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【解説】カランタニア事件

作中でちょくちょく触っていた「カランタニア事件」についての概要です。本編でしっかり解説する機会はなさそうなのでこの機会にあげておこうと思います。


 大戦争が終結し、対エスターライヒ講和条約、サン=ジェルマン条約により、旧帝国支配領のフルバツカ・カランタニアは独立が承認された。また大戦争の引き金となったサラエボ擁するボスナ地方はセプルヴィアに割譲され、ヘルツェーゴ地方はフルバツカ領となる。


 これに不満を持ったのは、戦勝国であるエトルリアだった。


 エトルリアはかねてから「未回収のエトルリア」こと、トリエステ・フィウメ・南チロルの回復を国家目標として戦ったにもかかわらず、条約で併合が認められたのは南チロルのみ。


 植民地化をもくろみ、大戦のゴタゴタに紛れて占領したアドリア対岸のイリリアも結局撤退を余儀なくされている。


 そして、戦勝国にもかかわらず大した領土も賠償金も得られなかったという国民の不満を背景とし、全体主義党とベアータ・ムジェッリーニが台頭。世界暦1922年にとうとう政権を奪取する。


 同じころ、新たに建国されたトリエステを領有するカランタニア共和国は、他の東欧新興国家と同じように国内が混乱していた。


 1922年、エトルリアの支援を受けたとある軍人がついに反対勢力を打ち破って政権を樹立すると、24年には自ら国王に即位。こうしてカランタニア王国が成立する。


 そこからは坂道を転がり落ちるようにあっという間だった。


 エトルリアの武力を背景に政権基盤を築いた国王は彼女たちには逆らえない。1925年、エトルリアとカランタニアは相互防衛条約を締結し、カランタニア領内にエトルリア軍が多数駐屯。このような状況に反発した市民により、多数暴動が起きたが、その鎮圧を名目にエトルリア軍はさらに増強され続けた。


 26年、カランタニアは外交権と軍の指揮権をエトルリアに譲渡する条約を締結し、同時にトリエステの割譲を認めた。この一連の流れをカランタニア事件と呼び、レヴァント諸国の恐怖を呼ぶこととなる。


 なおこの手法は列強各国からの非難を巻き起こしたものの、世界恐慌勃発により列強国民の記憶からは消え去ってしまったのだった。

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