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『身の振り方には気をつけて』――エルザ・フラシャリ外務大臣は言った

「ところでカストリオティ大統領?」


 イルマは顔を引き締めた。


「本日お伺いしたのは、貴女の帰国の無事をお祝いするためだけではございませんのよ。少々内密なお話がありまして」


「はぁ」


 ユリアナは身を乗り出す。この時期に内密にしたい内容と言えば、もはやそう多くはない。


「フルバツカ問題に関するお話、でしょうか?」


 ユリアナの問いに、イルマは黙ってうなずいた。


「貴国の働きのおかげで、セプルヴィアとの間には友好的な関係が結べそうですわ。フランクや連合王国との交渉が決着するのも、私の見立てではそう遠いことではありません」


 イルマの言う「交渉」相手には問題当事国であるフルバツカがいない。これが意味することは、ユリアナにも簡単に察せられた。


「遅くとも今年の夏までに、我が国はフルバツカ問題解決のための最終的な行動を取りますわ」


「……なるほど」


「そのために、同盟国であるイリリアにも最大限ご協力いただくことになるでしょう。よろしくお願い致しますわね」


 イルマはにっこり笑ってそう言った。ユリアナもまた笑みを浮かべて返事をする。


「ええ。同盟国として、最大限のお力添えをさせて頂きますよ」


「ありがとうございます、大統領閣下。それと……」


 イルマはそばに控えていたすたっひうから、一枚の封書を受け取ると、それをユリアナに渡した。


「これはあくまで非公式な『お願い』ですわ。どうぞよろしくお願い致しますわね」


「…………。内務省にはそう言っておきますよ」


 全体主義党のシンボルであるファスケスがあしらわれた意匠が、その封筒に印刷されていた。


―――――――――――――――――


 イルマが帰宅するとすぐに、ユリアナはエルザにこの情報を渡した。


『そう、夏までに、ね』


 受話器の向こう側でエルザはため息をつく。


『分析班の見立てじゃもうちょっと後の予定だったんだけどね』


「私の予感でもまだ先だと思ってたけど……、まあ東アフリカに兵を送るわけでのないし、たぶんイストラ半島に戦域を限定した局地戦で納めるつもりで、列強と交渉してるのかも」


『フェウメ、っていうかイストラ半島の処遇については列強も後ろめたいとこあるでしょうしね。対ドイトラントや人民連邦を見据えて、エトルリアの協力を得たいっていう思惑もあるのかも』


 民族自決、という戦後の錦の御旗は、その実のところきわめて恣意的に運用された。敗戦国ドイトラントやエスターライヒは『自国民』が住んでいる地方を多く削り取られたし、レヴァント半島、特にフィウメやトリエステ、そしてイリリアといった要衝部はエトルリアの勢力拡大を嫌った連合王国やフランクが、無理やり新興国家に組み入れたのだから。


 大戦争が終わって二十数年が過ぎようとしている今、きれいに塗りつぶしていたつもりの諸問題が再びその姿を現そうとしている。今はそんな時代だ。


「エルザはどう思う?」


『毎度のこと言うけど、軍事的に言えることは私にはないわよ? 後でブレンカにも聞いてちょうだい。私が言えることがあるとすれば……』


 少しの逡巡が電話回線の向こうから伝わってきた。


『この戦争、どう転んでもヨーロッパ情勢の転換点になるでしょうね。主に悪い方向で』


「聞かせて」


『まず列強との交渉が上手くいって、かつフルバツカが妥協して戦火を交えず問題が解決された場合。こうなると、エトルリアはフィウメを、未回収のエトルリアをすべて回復させたことになる。列強的には戦争も起こらずエトルリアを自分たちの陣営に収めることができた、ってことになるんでしょうけど、私たちからしたら最悪よ』


「イリリアみたいな新興国家は、自国存立に関して列強の支援を受けられなくなる」


『そう。列強がフィウメ併合を承認すれば、列強は『自国のためなら他国の主権なんかどうでもいい』っていう姿勢を明確に示すことになる。ドイトラントは少なくとも調子づくでしょうね。セプルヴィアもこのやり方で揺さぶりをかけてくるかもしれないわ』


「国家の本質なんてそんなもんだと思うけどねぇ」


『そんなもんだけど、建前があるだけでも大切なのよ。少なくともイリリア共和国は『民族自決』の言葉だけを頼りに生き残ってるみたいなものだもの。それが連中によってぶち壊されたら、うちは終わりよ』


 エルザに声に悲観が混じる。頭の回転が速い分、このままこの先に何があるのかを見通せているからだろう。しかしすでに先を知って、そのうえでこの道を行くユリアナは心持が違う。


「で、次のパターンは?」


 あくまでエルザの予想が知りたい、という興味からだったユリアナの言葉は、思いのほか冷静な響きだった。そのせいか、エルザも落ち着きを取り戻す。


『……次はね、列強との交渉が上手くいったけど、フルバツカが納得いかず戦争になる場合』


 一番高い可能性だ。その分、エルザの言葉は簡潔だった。


『侵略戦争の合法化、フィウメが落ちたら次はうち』


「だよねぇ」


 ユリアナは大きくため息をつく。


 侵略戦争は世界暦1928年に締結された不戦条約により禁止されている。それがいかに穴だらけのザル条約であったとしてもとにかく『侵略戦争はダメだよね』という空気自体は作られ始めているのだ。


 しかし、フィウメ問題解決に至って限定的でも武力の行使が容認される事態となれば、それはイリリアにとって死活問題である。実際に戦火を交えなかったカランタニア事件とはわけが違うのだ。


『一番いいルートは列強がエトルリアのフィウメ併合を断固認めず、エトルリアも現状維持を受け入れること。次点でエトルリアが武力制圧を強行した場合に列強が思いっきりぶん殴ることだけど、今の情勢じゃたぶん無理でしょうね。ベアータ総帥かボールトマン首相かフランダン首相、誰か後ろから撃たれるわ』


「ま、国際社会の善意で国を維持できると思ってた時代も終わったってことでしょ。自分の独立自分で守ろうってわけで。そうなれば、うちはこれからどうすべきだと思う?」


『どうするも何も、うちはエトルリアと同盟関係にあるのよ? 条項にある文言を忠実に履行するしかないでしょ、もう』


「それもそうかぁ……」


『忠犬と駄犬なら、駄犬の方が早く処分されるわ。身の振り方には気をつけて、精々ご主人様のご機嫌を損ねないようにしましょう』


「……そ、そこまで卑屈にならんでも」


 荒みまくったエルザに、ユリアナはあきれて笑うしかなかったのだった。


「いかがでしたか? エルザ外相は」


 横で聞き耳を立てていたルカに、ユリアナは肩をすくめる。


「忠犬でいろってさ」


「なるほど」


 ルカは伏し目がちにため息をつく。


「そうなると、もはや我が国が執るべき進路は決してしまったというわけですね。ブレンカ委員長を呼びましょうか? それともニナ参謀総長の方がよろしいでしょうか」


「ん~、ブレンカちゃん呼んで。なんたって大統領国防補佐官だし」


 陸軍大佐ブレンカ・プレヴェジは元々、軍事改革委員会委員長としてイリリア軍の改革を先導する傍ら、参謀本部作戦課長として対フルバツカ戦における行動計画策定のために奔走していた。


 しかし空軍設置に伴う活動が本格化し、陸軍の装備調達や部隊編成も急速に行われる中、ブレンカ一人にかかわる負担がかなり大きくなっていたのだ。


 加えて元々疎遠だった大統領府と陸軍のパイプ役も兼ねていたため、彼女の本業である作戦課長としての業務すら支障をきたしかけていた。


 そこで年初に行われた人事異動の結果、ユリアナは参謀本部の参謀としての席を離れ、自分の椅子を完全に大統領府に移していた。


 新設された大統領国防補佐官が今のブレンカの肩書であり、階級もこれまでの功績を認められ少将に昇進している。


 そのためユリアナが電話をかけてから、ブレンカは数分と立たずに執務室に姿を現した。


「……何のようだ? 閣下」


 ユリアナは珍しく、真面目な調子で告げる。


「エトルリア公使から、8月までの対フルバツカ開戦との情報を得た。よって陸軍にはそのための準備を……」


「え……?」


 ブレンカの顔から、みるみる血の気が下りていった。


「ブ、ブレンカちゃん……?」


「ま、マジか……。ほんとか……。マジか……」


 焦点は合わず、唇を震わせ、何やらぼそぼそとつぶやいている。


「どうしたのさ、ブレンカちゃんよ。もしかしなくても大問題とか?」


 その尋常でない様子に、ユリアナは席を立ってブレンカの肩をゆすった。それでようやくブレンカは我を取り戻す。


「……何があったの?」


「…………。ああ、実はな」


 ブレンカはぽつぽつと話し始めた。


「その……、あれだ、うん」


「あれじゃわかんないんだけど……」


「…………。ないんだ」


「なにが?」


「兵力」


「は?」


「動かせる兵力がこれっぽっちもないんだよっ!!」


「はぁああああああああ!?」


 ユリアナはその突拍子もない一言に思わず叫んだ。


「ないってどういう事!? 8000人いたはずじゃないの陸軍軍人!?」


「いるさ! でもそのうちの1500人は新兵だからな! この秋入ったばっかだからな!」


「あとの6500は!」


「新兵科設立に人出を取られたんだよぉ! 今まともに作戦なんかとりゃできねえ!」


「だ、大隊ぐらい動かせないの?」


「大隊動かしてどうすんだよ。対外作戦だぞ! 最低でも一個連隊はないと嫌がらせにもなんねぇ」


「じゃあ連隊は!?」


「だから言ったろ! 今のイリリア軍に作戦行動が可能な連隊はない!」


「はぁああああああああ!?」


 本日二回目の叫び。


「マジすまねえ閣下!!」


 ブレンカはとうとう崩れ落ちた。


「さっきも言ったけど、新兵教育と新兵科設立に人員を取られて……、おまけに空軍に行っちゃった奴も多いし、あと装備更新したばっかで既存部隊も訓練途中だし……」


「その、動かせる部隊ってのは……?」


「作戦行動をとるのに支障がないっていう意味で答えると、新装備の訓練を優先して終わらせた国境警備隊だな。全部合わせて……、大隊規模あるかないかぐらい」


「な、なんでまたそんなことに……」


「軍拡焦っちゃったんだよ! まさかフルバツカ問題がこんなに急速に悪化するとか思わなくて」


「あんぽんたんっ! 常に有事に備えるのがあんたらの務めでしょーが!!」


「う、うん……。すまん……。私もあっちこっち飛び回って作戦にあんま関われなかったし、新兵器調達に気を取られ過ぎてて、試験期間にここまで取られるなんて思わなくて」


 ブレンカは素直に頭を下げ、そして見ているこっちが申し訳なるほどにしょげてしまった。


「…………」


「あ、あの、閣下?」


 てっきり怒号が飛んでくると身構えていたブレンカは、思わぬ静寂に顔を上げる。


 その時一瞬だけ、


「あ、いや、ごめん。私が悪いよ。だから頭上げて、ブレンカ。この計画を推進して承認したのは私なんだから」


 ユリアナは身をかがめ、ブレンカの肩を叩く。いつもの、労わるような申し訳なさそうな、あの微笑みを浮かべながら、謝罪の弁を述べた。


「大丈夫大丈夫。考えよう。なんかいい方法あるから。私が見つけるから、絶対に」


「……ああ」


 異端視されていた自分を信頼し、期待を寄せ、祖国イリリアの国防を任せてくれたユリアナを裏切ったにもかかわらず、こんなにも優しい言葉を、優しい顔でかけてくれるのかとブレンカは感動する。


 だからさっき一瞬、ユリアナの顔に愉悦の笑みが浮かんでいるように見えたのは気のせいだと、思い直したのだった。

閲覧・ブックマーク・評価・コメントありがとうございます!! 実はこのあとがきに何を書こうかいっつも悩んでおります。ゆえになんだかワンパターン化しているなぁというのが悩みです。近況でも書いた方がいいのでしょうか? いや、それは活動報告か……。う~ん、悩みどころですね。ぶっちゃけ本編より悩んでます。何かいい感じの案がありましたらご一報いただけると嬉しいですw。

本編はそれなりに進んでいますので、これからも見守っていただけるますと嬉しいです。よろしくお願い致します。

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