「これで歴史は変わるかな?」――ユリアナ・カストリオティ大統領は言った
フランク共和国の地中海岸にある大都市マルセイユ、その大通りは野次馬と警察が入り混じって混乱状態に陥っていた。
通りは封鎖され、今は自動車一台と走っていない。街灯にはフランク国旗のトリコロールと、セプルヴィア王国の国旗が交互に掲げられている。
「まったく、朝から一体何ごとだい?」
通り沿いにあるカフェの女主人が不満げに呟くと、目の前のカウンターに座っていた常連の男が答えた。
「知らねえのか? セプルヴィアの王様がこの街に来るんだよ」
「セプルヴィア? レヴァントの?」
「ああ。ここでバルド外相と会談するんだとさ」
「はぁ、そりゃ大層なことで。でも確かこないだ、ラジオニュースで言ってた気がするねぇ。セプルヴィアの王様がどうのこうのって」
「そりゃあれだな。あの国王、自国の反対派を粛清しまくったらしいんだ。まったく、おっかないこったぜ」
「なんだいそれは。まったく、なんだってそんなハラーみたいなやつを呼ぶんだろうね」
「セプルヴィアは東欧でも大きな影響力を持つ大国だからな。友好関係にあれば、我が国も東欧での勢力を維持できるし、なによりドイトの全体主義者やプロレート連邦のアカ共を押しとどめる壁になるって考えてんのさ」
「そうかい。ま、難しい話は私には分んないよ」
女主人は肩をすくめた。すると、奥のテーブルに座っていた若い男がレジカウンターに立った。
「カンジョウ」
片言のフランク語で硬貨を差し出す。
「はいはい、ありがとさん。お釣りだよ」
「アリガトウ」
若い男は低い声で礼を言って店を出ていった。
「外人さんかね? もしかしてセプルヴィアの人とか?」
「さあ?」
しばらくして、大通りの群衆に悲鳴とどよめきが起こった。警察官や車両があわただしくかけていくのが店の中からも見えた。
「なんかあったのかね?」
「さあ? それよりねーちゃん、勘定いいかい?」
「ああ……」
不思議そうに通りを見つめる女主人の耳に、セプルヴィア国王アレキサンデルがマルセイユの路上で狙撃され死亡したニュースが入るのはこのすぐ後のことだった。
アレキサンデル国王暗殺の報は世界中を巡った。かりそめにも平和を維持している欧州で、一番戦火が起きる可能性が高かった地域の重要人物が殺害されたのだ。各国外務省や軍は情報収集に走り回ったという。
容疑者の男はその場で射殺。のちのマルセイユ市警の発表により男はオリンピア地方の独立を唱える過激派の構成員だったと判明した。しかしこの発表も二転三転し、結局犯人の正体は闇に葬られていくことになる。
また同行していたバルド外相も犯人殺害時の流れ弾に当たり死亡。親エトルリア派重鎮のラダルが後任の外相に就任した。
そして国家元首が暗殺されたセプルヴィアだったが、その対応は迅速だった。アレキサンデルの実子たるペトラ・カルジヴィッチが王位の継承を行うことを宣言し、叔母のオルタ・カルジヴィッチが摂政に就任。政府全権を掌握することになる。
その素早い対応は、彼女が暗殺事件にかかわっているのではという憶測を呼ぶほどだった。
イリリア政府は公式に哀悼の意を表明し、暴力による事態解決を非難する声明を大統領の名で発表した。
「自分で言ってて笑っちゃうよね」
「じゃあ笑ってください。今なら別にいいですよ」
「わっはっはー」
非難声明の原稿を手にしたユリアナはわざとらしい笑いを浮かべながら、一週間ほど前に行われた極秘ブリーフィングの内容を思い返していた。
―――――――――――
「クリスタルⅡ号の概要はこうだ」
ブレンカはユリアナを前に言った。
「まず、情報室の助けを借りて、セプルヴィア国内の反体制派と連絡を取った。そして武器や弾薬を提供する代わりに人員を貸してほしいっていう協力体制を敷いたんだ」
国内に少数民族を多数抱えるセプルヴィアは、独立を唱えるテロ組織とも衝突している。情報室はイリリア・セプルヴィア国境山地沿いで活動するセプルヴィア領オリンピアの独立過激派と接触し、国境を超える極秘の輸送ルートを確立したのだという。
「すでに数人を訓練して、いつでも使えるようにはしてある。どこで何をするか、にもよるがな」
ブレンカはちらりとエルザを見た。エルザは軽くうなずくと、説明を受け継ぐ。
「アレキサンデルの動向はほぼ掴んでいるわ。『ベオグラードの赤い夜』以降王宮から姿を見せていないようだけれど」
先日のアレキサンデルによる大量粛清事件は、西欧のメディアによって『ベオグラードの赤い夜』と名付けられた。相次ぐ放火で空が赤く染まった、赤い血が町中で流れたとの証言が由来だという。
「ただね、10月9日……。ちょうど5日後にフランク共和国へ訪問することが以前より決定していたわ。その予定に変更はないみたい。小協商とフランクの協力体制についての話し合いと聞いてるけど」
「そしてこれは、例の『協力者』から得た詳しい警備情報なんだけどね」
アデリーナもアレキサンデルの外交日程が詳しく書かれた資料を差し出す。
「彼は9日に列車でマルセイユに入り、フランク外相のバルド氏と会談する。その途中で車を使い会談場所のホテルまで移動するんだが」
その上に数枚の写真を広げた。
「何か所か、『いい場所』を見つけてある。そこでもって、やつを……殺害する計画だよ」
「とまあ、以上をクリスタルⅡ計画――、ブロンズ作戦として提案する」
ブレンカは作戦概要をユリアナに手渡した。
「了解した。ブロンズ作戦の発動を命じる」
ユリアナは作戦概要の表紙に自らの署名を入れた。
「……今回は超法規的な作戦行動なので、別に形式ばる必要はありませんよ? あとその概要は即刻焼却処分にするので自分に」
「気分だよ気分! わかってないなぁルカは」
「駄目ね、ルカ補佐官」
「空気読めねえな、補佐官も」
「だからお小言製造マシーンって裏で言われるんだよ? 補佐官」
緊張感をぶった切ったルカに、女性陣からの非難が殺到。おかげでなんとも締まりのない形で、極秘ブリーフィングは締めくくられてしまったのだった。
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「これで歴史は変わるかな?」
非難声明への署名を終えたユリアナは、ひと段落したとばかりにため息をつく。
「さあ、今はまだわかりません。自分としては、セプルヴィアの『協力者』が言っていた交換条件の方が気になりますけど」
ルカは資料をまとめながら顔をしかめた。
「ああ、あったねそんなの。でも『協力者』はベオグラードの赤い夜で燃料になっちゃったんじゃないの?」
「なんて言い方を……。しかし、協力者の素性がわからない以上どうなったかはわかりませんしね。一応情報室を動かして調査をさせますが」
「期待しないで待っとくかー」
もう仕事を終えましたよ感を出し始めたユリアナにルカは小言を投げる。
「それよりも同盟問題です。議会が散会したおかげで少しは落ち着いてやれそうですが……、それも一月の冬季議会までの話です。それまでにどうにかして話をまとめなければ……」
「……あったねそんなの」
「冗談でもそんなこと言わないでください。外務省は連日連夜頭をひねってるんですから」
ルカがキッと睨む。
「しかしまぁ、手詰まり感がいよいよ強くなってきたことも事実です。頭ひねってもどうしようもない段階になりつつありますからね」
交渉のペースは以前ほどではないが、継続して続けられていた。だが「飲めっ!」「断るっ!」の応酬ではらちが明かず、そうなれば国力の差からエトルリア側が有利になるのは火を見るより明らかである。
実際国民の烈火のごとき反発に対して、イリリア政府内部にはあきらめにも似た妥協ムードが漂っていた。
正直交渉の延期を認めさせただけ外務省は大戦果で、ようはその期間を使って国民を納得させろ、とエトルリアは言っているのだろう、というのが大部分の見方だ。
「もう、頃合いかな」
ユリアナはあきらめたように言う。ルカはちらりとユリアナを見て、すぐに手元に視線を戻した。
「……あなたが、そう判断するなら」
そういうルカの手元は固く握られている。
「……明日でいいからさ、エルザちゃん呼んで。基本的に相手の意見を飲む方向でいこう」
「了解いたしました」
ユリアナは深い、深すぎるため息をついた。
「……敗戦処理って政治家の仕事だよねぇ。あーあ、損な役割はいっつも私の仕事なんだから」
「メディア工作を中心に行い世論形成に努めます。議会は……、最悪議会解散権を行使して内務省の協力の元で選挙工作と多数派を……」
その時、執務室の電話が鳴った。
「はい、執務室……」
受話器を取ったルカの顔には、見る見るうちに皺が寄っていった。
「どしたの、ルカ?」
「フィウメで大規模動乱。エトルリア人多数死傷。フルバツカ人極右勢力の犯行とのことです」
ユリアナはそれを聞いて大きく目を見開くと、
「……なんてこったい」
ただ一言だけ発した。そしてすぐに続ける。
「エルザちゃんに言うの、しばらく待って」
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このお話は一応史実を下敷きにして作っているので、下調べ的なことをいろいろしているのですが、モデルとなったアルバニアに関する、特に戦間期アルバニアに関する資料が少なくて泣けてきます。もう一つのモデル、モンテネグロはこのころ無くなっちゃってましたし……。ただ油断していると「え、当時のアルバニアってこんなんだったの!?」みたいなことを、連載開始後に知ることがありましてね……。その時のダメージと来たら……。くそう……、いいもん、これはフィクションだもん……。
少しでも時代感を掴もうと1934年の年鑑を手に入れたりもしたのですが、やっぱりアルバニアの記述は少なかったです。まあそれはそれですごく面白かったんですけどね。
というわけではありますが、これからもお付き合いのほどお願い致します!!




