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「了解した。頼んだよ」――ユリアナ・カストリオティ大統領は言った


 谷底の狭い獣道を、こげ茶色の軍服を着たイリリア陸軍歩兵5人が縦列になって歩いていた。


 ちょっとした段差を下ると、大きな岩がごろごろ転がっている渓流が流れている。雪解けの水を運ぶ川は、ひんやりとした冷気を谷に満たしていた。


 鉄帽をかぶり小銃を肩にかけたこの一団は、時折立ち止まっては双眼鏡で谷の奥を覗きこむ。


「隊長、異常はありません」


「了解した。河原に降りて、30分休憩をとる」


 彼らはイリリア陸軍独立警備中隊所属の兵士だ。ここはイリリアとセプルヴィアの国境、西ダルダニア州ジャコバ郡の山中。彼らは通常国境監視任務の最中である。


 この道はかつて山賊が交易路の行商を襲うのに使っていたという山道で、ちょうど国境に沿って伸びている。こんな道がレヴァントの山中には網の目のように張り巡らされているのだ。


「しかし、ここのところ大変ですね。ローテもきつくなってますし」


 良く日焼けをした兵士が愚痴を言った。


「当たり前だ。この山を超えりゃセプルヴィア。何があったかわかったもんじゃない」


 部下の言葉を、小隊長が叱責する。ここ数年、セプルヴィアによる挑発活動は激化していたうえ、先月末の測量事件のようなこともあり、国境監視任務は厳しさを増している。


「なるほど、道理で」


 部下はまるで他人事のように言って、水筒を仰いだ。そして、


「隊長、自分しょんべんに行ってきていいっすか?」

 

「ああ。ただ川には流すなよ、俺が今から水をくむ」


「了解!」


 日焼けした部下は河原を駆け上がり道に戻ると、


「漏れる漏れるっと……」


 そうつぶやきながら林に駆け込み、


「え?」


 目の前に立っていた、青い軍服を着た人間を見た。相手も自分と同じように呆けた顔をしていた。


「あ……」


 距離にして立った10メートルほど。相手の軍服の装飾や、マークや、小銃、顔の表情なんかまではっきり見えた。


 そしてすぐに理解する。この人間は本来ここにいない、いてはいけない、入れさせてはいけない人間、セプルヴィア王立陸軍の兵士であることを。


「て、敵襲ぅぅぅぅぅぅっ!!!!」


 腹の底から叫んで、下げていたズボンのチャックを上げるのも忘れて隊長のところまで駆け出した。


 河原をかけ下り、隊長に飛びつく。


「セプルヴィア兵です! そこの角にセプルヴィア兵が!!」


「はぁ? このあたりはまだイリリア領だぞ。そんなところにいたら完全な国境侵犯……」


 隊長の言葉を銃声がかき消した。


「伏せろっ!!」


 反射的にそう叫ぶ。銃弾による水柱が川のあちこちから上がった。ここにきて彼もセプルヴィア兵の姿を認める。それも一人や二人ではなかった。少なくとも2個小隊規模以上。


「隊長っ!!」

 

 とっさのことで真っ白になった隊長の脳を、部下の叫びが呼び戻す。


「は、反撃を許可するっ!! 撃てぇっ!!」


 この反撃にセプルヴィア兵は一瞬身を隠した。その隙を、隊長は見逃さない。


「一度引けっ! 後ろの岩の陰に隠れろ!!」


 イリリア側五人は発砲しながらすぐに岩陰に隠れる。セプルヴィア兵もすぐに射撃を再開した。


「どういうつもりだあいつら! 宣戦布告でもしたか!?」


 隊長は応射しながら毒づく。そんな気配はなかったはずだ。じゃああれはなんだ。


 そんな思考に陥るが、すぐそばをかすめた弾丸がそれを許さなかった。小銃とは違う連続した発砲音が聞こえる。


「機関銃まで出してきやがった」


 高台から自分たちを狙うのはブルーノZB26短機関銃。ベーメンで作られた傑作機関銃だ。自分たちの小銃とはけた違いの破壊力を持つ代物である。


 敵数は自分たちの倍以上。火力も強大。それも高所を取られている。


 不利を悟った隊長は、一番年少の部下にあるものを渡す。


「お前がここから撤退しろ。そしてすぐにこいつを飛ばすんだ」


 隊長が渡したのは伝書鳩だった。つい最近小型の無線通信機の代わりに導入されたものである。


「し、しかし、自分だけ」


「俺らはお前の撤退を支援した後同じくここから一度引く。増援がなきゃここを乗り切るのは無理だ」


 そういってにこりと笑った。


「5つ数えたらやるぞ、お前ら! 例のあれ、お見舞いしてやれ!」


「「「はい!!」」」


 5秒後、柄付き手榴弾が5つ川面を舞った。


 セプルヴィア兵たちのかなり手前に落ちたが、土を舞い上げ爆発を起こす。


「撤退っ!!」


 五人は岩から飛び出した。逃がしはしまいと銃声が鳴り響く。


「行け行け行け行けっ!!」


 年少の兵が全力で駆けだすのを、他の兵が小銃で援護しながら後退していく。


 伝書鳩を託された兵は、他の仲間には一目もせずに川から上がり、斜面を登って森の中に駆け込む。


 そして震える手でセプルヴィアの侵攻を知らせる文章を書きこむと、


「た、頼んだぞ!!」


 鳩は空へ舞い、木々の間を縫って消えて言った。やかましいほどなっていた銃声が、もう一発も聞こえなかった。


『セプルヴィア軍越境。我と交戦中。増援願う。場所は……』


 この簡潔な文章を運ぶ鳩は距離にして十キロほどしか離れていない国境警備所にわずか数十分でたどり着く。


 警備所に詰めていた兵たちはその情報に驚愕したものの、規則に定められた通り通信機を使ってプリズレンの警備中隊本部へと情報を伝えた。


 中隊本部もまた真偽を疑いながら、直通の秘密電話回線を使って参謀本部に伝達され、


「トルファン大臣、参謀本部から緊急電! 西ダルダニアでセプルヴィアと武力衝突発生!!」


「なんだと!? 大統領府へ伝えろっ! わしもそちらに向かう!!」


「陸軍省より緊急の連絡です! セプルヴィアが侵攻してきましたぁ!」


「はぁ!? 大統領に伝えろっ!! 外務省にもつなげ!!」


 こうして、ユリアナの耳に入るまで一時間とかからなかったのだった。


 ユリアナは即座に臨時国防会議を招集した。


「状況はどーなってるの、トルファン?」


「詳細はいまだ不明ですが、どうも国境沿いにある谷で戦闘に陥っている模様ですな。警備所に駐屯していた3個警備小隊が援護に出動したほか、プリズレンの中隊本部も現場に急行しています。また、ドゥラスの第二歩兵連隊をプリズレンへ移転。第一歩兵連隊にも出動待機命令を出しました。最高司令官として、これらの行動に承認を願います」


「わかった、許可する。現地の状況は逐次報告するよう全部隊に指示して」


「了解」


 トルファンは敬礼で返した。ここでエルザ外相が発言する。


「ちょっといいかしら、ユリー」


「どうぞ、エルザちゃん」


「現在セプルヴィア大使の呼び出しを行って厳重な抗議と部隊即時撤収を要求してるわ。同時にベオグラードのイリリア大使館を通じて状況の把握を務めているんだけど……」


 エルザの歯切れが悪くなる。


「どうも妙なのよね」


「妙ってのは?」


 ユリアナが尋ねると、エルザも不審げな表情を隠さず答えた。


「セプルヴィア王立放送がこの事件のことを一切報じていないの」


 全員が首を傾げた。


 イリリア国営放送はすでに第一報を報じている。事件当時国であるセプルヴィアは、当然侵攻を受けたイリリアよりも先に事態を把握していたはずだが、今に至るまで政府からの公式発表も、臨時ニュースの放送もないのだという。


「大使を呼び出した際も、事態を理解していないようだったわ。我々が言うことに関しては『本国に問い合わせる』の一点張りで……」


「とすると、偶発的な事故という事か……」


 トルファンは天井をにらみながら言った。ニナ参謀総長もうなずく。


「可能性は高いだろうね。本格的侵攻なら事前に何らかの情報をキャッチしてるはずだし。何よりこんな辺鄙な谷から攻めてくるとは考えづらい」


 しかしルカは納得がいかないようで、首をひねる。


「では本国が一切報じていない理由は? 西ダルダニア併合をもくろむ奴らなら、この事件を利用して嬉々として国内世論を煽りに行くと思うのですが」


「たぶん私たちと一緒だよ、ルカ」


 これに答えたのはユリアナだった。


「一緒、と言うのは……」


「セプルヴィア政府内部で意見が対立してる。この事件を機に攻め込むか、波風立たせず収めるか、ね」


「ユリーの意見に賛成ね。私もそう思うわ」


 エルザがユリアナの見解を支持すると、他の閣僚やスタッフもそれに続いた。ユリアナは全員がおおむね同じ意見だという事を確認すると、一同を見回し言う。


「仮に私の考えが正しかった場合、この事件の収束は時間がカギになる。事態解決に時間がかかれば、セプルヴィア政府首脳部は侵攻に傾くに違いない」


 そして命じた。


「陸軍はあと24時間以内に、侵入したセプルヴィア軍をすべて領内から駆逐しろ」


「…………」


 トルファンは何も言わず、ただ目を閉じた。反対にニナが怒鳴る。


「一日でどうにかしろって言いうのかい!? 敵の規模も装備も戦術も現状も目的も、何もかもわかってないこの状況から!? 無茶言ってんじゃないよ!」


 しかしユリアナも一歩も引かなかった。


「無理を言ってるのは承知してる。だけどこれは命令だよ。従えないなら最高指揮官の名のもとにあなたから指揮権を奪わなくちゃいけない」


「やれるもんならやってみな! 私じゃなくても無理だって言うはずさ。そもそもあんたは戦争ってもんを知らなすぎるんだよっ!」


「なら参謀総長は政治を知らない。あなたは軍事上不可能だというかもしれないけど、長期化を許すことは政治上最悪の選択肢なんだから」


「そうはいっても……」


「もういい、ニナ」


 まだ続けようとしたニナを、トルファンが制した。そしてトルファンはその大きな目をぎろりとユリアナに向ける。


「セプルヴィア軍が動員を開始して、完了するまで最速でおよそ3日かかります。相手の作戦立案、兵力輸送などから鑑みても、本格的に侵攻を開始するとなれば4日から5日ほどは必要でしょう。軍事的にはそれほどの余裕はあると考えますが、政治的にはいかがですかな?」


 ユリアナは少しの間考え込むと、ぼそりとつぶやく。


「……セプルヴィア憲法じゃ宣戦布告は議会の承認が必要。今向こうは閉会中だから、臨時招集して即時採決したとしても、2日、いや3日はかかるか……?」


 そして顔を上げた。


「2日で……、でどう? それ以上の引き延ばしはもう無理だ」


「わかりました。では2日で敵軍を領内から駆逐する。以上を作戦目標として行動を開始します。よろしいですな」


「了解した。頼んだよ」


 世界暦1934年5月8日午後4時23分、ユリアナ・カストリオティ大統領はセプルヴィア軍の侵攻に対し、陸軍に本格的武力行使による早期奪還を命じた。


 

閲覧、評価、ブックマーク等本当にありがとうございます! とうとう架空戦記の花形、戦記に突入いたしました! あれ、予告してたよりも遅い?……すみません……。

何はともあれイリリアピンチ! 次回、どうかお楽しみください。

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