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 正真正銘の光回線ですわよ



 ヘッドライトに浮かぶガードレールが、瞬く間に大きくなっていく。


 ――常軌を逸したオーバースピードだ。

 このまま行けば、確実にあの世まで飛べるだろう。


 本能は、すぐブレーキを踏め、避けろと、さっきから胸の奥で悲鳴を上げ続けている。


 ……だが、マキはそれを黙殺した。


 生と死の境界線、そのギリギリの限界まで、さらに一拍の間を置く。

 最速でコーナーを駆け抜けるための刹那を、身体中すべての感覚で見極める。



 そして――今だ、とそう感じた瞬間には、彼女の身体は動いていた。



 余計な感情は置き去りに、幼い頃より染みついた動きは、機械のように正確に、愛車を完璧に操ってみせる。


 天界の加護を得ているというタイヤが、それでも限界だとばかり甲高く叫ぶ。

 前方の景色が、文字通りに横方向へと吹き飛ぶ。


 常識ではありえない速度から、さらに一歩を踏みこえた超高速ドリフト――。


 間違いなく最高のコーナリングをなしたマキは、これなら、とバックミラーを見やる。



 しかし――漆黒のバイパーはまだそこに在った。

 離されることなく食らいついていた。



 ぴたりと後ろにつけた大きな車体は、まとう闇で一際大きく――まさしく鎌首をもたげて獲物を狙う毒蛇よろしく、うら若きシスターの微かな希望を呑み込む。



 ――これでも離せないなんて……!



 毒蛇の顎は、そのまま彼女の戦意までも丸呑みしそうになるが……マキはそれをすんでのところで振り払った。


 その勇気を振り絞らせたのは、助手席で彼女の無事と勝利を信じ続けている、少年の魂だ。


 その心根そのもののように、自らも恐怖にさらされながらも、しかし真っ直ぐに前を見つめ続けている無垢な魂の、輝くばかりの強さだ。



 ――この子を、悪魔になんて渡してたまるか。

 深淵になんて……落としてたまるか!



「……べらんめー……っ!」


 使い慣れた罵言が、思わず口をついて出た。



 ふと気をゆるめれば顔を出す、自分の弱気が頭にくる。

 未だ諦めず、少年の魂を狙い続ける悪魔に腹が立つ。



 怒りの火が、一瞬でも萎えかけていた戦意を、再び燃え上がらせる。



 ――負けてたまるか……!



 眼前に迫る、山道らしい連続コーナー。



 ……今度は、さらにもう一歩速く抜けてみせる――!



 そう決意してマキは、ハンドルを握り直した。










      *     *     *





 ――ヨーロッパは北海のただ中に位置する島国、セフィラ。


 かの国には、ここで生まれ育った者なら老若男女問わず誰もが知る、他の欧州諸国にはない、はるか古代より語り継がれる一つの伝説があった。



 『闇の濃い夜、神の救いの御手からこぼれ落ちた魂は、

        貪欲な悪魔たちが、深淵へ連れ込むべく付け狙う』



 語る書物、人物などによって細部の違いや規模の大小はあれ、主幹となる部分だけは変わることのない、人々に教えを広めるために作られた寓話ではなく、あたかも長い年月、連綿と続く事実を、ただ忠実に伝えているだけのような伝説。


 ――それは、最後にこう結ばれる。




 『だが、悪魔が目的を達することはない。なぜなら、その魂を守り、

   正しき神の御元へと運ぶ聖者、〈魂の導き手(ゴーストキャリアー)〉がいるからである』――と。










      *     *     *




 ――すべてを包み込む暖かな光が支配する、純白の空間。


 生まれたばかりの子供だけが見ることを許される汚れ無き夢のような、影さえ存在しないその光の世界を目の当たりにしたならば、人は誰しも確信を持つだろう。



 まさしく事実である確信――。


 ここが、神の住まいたる領域、『天界』であると。



 しかし今まさに、その世界の中心である大いなる光の前に、辺りを漂う優美な霞を分けて姿を現した薄衣をまとう美しい青年に、そんな感慨はない。


 理由と言えば、何のこともない、彼はこの世界の正当な住人……いわゆる『天使』に他ならないからである。



《……来たか。我が子、カマエルよ》



 大いなる光は、そう青年に語りかける。


 その言葉はただの人間にしてみれば、言語はもとより音としても認知することが出来ない、直接的な意識のさざ波のような、この空間に相応しい、静かで穏やかなものだった。


 だが対する青年は人間でも明らかにそれと分かる、口から発する確かな声をもって答える。



「それはそうです、呼ばれたんですもの。ええ、呼ばれたんですもの。

 こちらの都合なんて関係なく、参れと召喚されたんですもの。

 ……ええ、来ますわよ、わたしが天使である以上は。

 大いなる主の御言葉に、そぉれはもう忠実に従う天使サマであるイジョーわぁ~」



《……お前、今回はまた、いやに機嫌が悪いな……》



「当然ですわね。

 わたしがせーっかく、わざわざ下界に降りて買ってきた『淑女ヘブン』の特集袋とじを胸躍らせながら開こうとした、まさに!

 まーさーに、その瞬間の呼び出しですもの――ねっ!」


 青年、カマエルは、凛とした響きを持つ高音の、しかし確かな男性の声でそんな言葉を口にし、キッと目を細める。



《そ、そうか、それは……その……すまなかった。

 ……実は、新しい魂の導き手はどうなったのか、と思ってな》


 あまねく世界を照らすはずの大いなる光が、ほんの少し弱くなった。



「……そんなの、メールとかで充分じゃありませんこと?

 この間ガブリエルが置いていったタブレット端末があるでしょうに」


《いや、お前、あんなもの置いていかれてもだな……その……そもそも電波届かないぞ》



 何をバカな、と言わんばかりにカマエルが眉尻を跳ね上げる。



「だーかーら、アレは電波じゃなくて霊波を利用する天使仕様だってガブリエルも言ってましたでしょう?

 天界でもちゃんと使えますわよ、正真正銘の『光回線』ですわよ!

 歳食ったから機械はちんぷんかんぷんだとか、言い訳はナシにして下さいましね?」



《う、うむ、そうだったのか……。

 ああいや、もちろん、言い訳などするつもりはないぞ?

 ただ、その……ガブリエルの話は……いや、あの子が一生懸命なのは分かるが……何というか、聞き取りづらくてな……》


 大いなる光の、どうしても言い訳に聞こえてしまう言葉に、しかしカマエルはより機嫌を損ねるどころか、ため息混じりに怒気を引っ込めた。



「まあ……それについては同意しますけれど。

 あの子も、もう少し自己主張を強く――」


《ある意味充分強いと思うが……。

 それに、お前のように変な方向に尖られても……》


「あらあら父様、今何かおっしゃいまして?

 大っ変、面白い冗談が聞こえたようにも思うのですが~?」


《うむ、いや、何でもないぞ。

 ――いやまったくもって、いかにもお前の言うとおりだ》


「……今の、明らかに『面倒くさいからもういいや』って答えですわよね?

 まったく、しまいにゃ、お名前でお呼びしますわよ父様?」


 カマエルのさらりと告げた一言に、いきなり大いなる光の明滅が激しくなる。



《や、やややめんかバカ者!

 な、名前とか……は、はは恥ずかしいではないかっ!》



「……はあ。いい歳して、いい加減慣れたらいかがですの?

 まさか人間たちも、偶像崇拝の禁止も、みだりに名を呼ばわることを禁止しているのも、ご本人の極度の恥ずかしがり屋がゆえだなんて知ったら、ひっくり返りますわよ?」



《し、仕方なかろう!

 恥ずかしいものは恥ずかしいのだ! くすぐったいのだ!》


「そういうところが、案外ガブリエルとかに影響してる気もしないでもないですけど……まあいいでしょう。

 このままだと父様のムダ話に延々付き合わされそうなので、そろそろ本題に入るといたしましょうか」


 やれやれ、とばかりに優雅に肩をすくめるカマエル。


 対して大いなる光は、「それはお前が余計なことばかり言うからだ」ともっともな反論をしたそうに、派手に揺れ動いていたが……。

 これ以上話をこじらせたくないと思い直したのか、すぐさまもとの落ち着きを取り戻した――やや光が強まったままなあたり、不満を飲み下しただけなのは明白だったが。



「さて。新たな魂の導き手について、でしたわね」


 言って、カマエルはたたずまいを改める。



 ――ただそれだけのことではあったが、周囲の空気は緊張に引き締まった。



「……ご心配なく。

 わたしが、この上なく聖者にふさわしいと認めた娘を選んでありますから。

 彼女ならば、魂をただ運ぶばかりでなく、必ず、正しい方へと『導いて』くれることでしょう」



《そうか……分かった。

 ならば良いのだ、お前がそこまで言うなら間違いもなかろう》


 大いなる光は、ようやくその姿にふさわしい穏やかな輝きで応える。



《しかし、まったく……。

 お前も普段からそういう真面目な態度でいてくれれば、余計な心配をせずとも良くなるというのに……》



「あら。あらあら。おやおや。わたしはいつだって真面目なんですけれど」


 周囲すら引き締めていた威厳もどこへやら、一転してしなを作ったカマエルは、手の甲を口元にあて、上品に、かつ楽しげに笑い出した。



「そうやって心配ばかりしてますとしまいにハゲますわよ? 父様。おっほほ……」


 美形な上、元の声も高いだけに妙に似合っているカマエルの高笑い。



 ――それをさえぎるようにして、空間を漂う霞の中から……今度はそれらしいきちんとした翼をもつ、少女の外見をした天使が姿を現した。



「――我らが大いなる父よ。お話中のところ失礼いたします」



《おお……サリエルか。どうしたのだ?》



「はい、カマエル兄様をお呼びにまいりました。

 ――兄様、そろそろお時間ですよ」


 サリエルと呼ばれたその天使は、彼女の外見にはおよそ不釣り合いな……騎士を思わせる、髪の色と同じ白銀の甲冑をまとった手で、カマエルの薄衣の裾を引っ張った。



「……ンもう、サリー?

 わたしのことはお姉サマと呼びなさいと、ン百年前から――」


「お・じ・か・ん・で・す・よっ」


 頭一つ以上の身長差があるため、必死の爪先立ちで、不平をもらすカマエルの顔に、輪をかけて不機嫌極まりない己の形相をずずいっと押しつけ、サリエルは強い調子で繰り返した。



「ああはいはい、わーかった、わかりましたわよ、もう。

 まったく、誰に似てこんなカタブツ一直線に育ったんだか……。

 ――さて、それでは父様、先程お話しした新たな導き手を改めて脅迫――もといスカウトに参りますので、これで失礼いたしますわ」


 カマエルは、ひらひらと片手を振りながら、さっさと霞の向こう側へと姿を消す。


 その変わり身の早さに少しばかりあっけに取られた後、こちらはきちんと礼儀正しい挨拶をしてから、サリエルは慌ててカマエルの後を追っていった。



《………………》



 あとに残された大いなる光は何を言うでもなく、微かな明滅を繰り返したが……。


 それはあたかも、人間で言えば深いため息をついているかのようだった。






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