6.アレ、しゃべりましたよ!
――その日、街が夕闇に沈み始めた頃……。
ホッド地区の石畳を静かに踏み鳴らし、小さな修理屋『マーキュリー』へとやってきた青いミニクーパーを出迎えたのは、相変わらずフリル付きの青年と、生真面目そうな少女の姿をした二人の天使だった。
「天使から電話がかかってくるとか、さすがにまだ慣れないわ……」
修理屋の駐車場、以前それが置かれていた場所にきちんと代車のミニクーパーを停めたマキは、近寄ってきたカマエルに車のキーを投げ渡す。
それを受け取ったカマエルはイタズラっぽく笑った。
「天から降臨……! とかでも良かったんですけど。
貴女絶対、迷惑だって怒るでしょう?」
「……むしろそうしてくれてれば、遠慮なくほうきで一撃お見舞いできて、強引な借命で厄介事を押し付けられたあたしの溜飲も少しは下がるってもんだったんだけど」
カマエルらの後に続き、工具や車の部品で雑然とした、染み込んだオイルの匂い漂う店内に足を踏み入れるマキ。
作業着姿で、部品の山に半ば埋もれた椅子に腰掛けコーヒーをすすっていたラファエルは、その姿を見つけると気さくに片手を挙げた。
「よぉ、来たな。代車の具合はどうだった?」
「よかったですよ。思ってたより、ずっと」
「――マキさん、きちんとお手入れして下さってましたよ、兄様」
サリエルがそう口を差し挟むと、ラファエルは嬉しそうに笑った。
「わずか一週間程度の代車だ、そこまでしてくれなくてもよかったのによ。
だが普通の車とはいえ、あれもオレが手ェ入れた可愛い子供であることに変わりはねえからな、礼を言うぜ。
……なるほど、愛車にも文字通り愛されるわけだ」
「……直った――んですよね? あたしのエリー」
「もちろん。
いい具合だぜ? アレなら下っ端の悪魔なんざ楽勝だ」
コーヒーカップを掲げて自慢げに言い切るラファエルだが、マキは今一つ要領を得ないとばかりに眉根を寄せる。
「それなんですけど……。
本当に、ゴーストキャリアーって魂を車で運ぶんですか?
何だか、イメージと違うんだけど……」
「貴女や世間のイメージがどうであれ――」
マキの問いに答えたのはカマエルだった。
彼は優雅に一歩踏み出すと、ラファエルの手からコーヒーカップを奪って口を付ける。
そして盛大に顔をしかめた。
「苦ッ!……あ~、どうであれ、わたしたちはこれまでその時代時代において一番適当だと思われる移動手段を使ってきましたわ。
人間の文明の進歩に合わせてね。だから、今は車」
「でも、そもそも神サマの救いからこぼれた魂を助ける、っていうのなら……。
あんまりこんなことは言いたくないけど、あたしたち人間なんかより、翼があって空も飛べて、いろいろと不思議な力があるアンタたち天使の方が都合がいいんじゃないの?」
「ああ……空を飛ぶのって、実はそんなに速くありませんの。悪魔も一緒。
だから、向こうも車っていう道具というか、媒体を使ってくるわけなのですけれど……ま、さすがに理由がそれ一つだけでは納得しませんわよね。
わかりましたわ、詳しく話すという約束でしたし、今日はすべて、洗いざらい白状するといたしましょう。
……よろしくて?」
カマエルは口に合わなかったらしいコーヒーをラファエルの手に押しつけると、もっともらしく咳払いをした。
そして、マキの返事も待たずに、物語を語るように朗々とした口調で話し始める。
「……昔々、それはもう遠い昔……。
神と人々を繋ぐ役割を持っていた、預言者たちの一部が、私利私欲のために、天界より盗み出した知識を用い、『深淵』と呼ばれる門を開こうとしましたの。
それは神と争い、あわよくば表に成り代わろうとする、封じられていた天界の裏側の世界とこの地上を結ぶ、文字通りの禁断の門。
開いたが最後、世は悪魔が溢れかえる地獄へと変じることでしょう。しかし――」
カマエルの目が細められる。
彼方を見るように、懐かしむように。
「幸いにして、門が完全に開くことはありませんでした。
けれども預言者たちを止め、さらにいざというとき悪魔を追い返すべく駆けつけた天使たちの多くが、深淵より漏れ出た毒気に心を囚われ、闇に堕ちてしまいましたの。
そして新たな悪魔となった彼らは、今度こそ深淵を完全に開こうと、神が施した封印を破るために必要な贄を求め始めました。
その贄となるのが、一度神の御手に触れ、天の祝福を受けた魂――いわば神霊なのですわ」
マキは、神妙な顔でゆっくりとうなずいてみせた。
「で……その神霊が悪魔の手に渡って大変なことになったりしないように、回収するのがゴーストキャリアーってわけか。
……でも、そんな消極的なことするぐらいなら、いっそのことその深淵ってのをもう一度閉じればいいんじゃないの?
初めはちゃんとぴっちり封印してあったんでしょ?」
「それは、できない――。
いえ、厳密に言うと、やるわけにはいかないことなんです」
次に答えたのはサリエルだった。
「……どういうこと? サリーちゃん」
「マキさん、あなたのいらっしゃる教会の神父さんの持論、ご存じですよね?」
「うちの神父様の持論、って……。
確か、主は人間が種として、文化的にも精神的にも進化を遂げることを望んでらっしゃるから、あえて安易な救済を行わないんだ、って感じの……アレのことよね? それが?」
マキは、アーサーがときどき口にする考えを思い返しながら答える。
果たして、サリエルはしっかりとうなずいた。
「はい。それは実は、私たち天界の思想をほぼ正確に捉えているんです。
つまり――私たち天使が深淵を閉じようとしないのは、それを開こうとしたのがそもそも人間だからなんです。
人間が自らその過ちに気付き、自らの力を持ってそれを正してくれるときが来ることを願っているから……だから、マキさんがおっしゃるように根本的な解決にはならない、消極的にしか見えない活動をしているのです。
ただ――」
サリエルの言葉尻を、今度はラファエルが継ぐ。
「ただそうは言っても、相手が悪魔となれば、人間の力だけでは荷が重い。
それに、その悪魔の中に、闇に魅せられたオレたちの兄弟も混じってるとくれば、さすがにすべてを委ねて高みの見物を決め込むわけにもいかねえ。
……ってわけで、オレたち一部の天使が神の理念にそって、魂の導き手にふさわしい人間を選ぶことから始まる、最低限のバックアップをしてるのさ。
まぁ、実際問題としては、もう少し直接的な手伝いをしてやりたくても、地上は深淵から漏れ出る毒気が少なからず広がってるんで、天使が天使として存在するにゃツラいって理由もある。
こうして天使の力をおさえて人間みたいに過ごす分には問題ねえが、ヘタすりゃ毒気にあてられて、闇に堕ちちまうかもしれねえんでな」
「じゃあ……前に言ってた、あたしの周りの人が悪魔に直接襲われたりすることはない、って確証はどういうわけなの?」
回答者は再度カマエルに戻った。
「先に言ったように、一度神の祝福に触れた魂でなければ贄としての意味がないから、というのがまず一つ。
そしてもう一つは――悪魔の習性とでも言えばいいかしら」
カマエルはやれやれとばかりに肩をすくめる。
「ハッキリ言って、彼らも人間を憎んでいるわけではないの。
それどころかむしろ、愛しているのよ――そう、行き過ぎなほどに。
先に、そもそも深淵を開こうとしたのは人間だ、と教えましたわね?
悪魔は、いわばそれを叶えてやるべきだと考えているのです。
だから、直接人を害し、根絶やしにしようだなんて、ハナから思ってないの。
でも、彼ら基本陰険ですから、その愛情がやや歪んでしまっているわけで……誘惑やら甘言といったちょっかいぐらいはかけてくるのです。あわよくば、闇に堕としてやろうとね。
でも結局――」
「それって……言うなれば、悪い人間が、他の人を悪いことに誘うようなもの、ってことなのかな。
つまり、特別悪魔だからやるようなことでもない、と」
天使たちの話を聞いたマキは、そう自ら締めくくって、ふむ、と小さく鼻を鳴らす。
そうして、しばらく眉間に皺を寄せて押し黙っていたが……やがて気を抜くように一つ息をついた。
「……なるほど、ね。まぁ、だいたいは分かった。
あたしも、自分のやったことは自分で責任をもつべきだって考えてるから、アンタたちの考えと、ゴーストキャリアーの役割については理解できるわ。
――だからって、悪徳商法でそんな大役を押しつけられることを納得したわけじゃないけど」
ぎろりとカマエルを一睨みするマキ。
しかし当の本人はさして気にする風もなく、ニコニコと笑う。
「それで? 結局ゴーストキャリアーとして、あたしは具体的にどうすればいいの?」
「なーに、カンタンなことさ。だがそれを説明するより先に、そろそろお前の生まれ変わった相棒を見てやれよ」
ラファエルはコーヒーカップを手にしたまま立ち上がると、奥のドアを開けてマキを促す。
その向こうは、外からではシャッターが降りて中をうかがうことができなかった、一週間前にエリーゼが運び入れられた作業場だ。
その中央でライトに照らし出される黄色い車体を見た途端……マキは飛び上がらんばかりに喜ぶ。
「わぁっ、エリー! ちゃーんと直ってる!」
そして、駆け寄って見慣れたボンネットを愛しそうにさすった。
「……よ~かったあぁ……天使の口から、ゴーストキャリアー用に生まれ変わらせる――とか言われたから、ワケ分かんない翼とか飾りとかゴテゴテ付けられて原型留めてないんじゃないかって、心配だったんだよ……」
「ま、まあ……その心配も分からなくはねえが……」
ラファエルは誰とは言わず、ちらりと一瞬だけカマエルの姿を見やった。
「だがな、見た目はこれまでと同じでも……潜在的な性能は以前の比じゃねえぜ?
何せオレたち天使が天界の力を注いだ改造をする上で一番重要な、車自身の魂の想い――お前のために役に立ちたいってその想いが、ハンパなく強かったからな。
これまでオレが腕によりをかけて仕上げてきた、聖者仕様車の中でも……最高に近い出来映えになった」
「このコが……あたしのために」
「聖者仕様車は乗り手に合わせて性能を変えるからな、はっきりこうだって性能の数値化はできねえんだが……。
ざっとカンタンに言って、車重は半分以下、馬力は5倍増しにはなってるだろう」
コーヒーをすすりながら事も無げに言ってのけたラファエルの言葉に、マキは目を点にして振り返る。
「じょ……冗談ですよね?
馬力はまだ、エンジンそのものを別物に載せ替えればなんとかなるかもしれないけど……そもそも極限まで軽量化されてるエリーゼを、さらに半分以下にまで軽くするなんて、物理的にムリ――」
「あたりめーだろ?
今の人間が普通にできることをやったんじゃ、何のための天界の支援かわかんねえじゃねぇか。
……それに、そんな数字だけじゃねえぜ?」
エリーゼに近寄ったラファエルは、コンコンと車体を叩く。
「シャシーを初めボディ回りやエンジンなんかは、オリハルコンをもとにした超軽量・超剛性の特殊合金製だし、タイヤには、状況に応じて自在に接地力を変化させられる、エデンにしか生えてない生命の樹の樹液から作ったゴムを使ってある。
しかもどちらも、傷付こうが磨り減ろうが時間で元に戻る、自己再生力のオマケ付きだ」
「か、勝手に……直る?」
「おうよ、ある程度ならな」
「そ、それはつまり、すり減ったタイヤを買い換える必要が無くなったり、整備にかかる費用がこれまでよりずっと安上がりに済むってわけですかっ!?」
鼻息荒く、目を輝かせて早口に詰め寄るマキ。
その豹変ぶりに気圧されながら、ラファエルはかくんとうなずいた。
「ま、まあそうだ。
――ああ、費用と言えばガソリンも、さすがにまったくいらないってわけにゃいかないが、給油の仕方を忘れそうなぐらいには長持ちする低燃費になってるぜ」
「……なんと!?
ああ……これでカタリナに、もっと家計に優しい運転をしろとか怒られずに済む……!
ありがとう、神サマ……!」
「お、おう……どういたしまして?
――ってか、お前の家、そこまで貧乏でもないだろ?」
「い、いやー、ウチの妹分のコが、ムダ遣いにはめっぽう厳しくって。
以前、ドリフト遊びで調子に乗りすぎて、一週間でタイヤ履き潰したときの怒りったらまあ……。
そんなワケで、今後はそういうことが無くなるのなら、掛け値なしにありがたいなあ、と、そう思うわけです。ホントに」
両手を組み、実際の天使を前にしても決してしなかった祈りを、今ここで捧げるマキ。
ラファエルは複雑な表情で咳払いする。
「あー……で、話続けていいか?
まだ解説することが残ってるんだが……」
「あ、ああ、ゴメンナサイ。
それじゃ、どうぞ。お願いします」
「……おう。これなんだが――」
エリーゼのドアを開くと、中を指し示すラファエル。
マキが指示されるままに覗き込むと、ダッシュボードの上に腰掛けるようにして、これまではなかった、小鬼と妖精を足して2で割ったような姿の、少女の像が据え付けられていた。
「? この……インテリア?
まぁ可愛らしいですけど、それが――」
「きゃおー。可愛らしいって言ってもらいましたー」
「――っ!」
慌てて身を退いたマキは、車体の屋根で頭を打ちそうになる。
マキが触れた瞬間、少女の像はほのかに光ったと思うと、確かな声を発したのだ。
「しゃ、しゃべった! アレ、しゃべりましたよ!」
「はっはっは、驚いたか?
それが、お前の直接的なサポートをする機械聖霊――まぁ分かりやすく言えば、エリーゼの魂に人格をもたせた存在ってわけだ」
「エリーゼの魂に……人格?
それじゃ、車と話ができるってこと?」
「そういうこった。
――ま、コイツについては本格的に組み上げたのは姉貴なんでな、本人に聞いた方がいいだろう」
ラファエルがそう言うと、いつかのように、マキのスマートフォンにパジャマにどてら姿の少女――ガブリエルが映し出された。
ラファエルのコーヒーに合わせているのか、その小さな手には、純和風のシブい湯飲みが握られている。
「あ……ガブちゃん」
何気なくその名を口にして――その瞬間、まさに天啓のごとくマキは閃いた。
「! そうだ、なんで引っかかってたのか分かった!
……まさかとは思うけど、あたしの友達が最近仲良くなった、お隣さんの女の子って……」
ガブリエルが、シブい湯飲みを掲げるとともに、メッセージが送られてくる。
『わたし、ガブちゃん。ともだち、カブちゃん』
「や、やっぱりか……知らぬコトとは言え、大天使を餌付けして手なずけるとは……カブちゃん、恐るべし。
……ていうか、呼び名似ててややこしいよ……」
「なんだマキ、お前姉貴のお隣さんと友達だったのか?
いやあ、お隣さんには姉貴がすっかりお世話になっちまってるからなあ、いずれちゃんとお礼をしないとって思ってたんだよ……。
今度紹介してもらわねえとなあ」
照れたように頭をかいて笑うラファエル。
反して、マキの顔は引きつる。
「……うわ、こっちもか……。
すごいよカブちゃん、アンタすでに四大天使の半分を落としてるよ……過去の聖人が聞いたら泣いちゃうよ……」
感嘆とも呆れともつかないため息を一つつき、改めてマキはガブリエルを見た。
「で……ガブちゃん。
この妖精みたいなの、ガブちゃんが作ったって聞いたんだけど」
ガブリエルはこくりとうなずく。
『でも、なまえはまだ。つけてあげて』
「え、そうなの?」
車内に目を向けると、ダッシュボードの上で、機械聖霊が両手をぱたぱた振っていた。
「はいー。
ですからあねさま、おなまえ、おなまえー」
小鳥の鳴き声を思わせる高さの、それでいて間延びした声でそう呼びかけられて、マキは困ったような顔をする。
「な、なんだか思ったよりはるかに子供っぽくて……調子狂うなあ……」
『でも、それ、こせい。わたしのマネじゃない』
「え? ああうん、そんな風に思ったわけじゃ――いや、ちょっと思ったけど……」
「なんと個性だそうです、あねさまー」
見えていないはずなのに、マキたちのやり取りが分かるのか、機械聖霊は楽しげにそう言ってまた手を振った。
「……ママの形見でもあるんだから、もっと落ち着いた性格だと思ったんだけど……」
ため息混じりに運転席に腰を下ろし、機械聖霊を横目でジッと見つめるマキ。
「きゃおー、照れちゃいます、あねさまー」
「…………決めた」
短くそれだけ言い置き、マキは改めて席を立つ。
そして、彼女らのやり取りをはたで見ていたカマエルに向き直った。
「さて――と。
改めて、あたしがゴーストキャリアーとして何をすればいいのか、具体的に教えてほしいんだけど」
カマエルは、かたわらに立つサリエルと一度顔を見合わせてから答える。
「……毎夜毎夜、神は人の肉体から離れた魂たちを、その大いなる御手をもって救われます。
死を迎えた者は当然天界へ……。
そして生死の狭間にあったりして、まだ生きているのに何かの弾みに魂が離れてしまった者は、元通りその身体へ……といった具合にね。
ですけど、周期的に深淵の力が強まる時というものがあるのです。
その夜には、悪魔によって救いの御手を邪魔されてしまうの。
そうして、文字通り足を引っ張られるように、誰かが救いの御手からこぼれ、地上に落ちてしまう」
「……それを、悪魔が深淵の解放とやらのために付け狙うから、その前にあたしが保護する、ってこと?」
「その通り。こぼれた神霊がどこに落ちたかはわたしたちが目ン玉かっぽじってよーく見ておきますから……。
貴女は相棒を駆ってその魂を保護し、悪魔たちの追撃を振り切ってわたしたちが指示するゴール――深淵とは逆に、天界と地上が最も近付く場所まで走るのです。
そこまで来れば、悪魔たちも手を出すことはできませんから。
ただあまりに時間がかかり過ぎるようだと、いずれ深淵の力が強くなって、貴女がどこにいようと神霊が引きずり込まれてしまいますから、それだけは気を付けて」
「ゴールって、いつも一緒じゃないわけ?」
「大体いくつかの候補はありますけど、定期的に変わりますの。
地上と違って天界というのは流動的なものですから。
……というわけで、ゴーストキャリアーのお仕事をぶっちゃけて言えば、目標と時間制限と追っ手がある、ちょっとカゲキな夜のドライブってなところですかしら?」
「……ちょっとで済めばいいけどさ……」
マキは大きなため息をつくと、もう一度運転席に戻った。
そして、ラファエルに問う。
「ラファエルさん、試運転してみたいんですけど……いい?」
「ん? ああ、もちろん。
――サリー、シャッター開けてやってくれ」
ラファエルの指示に応えて、壁のシャッター開閉スイッチを入れるサリエル。
「あ、あねさまぁ……怒っちゃったんですかぁ?
ごめんなさい、ごめんなさいー」
先のマキの素っ気ない態度に、嫌われたと思ったらしい。
機械聖霊は、バックミラーの角度合わせや座席調整をしているマキに、涙声で何度もごめんなさいを繰り返す。
「――なに? アンタ、怒られるようなことした?」
「してない、と思いますぅ……」
「なら、謝るのはおしまい。別にあたし怒ってないから。
……ただ、いろいろあって、ちょっと頭を整理するのに手間取ってるだけ」
「でもー……」
それでも声の暗い機械聖霊をジッと見ると、マキはその小さな額を軽く指で弾いた。
「それより聞いてたでしょ?
試運転行くわよ、『ティータ』?」
「………きゃお?」
「アンタの名前。ティータ。
……シェークスピアの喜劇に出てくる、妖精の女王ティタニアから一部もらって――」
「きゃおーっ! ありがとうあねさまー!
カワイイです、ステキですー!」
マキがすべてを言い終わるより先に、機械聖霊はこれまでの暗い調子から一転、念願の宝物を得た子供のように、喜々として与えられた自らの名を連呼する。
「……もらって……というより、むしろ小鳥みたいに『ぴーちくぱーちく』しててやかましいから、なんだけど……ま、気に入ったのならいいか」
小声でつぶやくと、マキはエンジンのキーを回す。
応えて唸り始めたエンジンは、生まれ変わりながらも以前と遜色ない鼓動を、マキの耳から、背中から伝える。
それは少なからず混乱気味だった彼女の頭の中を、魔法のようにクリアにし……陶酔にも似た高揚感を与えてくれるのだった。