「誰かさんのおかげでね」――ブレンカ・プレヴェジ陸軍少将は言った
世界暦1936年は、大きな変革とともに幕を開けた。
「陸軍大臣トルファン・アリア元帥、並びに参謀総長ニナ・ポポヴィッチ元帥。二人には、イリリア陸軍の再建に尽力してもらった。本当にありがとう」
ユリアナの言葉に、二人の軍人は一糸乱れぬ敬礼で応じる。
「お疲れ様。トルファン、ニナ」
「戦争がなければ、もっと早くにお払い箱になっていたはずなんだけどな」
トルファンが意地悪気に笑う。ニナも、
「まあ、年寄りの時代は終わったってことだねぇ。精々あたしらはおとなしくしとくさ」
と自嘲気味に続けた。
トルファンとニナは、35年12月1日をもって退官。共に陸軍大臣、及び陸軍参謀総長の職を辞することになった。春先に明らかになった陸軍の弱体化について責任を取った形である。
そして後任人事は翌年1月1日に発令され、陸軍次官だったセナ・ラマが大臣に。同じく参謀次長のエディ・ニシャニが任命された。
「二人とも、イリリア内戦前からイリリア軍にいた古参だな。大戦争の従軍経験もあるぐらいだ」
新しい陸軍首脳部の陣容について、ブレンカが説明する。
「思想的には中道保守派。だがまあ、トルファンやニナほど癖のある人間じゃないぜ」
「それを聞いて安心した。私みたいな無個性な人間にはあの二人は強烈すぎたし」
ユリアナはわざとらしくほっと息をついて見せた。しかしブレンカはそれを完全に無視する。
「にしても閣下、陸軍トップが総入れ替えって時によくもまあこんな大胆な改変したな」
そういって、新大臣指名と同時に発令した命令書をぴらぴらと振って見せた。
『合同参謀会議設立を命じる』
大統領令として発表されたそれには、そんな文字が躍っていた。
思い返せば1935年。空軍が予定より早く設置されることになり、その参謀を務める空軍総隊司令部が設立された。
その幕僚業務支援のため、海軍軍令部と陸軍参謀本部、そして空軍総隊司令部の三者が集う、三軍参謀部連絡会議が大統領府の下に置かれることになった。
元々フルバツカ戦争に対応する空軍のドクトリン策定とその支援、さらに三軍の協同を目的とした臨時の組織であり三軍を統括する統合参謀本部設置を嫌った陸海軍も、期間を区切ったうえで会議体設置に賛成したのである。
しかしユリアナの狙いは違った。一度三軍参謀部の合同組織を設置してしまえば、なし崩し的に持ってい行けるとふんだのだ。
その第一陣が、連絡会議を発展的に解消させた合同参謀会議の設立と言うわけなのである。
「それ以外にもあれだろ? 国防大学校の本格始動に、ヒポタス中戦車の輸入配備開始。まったく、今年も忙しくなりそうだぜ。誰かさんに陸軍次官も押し付けられたしな」
ブレンカはやれやれと言わんばかりに立ち上がった。大統領国防補佐官に任ぜられていたブレンカだったが、今回の新人事の発令に伴い、陸軍次官も兼任することになった。単純に階級と功績的に彼女以外の適任者がいなかったからだが、少しはましになっていたブレンカの忙しさも復活したらしい。
「んじゃあ大統領、俺は今からドゥラスだ。なんかあったらそっちの技術工廠に頼むぜ」
「はいはい。ホント忙しいねぇブレンカちゃんも」
「誰かさんのおかげでな」
「あ、むこうのクリスティー技師によろしく言っといてねー」
「クリスティー? いや、あの飲んだくれなら今頃……」
一国の国防補佐官兼陸軍次官に飲んだくれ扱いされたアン・クリスティーはというと、彼女がねぐらとしているティラナ技術工廠ではなく、
「ああー、ぎもぢわるぅいぃぃぃ」
「吐くなら海に吐きなさい。目の前なんだから」
ドゥラスにある造船工廠にやってきていた。
「えーと、ここの説明を続けても?」
案内役の海軍造船技師、オッターヴィア・サーニは、二日酔いのアンに戸惑っているようだった。
「あ、はい……。もうこの酔っぱらいは気にしないでください」
そんなアンに、彼女のお目付け役としてやってきたクナシア・チェレンコヴィッチ主任技師は恥ずかしさを隠せなかった。
いつもはぼっさぼさの栗毛を乱雑に頭の後ろにまとめているクナシアも、今日はしっかりと髪をとかし、陸軍技術士官の制服をきっちりと着こんでいる。
アンはアンで、ちゃんと背広姿ではあったものの伸び放題伸びた金髪は手入れもされず四方に広がっていた。
ちなみに彼女の他にも、数人のメンバーが呼び出しを受けてここにやってきている。
「まあ、では。このドゥラス造船工廠は、イリリア最大かつ最多のドックを備えた、レヴァントでも有数の規模の造船機能を持つ工廠になります。まあ、まだ建造途中ではありますが」
オッタ―ヴィア造船技師はまだ船のいないドックを見せながら歩く。
「今年の終わりには本格的に稼働することになると思います。すでに第1ドックは運用を開始しておりまして」
「ま、その辺の説明は知ってるわ。問題はなんで私たちがこんなところまでわざわざ呼ばれたのかってことよ」
オッターヴィア技師は一瞬足を止めた。そして低い声で言った。
「……では、こちらへ」
一行は工廠の一番端に案内された。そこにはドーム状の屋根で覆われた倉庫のような外観の建物があった。しかしその警備は、ただの倉庫のそれではなかった。
「ここは、名目上倉庫として扱われていますが、実はドックの一つなんです。秘密ですよ?」
「へぇ、にしちゃぁ結構小さいねぇ。駆逐艦も作れやしない」
アンの言葉通り、そのドックの全長は他のものと比べても小さかった。天井も倉庫程度なので、駆逐艦が入れるようなものには見えない。
「まあ。中にいるのは駆逐艦ではありませんし」
「はぁ?」
オッターヴィアは警備の兵士に通行証を見せると、鋼鉄製のドアを開き中に入った。アン達もそれに続く。
「これが、イリリア海軍が保有する潜水艦、U-24です」
ドックの中には、一隻の潜水艦が浮上状態で鎮座していた。
「全長38メートル。457mm魚雷発射管二門と機銃を兼ね備えた、正真正銘の潜水艦です。建造されてだいぶたちますが、ちゃんと動きますし。まったく、この国でこれをお目にかかれる日が来るとは。ふふふ」
造船技師は袖でよだれをぬぐった。それに対し、クナシアが怪訝な顔で尋ねる。
「いやいや、イリリアは潜水艦なんか持ってなかったでしょ? なんか海軍の方で持とうとしたって聞いたけど、エトルリアに拒否られたって聞いたのに」
「あー、よくご存じですね。レオノラ提督もミーナ提督もだいぶ粘ったみたいですけど」
「じゃあなんでこんなもんがここにあるのよ。買ったの?」
「もらったんですよ、フルバツカから」
「はぁ?」
U-24潜水艦が建造されたのは、今から20年以上前、1916年の事。そして建造したのは、当時アドリア海に面していたエスターライヒであった。
大戦争によりエスターライヒが内陸国家となると、この国がアドリア海に保有していた艦艇は、当地に誕生したフルバツカ海軍に引き継がれることになったのだ。このU-24も、そういった経緯でフルバツカが保有していた。
先のフルバツカ戦争では、本拠地にしていたイストラ半島の軍港ポーラが早々に占領、封鎖されてしまったため、逃げるように本土に避難した後は活躍の機会もなかったのだという。
それをイリリアが入手したのだ。賠償代わりの『スクラップ』ということで。
「よくまあフルバツカが許したわね、そんなこと」
クナシアの疑問はもっともだ。アドリア海、というか地中海で潜水艦を運用できる国は少ない。その点で、フルバツカはエトルリアと並べるだけの圧倒的なアドバンテージを持っていたというわけだが。
「ポーラもフィウメも失陥してフルバツカ海軍はスプリト以外の拠点をほぼほぼ失ったに等しいですからね。組織としてはガタガタですよ。もはやとても潜水艦を保有できる状態じゃありません。降伏を認めた新政府との溝も深いらしくて。権力争いの結果としてうちに転がり込んで来たらしいですよ」
「なるほど……」
「ま、それは運用できないってのはうちも同じなんですけどね」
ここでクナシアは思い出した。
「で、私たちをここに呼んだわけは何? 潜水艦の修理でも頼む気?」
「さっきも言ったでしょう。我がイリリア海軍は水上艦艇の整備ですら手一杯なんです。とても潜水艦にまで手を出す余裕はありません。一隻じゃどうしようもありませんし。今回みなさん、というか、クリスティー技師にご足労頂いたのは」
オッターヴィアは潜水艦まで近寄ると、その船体を叩いた。
「こいつを倒していただきたいんですよ」
「……はぁ?」
クナシアは首をひねるが、アンは黙ってそれを聞いていた。
「クリスティー技師。貴女は合衆国で潜水艦の研究にも手を出していたとお伺いしていますが」
「ぁん。そーだよ」
「ならば、この兵器に関してイリリアで最も詳しい人間と言うわけだ。やはり、我々が見込んだ通りです」
「ちょっと待ちなさいよ!」
クナシアが割って入る。
「潜水艦を倒すって、あなたそれもしかして!」
地中海で潜水艦を運用できる国は少ない。一つは連合王国、もう一つはフランク。そして、エトルリア。
「今回のフルバツカ戦争を通じて、我がイリリア海軍はその基本ドクトリンを密かに変更することにしました」
オッターヴィアは静かに語りだす。
「大火力重装甲の大型艦の保有をあきらめ、高速で小型の駆逐艦、水雷艇を中心とした、一種の護衛艦隊です。エトルリア側にはそう説明しています」
戦艦や重巡洋艦を多数保有するエトルリア海軍を、同盟国として護衛できるような艦隊を整備する。そういうお題目らしい。
「ですが、実際は違います。列強海軍に対抗できる鉄量の艦は我が国の手に余ると判断しましたが、対抗することをあきらめたわけではありません」
「駆逐艦で戦艦に勝つつもりなの?」
「飛行機で勝つつもりなんですよ、クナシア主任技師」
「……航空主兵論ってやつね」
「我がイリリア海軍は空軍との海空協働による敵艦隊への対処を行います。対象国家の戦艦・重巡洋艦などの大型艦は、空軍の雷撃機・攻撃機が主に対処し、海軍はそのサポートに回ります」
「……よく海軍が許したわね。海戦での主役を譲るんでしょ?」
「合理的考察の結果です。戦艦なんて相手にできないんですよ、うちは」
オッターヴィアは自嘲気味に言った。
「とにかく、我が海軍は主目的を相手航空機と潜水艦、小型艦に絞りました。そのため、対潜兵器の運用・改修・開発を行うことを決定したのですが、この手の分野はエトルリアを刺激しかねません。すべて隠密に行う必要があります。つまり、国外からの技術移転や輸入・技術者の招聘は困難なのですよ」
エトルリアから購入・供与される駆逐艦やフリゲート艦にもロクな対潜兵器が搭載されていないらしい。ないなら作ってしまえ、と言うのが海軍技術部の出した結論なのだそうだ。
「と言うわけで、潜水艦に造詣の深いクリスティー技師をお招きしたのです。彼女は戦車技師をして招き、イリリアにて移住されていますから、エトルリアに察知される危険もいくらか減るでしょうし」
そんなオッターヴィアの言葉に、アンは露骨に顔をしかめた。
「はぁ~? そんなことで私呼んだの? ヤダヤダめんどくさい。戦車作り終わったって思ったら新型砲の開発だなんだでこき使われてるんだからさ。そっちまで面倒見切れないって」
「そこを何とか!」
「やだね」
「むぅ……。クリスティー技師の実力はそんなものなんですね? 天下のクリスティー式サスペンションの生みの親ともあろう方が」
「そんな安い挑発には乗らないっての。じゃ、私帰るわ」
そういうと、アンは懐からスキットルを取り出してグビっと煽った。
「あ、ちょっとあんたまた酒飲んで! 二日酔いじゃなかったの!?」
「いーいんだよ~。迎え酒迎え酒」
「……そういえば、クリスティー技師はお酒を嗜まれるとか」
出口に向かっていたアンの足がピタリと止まった。
「実は海軍にも酒好きのものが多くてですね」
アンはくるりと回れ右をした。
「遠洋航海に行ったときに、外国の美酒珍酒をこっそり持って帰って来るんですが」
アンは速足でオッターヴィアのもとに向かう。
「あなたに好きなだけ差し上げましょう」
「今後とも末永くお付き合いを!!!!!」
アンは彼女の手を両手でがっちりと握りしめた。頭から食い掛からん勢いだった。
「いやぁ、クリスティー技師ならきっとわかっていただけると思っていましたよ。大和の『ショーチュー』と、央華の『ショーコー酒』、とりあえずお土産に持っていかれますか? なんなら幻のシカゴ・ビールも」
「うひゃぁぁぁあああああ!!!! 最っ高!!!!! あんたは永遠のマブダチだよ、オッターヴィアさ―――――ん!!!!」
一連の様子をシュール劇を見るかのような視線で見守っていたクナシアは、
「あいつ、そのうち工廠を世界の酒蔵にするつもりじゃないでしょうね……」
そうぼそりとつぶやいたのだった。
閲覧・ブックマーク、評価、コメント本当にありがとうございます!!
さてさて、このお話も一周年を迎えるコットになりました! 自分自身、まさかこんなに続けられるとは思いもよりませんでした。皆さまのご声援のおかげです。本当に感謝いたします。
感謝の気持ちへのご返礼といたしまして、せめて少しでも面白いお話を皆様にお届けできるよう、これからも精進いたします。どうかこれからもお付き合いいただければ幸いです。




