「ようこそエトルリアへ」――フルヴィナ・スーヴィッチ外務次官は言った
エトルリア王国王都、ローマは紀元前からの歴史があるヨーロッパ有数の巨大都市だ。そのローマ市に、ユリアナを首班とした、イリリア全権代表団が入ったのは10月1日のことだった。
『ようこそエトルリアへ、そして我がローマへ。我々エトルリアは、あなたたちの訪問を歓迎いたします』
エトルリアが用意した特別列車がローマ中央の駅に着くと、そこには正装の女性が立っていた。癖のある栗毛のショートと、鼻の上にちょこんと乗った眼鏡。背の低さも相まって、かなり幼い印象を受ける。
『私、エトルリア外務省外務次官のフルヴィナ・スーヴィッチです。大臣が多忙のため、私が今後皆様のご案内を担当させて頂きます」
「すげーよルカ! 特別列車だよ! 私らのためにわざわざタラントから出してくれたんだってさ、さすがだねぇ」
「セプルヴィアの時は一般車両でしたからね。それでも一等車でしたが」
「だ、大丈夫やろか。後で請求書とかこーへんよな、エルザ? 100万リラとか言われたら、イリリア・レクで大体一千万……。ひぃぃぃぃ」
「あるわけないでしょ、レディー。全部向こう持ちだから。外交ってそんなもんよ」
「ここがローマか。さすがにでかいな」
「まーったく、なにキョロキョロしてんだいトルファン! 田舎者丸出しじゃないかみっともない!」
「それはあなたもなの、ニナ! ああもう、デカい奴二人にうろうろされると私が何も見えないの!! ミーナ、こっち行ってみるの!」
「れ、レオノラ提督~あんまり離れると迷子になっちゃいますよぉ」
「あー、えー、カストリオティ大統領?」
田舎からの団体観光客のようなイリリア代表団に、戸惑いを隠せないフルヴィナ外務次官。そりゃまあ、スコダルなど人口4万人ちょっとの地方都市レベルの首都をねぐらとしている田舎国家の人間たちだ。年初に訪れたベオグラードよりも更なる大都市に、一行の目は釘づけだった。
「あのー、もしもしー!? そろそろよろしいですかー!!」
しびれを切らしたフルヴィナ次官が両手をぶんぶん振り回して、ようやくユリアナは目の前のエトルリア政府高官に気が付いた。
「あ、ごめんごめん。よろしくね、スーヴィッチ次官。イリリア風にフルヴィナ次官でもいい?」
「構いませんよ。私もユリアナ閣下とお呼びしても?」
「どーぞご自由に。ユリーでも可!」
「あー……、わかりました。ユリアナ閣下」
わかってないじゃーん、というユリアナのぶーたれた声を半ば無視して、フルヴィナは一行の案内を始めた。
用意された車に乗り込み、宿泊場所に向かう。
その車中で、外相のエルザが口を開いた。
「ねえねえフルヴィナ次官さん? チャーノ外相はやっぱり忙しいの?」
「はい。講和会議に向けて、詰めの作業が進められています」
「どんな感じで?」
「それはもう……あ! いえ! 内緒です! まだ決まってません!!」
フルヴィナは慌てて口をふさぐ。
「じゃあ事前報道にあった、イストラの割譲と賠償金の支払いってぐらいか……。おいくら? うちも参考にしたいんだけど」
「だいたい4お……って言いませんよ!!」
「ほぼ言ってるじゃないですか」
ルカが小声で突っ込んだ。
一行が案内されたのは、ローマ市内の高級ホテルの、最上級の部屋だ。それも一階まるまる。会議室までついている。
フロアロビーで豪華な装飾に呆気に取られているユリアナたちを前に、フルヴィナが胸を張る。
「ローマ一のホテルです。すべて国費で負担しています。こちらの階にある物は自由にお使いください。不足物があればフロントまで。エトルリアの名に懸けて、あらゆるものをご用意させていただきます」
「なんでもって言ったね? じゃあ10億リラ頂戴?」
「え、だ、大統領……? じゅ、10億リラはその……、ドゥーチェの裁可を……」
「落ち着いてください次官。もらえるわけないでしょう、そんな裁可。大統領もそんなおっさんみたいなくだらないこと言わないでください」
ユリアナの冗談を真に受けた、かどうか知らないが、あわてるフルヴィナにルカが冷静に言う。
「おっさん……、おっさんってルカ……。まあそりゃ確かにそうだけど……」
地味にショックを受けるユリアナを無視して、ルカは丁重に礼を言うのだった。
フルヴィナ達エトルリア政府の関係者が退出すると、ユリアナたちは荷ほどきもそこそこに会議室に集結した。
「やあ大統領。スーツ、新調したのかい?」
「久しぶり、アデリーナ。スコダルに新しい仕立て屋さんができてね。せっかくだしお願いしたんだ」
部屋の物陰から突如として現れたのは、アデリーナ・ケマル情報本部長だ。さすがにもう、この手品のような登場に驚くものはいなかった。
「さすがにリアクションがないのは傷つくな、大統領。仕込みも結構かかったってのに」
「じゃあ聞くけど……、なんでメイドの格好?」
しょんぼりとしたメイド姿のアデリーナは、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「いいだろう? しばらくアルビオン、もとい連合王国の方にいてね。お土産なんだ」
トルキスタン系の目鼻のはっきりとした彫りの深い顔がにこりとほほ笑む。どこへ行っても美人で通る、とユリアナは常々思っていた。これでスパイ活動なんかできるのか、とも。
するとアデリーナは、ユリアナの耳元に口を近づけた。
「別に私がスパイしているわけじゃないよ。私はマスターで、実際に動いているのは部下さ。色々とね」
「あ、そ、そう……」
心を読まれたせいか、そんな美人が目の前に来たせいか、ユリアナの身体がビクリと震える。
アデリーナはそんなユリアナの様子を満足そうに見つめると、急に距離を取って声を張り上げた。
「さあ皆さん、長旅でお疲れでしょうし、音楽でも聞かれてはいかがですか?」
そういってパチンと指を鳴らす。すると、アデリーナの部下たちが、持ち運びができる(と言ってもスーツケースほどある)レコードプレーヤーと、それに取り付ける大きなスピーカーを持ち込む。
そして、大音量で音楽を流し始めた。軽快でポップなジャズだった。
「これは?」
「『ダイナ』ね。懐かしいわ。合衆国で10年ぐらい前に流行ったのよ」
エルザが楽しそうにジャズのリズムに乗る。
「猫とネズミの追いかけっこのアニメにこんな曲あった気がする」
「アニメーション? ユリー見たことあるんだ」
「まあね。中々好きだったよ」
口笛でも吹きかねないユリアナとエルザをしり目に、ニナは不審げにアデリーナを見た。
「一体全体なんでまた音楽なんかかけるんだい? 今から真面目な会議だって言うのに」
「こっちの方が楽しいだろう?」
「ふざけた理由ならレコードたたき割るよ?」
「……。この部屋は盗聴されてるのさ」
アデリーナは音量をさらに上げた。それに合わせて、彼女の部下たちがヘッドフォンを咽頭マイクを出席者たちに配る。
「これで、音楽が鳴っていても相手の声は聞こえるだろう?」
喉元のマイクを抑えながら、アデリーナは笑った。
「盗聴ねぇ……。まったく趣味の悪い奴らだよ」
ニナはしぶしぶと言った風にマイクをつけ、他のメンバーもそれに倣った。
「それほど性能がいいわけじゃないけど、顔を見合わせる距離なら十分だろう?」
「これもお土産? アデリーナ」
「ええ、大統領。喜んでもらえたかい?」
「もちろん。これで安心して会議ができる」
ユリアナがにやりと笑うと、空気が引き締まる。
「今回の訪問の目的を再確認しよう、ルカ」
「一つに我が国とフルバツカ国との、ディナル事件に関する講和です」
イリリアが『ドゥラス沖海戦』の報復として実施したフルバツカ、ディナル地方への爆撃『ディナル事件』。これはフルバツカ戦争の休戦に伴いイリリアが空爆を停止したことにより、自然停戦の形となっていた。
今回、イリリアはエトルリアの支援を受けて、この事件、さらにはドゥラス沖海戦に関する賠償を求め、それについての会議を開催するのだ。
「もう一つは、エトルリアとの海軍支援協定に関する事項ですね」
海軍大臣のミーナと、軍令部長のレオノラが反応した。
「か、海軍省と軍令部では、これまでの海軍整備計画を破棄。新計画を策定しました……」
「いままでの、大火力重視の建艦計画は……、破棄したの」
ドゥラス沖海戦。そして、イリリア海軍主力艦『アリシア』の轟沈は、海軍に衝撃を与えた。フルバツカの駆逐艦にすらまともに戦えない。さらに主力艦艇がわずかに2隻。この状況を早急に改善しなければならないと、首脳部の見解は一致した。
そこで、連合王国に発注をかけていた15センチ砲搭載の大型駆逐艦『仮称イ級』は、技術的に搭載を渋られていた15センチ単装砲5門を取りやめ、連合王国駆逐艦に標準搭載されている45口径12センチ単装砲5門に変更。
代わりに55,3センチ5連装魚雷発射管を二基搭載することにした。これは連合王国海軍の実験により、魚雷の射線を増やした方が夜戦における効率がよい、という結果が得られたため実験的に搭載が許されたのだ。
装備や設計は完全に『アマゾン』から続く30年代の連合王国駆逐艦に準拠している。全長は103メートル。排水量は1300トン前後で、武装はこのほか爆雷や対空機銃を搭載しているうえ、最新の発明品、水中聴音器が搭載された。
このような設計や技術の流用によって、造船所ともめていたイ級計画は急速に進展。ただちに発注がかけられ、4隻の建造が決定された。
「そもそも、……エトルリアの戦艦に対抗する砲力を得ようとしたら、それこそ数をそろえられないの」
レオノラが悔しそうに言う。
「でも、先の事件では、魚雷の有用性が確認されたの。だから……」
その続きをミーナっが引き継ぐ。
「イリリア海軍では、駆逐艦を中心として、4個駆逐戦隊を編成します。駆戦隊は二つの駆逐隊からなり、1個駆逐隊はエトルリアから供与を受ける駆逐艦3隻によって編成する予定です。先のイ級計画駆逐艦は、嚮導艦として、戦隊旗艦にします」
「そのための海軍協定、ってことだからね。海軍は頑張りどころかな?」
「ええ、大統領」
エトルリアのベアータ・ムジェッリーニ総帥は、ドゥラス沖海戦でのイリリア海軍の働きを絶賛して、いかなる支援や援助も惜しまない、という声明を発表していた。
それは両国の当局者の間で具体的な交渉となり、その結果まとめられたのが、今回の海軍支援協定なのだ。
これにより、エトルリア海軍の駆逐艦ロソリーノ・ピコ級8隻とジェネラリィ級駆逐艦5隻の供与。さらに以前は有償提供だった魚雷艇12隻が無償提供された上、イリリア海軍向けの新型フリゲート11隻の建造を約束したのである。そのほか砲艦2隻と補助艦艇数隻の供与も含まれている。
「恐ろしいぐらいに太っ腹ですね。改めて見ますと」
ルカはミーナの手渡した資料を睨む。駆逐艦が13隻もあれば、哨戒艇が主な艦艇だったイリリア海軍は本格的な近代海軍に生まれ変わることになるのだ。
「潜水艦の供与は断られましたけどね……。やっぱり、エトルリアにとっての切り札でもあるので」
「あれがあればアドリアの優勢はイリリアにもうちょっと傾くはずなのに~」
ミーナとレオノラは悔しそうに言う。その様子をユリアナは横目で見ていたが、これについては何も言わなかった。
代わりにルカが口を開く。
「贅沢を言ってはいけないでしょう。バチが当たりますよ」
「そーいっても、向こうもいらなくなった艦を処分しただけなの。船ってのは解体するにも金がかかるの」
レオノラは若干ふてくされて言った。
「極東のヤマトって国が、フブキ級とかいうイカレ狂った駆逐艦を出してきてから、連合王国もそれに対抗した大型駆逐艦を作るようになって、フランクも追随してるの。エトルリアも地中海でそこらへんとバチバチしてるから、早く新しい大型駆逐艦を整備したいって思ってるの」
「はぁ……。なるほど」
「だから貰っても即ドックにぶち込んで改修なの。実戦配備はどんなに急いでも2年後ぐらいになるの」
レオノラはぶつぶつと文句を呟くが、ミーナは反対にすっきりとしていた。
「これで……、これで予算とにらめっこする日々が終わるなんて……。やっと本物の船が、我が軍に……」
それを見て、苦労かけてたなぁ、なんて思うユリアナ。
「ま、配備は段階的だから、どっかの誰かみたいな失態は避けられるの。二年後には新星イリリア海軍がお披露目なの」
レオノラはちらりとトルファン達陸軍を見て、意地わるげに笑った。
「ところで、陸さんはなんのようなの? 陸軍向けの国防協定はもうだいぶ前に締結されていたはずなの」
「……ああ、我々は、な」
トルファンは低い声で言う。
「戦車を売りに来たのだ」
閲覧、ブックマーク、評価、ご感想本当にありがとうございます!
海軍協定の描写が楽しくてついつい書き連ねてしまいました。おかげでいつもよりマシマシなうえ、会議の描写が終わらない!! おかげで陸さんの事情と、メインだったはずの講話交渉はもうちょっと先かもしれません……。次回もよろしくお願い致します!




