるで動こうとしない。


 それでも、悶絶しながら、何とか起き上がろうと四肢に力を込めるが……。



 部下たちが、自分と同じように、止まることなく舞うがごとく、華麗に円を描き続ける暴れ馬によって次々と蹴り飛ばされる姿を目で追ううち、ついに気を失ってしまう。



 やがて――。



 ブースたち全員を思うままに、文字通りに蹴散らした暴れ馬は、呆気にとられ動くこともできなかったエドガーの眼前に、向かい合ってピタリと止まる。



 ハイビームにされたヘッドライトのまぶしさにエドガーは一瞬目をまたたかせるが、しかし、顔を背ける気にはならない。



 視界を真っ白に塗りつぶす光、その中に浮かぶシルエットの不思議な神々しさに、彼は――ただただ、無心に見とれるばかりだった。


 するうち、急にヘッドライトが消える。

 そして、光に焼き付いた目をしばたたかせるエドガーの脇を、軽やかに風をまとったエンジン音が走り去っていった。



 ようやく戻り始めた視力を、彼は反射的にそちらに向けるが――。

 そこにあるのはすでに、微かな残響ばかり。


 しかし、ただ……一つだけ。




「ロイ……?」




 その中に――。


 愛する息子の「パパ」と呼びかける声を、エドガーは聞いたように思った。






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