5.色々と似たもの同士だと思いますけれど?
「何だか、その車に乗るマキ君も見慣れてきましたねえ」
教会の駐車場に停まる青色のミニクーパーから降り立ったマキに、辺りを掃除していたアーサーは、ほうき片手に声をかけた。
「……一週間って言ってたから、いいかげん今日明日ぐらいには直ってくると思うんだけど」
「それはそれは。待ち遠しいでしょう?」
「まあ……ね。
直ってくれるのは嬉しいけど、素直に喜べないところもあるというか」
カマエルと彼にされた話を思い出し、マキは複雑な顔でため息をつく。
「ふむ? もしかして、その代車にも愛着が湧いてきて、離れづらくなったとか?」
「え? ああ、うん、そんなところ。
このコはこのコで、いい車だからさ」
アーサーの疑問を適当にはぐらかしながら、マキはボンネットに手を置く。
この二日ほど雨が降る日があったにもかかわらず、汚れが無いばかりかワックスまでかけられてピカピカに輝く車体は、マキの言葉があながちデタラメでもないことを物語っていた。
「ほほぅ……それなら、一度僕にも運転させてもらえませんか?
君の愛車よりはまだ扱いやすそうですし」
アーサーはマキの手の中のキーと自分を交互に指さす。
するとマキは、子供にイタズラするときのように、ひょいとキーを高々と頭上に掲げた後……さっさとポケットにしまい込んだ。
「ダメ。危ないから。
……神父様、6速MTなんて使ったことないでしょ?」
「そもそもAT限定免許だったりしますが」
「……論外じゃない……。
神父様の無免許運転なんて、その神父業だけで充分だからね?」
「ああ、はっはっは、いやはやまったく」
「いや、そこは否定しようよ……」
快活に笑うアーサー。
その様子に、やれやれと肩をすくめていたマキは、ふと何かに気を取られたらしく……アーサーの後方、教会の母屋の方へと首を伸ばす。
「……ねぇ、神父様。部屋で電話……鳴ってない?」
「え?
…………おや、そのようですね。それじゃちょっと失礼して」
マキがうなずきがてら差し出した手にほうきを預けると、アーサーはさほど慌てているとも見えない軽快な走りで、母屋の自分の部屋へと向かう。
そして簡素なその二階の部屋の、ベッド脇の棚を前に一息つくと……。
依然として激しく自己主張を繰り返しているアンティークな電話を持ち上げ、受話器を取った。
「はい、もしもし?」
『――あ、若!
どうも、ぶしつけに申し訳ありません。フリントですが……』
受話器の向こうの渋みがある低い男の声は、恐縮しきった様子で名を告げる。
対してアーサーは普段通りの少しとぼけた調子で答えた。
「ええ、分かりますよ。……しかし珍しい」
『も、申し訳ありません。
実は、ちょいと良くない情報が入ったんですが、若にご報告しておくべきかと思いまして……』
「……うーん……」
『若? どうしました、若?』
「マリーゴールド一家は僕の代でキッパリ足を洗って、堅気に生まれ変わった――そうでしょう?
いいかげん、その呼び方どうにかなりませんかね」
不満げに言いつつ、電話を持ったままアーサーはベッドに腰を下ろす。
『は、では……そうですね……。
やはり、神父様……と、お呼びすれば?』
フリントの返答にアーサーはしばし、複雑な表情で考えてから、やおら首を振った。
「……やっぱりいいです。あなたにそう呼ばれると、余計カタギに聞こえなくなるということにたった今気付きました。
……それで? 報告したいこととは?」
『ああ、へい。
……若、ギャラップ一家のことは覚えてらっしゃいますか?』
「ああ……昔、ウチと北の方で縄張りを巡って争ったあのギャラップ一家ですか?
ボスはなかなか立派な人物だったようですが、しかし幹部のブースって男が血も涙も仁義も無いって、オヤジがずいぶんとお冠だったんでよく覚えてますよ。
……でも、あそこは随分と前に解散に追い込まれたんじゃなかったですか?」
『ええ、その通りなんですが……実は最近、そのブースが、以前使っていた連中を集めてるって話がありまして。
それも、ウチらみたいな真っ当な商売を始めようとしてるワケでもないらしいんですよ。
で、ちょいと探りを入れてみたんですが――』
フリントは昔の名残で未だに繋がっている各種の情報網から仕入れたという情報を、順序立て、要約してアーサーに話して聞かせる。
「……ふむ……。
それは確かに、耳に入れておくべきでしたね。さすがはフリント」
アーサーはベッドから立つと窓越しに、外で、預かったほうきを退屈そうにくるくる回しているマキをそっと見下ろす。
『恐縮です。
……で、何か手を打ちますか?』
「そうですねえ……正確に動きを分析するには情報が少ないですし、かと言ってあらゆる可能性を潰すには人手が無い。それに、どうも時間もあまり無さそうだ。
となると――先手を打つのは難しいでしょう。
ですから……そう、昔取った何とやらで、あなたたちには司法関係の人間に知り合いも多いでしょう?
そちらに話をつけて、何かあったらすぐに動けるように準備をしておいてもらいましょうか」
様々な可能性や状況を考慮しながら、アーサーはゆっくりとした口調でフリントに指示を出していく。
――その間に、眼下のマキにも、誰か意外な人物から電話があったらしい。
はっきりとした声は聞こえないものの、取り出したスマートフォンを耳に当てた瞬間の大げさなまでの反応が、言葉より雄弁にそのことを物語っていた。
『……心得ました、若。すぐに動きます』
「ええ、お願いしますよ。
僕は僕で、少々手を打っておこうと思います――それでは」
そう告げて一度切った電話を、アーサーは受話器を置くことなく、すぐさまどこかへかけ直す。
「ああどうも、お久しぶりです。
――いえいえ、とんでもない。
ところで、少々お時間をいただいても?――ええ、ありがとうございます。
実はウチの者から今しがた、少し気になる情報が届きましてね。
この間ご相談を受けた、息子さんたちがヤクザ者の会話を聞いてしまったというあの話……あの件と関係があるかも知れないんです。
それでですね、フレデリックさん――」
話しながら、アーサーは壁にかけられた質素なカレンダーに手を伸ばす。
そして『ポーラ医師より依頼。子供たちの慰問のため、マキ君とベスレム総合病院へ』と予定が書き込まれた日から今日までの数日間を、ゆっくりと指でなぞった。
* * *
――オファニア大学駅前に開店したばかりの、道路の一画を占有するほどの規模を持つコンビニエンスストア。
ちょっとしたスーパーほどの広さはあるその店の駐車場に、道路のアスファルトにタイヤの跡を刻みながら文字通りに飛び込んできた黒いバイパーは……。
減速する時間さえ惜しいとばかりに、ドリフトしながら駐車スペースにぴったりとその車体を収めると、今度は弾丸でも撃ち出すように金髪の女性――サミアを送り出した。
「まったく、オーズめ……!
新店舗のチェックを怠るとは、やはり使えん……!」
歯ぎしりし、また足踏みしながら自動ドアが開くのを待って店内に滑り込むと、雑誌のコーナーへ急ぐサミア。
その鋭い目は、居並ぶ多種多様な雑誌の中から、一瞬にして目的の一冊を見つけだした。
「おおっ、淑女ヘブン最新号……!
ようやく見つけたぞ……!」
伸ばされる手。
それが雑誌を棚から抜き出そうとつかみかかる瞬間――。
「ッ!」
逆方向から伸びてきた手が、まったく同時に、同じ雑誌をひっつかんだ。
「貴様――!」
「おやおや、誰かと思えば。
――お久しぶり、元気そうで何よりですわ」
サミアは視線を上げる。
最後の一冊である淑女ヘブンを掴まえたまま、いわくありげに笑っているのは……フリル付きの服を着込んだ金髪の青年だった。
「……カマエル……何の用だ」
「用があるのは貴女ではありませんわ。コ・レ」
カマエルは淑女ヘブンを自分の方へ引き寄せようとするが、当然サミアは譲らない。
「そうはいくか。
これは私が先にキープしたのだ、貴様は大人しく退け」
「あら冷たい。
譲ってくれてもバチは当たらないんじゃなくて、サマエル?」
「私をその名で呼ぶな。それに罰ならもう充分当たっているはずだぞ。
……ほら、さっさと手を離せ、このド変天使」
「――ムカ。
残念ながら、わたしとしてもこの袋とじ大特集号をみすみす逃すわけにはいきませんのよ、ヘビ女?」
雑誌をつかむ手とにらみ合う視線に力がこもる。
天使と悪魔の殺気のぶつかり合いは、それは凄まじい緊張感をもって空気を震わせるが、幸運なことに――本能が危険を察知して近寄らなかっただけかも知れないが――雑誌コーナー近辺に人気はなかった。
「……フン。
何もかもが正反対の我らが、趣味だけ重なるとは皮肉なものよな?」
「そうですかしら?
他も結構、色々と似たもの同士だと思いますけれど?」
顔を近付け、ニヤリと笑うカマエル。
対してサミアは、いかにも不愉快だと言わんばかりに頬をゆがめた。
「はっ、馬鹿馬鹿しい。
――そら、戯れ言をほざくヒマがあるならさっさと手を離せ。
街中のコンビニを巡り巡ってようやく見つけた最後の一冊、互いに譲らぬ綱引きで破って失ってしまうなど愚の骨頂――」
「はいはいはい、分かりましたわよ」
これまでの抵抗が嘘のように、サミアの口上が終わらぬうちにカマエルはパッと手を離した。
意外な成りゆきに、思わず自らの手に収まった淑女ヘブンと、カマエルの顔を見比べてしまうサミア。
「……今日のところは、譲ってあげますわ」
「フン、恩を売ったつもりか?
だがだからといって、あの新しい導き手の小娘を追うのに、手心を加えたりはせんぞ?」
「最初から期待してませんわよ、ンなもん」
カマエルは肩をすくめる。
その姿にサミアはもう一度鼻を鳴らすと、さっそうと背を向けた。
「まぁいい、とりあえず、これについては礼を言っておこうか。
――ではな、『兄上』」
レジへ向かい会計を済ませると、もはや振り返ることもなく、サミアは店を出る。
……爆音を響かせて黒いバイパーが走り去るのをガラス越しに見送ってから、カマエルはため息をついた。
「……だから、姉サマと呼びなさいと言ってるでしょーに。
ま、それはともかく……」
棚に詰め込まれた新刊のファッション誌を、ひょいと脇に除けるカマエル。
――その下から現れたのは、もう一冊の淑女ヘブン最新号だった。
「この程度も見抜けないとは、まだまだ甘いですわね、サマエル?」
* * *
――意識が朦朧とする。
断続的に襲い来る高波の狭間で、何度も沈んでは浮き上がることを繰り返していた意識は……ついに溺れた漂流者のように、少しずつ深みに呑まれ始めていた。
それでも、思考そのものが闇に閉ざされたわけではないし、不確かでも日の光を感じることはできる。
つまりは、まだ自分は生きているのだ――と、まぶたの向こうに存在する世界を本能のような感覚で知覚するたび、ロイは他人事のように自覚した。
(……お姉ちゃん……)
最後にマキと会ったのはいつだったか。
状態が悪化したせいで面会できなくなって、随分な時間が経った気がするが、はっきり何日とは分からない。
父にでも聞こうと考えてロイは、今日はまだ父が姿を見せていないことを思い出した。
(そうだ、確か……。
パパ、今日は、とっても大事な仕事があるから、って……)
昨日、そう言って謝っていた父の表情。
それは、ここのところ何度も目にしていた、ひどくつらそうな、悲しそうな――そんな表情だった。
(隠してることなんて無いって、パパは言ってた。
だけど……)
浮き沈みする意識の裏側に、様々な憶測が過ぎっては消える。
――病室のドアが開く、小さな音を聞きつけたのはそんなときだった。
何者かの気配が、ベッドに近付く。
「……おい、コイツ、ヤバいんじゃないのか?」
「ああ……このまま逝っちまってもおかしくねえな」
(…………!)
頭上から降ってくる、父より少し低いその男の声に、ロイは聞き覚えがあった。
一週間ぐらい前に、父の仕事仲間だと言って見舞いにやって来た――明らかに父の人柄とはそぐわない雰囲気の男たち。
少しも良い印象を持てなかったその男たちの声に、間違いなかった。
「……で、どうする?」
男たちの話は、きっと父があんな顔をしていたことに関係がある――。
本能的にそう察して、どんなことを言うのか聞き取ろうと、耳を澄ませるロイ。
しかし折悪く、何とか水面近くまで上っていた彼の意識は、足を引かれるように再び深みへと引きずりこまれる。
(もう少し……もう少しだけ……!)
「まあ、もしこれが昨日だったら面倒なことになってただろうが……もう仕事は始まってるんだ、問題ねえだろ。
アイツが重要なのは侵入するときぐらいだしな」
「それもそうか。
……しかし親孝行なガキだ。
用済みになって始末される親父に、あの世まで付き添ってやろうなんてな」
――そう言って笑う声を聞き取ったところで。
抗いきれなくなったロイの意識は、急速に闇の中へと沈んでいった。