『私はこのような条項は絶対に認めないと、ここで国民の皆様にお約束します!』――ユリアナ・カストリオティ大統領は言った
「大統領っ!!」
ルカがユリアナの寝室に駆け込んできたのは、まだ夜も明けきらぬ早朝のことであった。
「大統領っ! 起きて下さいっ!!」
「ふにゃ……」
ルカが揺り起こしても、ユリアナは起きる気配がない。
「ああもうっ! 非常時ですって! 起きろっ!!」
そう怒鳴りながらベッドに強烈なけりを入れると、さすがにユリアナも飛び起きた。
「ふぁいっ!? ひじょーじ!?」
「非常時です! 同盟案、すっぱ抜かれました!!」
「すっぱ……?」
「いつまで寝ぼけてんですか! ばれたんですよ、条約の内容が!!」
「ばれた……。ばれたぁ!?」
ここまできてユリアナの脳ミソがようやく目を覚ます。
「どゆこと!?」
「今朝の国民日報です!」
ルカの持ってきた新聞をひったくると、ユリアナは一面に目を通す。
そこにはでかでかと、
『政府、エトルリア軍駐屯を容認か』
とあり、秘密だったはずの条文や交渉過程が細かく記されていた。情報元は政府関係者、とだけある。
「いったい誰が……」
「大統領、犯人探しも大切ですが、今は今後の対応を決定すべきです」
「……そうだね。ルカ、エルザ達呼んで。今日の午前中の日程は全部キャンセルで」
「わかりました。急ぎます」
―――――――
同盟案流出を受け、政府は早朝から対応に追われることになった。ユリアナは緊急の関係者会議を開催し、対応を協議する。喧々諤々の議論の末、どうにか昼過ぎには政府対応案がまとまった。それは「同盟条約は交渉中で内容はむこうとの取り決めで公表できない」と強弁することだ。
「無理ありますね」
「無理しかないでしょ。無理無理かたつむりだってこれ」
決めたはいいものの、ルカとユリアナはげっそりとした顔でお互いを見合わせた。
その日の午後から開催された予算委員会は予想通り大荒れだった。頑なに条約内容を公開しない政府に業を煮やした野党議員がエルザにとびかかり、エルザも応戦、そのまま乱闘騒ぎにまで発展したほどだ。
数日たっても、騒ぎは収まるどころか広まる一方だった。連立与党だったはずの社会労働党からも駐屯条項は絶対に認めないという言論が噴出し、同じく与党のイリリア国民党内部にも反発が広がった。
このままでは与党は分裂。一部ではユリアナへの大統領弾劾決議の提出すらささやかれることになったのだった。
一週間もたつと、議会や官邸の周りには同盟反対を叫ぶデモ隊が頻出するようになり、高い水準で維持されていたユリアナの支持率は大幅下落を余儀なくされようとしている。
「ああーやべぇ、どうしよー、ルカー」
この日の審議を終えたユリアナが弱音を吐く。右派左派両端からは突き上げを食らい、国民の反発は避けられず、だからと言って同盟交渉を不意にするわけにもいかない。
ユリアナはもはやにっちもさっちもいかなくなってしまったのだ。この騒動のおかげで他の法案や予算案の審議も事実上ストップしており、イリリア議会、そして政府は空転を続けていた。
「もうお布団かぶって寝てたい……」
「何言ってるんですか。ここが頑張りどころでしょうに」
ルカはあきれ顔でカップにコーヒーを注ぐ。
「それでどうされるんですか? もう考えてあるんでしょうに」
「私も別に万能じゃないしー」
そういいながらも、ユリアナは呟いた。
「まあ、私にとっちゃチャンスでもある」
「といいますと?」
「別に私は条約締結には前向きじゃないしさ」
ルカはそれを聞いて、くすりと吹きだした。
「国内の反発を理由に条約交渉を先伸ばすという事ですか」
「適当なところで演説して、ひとまずは収めるよ。駐屯条項さえなければ社会労働党も文句は言わないだろうし。……一応労働法の改正も準備しとこうか。社労党の公約だったよね?」
「彼らの要求を受け入れて条約提出時の採決をスムーズにしようという腹ですか……。では内務省の保健局労働課に法改正の指示を出しておきます。で」
ルカは一度言葉を切ると、ぐっと身を乗り出した。
「その駐屯条項が一番の問題ですが、その辺はどうするおつもりで?」
「…………。だよねぇ。なんかこう、エトルリアがうちの要求を受け入れてでも同盟を結ばざるを得ない状況ができればいいんだけど」
ユリアナは大きな大きなため息をつき、よろよろとコーヒーをすすった。
「お困りのようだね、大統領」
アデリーナの声がどこからか響いた。
「……アデちゃんどこ?」
「ここだよ」
彼女が出てきたのは、部屋に設置された暖炉の中からだった。
「……またなんでそんなとこから」
「なにやってんですか、アデリーナ」
「ゲホっ、ゲホっ。ちょっと掃除した方がいいいよ、補佐官に大統領。サンタクロースが灰まみれになる」
すでに灰まみれのアデリーナが苦言を呈す。
「いや、あなたねぇ」
「まさか暖炉から来るとは……」
二人は呆れたような視線を送るが、アデリーナはへこたれること無く笑った。
「ちょっと耳寄りな情報があってね。大統領に伝えようと」
「普通に来てくれていいよ?」
「期待を裏切っちゃまずいだろ?」
「誰もしてませんから」
ルカは執務室の床に灰をばらまくアデリーナに顔をしかめながらも、
「それで、耳寄りな情報とは?」
と聞いた。
「ああ。クリスタルⅡに関することなんだけどね」
「……そっちもあったか」
ユリアナは椅子に倒れ掛かる。それを見たアデリーナは苦笑した。
「そんな顔しないでほしいなぁ、大統領。私たちの成果を報告しに来たんだから」
「ああ、ごめんね、アデちゃん」
「まあ、気持ちはわかるさ。それで知らせなんだけどね、セプルヴィア政府に協力者を得ることができたんだ」
「……協力者?」
ユリアナが眉を寄せると、アデリーナは得意げに笑う。
「ああ。それもかなり高位の人間だよ。例の王立軍ダルダニア方面軍の不正がいいエサになった。やっぱり、セプルヴィア政府内部の対立はすさまじいみたいさ」
「……なるほど、計画の確実性が増したという事ですか」
「その協力者からの伝言があるんだ」
アデリーナは一度言葉を切ると、すこしだけ間をためてから再び口を開いた。
「『現行のイリリア政府の問題を取り除く代わりにクリスタルⅡを確実に実行しろ』ってね」
「……どゆこと?」
ユリアナはぽつりとつぶやいた。ルカもまた首をひねる。
「我々の問題を取り除く……。ダルダニア問題での妥協でしょうか。いや、そんな馬鹿な……」
「ま、そこの判断は大統領次第さ」
そんな二人を差し置いて、アデリーナは他人事のように言う。
「どうする? 時間はそんなにないみたいだけど」
「……、わかった」
ユリアナは言った。
――――――――――――
『現在、イリリアとエトルリアとの同盟交渉は駐屯条項の有無を巡って紛糾しています。報道の通りです。私はこのような条項は絶対に認めないと、ここで国民の皆様にお約束します!』
ラジオから流れるユリアナの声は、そう叫んでいた。
これは国営放送局で毎週流されている『大統領広報』という番組だ。ユリアナが前世で得ていたルーズベルト米大統領の『炉辺談話』を真似した、というかパクったもので、報道や伝聞では歪められがちなユリアナの真意を直接伝えようと始めたのだ。
効果は絶大で、イリリアのラジオ保有率は跳ね上がり、ユリアナの高支持率を維持する秘訣にもなっている。
『そこで同盟条約を今季議会に提出するという方針は撤回します。腰を据えて、我が国に利がある条約を結ぶために全力で交渉に当たります!』
拍手のSEとかほしいな、とユリアナは思ったが、生放送中なので言わない。というかそんなものは元々ない。
『さて、次はお便りのコーナー。今日はクシェ郡トアゴ村にお住いのラジオネーム狩人さん。『軍へ入隊したいのですがどうしたらいいですか?』なるほどありがとね! じゃあそのへんの疑問をゲストのトルファン陸軍大臣に……』
ルカはその様子をブースの外から眺めていた。そして、
「はぁ、言ってしまった」
悩まし気に独り言をつぶやく。そしてこの発表に至るまでの熾烈な外交交渉を思い出す。
エトルリア側に同盟交渉の延期を伝えた際の反応は激烈だった。経済協定の破棄すらちらつかせられたが、国内の反発と周辺諸国の反応を理由にイリリアは延期を強行した。ついでに内容の公表も決定した。
エトルリアも渋々ながら、最終的にはこの判断を認めることになる。理由は両国が直接国境を接している隣国、フルバツカだ。
港湾都市フェウメの領有権問題をエトルリアと抱えるフルバツカは、イリリア・エトルリア同盟に対し当初から敏感に反応していた。同盟が成れば南北を敵に挟まれる格好になるので当然だろう。
そして駐屯条項の存在が明らかになると、フルバツカはいよいよなりふり構わなくなってきた。
『イリリア共和国側がフルバツカに対し明確な敵意を見せる行動をとった、もしくは取ろうとした場合、我が国は自衛のためにあらゆる措置を講ずる』
という声明とともに、イリリア・フルバツカ国境地帯に1個師団に及ぶ戦力を派遣したのだ。
大戦争以来因縁を抱えるレヴァント南端の隣国、コリントもイリリアとの国境水域に軍艦を派遣するなど、同盟が結ばれるより前にイリリアが滅亡するか、結ばれた瞬間イリリアを戦場にした第三次レヴァント戦争が勃発しかねない危機的状況になりつつあった。
ちなみに、セプルヴィアは奇妙なほど沈黙を保っていた。唯一、外務省が同盟関係を懸念する、という声明を出しただけだ。
ここに至って急速な両国の接近は危険だとエトルリアも判断したらしい。同盟が結べる国際情勢を作り出すための下準備期間を確保するということもあって、彼女たちは交渉延期というイリリアの要求を受け入れたのだった。
とはいえども、現状事態打開の見通しは全く立っていない。ユリアナが持つ前世の知識と照らし合わせても、この後十年は明るい予測など建てられそうにもない。
1934年も夏の盛りを迎える頃、レヴァント諸国の緊張は極限に達そうとしていた。
閲覧、評価、ブックマーク、ご感想など本当にありがとうございます! 早いものでもう二十話ですわよ奥様! この小説を読む人に奥様はなかなかいらっしゃらない? はい、そうですか……。
まさかここまで皆様にご評価いただけるなど思ってもいませんでした。本当にありがとうございます。
さて、イリリアは今だ34年をうろついております。さっさと大戦まで行かないとタイトル詐欺になりかねないと作者も若干焦っておりますが、これからもお付き合いの程よろしくお願いいたします!




