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ゴーストキャリアー  作者: 八刀皿 日音
2章  魂の導き手
16/29

8.いったい誰なら良かったというのかしら?



「はぁ……これだけみっちり運転すると、さすがに疲れる……」



 マキは部屋の電気をつけるとその足で、着替えもせず、バッグを放り出しながらばったりベッドに倒れ込んだ。


 生まれ変わったという愛車の感覚を掴もうと、ラファエルの工房を出て家に帰るまでに時間をかけて、近場をぐるぐると回ってきたのだ。



 その成果は、上々と言って良いものだった。


 超常の力で基本性能が飛躍的に上がっているにもかかわらず、運転感覚そのものは以前どおり――いやむしろ、より思ったとおり動かせるようになっていると感じたほどだ。


 それは機械聖霊のティータいわく、魂の導き手は聖者仕様車の運転において、車体に込められた神力と同調し、反射神経や動体視力といった能力が向上するから……であるらしい。



 ともかく、愛車が正しく『帰ってきた』ことを実感できたのは、マキにとって嬉しいことだった。


 少しばかりやかましい同乗者が増えたものの、それは賑やかになったとも言えるわけで、正直悪い気はしない。


 だが……逆に、つい今まで賑やかだった、その反動か――。


 静かな部屋でベッドに転がると、この数時間はあまり考えずにいられたことが、より存在感をもって脳裏に浮かび上がる。



「ロイ……大丈夫かな」



 ごろりと寝返りを打ったマキの視線は、自然と壁のカレンダーに向いていた。


 この数日の日付を目で追い、ロイの体調が悪化し、面会さえ満足に叶わなくなって今日で何日になるかを、自然と数えてしまう。



「早く持ち直してくれればいいんだけど……」



 落ち込んでいたって仕方ない、ともかく着替えよう……と身を起こした瞬間。


 ベッドに放り出していたバッグから、スマートフォンの呼び出し音が鳴り響いた。



「――!」



 明確な理由があったわけではないが、予感めいたものに急き立てられ、慌てて電話に出るマキ。


 電話口から響いてきたのは、つい数時間前に聞いたばかりの、女のような男の声だった。



『どうかしら、マキ?

 エリーゼとティータの調子は』


「ああ……何だ、オネエ天使?

 エリーゼとティータの調子、ね……うん、いいと思う。

 何だかんだで今までと同じように走らせられるから、ドリフトのたびにティータが奇声上げるのを除けば、違和感もないし」



『それはなによりですわね。

 ……では早速今から、初仕事をお願いしたいのですけど』



「ああ、うん――って、い、今からぁっ?」


 知らず声を裏返らせながら、ベッドから立ち上がるマキ。



『……ええ。予想外に闇が深まるのが早くて。

 わたしたちとしても、もう数日は猶予があると思っていたのですけどねえ』



「そ、それにしたって、いきなり今夜だなんて……!」


『ふーむ……。

 やっぱり、迷っているのかしら?』



「だって、それは……それはそうでしょ?

 世界がどうなる、なんてスケールの話はさすがに想像つかないけど……失敗したら、たとえあたしが無事でも、誰かが悪魔の贄とやらで犠牲になるって言うんだから。そりゃあ怖いわよ……」



 ふーむ、とカマエルがさらにもう一つ唸る。



『まあ……確かに貴女にとっては、まさに急転直下の超展開ですものねえ……。

 いろいろと説明したのもついさっきのことですし、はっきりきっぱり覚悟を決める時間も無い、といったところかしら。


 正直なところわたしたちも、なかなか厳しいタイミングかな、とは思っていましたから……。

 どうしてもムリだと貴女が判断するならば、今回については無理強いもしませんわ。

 厳しいですが、わたしたちで何とかしてみますから、やめておいてもかまいません』



「え……やらなくてもいいの?」



『浮き足立ってる状態で無理をさせて事故られでもしたら、それこそ大変ですもの。

 先々のことを考えるなら、今日は棄権もやむなしというわけ』



「……そう」



 マキはほっとため息をつく。


 だが……そうしてすぐ、そんな自分に嫌悪を覚えた。



 今夜悪魔に追われるだろう誰かのことは完全に頭に無く、ただ自分の安全を認められたことだけに安堵してしまったのが、ひどく身勝手と感じたからだ。



 しかしそうは言っても、カマエルの言うように未だ心が地に着かず、踏ん切りがつけられない自分では、その誰かを助ける自信が持ちきれないのが事実だ。


 ただ、何もかもを知らなかったことにするのは、あまりに薄情な気もして、マキは今日の仕事について尋ねることにした。


 最低限、今夜起こることだけでも知らなければ――そこから目を逸らしたりすれば、それこそ今後も、ゴーストキャリアーとしての覚悟なんて一生できない気がしたからだ。



『今夜、貴女にお願いするつもりでいた仕事……?

 そうね……話しておきましょうか。貴女には知っておく権利があると思いますし。


 今宵貴女には、こぼれ落ちた魂を連れて、先日貴女がガブリエルの指示で目指したのと同じ、ケテル山中腹のヴィアーハ湖へ向かってもらうつもりでした。


 そしてその、救うべき魂は――』



 カマエルの高い声が、しかし普段と違った様子で、一人の名を告げた。



 それを聞いたマキは――文字通りに絶句する。


 目の前が真っ白になるという感覚を、彼女は否応なく自覚させられた。




「……冗談、でしょ……?」




『いいえ、残念ながら。

 ――神の御手よりこぼれ落ちた魂の名は、ロイ・ドレフィス……貴女の良く知る、あの少年ですわよ。

 彼は生死の境をさまよううち、魂が肉体から離れてしまい……そこを闇の力により、御手から引きずり降ろされてしまったようです』



「………。どうして……」



『マキ?』



「どうしてなの? あの子、あんなに頑張って……! なのにどうしてよ!

 アンタたちならあたしみたいに、あの子だってもっと早くに助けられたんじゃないの?

 こんなことになる前に! そうすれば――!」



 マキは思いの丈を電話口にぶつける。


 足の速い感情が、止める間もなく大挙して彼女の口をついて出ていた。



『……では逆に聞きますけれど、いったい誰なら良かったというのかしら?

 マキ、貴女の意に添う人間だけは助けていればいいのかしら?

 貴女と知り合う機会のなかった、けれども同じように日々を懸命に生きている、他の善良な命ならば構わない、と?』



 返ってくるカマエルの声は低く、透き通るように冷静だった。

 途端に、マキの声と主張は失速する。



「……それは……」


『貴女の思いは分かるわ。いい子なのにどうしてこんな目に、と。

 ――ならばこそ』



 カマエルの声に、熱と力がこもる。


 それは電話口であってなお、同じ人間では到底持ち得ないだろう迫力をまとっていた。



『貴女は、貴女にしかできない、貴女のなすべきことに全力をもってあたるべきではないかしら。

 先に言ったように、貴女自身がどうしてもムリだと判断するなら、それも仕方のないことですけれど――すべては貴女次第なの。


 ……まだ少しは時間もあります。どうしたいのか……良く考えなさいな』



 それだけを告げて、カマエルからの通話は切れる。


 マキは沈黙したスマートフォンを見つめたまま、歯噛みしていた。



 ――自分が行かなくても、カマエルたちが何とかしてくれるかも知れない。

 でも天使は地上で満足に力が使えないらしいし、厳しいとも言っていた。


 ……じゃあ、自分が行ったらどうだろう。


 人一人の魂を背負って、走る? それもロイの。

 そんな重圧に耐えて、しかもあのバイパーのような悪魔を相手に、本当に逃げ切るなんて可能だろうか。


 ゴーストキャリアーになれって、つい先日そんな風に言われただけなのに……?



「……そんなの……!」


 ぐるぐると回り回って、結論の出ない思考に、いつもの悪態すらもれない。




 ……部屋のドアが、控えめにノックされたのはそんなときだった。




「――あの、マキさん、いいですか?」



「え、あ、カタリナ? う、うん、いいよ」



 とりあえず考え事は頭の隅に押しやり、深呼吸を一つして自分を整えてから、マキはカタリナに入ってくるよう促す。


 失礼しますと姿を見せたカタリナは、まだ仕事中というつもりなのだろう、部屋着ではなくメイド姿のまま……ティーポットにカップ、そしてお茶請けらしいクッキーが乗ったトレイを運んできていた。



「お疲れのようでしたから、お茶と甘い物でも、と」


「うん……ありがとう」



 力無く礼を言い、ベッドに座り直したマキは、カタリナが手早く準備してくれた紅茶を口にする。


 そして、ほうっと大きく息をついた。



「クッキーもどうぞ?

 わたしが焼いてみたんですけど」



 笑顔のカタリナの発言に、一瞬、反射的に伸ばした手を止めるマキだったが……それ以上迷うこともなく、つまんだクッキーを口に放り込んだ。



「あ……。

 甘くておいしい……当たりだ」



 続けて二つ、三つとクッキーをほおばるマキ。


 その姿を、カタリナはただ微笑みながら見守っていた。



「ねえ……カタリナ」


 唐突に、手を止めてぽつりと自分を呼んだマキに、カタリナはただ「はい」と答える。


「あたしに、人を救うような資格って……あると思う?」



「あるもなにも……すでにマキさんは救っているじゃないですか。

 ……わたしを」



 マキの、それこそいきなりの問いかけにも、カタリナは動じる様子はなく、穏やかな声を返した。



「正確には、旦那様も、ソウ君も含めた、アーロッド家の皆様が……なんでしょうけど」


「救う、って……。

 それはまあ、パパは確かに、身寄りのなくなったあなたを引き取りはしたわけだけど……」



「ええ。でも、それだけじゃありませんよ。

 ただ生活を援助するというだけでなく、皆様はわたしを家族として受け入れて下さいました。


 父を亡くし、一人ぼっちで、ともすれば道に迷いそうなわたしを、ここにいていい、ここにいれば大丈夫だ――って、優しく包み込んで下さいました。


 その優しさに、わたしがどれだけ救われたことか。

 いえ、今も――ですね。今もどれだけ救われているか。

 どれだけ感謝しても、しきれないほどなんですよ」



「そんなの……ただそうしてあげたいって、そう思っただけだし……」


「それだけじゃないですよ。

 ついこの間も、ソウ君とわたしを、危険を顧みずに助けに来てくれたじゃないですか」


 戸惑うマキに、カタリナは満面の笑顔を向ける。


「……わたし、あのとき、颯爽と駆けつけてくれたマキさんを見て、おとぎ話に出てくる『魂の導き手』みたいだって思ったんですよ」



「え、っと……お、大げさねえ、もう。

 ……あのときは、何て言うかその、ただ、あなたたちを助けないとって、必死だっただけで……」


「それなら、それでいいじゃないですか」


 トレイのクッキーを、自分も一つパクリと口に放り込み……。

 カタリナはイタズラっぽく首をかしげて見せた。


「誰かを助けるのに、そもそも資格も何も無いと思います。

 わたしを家族みたいに迎えてくれたように、あの黒い影から助けてくれたみたいに……。

 そうしたいって、そう思って行動するなら……それがすべてなんじゃないでしょうか」



「…………そっか」



 マキは思わず立ち上がる。


 カタリナの穏やかな声は、静かに、しかし確かに、彼女の心を揺さぶっていた。



 ――あたしは、何てバカなんだろう。


 ゴーストキャリアーとしてとか、それこそどうでもいいことだった。

 失敗したらとか、考えること自体間違いだった……!



「ああ……ホント、本当に正論だよカタリナ。

 べらんめー……っ!!」



 いつもの悪態をついたマキは、それを自分自身への叱咤として全身に染み渡らせるように……まだまだ熱い紅茶を喉の奥へと一気に流し込む。


 そうして、カタリナにカップを返すときには、ついさっきまでのただ消沈していた様子と打って変わって――。

 不安を見せつつもそれを噛み殺すような、引き締まった顔をしていた。



「……ありがとう、カタリナ。

 おかげで、ちょっと踏ん切りついたよ」



「お役に立てたなら良かったです。

 ソウ君から、マキさんの力になってあげて欲しいってお願いされてましたから。

 ――って、ついさっきのことですけどね」


 カタリナは微笑む。



「そっか……ソウが。まったく、一丁前に」



 気恥ずかしそうに背を向けたマキは、クローゼットに手を伸ばした。


 そして、吊されていた修道服に手早く着替えると……今度はベッドサイドに置かれた小さな装飾箱から、一枚の手拭いを取り出す。



 精緻な紋様の中に、アーロッド家の家紋ともう一つ、別の家紋が染め抜かれたそれは、染め師、先代姫柄山(ひめがらやま)蒔右衛門(まきえもん)の手になる、和手ぬぐいだ。



「あ、それ……確かマキさんのお母様が、旦那様との結婚の際、恩人でもある職人さんから、お祝いで頂いたっていう……」


「そう。

 ……わたしにとって、一番の勝負アイテムってところかな」



 いつもの黄色いリボンを取り去ると、マキは代わりに折りたたんだ手拭いで――長く美しい黒髪を、改めてポニーテールにまとめなおした。



 ――ママ、お願い。

 どうかわたしに、勇気と力を……!



 戦装束――そんな単語がふと脳裏をかすめたが、気持ちはまさしくそのとおりだった。



「それじゃカタリナ……ちょっと出かけてくるから」


「はい――行ってらっしゃい。お気を付けて」



 深くは聞かず、笑顔で送り出すカタリナ。


 マキはもう一度礼を言うと、確かな足取りでガレージへと向かう。




 そして、つい先ほど休ませたばかりのエリーゼに、再び乗り込んだ。



「ティータごめん、お休みには早かったみたい。

 ……初仕事よ」


 言いながら、スマートフォンをダッシュボードに放る。


 座っていたティータは、自分の身体ぐらいの大きさがあるそれを、立ち上がりざま素早くキャッチすると……くるりと身をひるがえしながら、ホルダーに収めた。



「きゃおー、お仕事ですね? がんばりますー!」


「……いい返事ね。期待してる」


 ティータの頭をぽんぽんとなでると、マキはキーを回した。



 目覚めたエンジンが静かに車体を揺らす。

 乗り手の戦意のままのそれは――武者震いか。



(……待ってて、ロイ……絶対に助けてみせるから……!)



 思いをのせて踏み込まれるアクセル。



 それに呼応し、一際甲高い排気音(エキゾースト)――。


 いざ戦いに臨む戦士の(とき)の声が、夜空を突き抜けんばかりに轟いた。






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