「いいなぁ、ルカ補佐官。今から大統領とデートだよ」――官邸警備員は言った
春のレヴァント半島は、沿岸部を除けば今だ雪が残る地域もある寒冷地だ。山に囲まれた盆地であるスコダル市も、夕方になれば薄着では少し肌寒いぐらいだった。
街灯にはぽつぽつと灯が灯り始め、待ちゆく人々の表情も夜のそれにかわりはじめる。
この街は共和国首都に制定されてから、国外から招いたデザイナーによる大規模な首都建設がすすめられた。白壁と赤い屋根瓦に彩られた二階建ての大統領官邸と、四角い箱にギリシャ風の柱が何本も走る共和国議事堂、その二つをを中心に放射状に道路が伸び、官庁街として同じような白壁赤屋根の建物が並ぶこの風景が、まさにその結果だ。
その官邸の裏口に、二人の人影があった。一人は脊の低い少女。もう一人は長身細身の青年。ユリアナとルカである。
ユリアナは茶色いパンツスーツを肩ベルトで止め、白いブラウスの上にベージュのカーディガンを羽織っている。長い髪は束ねられ、一応変装のつもりで黒ぶちの伊達眼鏡と帽子を着用していた。一方ルカは先ほどまでのスーツからネクタイと上の背広を脱いだだけのラフな姿。
「大統領はスカートは人前では履かれませんね、そういえば」
ルカはハンチング帽を目深にかぶるユリアナに尋ねた。
「いや、人前でスカートはまだ抵抗があるって言うか……」
見た目は可憐な少女でも、中味はおっさんに近い年齢の男だ。案外存外スカートは楽だという事に(周囲さえ気にしなければ)気づいてからは、部屋着として使うことはあったが、外で履くほどふっきれてはいない。
「そんなことよりさ、街だよ街! 早く行こう!」
ユリアナはルカの手を握りしめると
「ちょっと大統領!」
制止するルカの声も聞かず走りだした。ルカもつられて駆け足になる。二人のお忍び外出を知っている官邸警備員は、その後ろ姿にそっと敬礼をして見送った。
「いいなぁ、ルカ補佐官、今から大統領とデートだよ」
「バカ、『イリリアの魔女』と『ツァルナ・ゴーラの魔王』の密談だぞ。ただのデートな訳あるか!」
警備員のこんな会話が二人の耳に入ることことは、幸いながらなかったという。
再開発により整備された「新市街」を数分歩くと、開発前の街並みを色濃く残す旧市街に出る。
未舗装の通りには牛車や馬車が闊歩し、自動車の姿は少ない。道行く人の格好は背広であったり、あるいは工場労働者のつなぎだったり、男だったり女だったり、若かったり年寄りだったりと多種多様。間違いなく、イリリアで最も活気ある街だろう。
いくつかの店ではネオンサインを掲げた店も出ており、この街の発展を感じさせていた。
「今日はどの店にいこっかなぁ」
「あまり羽目を外さないでくださいね、色々面倒なんですから」
ルカはあたりをきょろきょろと見回した。
大統領のような有名人ともなれば広く顔が知られるのだろう、というのはユリアナが最初に思ったことだが、なってみれば拍子抜けするほどユリアナの顔を知っている者は少なかった。
そもそもテレビやインターネットなどないこの時代。画像を伝えるのは写真やフィルム映像だが、どちらもイリリアではそれほど普及していないのだ。
国内で発行されている新聞も写真付きの記事を載せることはほとんどなく、映像を流す映画館も全国に数か所。ユリアナの顔が広く出回っているのはポスターなどの肖像画だが、お世辞にも似ているとはいいがたかった。
「わたし、あんなに美少女じゃないしねぇ」
ユリアナは街中に飾られた『必達、第一次5ヵ年計画 ~大統領とともに祖国発展に尽くそう!~ イリリア共和国政府広報』という政府広報ポスターを見て苦笑する。
「宣伝だからどーんと行きましょう!」という広報室の言葉通り、過剰に美化された(と本人は感じている)ユリアナが、つるはしとこの国で産出する石油やクロム鉱、石灰なんかを抱えている絵だ。
どことなく赤い感じもするので、正直趣味が悪いとユリアナは思っていた。
しかしユリアナの独り言に、ルカが反応する。
「……そこそこ似ているとは思いますよ、ユリアナさん」
「お世辞言っても今日は割り勘だからね、ルカ」
「いやそういうわけじゃ」
「はいはーい、あんがとーございまーす」
ユリアナはふん、とルカの言葉を鼻で笑うと、
「お、こことかいいんじゃない?」
路地裏にあった大衆酒場に吸い込まれていった。
「まったく、あの人は……。無自覚というか無頓着というか」
ルカもぶつぶつとつぶやきながら後を追う。
酒場はかなり繁盛しているようで、見える限り満席だった。二人はわずかに空いていたカウンター席に座る。
「いらっしゃい、嬢ちゃん、なんにする?」
「ここってビールおいてる? ギネスがあればいいんだけど」
ユリアナが聞くと、店主は困ったように笑った。
「あー、わるいねぇ、うちじゃ扱ってねぇんだ。ラクはどうだ?」
「うーん。まあいいや、それちょうだい」
ラクとはイリリアを始めレヴァント各国で広く飲まれているブドウから作られた蒸留酒だ。ユリアナもイリリア法では飲酒可能年齢に達しているため大手をふるって飲むことができる。
「自分も同じものを。あと料理を適当にいくつか」
「あいよ」
料理はほどなくして運ばれてきた。イリリアでよく食べられる羊肉の煮込み料理で、硬いパンが二個ついてきた。
ユリアナはさっそく手を合わせると、料理に手を付けた。ワインソースで味付けをされた羊肉の塊を、やけどしないよう少し冷ましてから口に運ぶ。
「うんまい! いい腕してんね、大将!」
「おうよ、これでもサラエボのレストランで修行してたんだぜ?」
「なぁるほど。そりゃうまいわけだ。こんなに繁盛してるのもうなずけるね」
「開発事業やら、新工場の建設やらでスコダルにゃ人がたくさん来てるからな。汽車も通るようになってからは食材の調達もしやすくなったし。まったく、二年前じゃ考えられねえよ」
ここまで黙っていたルカは、初めて口を開いた。
「店主、あなたは、二年前は何を?」
「え? ああ、あんときゃ、子どもと嫁さんを連れてセプルヴィアまで逃げてたな。ちょうどサラエボの知り合いのところにだ。内戦もいつまで続くかわかんなかったし、最悪俺は故郷の土は踏めねえもんだとい覚悟してたんだが……」
「……戻ってきたのは?」
「ユリアナが大統領になった時だよ。イリリア史上初めてまともに選挙やって選ばれたんだろ? 治安も良くなってるって聞いたから、帰ってきたってわけよ」
店主は照れ臭そうに笑う。
「ま、飯時にするような話じゃねえ。今日は腹一杯食ってくれよ」
そういって奥の方へと引っ込んでしまった。
「……ユリアナさん」
ルカはユリアナの顔を覗きこんだ。ユリアナは黙ってラクに口をつけていた。
「まだまだだよ。私は何にもしてない。これはあのおっちゃんの力」
「…………。あなたはもう少し、ご自分にふぐっ!?」
そこまで言いかけたルカの口を、ユリアナはスプーンを突っ込むことで封じた。
「早く食べないと冷めるよ、ルカ」
そういいながら自分も肉の塊を頬張る。
「ちょっと重い気がするけど若い体なら大丈夫だよねぇ」
話をぶった切られたルカだったが、これ以上続ける気は起きなかったのか、やれやれと首を振った。
「はぁ、なにいってんですかあんた」
「ちょっとこっちの話」
前世の記憶は定かではないが、精神年齢的には実年齢の二倍はいっているユリアナ。言動が時々おじさん臭くなってしまうのは仕方がないのかもしれない。
それなりに胃袋が膨れてきたとき、ルカの隣に座っていた男が席を立った。
すぐにルカが何かに気付き、ポケットを探る。そして、一枚のメモ用紙を取り出すと、
「ユリアナさん、こちら」
他の客には見えないようにしながらユリアナの前に差し出した。
「…………」
ユリアナは若干げんなりとしながらメモを見る。
「はぁ、ほんとに……、ちょっと時間ぐらい選んでよねぇ」
そう愚痴りながらもユリアナは席を立った。
「大将、お勘定ね。美味しかったからまた来るよ」
会計を済ませ、足早に店を出る。そして表通りに待機していた黒塗りの車に飛び乗るなり言った。
「セプルヴィア軍が国境に展開中ってどういうこと!?」
世界暦1934年4月。イリリアは相も変わらず存亡の危機にあった。
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なお本編の歴史はご都合主義交じりのものでありますので、実際の史実との相違については温かい目でお見守り頂ければ幸いです。