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「私は、この国が生き残るために出来るすべてをしたい」――ユリアナ・カストリオティ大統領は言った


「平和を守るため、か」


 ユリアナは自室で一人呟いた。昼間ルカから言われた一言が、彼女の胸に突き刺さっていた。史実を、この世界の未来をしっているユリアナは、戦争はもう避けられないものだと考えていた。


 だが、いくら武器を潤沢に用意し、兵士を大量に訓練したところで、死人は出るし損害もでる。侵略戦争を行わないかぎり得る物はない。戦争など、起きなければそれに越したものはないのだ。


 不可能かもしれない。いや、この状況からイリリアが戦火に巻き込まれる運命を回避することなど不可能以外何者でもない。


 そう思いつつも、ユリアナは割り切れずにいた。思わず窓の外を、夜景のきらめくスコダルの街並みを眺めた。パリやロンドン、ニューヨークなんかに比べれば小さい、弱弱しい光だ。それでも、イリリア国民が作り出した、イリリア国民の光だった。


「戦争になったら、そりゃ消えるよね。みんな」


 ユリアナの声は暗い室内に溶けていく。日々少しづつだが強くなっているこの光を、また消してしまうことが正解なのか。ユリアナはそこまで思いを巡らせて、


「……できるところからやってみるかなぁ」


―――――――――――


「大統領、本当に本日の会合は……」


 ルカが尋ねると、ユリアナは力強く頷いた。


「私は今日、休暇を取って迎賓館にいる。会議には出ていない」


「じゃああれか? ここにいる閣下は幽霊ってことか?」


 ブレンカが茶化して笑う。


「そ、ちなみにみんなもそうだよ? 今日は幽霊たちによる幽霊会議何だからさ」


「おもしろいね。まあ、スパイは元々幽霊みたいなものだからさ」


 アデリーナ情報室長は手持ち無沙汰にトランプカードをいじりながら言った。


「はぁ、ゴーストってことは今日ぶんのお給料は出ないってことなの?」


 エルザ外相もいたずらっ気を含んで聞く。


 ここはスコダル市内のとある高級レストランの個室だ。全員が私服でかつこの時間は休暇を取って自宅にいることになっているメンバーばかりである。記録にも一切残さない、完全極秘会合だった。


「ここでの食事が給料替わりってことで。ルカが持つから好きなだけ食べていいよ」


「は?」


 コントを始めたユリアナとルカをしり目に、さっそくエルザが口火を切った。


「で、ユリー。こんなことさせるってことはそんなにやばい話なの?」


「やばいね、ばれたら私無職になっちゃう」


「おやおや。大統領辞職レベルとはね。補佐官は聞いているのかい?」


「……まあ、一応」


 ルカはアデリーナ室長の問いを複雑な顔で肯定する。


「で、なんなんだその辞職ものの話って言うのは。もったいぶられるのは性に合わねえんだが」


「うん、単刀直入に言う」


 ユリアナは声を潜めて、言った。


「アレキサンデル・カルジヴィッチ二世を暗殺してほしい」


 長い沈黙が、個室を支配した。


「あ、あれきさんでる・かるじゔぃっち……。アレキサンデル・カルジヴィッチ!?」


 エルザはかすれた声で反復し、


「そいつって……セプルヴィアの、王様だったよ、な?」


 ブレンカは両隣のエルザとアデリーナに確認し、


「ああ、そうだよ。まさか大統領がそんな大胆な作戦を立てるなんてね。ますます惚れてしまうよ」


 アデリーナが回答するが、余裕そうな口ぶりとは裏腹に視線がまったく別のところにあった。


 ユリアナは畳みかけるようにまくしたてる。


「セプルヴィアの強硬姿勢は止まらない。エトルリアだってレヴァントの覇権を握るという野望を持って、うちと同盟を組んできた。このままじゃイリリアを戦場にした、エトルリア・セプルヴィアの全面戦争が起きたっておかしくない」


 ユリアナの眼光が鋭く光る。


「そうなる前に止めなきゃいけない。どんな手段を使ってでも、ここで戦争を起こさないようにしなくちゃいけない」


「ああ、ええ。なるほどね」


 エルザはどうにか話を理解したようで、額を抑え続けながら口を開いた。


「その……、人道とか、道義とか、国際法とか、その辺もろもろを無視したら……」


 エルザの目に鋭い光が生まれた。


「これ以上なくベストな手段よ」


「やっぱり?」


「対外強硬姿勢を推し進めてるのは誰でもない、アレキサンデル国王だもの。彼が排除されれば、今のセプルヴィア情勢を読み取るに、大幅な方針転換をせざるを得なくなるわ」


「確か、皇太女はペトラ王女だったね。まだ十一歳だから、おそらく実質的権力者は別の人間になるんじゃないかな?」


 アデリーナもつぶやき、


「となると、協調派のオルタ・カルジヴィッチか……。王位継承者順的にも間違いないな……」


 ブレンカも頷いた。


「でもね、ユリー」


 エルザが眉をひそめる。


「実際問題、他国の国家元首の暗殺なんて、計画が発覚した時点でイリリアが終わるわ。それに、私はあくまで外交的な結果論を言っただけ。実行できるかはわからないし」


 そう言って、アデリーナとブレンカに目をやった。


 自分にバトンが渡されたことを悟ったのか、アデリーナは口を開いた。


「実行計画を立案しろと言うなら、私たちはやるよ?」


 そのままテーブルの上にあった食前酒を呷る。


「なんてったって、暗殺事件は紀元前から例は多いからね。カエサルしかり、サラエボ事件しかり。最近なら合衆国の『高い城事件』とかもね」


 ユリアナはそれを聞き、すこしだけ頷いて言った。


「これはエルザちゃんが言った通り、計画が発覚すれば私の政権が吹き飛ぶレベルの爆弾になる。セプルヴィアからの報復だってあるかもしれない。でもこのまま何もせずに待っていれば、開戦だって避けられない。他にも手段は打って出るけど、あくまで選択肢の一つとしてあなたたちに協力してほしい」


 三人はこの言葉で顔を見合わせた。


「……研究なら協力できるわ」


「秘密工作は専門だよ?」


「私は軍人だ。上官の命令には逆らえん」


「……ありがとう」


「ではこちらを」


 ルカが冊子を三人にそれぞれ配った。


「国家機密保護法に定められた最重要機密指定物です。扱いには注意してください」


 標題にはただ単に、「外交問題に関する研究所設立概案」とだけ印字されており、左上に機密指定を示す赤いスタンプが押してあった。


「大統領府を中心に、情報室、軍、外務省その他関係機関の担当者による本件研究機関を設立します。対外的には大統領府に新設するシンクタンクとします。


 なお、本件にかかわるすべては最重要機密案件です。関係者の人数はできるだけ減らしたいので、選別は徹底してください。今夏中に計画を策定し、『クリスタルⅡ』として早急に大統領へ報告する予定になっています」


 この言葉にエルザが眉をひそめた。


「夏中ってこと? かなり急な話ね」


「ま、時間はもうないからさ。レヴァントに何か動きがあるならたぶん来年以降活発になる。できるだけ早くやっちゃいたいんだ」


 ユリアナがそういうと、エルザも納得する。


「そう、ユリーの勘って結構当たるからね。ま、優秀で口の堅い奴を送るわ」


「では来週までに機関候補者を選抜し、調査結果とともに自分に送ってください。大統領の言うとおり、時間はもうないので」


 三人は無言でうなずいた。イリリアの最重要国家機密にかかわる案件について話していたためか、部屋の空気はいつの間にか重苦しいものに変わっている。


 そんな中、ブレンカはうかがうように声を上げた。


「そろそろ飯、食ってもいいか?」


「……どーぞ」


―――――――――


 イリリア1ともいわれる高級レストランで、ルカが涙目になるほどたらふく食ったブレンカ、アデリーナ、エルザの三人は、食後のコーヒーを飲んでいた。


 ルカとユリアナの二人は先に部屋を出ている。一緒に店を出ればさすがに目立つため、こうして時間を空けているのだ。


「しかし……」


 ブレンカは感慨深げに呟く。


「まさか目の前で『イリリアの魔女』の本性を見ることになるとはなぁ」


「それってユリーの異名よね? どういうこと?」


「外相は知らねえのか? 界隈じゃかなり有名だぞ」


「そーね。私はここの外相になるまで向こうの国務省で官僚してたからさ。ユリーがなんかすごい手段で大統領になったって言うのは聞いてるんだけど」


「そうかな? 内戦までして権力闘争をしていた二人が突然死するっていうことが偶然おこることだってあるかもしれないよ?」


 アデリーナは茶化して笑った。


「ありえないからこそ魔女なんでしょ、ユリーは」


 呆れるエルザに、ブレンカも同調する。


「ま、順当に考えれば閣下がやったのか、凄まじい偶然にめぐり合わせた閣下がそれをうまく利用したのか、のどちらかだよな」


 そういって、「答え、知ってるんだろ?」と言いたげな視線をアデリーナに送る。


「さあ? 私は知らないよ。知るつもりもないさ」


 アデリーナは肩をすくめるだけだった。


 『イリリア内戦』と言われる一連の内乱の原因は、1918年の大戦争終結直後までさかのぼる。


 エスターライヒやエトルリアといった列強に相次いで占領されたイリリアは、公国公主の亡命も相まって無政府状態に陥った。


 列強の占領に対し抵抗運動を行ったイリリア人はついにイリリア共和国臨時政府を結成し、大戦争講和会議の場においてついに独立を勝ち取る。


 正式な独立国となったイリリアだったが、直後に政権運営を巡って保守派と革新派に分裂する。革新派は発足したばかりだったプロレート社会主義人民共和連邦の援助を受け、保守派は共産主義の拡張を嫌うセプルヴィアやエトルリアの支援を受け内戦を戦った。


 初代大統領に革新派のファナ・ノリが就任するが、ノリは24年に保守派のクーデターにより権力を失うと、第二代大統領に保守派筆頭のアリア・ゾクが就くことになる。


 アリアは強硬な近代化政策を推し進め、28年には自ら国王に即位した。しかし民主制度維持を求めるファナ派がこれをきっかけに盛り返し、武力闘争を開始。


 こうして再び、イリリアは泥沼の内乱に突き進むことになる。


 しかし1930年、転機が訪れた。革新派を率いていたファナ・ノリと、国王のアリア・ゾクが突如死亡したのだ。頭を亡くした革新派と保守派は停戦協定を締結。この協定を取りまとめたのが、ユリアナ・カストリオティだった。


 それ以前に彼女がどこにいて何をしていたのかを知るものはほとんどいない。革新派に近い勢力に身をおいていた、というのが噂されていることだが、真相はよくわかっていない。


 それはともかくとして、協定の結果新憲法の制定と、暫定政府の設立が決定。ユリアナは暫定大統領に就任すると、現行のイリリア憲法を制定し、正式に第3代大統領となったのだった。


 この一連の流れで、まさに権力闘争に置いて漁夫の利を掴んだに等しいユリアナだったが、いつしか黒いうわさが流れるようになる。どうも、彼女が30年の暗殺事件からすべてを動かしていたのではないか、というものだ。


 そして大統領就任後のユリアナの手腕も相まって、いつしか「イリリアの魔女」と呼ばれるようになっていたのだった。


「はっくしょんっ!」


 ユリアナは迎賓館の湖畔に面したコテージで大きなくしゃみをした。


「ったく、誰かうわさしてるな、これは」


「さすがに水辺にずっといれば寒いでしょう。中に入ったらいかがです?」


 ルカが呆れた顔で顔を出す。


「うーん、じゃあそうする」


 ユリアナは読みかけの小説を閉じるとそそくさと室内に退散した。


「……ところで大統領」


 ルカは声を潜める。


「『クリスタルⅡ』、本当に実行するつもりですか?」


「ま、今は研究段階だし。心配するには早いよ」


 ユリアナは笑って答えるが、ルカの顔は晴れない。


「……また、行なう気ですか? このような方法はそう何度も」


「私は」


 ルカの言葉を、ユリアナは強い調子で遮った。


「私は、この国が生き残るために出来るすべてをしたい。できることは何でもしたい。これは間違ってる?」


「……いいえ。それでこそあなたです」


「よろしくね、ルカ。苦労かけるけど」


「いいえ。慣れてますから」


 

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