「手は早めに打つべきです、大統領」――ルカ・ペトロヴィッチ大統領首席補佐官は言った
内務大臣ミラ・ヴェラルツィは暗い執務室で一人虚空を睨んでいた。
「……まったく、私は、なんてことを」
その時、卓上の電話が鳴る。
「はい、ミラ」
『あー、ミラさん? 今ちょっとえーでしょーか?』
南部訛りの女性の声が、受話器の向こうから聞こえてきた。ミラの知る限り、執務中も訛りを隠さない女性は二人。1人は産業大臣のレディナで、こちらはもう一人の方だ。
「構わない。何か問題が? ベル部長?」
ミラは目を細めた。電話の相手、ベル・コット保安部長は少し間延びしたような言葉遣いを崩さず言った。
『対象がブロラに入りはったわ。そんで、エトルリア全体主義党の人間と接触したよーどすえ』
ミラの眉間の皺が深くなる。
「詳しく」
『どーも……、今度の選挙に向けたそーだんをしとったよーやわ』
「ちっ」
ミラの舌打ちが室内に響く。
「わかった。引き続き対象の、マリカ・ブシャチの監視を怠らぬように徹底させて」
『りょーかいどす』
ミラは電話を切る。再びイラつきのこもったため息をついた。その時、部屋のドアがノックされた。
「あ、ミラ大臣! 選挙制度問題調査会から、腐敗選挙区問題についてのご報告なのですが」
「……どうぞ」
頭痛薬を買おう。ミラはそう決意した。
イリリア全体主義戦線、FITの党首マリカ・ブシャチが、ディナル事件と年初の特赦により釈放されたのは、年初すぐのことだった。
元々イリリア政府は全体主義を危険思想とみなしていた上、ブロラ動乱と呼ばれる事件を実際に起こしたFITは公共保安法に則り解散。リーダーのマリカは動乱罪にて検挙され、収監されていた。
しかしその全体主義を標榜するエトルリアと同盟を結ぶに至り、同盟国の思想を危険とみなすことに矛盾が生じるようになってしまった。
当然エトルリアもこの状況を黙認するはずがなく、マリカの釈放とFITの活動再開を認めるよう圧力をかけてきたのだ。
イリリア政府は、連合王国の全体主義者であるアン・フレルを軍教育高官に据えたり、あるいはフルバツカ戦争を言い訳にしてのらりくらりと要求をかわしていたが、いよいよそういうわけにもいかなくなってきたのだ。
年末のイリリア・エトルリア高官級会談で、経済協力の凍結がちらつかせられたため、ユリアナはしぶしぶ特赦の実施を決断。猛反対するミラ内相その他内務省と警察幹部をなだめになだめて、マリカの釈放が実現されてしまったのである。
「マリカはFITのメンバーをブロラに集結させつつある。エトルリアからの資金援助も確認した。奴は今度の選挙に出るつもり」
ミラの氷よりも冷たい視線を浴びながら、ユリアナは報告を受けていた。
「あー、うん。オッケーまじか。ところでルカ、この部屋寒くない? 暖炉もうちょっと強くできない?」
「薪がもったいないので重ね着してください。というより、寒く感じるのは室温ではなくあなたへの視線では?」
「う……。ルカの反応も冷たい……」
「だってあなたがまいた種でしょう? 私は特赦の命令書を書いたことを痛烈に後悔しているのに」
「うぐっ」
二人からの連撃に、ユリアナはわざとらしく胸を抑えて言い訳をする。
「だってさぁ、市場からの締め出しとか言ってきたんだよ、あの公使。しかも連中、それを資本家連中に言いふらしたらしくて、産団連のクソババ……じゃなくてお姉さま方とかもうすんごい剣幕で私んところに。うう、思い出すだけで腹が……」
「まあ、それは災難だと思いましたが」
イリリア有数の企業家であるおばさま方が飛ばした唾を受け続けたユリアナを、ルカは間近に見ていた。
実際イリリア経済界のドン的な方々の要請と言う名の圧力は、民選政治家であるユリアナとして無視できるものではない。
そんなこんなで、イリリア政府は圧に屈したのだった。
その一連のゴタゴタを思い出して胃を痛めているユリアナをよそに、ルカとミラは深刻な顔で相談を始める。
「しかし、出馬を考えているとなると厄介ですね。ミラ大臣、それは確信のある情報なのですか?」
「間違いない。奴らにとって都合のいいことに、選挙区はちょうどブロラ」
「ええ。まったく厄介なことになりました」
ブロラを地盤とする、与党イリリア国民党所属の老議員が急死したのは昨年の暮れのことだった。元々高齢で病気がちだったこともあり、訃報が伝えられてもそれほど驚きはなかった。それに伴い、空いた議席を巡った補欠選挙が今年の春、再来月に当たる4月に行われる予定だ。
国民党も後任の候補者選定を行っていた他、最大野党民族保守党も立候補者の擁立を模索しているという情報があり、来年の議会総選挙を占う一戦としてイリリア政界の注目を集めていた。
そこに、釈放されたマリカが立候補しようとしているのだという。そうなればこの選挙は、単に議会勢力内の争いではなくイリリア共和国という国家の存亡すら関わってくる一戦になる。大げさでもなんでもなく、ルカたちはそう考えていた。
ただユリアナはのん気に呟く。
「いやでもさ、流石にエトルリアが関わってるとはいえ全体主義者がそう簡単に勝てるとは思えないんだけどなぁ」
「あなたは認識が甘すぎますよ、大統領」
ルカが指摘する。
「全体主義思想はドイトラントやエトルリアで一定の成功をおさめたおかげで、世界中に拡散しつつあります。あの合衆国でも、議会比例多数派は全体主義を掲げる第一戦線ですし、今年の大統領選挙でも戦線派の勝利が確実視されています」
ミラも続けた。
「加えてブロラは、歴史的にエトルリアの影響が強い街。住民の親エトルリア感情も強いし、連中が票田にする港湾労働者や工場労働者も多い。しかもそういった人々が資本家によって組織されている。ユリアナも、あの町では苦労したでしょう?」
「…………。なるほどね」
そうだった。と、ユリアナは心の中で思い出した。
ここが、現代日本で暮らした経験を持つ彼女と、生粋のこの世界、この時代の人間との違いだ。
西暦2000年代の日本、というより世界では、『全体主義』は悪の根源のような扱われ方をしている。自ら全体主義者を名乗ることは政治家でなくても社会的に死ぬことになるし、『全体主義者』という言葉自体、相手を罵倒する言葉に成り下がっている。
しかし世界暦1930年代のこの世界では違う。
全体主義は、民主主義や共産主義とおなじ有力な政治思想の一つであったし、なんなら民主主義よりも優れたものとみる人々も多かった。
大恐慌という未曽有の危機に何もできなかった民主主義に、人々が見切りをつけようとしていた時代だったのだ。
そんな中で、レヴァント地方と言うヨーロッパの片田舎にある国で自由民主主義を標榜し実践しようとしているユリアナの方が、かなり特異な存在だった。
「おそらくマリカ・ブシャチは、エトルリアとの更なる連携とそれによる経済の発展を主張する。そうすれば、資本家たちはそちらの支持になびくはず。『それ以外の要因』も多くあるだろうけど」
ミラはむしろ『それ以外の要因』の方が大きい、と言外に言う。
「そうなれば、マリカ・ブシャチの当選と言った事態も十二分に考えられます。手は早めに打つべきです、大統領」
「……そうだねぇ」
ルカの進言に、ユリアナはしぶしぶ了承した。
それから2週間後。ユリアナの姿は、そのブロラにあった。
イリリア共和国南シュキパリア州ブロラ特別市。
ブロラ市は、ドゥラス、ティラナ、ポドゴリカと同じ、州とほぼ同等の権限を持つ特別地方自治体だ。南シュキパリア州の州都でもある。
起源は古代コリント人の植民都市にあり、2600年もの間、アドリア海の出入り口に面した主要な港として発展してきた。
現在もエトルリアに一番近い港として、ドゥラスと並ぶ主要な交易拠点になっているほか、天然ガスや石油の産出が周辺で行われているため、輸出施設などが建ち並んでいる。最近では精製プラントも稼働を始め、益々の発展を見せていた。
人口は約4万人。日本では少子高齢化にあえぐ地方都市レベルだが、この国では十分大きな都市だ。
「うーん、久しぶりに来たけど、やっぱりきれいな街だよねー」
ユリアナは客車の窓から身を乗り出した。大統領一行を乗せた特別列車は、ブロラ手前の山地を縫うように敷かれた真新しい線路を走っていく。目の前には青く輝くブロラ湾と、湾口にあるブロラの街並みが一望できた。
港に近い中心部には、コンクリート製のビルが立ち並び、その周りにはクリーム色に塗装された四、五階建てのアパートメントが取り囲んでいる。その周辺の平地は小麦やオリーブの畑が広がっていた。
街中にまばらに見える緑は、すべて地中海によく見られる低木硬葉樹だ。顔に当たる風は春の初めと言うのに暖かく、気持ちのいいものだった。
「大統領、煤で汚れますから顔を出さないでください」
そういいながらルカはユリアナを中に引っ張りこんで、窓を閉めた。
「ええー、いいじゃん、せっかく汽車で行けるんだしさ。一番乗りで」
「駅に着いたときにあなたの顔が真っ黒だったら笑いものですよ。それに、せっかく余所行きのスーツなんですからもう少し落ち着いてください」
「ちぇ」
「まあ、あなたのテンションが上がるのもわからないことはありませんがね」
「だよね、ルカも昨日は眠れてないみたいだったし」
「そ、そんなことはありませんよ!!」
この日はイリリア国営鉄道ドゥラス―ブロラ線の開通日で、ユリアナたちが乗っているこの列車こそ、ドゥラスからブロラに向かう一番列車なのだ。
元々ドゥラス駅で行われる開通式に参加するだけの予定だったが、日程を変更してそのまま列車でブロラに移動、二日かけてブロラ市を視察することになった。
表向きは工場や港湾設備の視察。だが実際は
「っていうか、仮にも現職大統領が議会補欠選挙のために動くってかなりよろしくないんじゃないの?」
「よろしくないですが、別に憲法にも法律にも大統領が選挙に介入してはならないという明文規定はありません。書いてないことはやってもいいというのが法律の常識です」
「最低だねぇ、法律」
「あなたほどじゃありませんけど」
「は?」
補欠選挙のテコ入れが目的だったりする。
「にしても、支持者への挨拶回りねー。こういうのはアルちゃんの仕事じゃないの?」
「アルマノ代表は議会対応で手いっぱいですよ。ちょうど予算委員会での来年度予算採決が控えてますし」
国民党の党首を務めるアルマノ・メタは、今頃議会での壮絶な論戦に挑んでいるところだ。ちなみに大統領であるユリアナは、議会が呼ばない限り議会審議への出席義務はない。
慣例的に開会日の審議と、政府提出法案の説明及び予算案提出だけは毎回出ているが、それ以降は行ったり行かなかったりだ。
「ああー、ブロラの支持者っていっても、あの人らは……」
ユリアナが愚痴を言いきる前に、車掌が客車にやってきた。
「間もなく終点ブロラ駅に到着します。お降りの準備をお願いします」
列車はいつの間にか山地を抜け、麦畑の中を走っていた。
真新しい、古代エトルリア風のアーチ構造を多用した駅舎で盛大に行われた式典を終え、ユリアナはブロラ港を臨むホテルへと到着した。
「大統領、この後、そのままホテルで会談の予定です」
「相手は?」
「ブロラ港湾事業者組合の組合長で、アルケン財閥社長、ルミア・アルケン女史です」
「ルミア……。あれ? アルケンの社長って別の人じゃなかったっけ? ニーナさんっていうおばあさん」
「ニーナ氏は退任され、会長職に退いています。ルミア氏は娘さんですね。ちょうどあなたと同じぐらいか、すこし年下だと」
「そうか……。じゃあ初対面ってことね」
ユリアナは気合を入れ直すように、首元の蝶ネクタイを整えると、帽子掛けにかけていたシルクハットをかぶった。
ちょうど迎えが来たため、二人はそれに続く。
「どうぞ、ユリアナ大統領。ルミアはすでに中に」
「ありがとう」
アルケン社の人間と思しき男性に先導され、会談の場となる大広間に通される。
木製の小さな丸机をはさんで、椅子が二つ横に並べられていた。一つにはすでに女性が座っている。
女性はユリアナの姿を認めると、すっと立ち上がって笑った。
「初めまして、大統領閣下。ようこそブロラへ。私がルミア・アルケンです」
少し南部訛りのあるイリリア語だった。
「歓迎ありがとう、ルミア社長。大統領のユリアナ・カストリオティです」
「ルミア、でええですよ」
ルミアは長い黒髪を持つ、若い女性だった。少し癖のあるユリアナと違い、背中まである髪はまっすぐでよく手入れがされてつややかに光っている。背も小柄なユリアナを見下ろせるぐらいで、女性としても高い方だった。
目鼻のくっきりとした気の強そうな顔だちで、背筋をピンと伸ばし、ユリアナを前にしても堂々としたその態度からも、彼女の性格が現れているようだ。
こいつが、ブロラのドンか……。
ユリアナは女性をニコニコと笑いながら見る。
ルミア・アルケン。ブロラ市の経済のみならず、政治にすら影響力を持つアルケン財閥のトップだ。この女性を味方に引き入れさえすれば国民党の勝利は確実だが、敵に回せば敗北は必須である。
二人と、二人に付き従う何人かの部下たちがそれぞれ挨拶を終え着席した。
「ニルヴァ議員の件は残念だったよ。叔母様に当たる方だったとか」
ユリアナが先日死去した例の議員への弔意を示すが、ルミアはさっぱりと返す。
「まあ、叔母も満足しとったでしょう。良い人生やったと思いますよ」
「ならいいんだけどね」
そして社交辞令的な会話を数分ほどで終え、ユリアナは本題を、補欠選挙への協力要請を切りだそうとした時、
「ところで大統領? 今日はあなたにご紹介したい方がおるんですけど」
「え? 私に? もしかして縁談?」
「残念ながら女性です。まあ、貴方はお好きかもしれへんけど」
顔をしかめるユリアナをよそに、ルミアは奥のドアに向かって呼びかけた。
「マリカさん、どうぞ」
「…………」
ドアが開くと、そこにいたのは、白いワンピースを着た、1人の少女だった。三つ編みで一つ括りにした赤毛と目立つそばかす。おどおどと立ちすくんでいるその姿からは、田舎の娘のような野暮ったい印象を受ける。
少女は緊張したようにきょろきょろと部屋の中を見てから、ユリアナの方を向いて、しっかりと頭を下げた。
「は、初めまして……。えっと……、マリカ・ブシャチです。どうぞ、よろしく」
この少女こそイリリア全体主義戦線党首、マリカ・ブシャチだった。
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今回半年ぶりぐらいに翌週更新を行えた気がします。良かった……。
少し身の回りも落ち着いてきたので、もう少し更新頻度を上げられるよう頑張ります!




