「来週には講和会議が開かれているかもしれませんわね」――イルマ・メローニ駐イリリア公使は言った
『我がイリリア軍は精強な戦車部隊、優秀な砲兵部隊、そして勇敢な歩兵部隊を7万、加えて最新鋭の戦闘機部隊をそろえ、万全の体制を持って国土防衛の任に当たっている。ドゥラス沖海戦での悲劇を繰り返すことのないよう……』
ラジオから流れるトルファンの声を、ユリアナは目をつぶって聞いていた。
「7万の兵力、ねぇ。どっからだしたのか私が教えてほしいぐらいだよ」
ふぅ、とため息とともに言う。
「長くはもちませんよ。ばれるのは時間の問題でしょう。これが」
自分の机で新聞を広げるルカも、目をひそめる。1面には『戦車隊出撃』の見出しとともに、珍しく写真入りの記事がでかでかと乗っていた。7月に正式採用されたばかりの35式中戦車『ヒポタス』と、戦車兵が写っている。
「これが偽物だなんて」
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フルバツカ戦争が始まるまでに、イリリア軍がまともに戦えるような戦力をそろえることが不可能である。
陸海空軍の三軍参謀部連絡会議は、早々にそう結論付けた。
もちろん、エトルリアへの義勇軍派遣や駆逐艦による通商警護の実施なども行う予定だったが、本国の守りも手薄な今、同盟国としての戦争貢献はほとんどできない。
そこで参謀たちは一計を案じた。
戦場となるイストラ半島から遠く離れたフルバツカ国ディナル・アドリア地方―――イリリアとの国境地帯に、フルバツカ軍を張り付かせ遊兵化させようとしたのだ。
そのためには、フルバツカが脅威を思える程度の兵力をこちらも用意する必要がある。
「しかし、その『兵力』が実践で使えるものである必要はない。なんなら張りぼてでもいいわけだよね?」
とは、ユリアナの言葉。そう、この作戦、連絡会議呼称F102号作戦は、ユリアナの提言を基に立案されたのだ。
つまり、張りぼての兵器と兵隊を大量に用意して、イリリアが大軍を動員して国境に配置したと思わせることで、フルバツカ軍の動きを封じようとしたのである。
作戦の前段階となるF101号作戦は多忙と混乱を極めた。
『戦車連隊』に配備された新型戦車35式中戦車『ヒポタス』は、ユリアナが工廠で見たあの試験車両がそのまま配備されている。数か月で量産には移れなかったので、残りはきっぱり諦めて布と木の板でできた張りぼての製造に移行した。
おかげで戦車連隊にそろえた100両近い戦車はほとんどが偽物である。同じように砲兵隊の野戦砲も丸太にペンキを塗っただけだ。
兵士も入隊希望者にそのまま木の槍を持たせて『兵士』にした。軍服? 小銃? そんなものはない。その上『兵士』にも関わらず、工場へ配属させ、兵器の生産に従事させている事例も多くある有様である。
「沿岸国境のコトルに駐屯している第3歩兵連隊、3歩連が何とか使い物になるな。兵器をかき集めて恰好だけは揃えている。つまるところ、実働兵力3万のうち、国内の即応戦力は5000を何とか超える程度、だな」
中央指揮所の大きなテーブルに敷かれたイリリア全図に、トルファンは部隊を指し示す駒を置いた。ちなみに後の一万五千は、現状案山子と同じようなものだ。
「ただ、同じところにいる4歩連はダメだ。電信班だけを置いた張りぼてだな。1歩連、2歩連も錬成中だ。さっきも言ったが、軍服も兵器もロクなものがない」
ない軍隊をあるように見せるのはやはり難しい。イリリアでは、無線電信の通信量をわざと増大させたり、見張りだけ立たせたニセの無人駐屯地を造成させたり(人の出入りだけは偽装するが)、様々なルートを通じてわざと部隊配備のニセ機密資料を流出させることでごまかしを続けている。
「第1砲兵連隊は? 錬成終わらせたって聞いたけど。張りぼての2砲連はともかく」
ユリアナの質問に、トルファンは顔をしかめながらも答える。
「本来半年かけてやる予定だった訓練を一か月で終わらせたんだ。それを編成完了と呼んでいいのなら、な。砲兵や戦車兵はそう短時間では使い物にはならん」
隣で聞いていたニナ参謀総長もそれに同調する。
「だから反対なんだよ、こういう専門性の高い部隊は。いざって時に数をそろえられないのさ」
「歩兵の数をそろえてからおっしゃってほしいですね、ニナ総長」
ルカが皮肉を飛ばす。
「しかし、戦車連隊も張りぼて。事前の予定通り、首都警備中隊と国境警備部隊を中核とした3歩連だけがが主力ですか……。いささか不安の残る陣容ですね」
「先にも言ったが、この作戦の主軸はフルバツカ軍に虚構の大軍を見せつけ、その動きを封じること。現状、その効果は十分に出ている」
エトルリアとの戦争下にあってもディナル・アドリアのフルバツカ軍はほとんど動かされていない。国境を超えた強硬偵察などによってそれらはほぼ確証を持った情報としてユリアナまで伝えられている。
しかし、トルファンは渋い顔をますます険しくさせた。
「どーかした? トルファン」
「……ドゥラス沖海戦に触発された一部の将校や士官が、陸軍の積極攻勢を主張している。あの事件は国民感情を大きく刺激している以上、放置すればまずいかもしれん」
「ありがと。頭の隅に入れとくよ」
ユリアナはこめかみをトントンと叩いた。
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フルバツカ戦争が勃発してから、ユリアナは多忙な日々を送っていた。
開戦に際して臨時議会を招集し、フルバツカへの非難決議を全会一致で採決すると、軍の派遣を議決した。ちなみに、当のエトルリアが宣戦布告のないまま開戦したため、イリリアも戦線の布告は行っていない。
同時に軍事国債を財源とする大規模な補正予算を編成し、承認された。これが、例の動員の仕掛けのタネだったりする。
国際関係も大きく変化する。世論はおおむねイリリアに同情的で、エトルリアの軍事行動を承認するものが多かった。
しかし、レヴァント諸国の反応はそれほど単純ではない。セプルヴィアは事態を静観することにしたのか特に行動を取らなかったが、列強、特に連合王国は東地中海での活動を活発化させていたのだ。
そんな中、エトルリアは粛々と、そして着実に戦争目的を達そうとしていた。
「すでにフィウメ港は我が海軍により封鎖。陸軍もフィウメ市の数キロ手前まで進軍を続けており、フィウメ陥落は目前ですわ来週には講和会議が開かれているかもしれませんわね」
ユリアナに対するイルマ・メローニ公使の説明は、すでにイリリア情報本部が入手していたものとほとんど一致していた。
「それはそれは……。さすがは精強なエトルリア軍ですね」
ユリアナもニコニコと受け答える。
「いえいえ、貴国陸軍の働きは本国でも良く知られていますし……」
イルマ公使はユリアナに同席していたミーナ海相をちらりと見つめると、目を細めた。
「先のドゥラス沖海戦のような、イリリア海軍の勇敢かつ騎士的な活躍は、総帥もわが国民も、最大限の賛辞を持って受け止めておりますのよ?」
「……こ、光栄です、いい、イルマ閣下」
ミーナは普段よりも緊張しているのか、震える手を必死に押さえつけていた。その姿を見ていたルカはやれやれとこっそりため息をつく。
ユリアナもそれを察し、イルマの視線を自分に戻そうと口を開いた。
「まあ、我が国としてもこの戦争には恩恵を受けています。お互いさま、と言うことですよ」
フィウメはレヴァントでも最大級の港湾都市だった。ここで陸揚げされた貨物は、主に内陸国セプルヴィアやエスターライヒなどに運ばれていたが、戦争によって現在その機能は停止している。
エトルリア側のトリエステ港やベネチア港もまた軍需物資の取り扱いのため、そして戦争状態によってエトルリア―レヴァント間の交易が不可能に。そこで代替地となったのが、イリリアだったのだ。
五か年計画により整備を進めていたドゥラス港や南部のブロラ港、そしてバール港といったイリリア各地の港湾はようやくその能力に見合った貨物や人を扱えるようになっていったのだ。
さらに年初のイリリア・セプルヴィア首脳会談によって決定された経済交流の拡大も、良い方向に働いた。
両国に分割された東西ダルダニアを結ぶ、帝政トルキスタン領時代の鉄道が復活したのだ。この路線は直ちにイリリア国鉄路線と接続され、今ではダルダニアを経由するイリリア―セプルヴィアの物流ルートが成立している。
こうして、イリリア国内は特需景気に沸いていたのだった。
「カストリオティ閣下が行われていた経済政策に特需景気。イリリアの経済成長は奇跡のような伸び率だそうですわね」
「もちろん、貴国の援助があってのことですよ、イルマ公使。わが国民もその恩恵は十分に解しています」
ユリアナはにっこりと笑いながら言ったが、その内心は表情とは正反対のところにあった。
フルバツカ戦争の特需景気によって、確かにイリリアには空前絶後と言ってもいい好景気になっている。これにはエトルリアの経済支援によるところが大きい。
おかげで国内の一部の資本家をはじめ、好景気の恩恵を受けている国民の大部分が親エトルリア的な感情を抱きつつあった。
しかし、情勢が変わったとはいえエトルリアがイリリアに抱いている侵略的願望が消えたわけではない、とユリアナはじめ、政権幹部は睨んでいた。
むしろ、フルバツカ戦争が終われば、次のターゲットは自分たちになるのではないか、と。
もちろん、こうした懐疑的な見方には反対論も多く、イリリア政府の対エトルリア政策は今だ一貫性を見いだせていない。
「では閣下、この戦争の戦勝を祝して晩さん会の計画でも致しましょうか?」
「まだ気が早いのでは? 公使」
冗談めかしたこの言葉が本当に冗談になりかけていることをユリアナが知ったのは、それから3日後のことだった。
『フィウメ攻防戦』と名付けられた決戦に、エトルリア軍が敗退したのである。
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