「いや、どうすると言われましても……」――ルカ・ペトロヴィッチ首席補佐官は言った
『欧州通信社ローマ支局より速報。エトルリア陸軍省報道部午前6時発表。エトルリア陸軍はイストラ半島のフルバツカ国境においてフルバツカ陸軍と交戦状態に入った』
『在ザグレブ・イリリア大使館より緊急電。フルバツカ軍司令部は本12月5日未明、エトルリア軍のイストラ半島における越境を確認、これを迎撃したと発表。現地では今だ戦闘が続いている模様』
『エトルリア王国総理府声明・フルバツカの不正行為に関し、我々は一歩も引くことなく我が国の権益を守り抜くだろう』
『フルバツカ政府声明・エトルリアの侵略行為にイストラ全体が危機にさらされている。我々はあくまで自衛のために戦う』
『欧州通信社ローマ支局発・エトルリア陸軍は交戦地域への更なる増援を……』
『ABC、アングロサクソン王立放送速報。エトルリア・フルバツカ両国は中立国ヘルヴェティアにて外交交渉に入った模様……』
「午後三時現在、エトルリア軍とフルバツカ軍の戦闘はほぼ停戦状態に入ったとみられます」
「そ、……よかった」
朝から目まぐるしく入ってきた情報に危機感を募らせてきたユリアナは、ルカのこの報告でようやく胸をなでおろしたのだった。
34年も間もなく終わろうとしていた12月5日。フルバツカ軍とエトルリア軍が交戦した。結局両軍とも本格動員は行わず、局地的かつ散発的な衝突が続いたのち、事態は沈静化しいていく。しかしこの『イストラ危機』はいよいよ顕著な危機として欧州各国に認識し始められた。
アングロサクソンやフランクは、戦争回避を図ろうとエトルリアと接触し対話と圧力を兼ね備えての交渉を開始。フルバツカも自国領であるイストラ半島を守らんと、国際連盟をはじめとした国際社会に働きかけにいった。
しかしエトルリアもまた巧妙に『未回収のエトルリア回収』に向けた水面下の交渉を加速させていった。
隣国たるイリリアも無関係ではいられない。訓練という名目でエトルリア軍を国内に受け入れたほか、万が一開戦となった場合の動員計画、戦争計画が急ピッチで進められている。
またようやく策定できた機動防衛計画を軸とした34年度国防計画に基づき、イリリア軍の増強も順調に行われていた。
サーバルⅠ軽戦車は追加導入が見送られたものの、キャンセルで浮いた資金を基に連合王国のウィッカース社製6トン軽戦車の導入を決定。すでに試験用に数両が輸入されている。
ウィッカース6トン戦車タイプB。47ミリ戦車砲を搭載した単砲塔の戦車で、サーバルⅠことCⅤ.33では行えないとされた対戦車戦闘にも耐えうるとされている。やっぱり装甲は薄いが。
海軍は新規駆逐艦建造計画が正式に承認されたほか、エトルリア海軍から魚雷艇や水雷艇の供与が決定し、海軍上層部は全員踊りまくったという。
また同盟に合わせて結ばれた経済協定の結果、エトルリア資本が大量に投下され、イリリア経済は今まで以上の活気を見せるようになってきた。
そしてまた、イリリア政府は一つの問題に直面していた。
「……どうするよ、ルカ」
「いや、どうすると言われましても……」
それはあなたが判断することでしょう、とルカは言外に訴えた。ユリアナはその訴えを受けて、応接間のテーブルに置かれたものに、禍々しい呪いの品のごとき視線を送る。
「仮想敵国の元首の即位式って、行っていいの?」
「向こうから来てくれと言ってきてるわけですし……。ヴィルヘルム二世はヴィクトリア女王の葬式に参列してましたから」
「いや、あそこは親戚筋じゃん。私セプルヴィア王家と縁はないよ?」
「まあ……。でも断ったら断ったで角が立ちそうですしねぇ」
「エルザちゃんは?」
「大統領に一任すると」
「あいつ……」
恨めし気にここにはいない人物を睨むユリアナだったが、無駄な労力を消費していることに気が付くと一気に脱力した。
「いつだって? その即位式」
「今は先王の喪に服しているらしいので、年明けになると」
「何が目的なのかねぇ」
「……周辺国の元首を呼び寄せて自国の影響の大きさをアピールする、とかでしょうか」
「お互い仮想敵国。実際ドンパチやった仲だよ?」
「じゃあ行きませんか?」
「………。そこも難しい」
ユリアナは空を睨む。
「エトルリアとの同盟も成立して、うちはめでたくエトルリア勢力下に入っちゃったわけだからここで独自に動かないとこのままずるずる主権喪失、なんてことになっちゃうし」
「では出席、という事でよろしいでしょうか」
「うーん。そうだね、行こっか」
ルカは頷いた。
「ところで、大統領としての外国訪問って……」
「初めてだね、そういえば。下手したら建国史上初なんじゃない?」
「……そういうこと軽く言わないでくれませんか」
建国史上初となる元首の外国訪問を前に、ルカの胃袋はきりきりと痛みを上げ始めるのだった。
―――――――――
「で、結局行くのね、ユリー」
「そりゃあね」
深夜、大統領府の食堂でユリアナはエルザと二人でラクというイリリア名産の蒸留酒を片手に語り合っていた。
深夜営業とか24時間営業とかいう気の利いた店はイリリアにはまだ少ないため、こうして食堂を利用することが多いのだ。警備上の理由もある。
食堂の料理人は
「あんまり遅くに酒なんか飲んだら、明日に響きますよ?」
と二人に忠告しながら、それでもつまみ替わりのチーズを差し出した。ユリアナはそれをつまみながら笑って受け流す。
「明日はお休みの予定だし。エルザちゃんは?」
「半休取るわ。それにお酒には強いのよ」
そういって一気にラクを煽った。
「にしても、まさかユリーが外遊始めてなんてねぇ。ルカっちが慌ててる理由がやっとわかったわ」
「私もルカも外国暮らしだったこともあるし、まあ大丈夫だとは思うけどねぇ」
「そういうわけにもいかないわよ? 外交は旅行と違って色々面倒なしきたりとか多いし。全部レクチャーしてあげるから覚悟しててね?」
「……お手柔らかに」
ユリアナはぼそりと呟く。史上初となる国家元首の外国訪問という予期せぬ事態を、仮想敵で実際に交戦状態に至ったこともある国で行う、前代未聞もいいところの事態だ。ルカはすでに外務省との打ち合わせで大忙しだという。
「エルザちゃんさぁ、これはルカにも聞いたんだけど」
ユリアナはふと思い出したように尋ねた。
「なんでセプルヴィアは私を、イリリア共和国大統領を即位式に招待したのかな?」
「補佐官はなんていってた?」
「自国の影響力を周辺諸国に知らしめたいんじゃないかってさ」
「……逆に聞くけど、ユリーは何で行こうと思ったの?」
エルザは少しからからかうように笑った。ユリアナはその顔を不思議に思うが、気にせず答える。
「そりゃ、隣国とは喧嘩するより仲良くしといた方がいいってのと、エトルリアの勢力圏には入ったけどイリリアは独自に動くこともあるって言うのを見せつけるためかな」
「相手も同じよ」
「仲よく?」
「そっちもだし、後者も」
そういって、エルザはテーブルの上に指で円を描いた。
「イリリアが同盟によってエトルリア勢力下に入ったことは諸外国の知るところになったわ。そしてそれは、レヴァント半島での覇権を目指していたセプルヴィアにとってはもっとも避けたい事態だった」
「うちを引き抜くって?」
ユリアナは答えを先取る。エルザは頷いた。
「そうね。少なくともイリリアを綱にしたセプルヴィアとエトルリアの綱引きが始まったみたい」
「また迷惑な……」
ユリアナは顔をしかめた。
即位式にはボスナ地方を巡って激しく対立しているフルバツカや、オリンピア地方で紛争を抱えるブルガールなどは招待されていないという。
同じように領土紛争を抱えるにもかかわらずイリリアが招待を受けたのは、この国を勢力下にいれたと思い込んでいるエトルリアに対するけん制ではないかと二人は見ていた。
「イリリアがてめぇの子分だと思ってたら大間違いだぞ?」
と言いたいのだ、セプルヴィアは。そしてそれは、エトルリアによる内政や外交に関する圧力を撥ねつけたいイリリアの思惑とも重なったのである。
「まさかこんなことになろうなんてねぇ」
「いやホントに。何があるかわかんないわ。だから面白いんだけどね、政治は」
二人は顔を見合わせて笑う。
「だけど」
と、エルザは顔をしかめた。
「エトルリアからの抗議と言うか、圧力というかも考えられるわね。あーあ、あの公使と会うの憂鬱だわぁ」
「よろしく、エルザちゃん?」
にやりと笑うユリアナに、エルザは唇を尖らせた。
「ちくしょー、大統領に面会させてやるわよ?」
「予算決める時期にそんなこと言っていいのかな~。外務省の概算請求削りたくなってきたなぁ」
「ぐぅ、卑劣な……」
エルザは恨み言と共に、一気に残りラクを飲み切った。
閲覧、ブックマーク、評価、コメントなど本当にありがとうございます! 日曜更新を目指しているのは、自分も毎週見ている日曜ドラマっぽい感じでかき上げたいなーという願望を込めた願掛けみたいな意味があったりもします。すみません日曜に更新する日のほうが少ないですよね……。
とまあ、なんとか無事に?34年が終わりましたので、次回からは新章『世界暦1935年』に入らせていただきたいと思います。薄々伏線を貼ってましたが、35年は国際化の年にしたいなーとかなんとか考えていますが、あくまで予定は未定です。皆さまどうか、生ぬる~く見守っていただければと思います!




