「イリリアに軍なんかねえだろ」――ブレンカ・プレヴェジ大佐は言った。
朝焼けがあたりの山々を照らしていた。空をトビが輪を描いて飛んでいるのが見えた。
中隊長は軽いため息をつく。白い息が出なくなったのはここ数日のことで、あたりはまだ肌寒い。木製の見張り櫓は、弾除けの防弾板が張り巡らされているとはいえ、冷気を遮るには不十分だ。
「いつまでこうしてるんですかね、やつら」
身を寄せ合っていた部下も愚痴交じりに言って、据え置かれた機関銃の弾帯を手持ち無沙汰に触る。
「さあな」
中隊長は首か下げていた双眼鏡をのぞいた。だだっ広い野原の向こうで、自分たちとは違う制服を着た兵士――セプルヴィア陸軍兵が測量作業を行っているのがはっきりと見えた。
「しかし、中隊長自ら見張りを行わずとも……」
「……次に戦争が起きるとすれば間違いなくここだ。私はその場にいる責任がある」
「なるほど。ふぁ~あ」
部下は緊張感もなく欠伸をする。
ここは西ダルダニア州ジャコバ郡の国境に設置された国境警備所だ。元々小隊程度の部隊が国境警備と出入国の検査に当たっていた場所だったが、セプルヴィア軍の部隊が突如大挙して押し寄せてきたのだ。
上は州都プリズレンにいた歩兵警備中隊を派遣し、櫓と小屋しかなかった警備所は珍しく人であふれていた。古い大砲が引っ張り出され並べられているほか、馬小屋に入りきらなかった馬たちがあちこちにつながれていた。
中隊長はもう一度国境の奥を見つめる。
「まったく、こんなところで測量か……。我々をなめるのも大概にしてほしいものだ」
小銃のスリングを持つ手に力がこもる。
両国の国境に壁やフェンスの類はない。しいて言うなら小さな木製看板があるだけだ。セプルヴィアはその看板から数十メートルほどのところで作業を続けていた。
「そこから一歩でもこちらに来てみろ……。すぐにハチの巣にしてやる……」
中隊長の呻きは朝焼けの中に消える。
――――――
西ダルダニアでのイリリア・セプルヴィア両軍のにらみ合いは数日に及んだ。ユリアナは通常業務をこなしつつ、いつ事態急変の報が入ってもよいように身構えていた。
ちなみに外交ルートを通じた抗議は華麗にスルーされている。相手の言うことには、「地図改定に伴う測量作業」であり、「外国にとやかく言われる筋合いはない」ということだ。
こういわれては何も手出しができず、イリリアは警戒部隊を増強して国境を固めるぐらいのことしかできなかった。
そして陸軍省と大統領府の直通電話が鳴ったのは、事件発生から四日が過ぎた夕方のことだった。ルカがすぐさま受話器を取り上げる。
「陸軍省から報告。セプルヴィア軍部隊が国境地帯より撤収したそうです」
「そう、よかった……」
ユリアナは久しぶりに表情を緩ませる。
「じゃあこっちも撤収させて」
「大統領、トルファン大臣が、部隊の一部を残すことを提案しています。警備所を増強し、前線基地の建設土台としたいとか」
「…………」
ユリアナはしばらく考え込むと、
「わかった。ただし、あくまで警戒監視部隊ってことで。相手を無駄に刺激しないように気をつけて」
「了解です。伝達します」
セプルヴィアによる挑発行為も、ここ2年で急増していた。このまま早かれ遅かれ戦争になることは避けられないのかもしれない。
悪化する情勢を勘案し、ユリアナはため息をつく。
「準備、しとくかぁ」
――翌朝。
大統領府より、1人の陸軍軍人に召集命令が下った。
「あなたがこの間の陸軍政府合同指揮所演習で、敵軍役をやってくれた……」
「陸軍参謀本部作戦課長の、ブレンカ・プレヴェジ大佐だ」
大佐のくせに偉くエラソーな女性だった。ショートカットの黒髪に、獰猛そうな笑み。口元には八重歯がのぞいている。
歳はまだ若いが、参謀本部の青年将校としては平均的だ。女性である点も、特に奇異ではない。むしろ老人と言ってもいい男性であるトルファンが陸相を務めることの方が、実はこの世界では珍しいのだ。
「ウィーン陸軍士官学校を卒業後、内乱中は連合王国に亡命。陸軍大学校にも在籍し、ユリアナ政権発足と参謀本部設置に伴い帰国し、そのまま作戦課長に就任、ですか」
ルカは彼女のプロフィールを読み上げる。ブレンカはバカにしたように笑った。
「それがどうしたってんだ、補佐官さんよ」
「……戦略と戦術を詰め込んだ代わりに礼儀とマナーを取りこぼしたみたいですね」
「ああ? んだと?」
嫌味を言ったルカをブレンカが睨む。険悪ムードな二人の間に入っていったのは、当然というか仕方なくというか、ユリアナだ。
「はいはい。二人とも落ち着いて」
「っていうか大統領閣下殿、今日は何の用でわたしを呼んだんだ? おかげで朝からたたき起こされたあげく、堅苦しい軍服を着せられてるわけなんだが」
「アハハ、ごめんね」
ユリアナは苦笑すると、すこしだけ身を乗り出す。
「ブレンカちゃんはさ、今のイリリア軍ってどう思う?」
この質問に、ブレンカは不思議そうな顔をした。
「はぁ? イリリアに軍なんかねえだろ」
「……、というと?」
陸軍軍人であるはずのブレンカから出たなぞかけのような言葉に、ユリアナとルカは首を傾げた。
ブレンカはすぐに答えを言う。
「あんな馬鹿みてぇに貧弱な武装でよく軍だなんて言えるな、って話だよ」
「あー、うん。納得」
「納得してんじゃねえぞ最高司令官っ!!」
「納得しないでください大統領」
二人のツッコミがユリアナにとんだ。
イリリア陸軍の総兵力は先にも言ったように常備軍で七千人。他国で編成されている師団や旅団と言った単位の部隊はイリリアにはなく、全て2個独立歩兵連隊と一個独立警備中隊として運用されている。
主兵装は小銃が旧エスターライヒ帝国軍から引き継いだマンリヒャーM1895。いや、百歩譲ってこれはいい。問題はこの小銃が全部隊にいきわたってない、という事だ。報告によれば丸腰の歩兵も一部存在するとか何とか。
砲に関しては75mm野戦砲や、100mm榴弾砲などが存在するものの、これらを運用する砲兵が一個大隊分のみ。すべて合わせて百門に届かない数しかない。
他国で装備されている戦車や装甲車というものはなく、わずかながらの兵員輸送トラックと四輪駆動車以外、ほとんどの兵の移動は馬、もしくは徒歩だ。
海軍も存在するが、所属艦艇は旧中央同盟諸国から賠償替わりに引き受けた旧式駆逐艦が3隻と、哨戒艇という名の武装もないボートぐらいである。
外国で編成されつつある空軍は、イリリアにはまだないどころか軍用航空機というものすらイリリア軍は保有していなかった。
一方のセプルヴィアやフルバツカは軍拡競争を続け精強な軍事力を保有しているほか、エトルリアも戦艦を保有する強大な海軍を有している。
つまるところイリリア軍はその軍事力に置いて、周辺国よりかなり遅れているのだった。
「それで大統領? あんた、まさか我が軍のおんぼろさを今さら私に確認したわけじゃねえよね? 何の用だ?」
「さっすがブレンカちゃん。話が早い」
ユリアナはにっこりと笑うと、机に置いていた一枚の紙をブレンカに見せた。
「本日付でブレンカ・プレヴェジ大佐を大統領府軍事改革委員会委員長に任命する」
ブレンカは眉をピクリと動かして言う。
「なぜだ」
「指揮所演習の件が大きいのと……。これ、見せてもらったよ」
ユリアナが掲げたのは、『近代戦のための軍制改革』という表題の付けられたレポートだ。使用されている言語は英語で、出版も連合王国でされている。作者にはブレンカ・プレヴェジの名前があった。
「ブレンカちゃんが連合王国時代にかき上げたレポート。次の時代の戦争は機動力を重視した軍が勝利するって言う内容でしょ? たしかフラーとかいう連合王国の軍人さんに師事してたらしいけど」
「ああ、そうだが……」
「やってみない?」
「…………」
「イリリア軍はこのままじゃろくに国土防衛を果たせない。ブレンカ大佐、あなたの知恵と戦術で、我が軍を勝てる軍隊に変えてほしい。私が全面的にバックアップする」
ブレンカはしばらく呆けた顔で突っ立っていた。しかし次第に表情を崩すと、
「……いいのか? 上の爺様婆様がうるせえぞ?」
「私を誰だと思ってるの? 大統領だよ? 最高司令官だよ? これ以上上の人間はこの国にはいないよ?」
「ふ、ふふふ。へへへっ。師匠の構想が……、私の夢が……。ひゃひゃひゃっひゃ」
「……大統領、こいつ本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫……、だと思うよ。……たぶん」
「ひゃっひゃっひゃ!!」
この日、ブレンカ・プレヴェジを委員長に、他数名の軍人を委員として大統領府直属の組織、軍事改革委員会が発足した。
閲覧、評価、ブックマーク等、本当にありがとうございます! 架空戦記の花形である戦闘描写ももう間もなく、2~3話以内に何とかどうにかしたいなぁと思います。(あくまで予定は未定です)
今後もよろしくお願いします! 一応おまけ程度ですが、イリリア軍兵器説明なものを乗せてみます。
イリリア軍正式採用兵器
11式小銃――エスターライヒで開発されたマンリヒャーM1895小銃。イリリア軍正式採用年が1911年であったため書面上こう呼ばれる。8ミリ口径で、フルストレートボルトアクションというこの時代の小銃としては珍しい仕組みを持つ。装弾数は5発。国軍で使われるものは初期型のM95だが、内戦中に周辺国から派生型のM95/30やM95/24が流入し、小銃不足からそのまま使われている。これらは使用する弾薬が違うため問題視されている。