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ゴーストキャリアー  作者: 八刀皿 日音
3章  悪魔たちの夜、しかし星は輝く
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1.乗って!



 ――人気の無い正面ロビーの待合い席に深く、沈み込むように腰を落とし、ポーラは静かにリノリウムの床を見つめ続けていた。



「……ロイ……」



 医師として患者の死に立ち会うことはもちろん初めてではない。


 しかしそれを必然と受け流し、割り切るには、彼女も患者もあまりに若かった。



 必要な処置をすべて施し、あとは天運に任せるのみとなった今、夜勤明けだった彼女は特に酷い顔をしていたのだろう、同僚から少し休息するよう言われた。


 しかし休憩らしい休憩を取る気にもならず彼女は、ここでこうして、先に連絡を取った相手が来るのを、何をするでもなく待っていたのだ。



 ……やがて、正面ロビーに駆け込んできた待ち人のアーサーは……。


 そんな意気消沈しているポーラにいち早く気が付くと、息を整えながら歩調をゆるめて近付く。



「――ポーラ先生」


「……神父様」



 物憂げに、ゆっくりと立ち上がって迎えるポーラ。


 アーサーも眉間に皺を寄せる。



「ロイが……危篤、と」


 アーサーがわずかに一言そう尋ねると、ポーラはコクリと小さくうなずいた。


「……気を強く持ちましょう。

 逆に言えば、ロイはまだ天に召されていないということ――生きようと頑張っているところだということなのですから」



「は、はい……神父様のおっしゃる通りです。

 ごめんなさい、わたし……」



 うなだれるポーラ。

 アーサーは穏やかにうなずいてみせる。



「いいえ、不安になるのも仕方のないことです。

 ですがだからこそ、ロイを信じて応援してあげましょう」


「はい……そうですね、ありがとうございます」



 目尻に浮かんでいた涙を拭うポーラの顔には、幾分色が戻ってきていた。



「ところで――」


 アーサーは周囲を見回し、他に人がいないのを確認してポーラに尋ねる。


「エドガーさんは……ロイのところに?」


「え、ええ、それが……今日は、何か大事な仕事があるとのことで、一度も病院へいらしていないんです。

 それに、再三連絡をしているのですが、繋がらなくて……」



 不安げに眉をひそめるポーラ。


 アーサーも、彼としては過剰と思えるほどに、厳しく表情を引き締めていた。



「大事な仕事がある……そうおっしゃったんですね? エドガーさんが」



 アーサーの迫力に気圧されるように、ポーラはおずおずとうなずく。



「まさか、神父様……エドガーさんの身にも、何かが……」



 か細いポーラの声で、アーサーは自分が険しい顔をしていることに気付いたらしい。

 ごく自然に普段の表情へと雰囲気を和らげつつ、首を横に振る。


「ああいえ、仕事熱心なのは結構ですが、こんなときに息子さんに付いていてあげないのは、さすがに父親として良くないと思いましてね。

 ……ふむ、そうですね……エドガーさんの職場の方には何人か知り合いがいますから、そちらからちょっと連絡を取ってみます」



「そうなんですか? ええ、ぜひお願いします」



 もちろん、と答えてひとまずロビーを出たアーサーは、スマートフォンを取り出した。




『――若。どうなさいました?』


 呼び出し音を2回と待たずに、低い男の声が電話口に出る。



「エドガー・ドレフィスが、今日は大事な仕事があると出かけているようです。

 しかも、連絡が取れずにいます」


『何ですって……!? ってことは、若の危惧した通りに――』



「そうなりますね。一応、最低限の手は打ちましたが……エドガーさんの身が危険にさらされていることに変わりはありません。

 それに今、彼の息子さんが危篤で予断を許さない状態なんです。

 こういうときに一番そばで力になるべき父親には、一刻も早く無事に戻ってきてもらわなければ。


 ――とにかくフリント、あなたは各所との連携を。

 僕はすぐ、現場へ向かいます」



『分かりました、お任せを。

 ――若、くれぐれも早まらないで下さいよ?』


「僕も昔とは違いますから。

 そちらこそ、しっかりお願いしますよ」



 苦笑混じりにそう告げて、アーサーは電話を切るのももどかしいとばかり、早足でポーラのもとへ戻る。



「――いかがでした?」


 問われたアーサーは、あくまで平静を装ったままうなずいた。



「ええ、何とか連絡がつきそうです。

 ……ただ、やや遠方で、自由になる足も無いようですから、今から直接迎えに行ってきます」


「わ、分かりました――あ、神父様!」



「はい、何でしょう?」



「何と言えばいいのか……その、充分にお気をつけて。

 先に呼びつけておいてこんなことを言うのも何ですが――なぜかは分からないのですけど、いつもと違って今夜は、外へあまり出ない方が良いような……そんな気がしたものですから」


 ポーラは自分の感じる不安を、そのまま口にする。


 曖昧だとは分かっていたが、同時にそれがロイの危篤による心の動揺から生まれたものではなく、別個の、いわば第六感に近い本能的なものだという自覚もあったからだった。



 そしてアーサーも、ともすれば子供じみていると笑われそうなその感覚を、同じように心のどこかに感じていたのだろう――。


 何ら不思議がることも考えることもなく、ごく自然にうなずいていた。




「……ええ。

 そういう夜のようですからね――今夜は」










    *    *    *




 ――大河と呼ばれるほど広大なわけではない。

 しかし、あるいはそれを凌駕せんばかりの優雅さをたたえ、月明かりに輝き静かに流れるティフェル河の水面を……サミアは愛車のボンネットに腰掛けながら眺め続けていた。



 もしもその姿を、人並みにでも美意識を持つ者が見ていたならば、視線を、文字通り釘付けにされたことだろう。


 彼女と風景の調和は何の狂いもないばかりか、それぞれが互いを引き立て合うことで、この上なく美しい世界として完成されていたからだ。


 しかし、月の光に神々しくも、静かな闇に魔的な、危うい均衡の上に成り立つその世界を愛でる存在はまったくなく、したがって――。

 そこに足を踏み入れる無粋な者が現れても、誰一人、何一つ、不満が上がることはなかった。




「……いやいや、またここでしたか。

 最近お気に入りですねぇ、姐御?」



 奥の通りの陰から姿を現したオーズは完成された世界を破ることに何ら頓着せず……しかし最低限の礼儀は払うように、静かにサミアに歩み寄る。


 客観的にいかに美しかろうと、そもそも中心にいたサミアにそれを形作っていたという自覚は無い。

 ゆえに、振り返る表情に不快感を匂わせるものはなかった。



「まあな。

 ……オーズ、貴様ジャガー(クルマ)はどうした?」


「いやいや、姐御にうるさいって怒鳴られちゃかなわねぇんで、離れた場所に停めてきましたよ」



 自らの後方を親指で指し示すオーズ。



「……貴様にしてはいい判断だ」


 サミアは口元に微笑をたたえ、再び川の流れに視線を向ける。


「他の連中は、すでに向かったか?」



「ええ。代替わりした運び屋の初陣だってことで、どいつもこいつも躍起になって飛び出して行きやしたよ。

 魂を捕らえて手柄にするチャンスだ、ってね」



「――そうか」



 そうつぶやいたきり、サミアは口を閉ざす。


 オーズもそれにならい、優雅に流れる川の小さな水音が辺りを満たすだけになる。



 その空間はまったくの無音よりむしろ、はるかに静謐だった。



「さて……」



 やがて、サミアはゆっくりとバイパーのボンネットから腰を上げた。

 長く美しい金髪が広がり、月明かりに蒼く輝く。




「動くとしようか――我らも」











    *    *    *




(夜の街って、こんなにも静かだった……?)



 道路の真ん中で目を覚ました彼が、初めに抱いたのはそんな疑問だった。


 屋内の照明、看板の電飾、街灯――街のあちこちに明かりは灯っている。

 テレビや本で見るように、病室の窓から見たように、思い出の中にあるように――世界は普段と変わらぬ姿でそこにある。



 しかし、その場の空気はまったく違った。


 屋根の下、灯りを囲んで人々が過ごしているであろういつもの日常と、彼が立つこの外の世界は、まるで見えない壁で断絶されているかのようだった。



 四車線もある大通りの真ん中をとぼとぼと歩いていようとも、誰も彼を咎めない。


 クラクションを鳴らす車もいなければ、歩道から注意を促す通行人の影もない。



(もしかして……。

 目に見えないけど、何か隔たりを感じるのは、死んだ、から……?)



 命の有無が、あの世とこの世の境が、そういった形で表れているのではないか……そんな考えもよぎったが、しかしそれにしては、あまりに納得できないことがあった。


 彼は、自分が死の淵にあったことを自覚している。


 間近に迫っていたそれは、前もって教えられていたように、確かに限りなく優しく、暖かいものだった。



 だからこそ今、独りで、過剰なまでに静かなこの世界に捨て置かれている状況は、あまりに違和感があった。


 ……無理矢理に、くるまっていた布団をはぎ取られ、あげくに蹴り起こされたような、最悪の目覚めも含めて。



(だから、つまりここは、あの世っていうんじゃなくて――)



 気付けば彼は大きな交差点の中心にいた。


 ――そして……。


 唐突に沈黙を破って押し寄せる、爆音の群れを聞いた。



 背筋に、ぞくりと悪寒が走る。



(ママがよく聞かせてくれた、あの話――!

 神様の手からこぼれた魂が、悪魔に追いかけられるっていうあれは……おとぎ話なんかじゃなくて……!)



 ついに、自分の置かれた状況を正しく理解した――してしまった彼にとって、四方より迫り来る、闇の中に煌々と輝きながら、しかし決して闇を照らさない異様なヘッドライト群は……まさに地を這い獲物に襲いかかる獣の、血に飢えた眼光だった。



 やがて立ちつくす自分を取り囲んだのが、見た目には現代社会において何ら存在が不思議ではない『車』だと分かっても、彼は自らの認識を疑いはしなかった。


 ――彼らこそ、神に逆らう獣……『悪魔』である、と。



「………っ」



 逃げないと――と、そう思ってみても、すでに自分は包囲されている。

 しかも彼ら悪魔が発散する毒気にも似た威圧感に気圧されているのか、足がすくんで動かない。



 悪魔の手に落ちた魂のたどる運命について、寝物語に聞かされていたことから想像される光景が、より恐ろしいものへと変わりながら、彼を絶望に染めようとする。


 しかし……。



「――!」



 完全に悪魔たちの支配下に落ち、闇が凝固したその空間を――。


 瞬間、何かが切り裂いた。



 それはさらに、底なし沼のぬかるみとなって彼の身にまとわりついていた絶望をも、すっぱりと払拭する。


 闇を払う光明にして、悪魔を断つ利剣たるそれは――ひたすらに鋭利(エッジ)排気音(エキゾースト)だった。



「これ、って……!」



 弾かれたように彼は後方を振り返る。


 その先、自らを取り囲む黒い車のさらに向こう――急速に大きくなる光がある。



 それが何者なのか、理由は分からずとも彼は確信できた。


 果たして――居並ぶ黒い車のわずかな空間、車両一台分あるかないかの間隙を、擦れ合うサイドミラーに火花を散らし飛び込んできたのは、彼の思い描いていた通りの……。



 小柄で愛らしい、しかしどこか気難しげな黄色いエリーゼだった。



 凄まじいスピードのエリーゼは、どうやって停まるのかと疑問に思う彼に前面を向けたまま、コンパスのように後輪に半円を刻ませ、180度方向転換してきっちり停車してみせる。


 そして彼の目の前で、助手席のドアが勢い良く開き――。



 近付く死に感じたものより、ずっと暖かな声が……彼を抱き寄せた。




「お待たせ、ロイ! 乗って!」






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