第1話 葬儀屋(アンダーテイカー)の少女
本作は身内発祥のシェアワールド設定を用いて執筆した作品になります。
各作品で設定上のリンクはありますが、個々で読んでも楽しめるよう執筆しました。
拙作や友人たちの力作を楽しんでいただければ幸いです。
また、本アカウントは身内でのシェアワールド作品を投下するためのアカウントであり、私本人のアカウントは下記の物になります。
よろしければ拙作とこの世界をよろしくお願いします。
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閑散とした空気に満ちた教会に、今日も一人の神官が立ち尽くしている。
ミサもない平日にここを訪れる人は少ない。
ここで信徒の子供たち向けに授業でも開かれていれば別なのだが、有償でそれを受けるなら他の場所の方が良いという親がほとんどだ。
そういった理由から、日の傾いた平日に喧騒と一切交わらない静寂が建物内を支配しているのは当然とも言えた。
ジェームズ・カントというこの神官は、金髪金眼が特徴で僅かに皺が出始めた痩躯から30代後半だという事が伺える。
彫りの深い流麗な顔だちであり、人柄も普通であればそのハンサムさから多くの人に好かれていただろう。
だがその人格こそが彼一番の問題点であった。
ジェームズは金に異様な執着心を持った男なのだ。
いや、金銭のやり取りに、というべきだろう。
いくら親しかろうとも、いくら没交渉であろうとも、彼にとって人との距離は金銭関係こそが絶対であった。
本来教会は無償で子供たちに教養を施すのだが、それを是としないジェームズはそれを有償としたのが好例だろう。
いくら懇意にしている相手であろうと、びた一文すらマケない。
ツケにするという事こそあれど、それは相手が確実に支払う保証あるいは確信がある時だけだ。
もし支払えないようであればその対価として臓腑を貰い受ける、との証文がなければ彼にツケ払いなどできない。
金こそが信頼の象徴という彼の在り方こそが、閑古鳥が鳴く教会という奇妙な状況を作り出していた。
だが、このような場所でも需要という物は存在する。
誕生の祝福、死者の弔事、すべきことはいくらでもある。
その過程で得る御布施と、ここウルティア特有の収入さえあれば経営は不可能ではない。
代償として、ここは教会というより葬儀場と呼ぶべき沈黙が満ちる空間となってしまったが。
「おい、守銭奴。今日も上客がやってきてやったぞ。
とっとと儀式の準備をしろ」
言葉と共に、陰鬱な静寂を裂く打撃音が扉から響いた。
鉄と鉄がぶつかり合うような轟音は、扉への蹴撃によってもたらされたものだ。
ここに来客がいれば、賊の襲撃と誤認しかねないほど粗暴な音だった。
夕焼けをバックに立つ彼女は、今から訪れる闇夜の様に黒々とした髪と忍び装束を身に纏っている。
紅色の逆光に照らされたその姿は、凛と立つ黒い影法師。
そんな闇の切り絵でただ一つ、瞳だけが黄昏の空と同じ赤に燃えている。
そんな珍妙な来客を、神官は微笑を以て対応する。
その微笑には歓迎の気持ちだけでなく、粗暴な来訪への呆れが混じっていた。
神官にとってはそれが日常だからこその落ち着きだ。
「ノックは足ではなく手でするように、と再三教えたつもりだったのですがね。
どうにも最近の若者というのは度し難いです」
彼女の来訪は、神官にからすれば葬儀屋が棺桶を背負って来た。
ただそれだけの事だ。
――――――――――
「で、患者の容体は?」
「いつも通りです。息を吹き返す事なく灰となりました」
「そうか」
失望も絶望もなく、長椅子に座った彼女はぶっきらぼうに返答する。
一つの屍が灰に帰った。
火葬と大して変わらない変化に彼女が覚える感慨は何もない。
葬儀屋と呼ばれる彼女にとって、その光景は日常茶飯事でしかない。
「さて、リコッタ。確か君には今回だけでなく5人分ほどの蘇生費を払う義務があったはずです。
常連のよしみとはいえ、ここまでツケが溜まってはそろそろ払ってもらわなければいけません」
「そうなんだよなぁ……。なんでまたここ最近はこんなに死体だらけなのかね」
珍しく支払いを渋るようにリコッタ・リースレットは言葉を漏らす。
その溜息は少女然とした明るい声色に反して暗い。
普段通りの彼女なら金欠になる事など滅多にないのだが、如何せん最近は御布施の方が多すぎた。
囁き、祈り、詠唱、念じる。
たったそれだけの過程で、死者を生者に戻す奇跡を起こすのが教会だ。
2割に満たない成功率とはいえ、不可逆の現象を具象化するそれは神の御業に等しい。
死人の多いウルティアにおいてその奇跡は高い需要を持つ。
対価として蘇生に請求される費用が高くつくのは、もはや必然的であった。
それが5人分ともなれば、ベテラン冒険者の彼女といえども困窮するのは当然だった。
「分かった分かった。これでも持ってけ」
「なるほど、【君主の聖骸布】ですか。
参りました。これではこちらが釣り銭を払わねばなりませんね」
「できればもっと高い利益率で売り払いたかったんだけどな……。
これじゃ底値だよチクショウ」
迷宮塔の最前線を攻略するリコッタ・リースレットにとっても、このようなレアアイテムは滅多に手に入らない物だ。
軽装でありながら高い防御力を誇り、神聖魔法の効力を底上げするそれは聖騎士ならば垂涎の防具だ。
借金の形として使うには別の意味で相応しくない。
リコッタは淡緑色の布と引き換えに、神官から数枚の金貨を受け取った。
「んー、生活費とか補給費とか差し引いたら蘇生3人分ぐらいかな?
我ながら燃費の高い自分の戦い方が憎いったらありゃしない」
「それだけあれば数ヶ月は不自由なく生活できるでしょうに。
全く不器用な生き方をしてますね。
燃費の悪さも、その片腕のせいでしょうし。
転職をオススメしますよ」
「仕方ないだろ、これしか生き方を知らないんだから」
指摘を受けて彼女は本来左の二の腕があるはずの場所を指で撫でる。
だが、触れたのは何もない虚空だった。
爪の先に何もかからないその感触は、失われた1年間の冒険を想起させる。
左腕があった頃はこんな馬鹿げた事をしてなかったな、と思い苦笑を浮かべる。
いらない苦労を背負うようになったのは、11歳の時に左腕を無くしたのが切っ掛けだ。
別にあの時生き残ってしまった事に罪悪感を感じている訳ではない。
事実、こんな荷物を下ろしてしまえば武器を捨てて普通の町娘になる事もできるかもしれないと思った事は何度もある。
だがリコッタはダンジョン探索以外の生きる術を物乞いと盗みぐらいしか知らない。
そんな彼女が、どうして自分が普通の少女になれると思うだろうか。
それに一度始めた蘇生の習慣を辞めるつもりもない。
どうしても金策が上手くいかない時ぐらいは諦めるぐらいの理知さはあるが、3年間続けたこれは彼女にとってもはや誇りだ。
これを辞める時、リコッタという少女は冒険する手段か生そのものを失っているだろう。
覚悟を再確認して表情を硬くしている彼女の横顔を見て、ジェームズはくっくっと笑う。
それには何かを懐かしむような感情が込められていた。
「初めてここの門を叩いた時の貴女はもっと可愛げがあったのですがね」
「あん? 昔からこんなもんだろ。
スラム育ちのあの頃と何も変わらねぇよ」
「いえいえ、そんな事はありませんよ。
あの頃と違って大分擦れてしまいました。
子猫の死体を持ってきて、必死に助けてくださいと懇願していた純粋さはどこへやら……」
乾いた発砲音によって神官の言葉の言葉は遮られる。
彼の頬には汗ではなく、一筋の赤が伝っていた。
仮に神官が焦りで動くかリコッタの銃撃が逸れていたら、その銃弾は背後の壁ではなく彼の頭蓋を撃ち抜いていただろう。
「次にそれを言ったら、アンタがアタシの黒歴史をぶっちゃける前にその脳漿をぶちまける」
頬の紅潮も眉の吊り上げもなく、無表情のまま発砲した銃剣をホルスターに収める。
リボルバーとクナイを組み合わせたような形状のそれは、彼女が片腕になってからずっと愛用してきた武器だ。
片腕のせいで弱い膂力しか持たない彼女でも、その一撃を以てすれば生ける者を死体へと変える事ができる。
そんな一撃が頬を掠めたにも拘わらず、ジェームズは相変わらず微笑を浮かべたままである。
それはリコッタが過去の話をされて照れくさいと感じた事を理解しているからだ。
彼女の表情にこそ表れていないが、せわしなく揺れ動く足の動きがそれを証明している。
もっとも、彼女のその癖に気が付くのは腐れ縁であるジェームズぐらいのものであるが。
落ち着きを取り戻したのか、ピョンと跳ねてリコッタは椅子から立ち上がる。
「そんじゃ、そろそろ帰るわ。世話にはなりたくないが、多分また来る」
「ええ。相変わらず貴女とのお話は楽しかったですよ。
では裏口からどうぞ」
「けっ、正気かよ」
悪態を吐き捨てながら、リコッタは裏口へ向かうべく歩を進める。
彼女が正面玄関から退出しないのは、他人の視線を気にしているからでない。
事実、今日の訪問時は堂々と来訪した。
帰宅時に裏口を使うのは、儀式場を覗くためだ。
魂を扱うために清廉さを保たれている儀式場は静謐に満たされている。
その中心に立つ祭壇の中央には、灰の山が築かれていた。
何処までも白いそれは、傍目からすると石灰ではないかと錯覚するほどだ。
その灰のきめは細かく、弾力のある彼女の指が触れても一切付着しない。
「まあ、こうなる事は分かってたさ」
指先から灰が零れる感触を味わい、その場を立ち去る。
ジェームズと示し合わせた通り、使用する出口は普段通り裏口だ。
この流れになっているのは彼の顔を見るのが癪というのが主な理由である。
慣れているとはいえ、若干センチメンタルになった所であの変人と話すのは気分が乗らない。
外に出て見れば、空には星の帳が下りていた。
また長居してしまったか、と思いつつ行きつけの宿に向かう。
教会に来るとどうにも話し込んでしまうのは悪い癖だと彼女は内心反省する。
「認めたくねぇけど、相性はいいからな」
価値観の基準点を金とするジェームズの思想は、死体であろうと極力救おうとする命を重視したリコッタの生き方とは明らかに真逆だ。
だが彼は金さえ払えばその手段を用意し、対価としてその分の全力を尽くす。
誰かや自分の命を守る術は持っていても命を救う方法を知らない彼女にとって、ジェームズは良き助っ人だった。
「まぁ、それでも葬儀屋なんて呼び名はアイツと同類扱いされてるみたいで気に食わねぇけどな」
そんな彼を頼りながら人を助けてきた結果として得たのは、葬儀屋という渾名。
見返りを求めずに人を助けてきた結果、人の死から報酬を得る者というレッテルを与えられた。
己の行いは対価を求めた物じゃない。
自分がしたいと思い、誰かを勝手に巻き込んだ自分勝手な行いだ。
だからこそ死者に無償で蘇生を施している事はジェームズを除いて誰にも教えていないのだ。
それでも、この行いで心が満たされた事は一度もない。
誰からの報酬もなく、誰からの感謝もなく、むしろ人との距離が広がる実感ばかりがある。
先の見えない作業に虚しさばかりを覚え、葬儀屋稼業を続けたままいつか果ててしまうのではないかという不安もある。
とはいえ、考えても仕方ないというのもまた事実だとリコッタは知っている。
この生き方が楽しくもない惰性だとしても、これは自身で選んだ道だからそのまま突き進むべきだ。
不安の芽生えや惰性感を覚えようとも、自分が葬儀屋稼業をしようと決意し、その思いが未だ揺るがないのは確かなのだから。
それに人生の楽しみなんてよそからいくらでも持ってこられる。
気分転換の余地さえあれば、多少の苦労なんて気にならなくなるものだ。
「さて、今日はお金もあるし贅沢に肉1枚追加しますかねっ」
いつもより重い財布の感触から軽い足取りを取り戻し、リコッタは酒場へと駆ける。
あまり人と話す性分ではない彼女だが、あそこの喧騒に当てられれば気分も晴れる事を経験則で知っている。
足を進める度に鼻腔に近づく照り焼きの臭いに期待感を高めながら、彼女は赤橙色の灯りに満ちた街中へと姿を消していった。
リコッタ・リースレット 14歳 ♀
肩口から左腕を失った隻腕、黒髪と黒の忍び装束、赤い色の死んだ眼が特徴。身長は148cm。
一人称はアタシ。スラム街で育った影響か、粗暴な口調で話す。