「それがええ」――ベオグラードの少女は言った
セプルヴィア王国首都ベオグラードは、大河ドナウの南岸に築かれた街である。
レヴァント最大の版図と国力を誇るセプルヴィアの首都にふさわしく、夜の街は電気で彩られ、路面電車が行き交っていた。道を行く自動車の数も東欧最大級と言ってもいいかもしれない。
一人の少女がこの街を見下ろしていた。少女はため息をつく。
「のぉ、オルタ。この茶番はいつまで続くのじゃ?」
「さあ。お父上の気が済むまで、としか」
すぐそばに控えていた初老の女性が答える。
「まったく、父上にも困ったものじゃ」
少女は肩を落とす。
「たかがこの程度の国ですら満足に掌握できんとは。そのくせ身の丈に合わぬ夢を見るなど……、笑止千万じゃの」
「何とも言いかねますね。私の立場では」
「おお、そうじゃったな。オルタは囚われの身じゃった。ははは、すまぬすまぬ」
少女は笑った。
「ところで、例の宝石はどうした? きちんと始末できたか?」
「いえ、それが。業者に任せる形になっています」
「そうか……」
少女は窓の外に目をやった。王室親衛隊の徽章をつけた騎兵たちが街を駆けまわっているのが見えた。街のいくつかからは火の手が上がり、開け放たれた窓からは風に紛れてかすかな銃声も聞こえてきた。
「風邪をひかれますよ、殿下」
「そうじゃの。このバカ騒ぎをもう少し見ておきたかったのじゃが……」
少女は残念そうに口を尖らせつつも、窓を閉じた。
「宝石のことじゃが、余はあの業者を信頼しとるからの。ちゃんと宝石を処理してくれるじゃろう。必要な物品は渡しておるのだろう?」
「ええ。すんでのところで。おそらく、我らの異変についてもすでに気づいているでしょう」
「ならよい。ま、しばし屋敷でのんびり過ごすがええ。もう何日かしたら忙しくなるぞ?」
「はい、精々休暇と思って大人しくしておきましょう、殿下」
「それがええ」
歳に似合わぬ口調の少女は、きらびやかなドレスを翻し席を立った。
これまできしみながら停滞していたレヴァント情勢が、とうとう動き出そうとていた。
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夏からの日々はめまぐるしく過ぎて行った。
八月にはドイトラントのタンネンブルク大統領が死去。すでに独裁的権力を確立してい首相のカーラ・ハラーがその職務を引き継ぎ、総統に就任した。
九月に入ると、列強諸国から悪魔か何かのように恐れられてきた共産主義国家、プロレート人民連邦が国際連盟に加盟した。過去の経緯から国交がないイリリアも、これを機に外交関係樹立に向け動き出すことになる。
イリリア国内はと言うと、ユリアナの駐屯条項拒否演説を機に議会も落ち着きを取り戻し、連立与党はこの条項が入らなければ同盟を承認することを確認した。
そして社会労働党の求めていた労働法改正案が賛成多数で議会を通過し、ユリアナの署名によって成立、施行された。このほかいくつもの法律案が成立したり、あるいは廃案になったりして、夏季定例議会は幕を閉じる。
ちなみに軍の求めていた大規模軍拡予算も無事に承認され、本格的に新兵器調達に向け動き出した。
そして間もなく十月に入ろうかと言うある夜、アデリーナが再び執務室に現れた。今度は普通にドアから、ただし大きなバックを台車に二つ乗せて。
「……アデリーナ、それは?」
ルカがもぞもぞ動くバックを指さし、ひきつった顔で尋ねると、アデリーナはすっきりとした笑顔で答えた。
「クリスタルⅡは私だけの話じゃなかっただろう?」
その瞬間、バックのジッパーがはじけ飛び、中から人間の手足が飛びだした。
「殺す気かっ!!」
ぜぇはぁと肩で息をしながら出てきたのはブレンカだった。
「会議中に突然来たと思ったらこんなところに押し込めやがって!」
「君の部下の許可は得てるよ?」
「あいつらぁ……」
ブレンカは歯ぎしりする。そしてもう一つ、同じようにもぞもぞ動くバックを見つけると、
「……そっちは?」
「エルザ外相だよ」
「おおい!」
急いで口を開いた。中から顔を真っ赤にしたエルザが鬼の形相で飛びだす。
「あなたねぇ!!」
「悪かったね、大統領を驚かそうと思って」
まったく悪びれずにいうアデリーナ。そして続けた。
「さっそくだけどね、喫緊の判断を仰ぎたい事態になったんだ」
「喫緊の判断って? アデリーナちゃん」
「『協力者』からの連絡が途絶えた、つい昨晩のことだ」
「……は?」
「時を同じくして、セプルヴィア政府内の協調派代表だったオルタ・カルジヴィッチが邸宅に軟禁されたとの情報も入ってきた。どうも協調派への大規模な弾圧が始まったらしい。ベオグラードは何も言ってないけどね」
全員の顔が青ざめた。
「それはたしか?」
ユリアナが問うと、アデリーナは目を伏せた。
「残念ながらね。王室親衛隊が事実上の戒厳体制を敷いているらしい」
「大使館に確認を取らせるわ。電話借りるわよ、ユリー」
エルザは電話機にとび付き、矢継ぎ早に指示を出す。そして受話器を置いてから、ぽつりとつぶやいた。
「……前にドイトであった『長いナイフの夜』みたいね。いや、それを見て実行したのかしら、アレキサンデルは」
この意見に、アデリーナも頷く。
「その可能性はあるかもね。カーラはそのやり方で戦線党内部の邪魔者を一掃した」
「ってことはあれか。アレキサンデルは反対派を一掃して、完全な独裁政治を始めようって腹か?」
ブレンカは眉根を寄せる。
セプルヴィア王国は現在、国王アレキサンデル・カルジヴィッチ二世による権威主義的独裁体制が引かれてる。
ドイトやエトルリアで行われている全体主義とは違い、どちらかと言えば中世の王権体制をそのまま再現したかのような政治体制だ。議会はほとんど実権を奪われ、アレキサンデルの意のままに政治が行われているようにも見える。
しかし、全体主義と大きく異なる点は、旧来の権力組織、例えば教会や地主、そして貴族、王族、その他大商人が大きく政治に関与することである。その結果国王は様々な利害関係やしがらみにとらわれることとなり、その辺もろもろをすべてぶっ壊して誕生した全体主義政権のようにはいかないのだ。
セプルヴィア政府内部の抗争は、そのまま国内の派閥争いに通じているのだろう。アレキサンデルはこの状況にいら立ちを感じたに違いない。
こんな折、ドイトラントで大きな事件が起きた。カーラ・ハラーを中心とした戦線党中央部が、自らに反対する党内部の重鎮や急進派、政界の大物を次々と粛清したのだ。
俗に『長いナイフの夜』と呼ばれるこの事件は、連合王国やフランクで大きな非難を巻き起こすと同時に、「戦線党の統治体制はほころびが出始めている。もう長くはもたないだろう」という楽観論も出始めていた。
「まあいずれにせよ、ですが」
ルカは額を抑えて言う。
「アレキサンデルの完全独裁が実現してしまえば、セプルヴィアの領土回収政策がさらに加速する……。開戦はそう遠くないかもしれませんね、大統領」
そう声をかけられたユリアナは何も言わずにただ一点を見つめていた。
「大統領?」
怪訝に思ったルカが顔を覗きこむと、ユリアナは視線を動かさずに口を開いた。
「……私さ、戦争するならその国の元首どうしが殴り合いをすればいいのにって思ってたんだよね、子どもの頃」
「はぁ」
「急に何言いだすのよ、ユリー」
突然妙なことを口走り始めたユリアナに一同は首を傾げる。しかしユリアナはそんな視線などまるで気にせずに続けた。
「戦争をするって簡単に言うけどさ、戦場になる場所だって人が住んでるし、畑や町や道路は壊される。バカみたいに苦労して調達した兵器だってそう。手塩にかけて育てた兵士たちもまるでゴミみたいに死んでいく。何より国民が死ぬ」
「大統領! 今は演説をしている場合では」
「まあ聞いてよ、ルカ」
激高したルカを制すと、ユリアナは初めて、エルザを、ブレンカを、アデリーナを、そしてルカの目をそれぞれ見回して、言った。
「私は前にも言った。この国を守るためならどんな手段でもとる、って」
「…………、おいあんたまさか」
ユリアナの考えを読み取ったブレンカが叫ぶ。
「クリスタルⅡ号の発動を命じる」
閲覧、評価、ブックマーク、ご感想など本当にありがとうございます! いろいろ都合があり、今回のお話のタイトルはこんな感じとなっております。まったく隠せていないのは自覚しています……。
ところで誤字脱字のチェックを時々したりしているのですが、最初の方で見つけるとうわぁああああ!!となりますね、あれ……。推敲してから投稿しているのですが、何分自分はプロイセンをプロセインと長年勘違いしてたようなカタカナ読解力が低い人間でして……。すみません言い訳です直します。




